11.何のため 誰のため
あれからひと月が経った。夏休みも残すところもう二週間ほどだ。
あの次の日、アルは目の下に凄いクマを作ってやってきた。どうやら眠れなかったらしい。僕は彼の体調を心配して、朝の鍛錬を休もうと提案したのだが、彼は頑として聞き入れなかった。
「とにかく体を動かしてすっきりしたいんだよ。」
気持ちは僕もよく分かった。そしてその日から僕の提案…本当はクロの提案で、素振りの種類が上段の一つに、斜めや横といった様々な角度からのものが加わった。アルは嬉々として僕に手解きしてくれた。
いつもよりも長い時間、僕らは朝の鍛錬を行った。そしてそういう日に限って寮の掃除や草むしりといったやる事が多いものだ。それらの雑用業務も、ぐちぐち言う他のみんなを尻目に、僕らは二人は黙々とこなしていった。そしてその日の夜は泥のように眠った。
あの酒場での出来事はほとんど話題に上がらなかった。だが一度、アルがこんな事を言っていた。
「なぁ、レオ。来年はどこか旅をしようぜ。俺たちにはまだまだ経験や見聞が足りない。足りなさすぎる…。」
この言葉に僕は黙って頷いた。きっと彼なりに考え続けているのだと思う。
そんな中、その事件は起こった。
『…ろ…レオ…、起き……、レオナード!』
顔をぺちぺちと叩く柔らかい感触。
「…んー、何?もう朝?」
いつものクロの起こし方だが、何か様子がおかしい。
『外の、森の様子がおかしいんだ…。』
「…へ?」
『何かが近づいてきている。そう数は多くないが…恐らく…魔物だ…。』
あまりの展開に頭がついていかない。
『目的は分からないが…あまり良い目的ではなさそうだな…。』
「こ、こっちに来るの?」
『…さすがにそれは分からん…。』
クロはベットから出窓へと飛び移って窓の外をじっと見つめている。その眼はいつも以上に鋭い。
『この寮には今、何人の人間がいる?』
「…たしか、5〜6人だよ…。」
『その中でまともに戦う事が出来るのは?』
「え?戦うの!?」
クロは小さくかぶりを振る。
『もしもの場合だ。黙って殺される義理はないだろう?』
「こ、殺すって…。」
血の気が引くというのはこういう事を指すのだろう。やけに心臓の音が早く聞こえる。
『落ち着け、俺が付いているだろ?それで戦える奴に心当たりはあるか?』
見た目は子猫のくせにこういう時は本当に頼りになる。僕は必死で頭を巡らせた。
「確か、学校の方に守衛さんたちがいるはず。寮にも一人か二人いた気がする。あとはアル?他の生徒はよく分からないよ…。」
『よし、まずは守衛室だな。』
僕は急いで靴を履く。クロが僕の肩にヒラリと飛び乗った。
『あまり大きな音を立てるな。外の奴らの注意をひくことになるぞ。』
「わ、わ、分かった…。」
自分でも声が上ずっているのか分かる。部屋の扉を静かに開けると守衛室へと向かう。幸いに窓から射し込む月明かりで廊下は明るい。守衛室の扉は小さく開かれていて中から光が漏れている。
「あのー…すいません…て、え…?」
守衛室を覗き込んで僕は思わず固まってしまった。二人の守衛は机に突っ伏して盛大に寝息を立てている。その机の上には遊びに使うカードと何本もの空き瓶が転がっていた。
「…う、酒臭い…。」
『こりゃ、駄目だな。』
クロが心底呆れた声を出した。
「どうしよう…?」
『ひとまずアーノルドを起こそう。』
クロの言う通りに、僕はアルの部屋へと向かう。アルの部屋は寮の三階にある。階段がギシギシと音を立てるたびに僕のみぞおちのあたりもギュと縮む気がする。
ようやくアルの部屋の前までたどり着き、小さく扉をノックした。
「…ふぁーい…。だれ?レオ?どしたのこんな夜中に?」
眠そうに目をこすりながらアルが扉を開いた。
「アル!大変なんだ!えーと、何て説明したらいいのか!」
「?」
上手く説明出来ない。アルは訝しい顔をしながらも、まぁ落ち着けよ。と言って僕を部屋の中へ招き入れてくれた。部屋の作りは僕の部屋と変わらないが出窓の方角が違う。クロは僕の肩からサッと飛び降りると出窓へと飛び乗って外を見つめている。
「どう説明したら良いのか分からないんだけど…とにかく、今、寮のすぐ近くを魔物の群れが通っているらしいんだ!」
「なんだよレオ、怖い夢でも見たのか?」
アルはニヤニヤ笑いながら俺を見てくる。
「違っ!本当だって!クロが教えてくれたんだ!」
「クロが?子猫だろ?どうやって?」
当然の疑問だ。僕は何と答えたら良いか迷ってしまった。猫が喋るとも言えないし…。
『…こちらに向かってきたな…2、いや3人か?』
「…え?」
僕は慌てて窓へ駆け寄った。何事かと訝しみながらもアルも付いてくる。
学園を囲む森の切れ目から、あたりを伺いながら恐る恐る出てくる三つの影。背丈は大人の腰くらい。特徴的なのは大きな耳と鼻。なめした獣の皮のような物を身に纏い、手にはそれぞれ短い棍棒のような物を携えている。
「なんだありゃ…?」
アルの声に緊張が走る。僕はあの小さな影の正体を知っていた。
『小鬼だな。』
「小鬼だ…。」
奇しくもクロと言葉が被る。
「な、小鬼!?じゃあ本当に??」
アルは愕然とした表情だ。
小鬼たちはあたりを警戒しつつ物陰や木の陰へと移りながらだんだんと寮のあたりへ近づいてくる。
「大変だ…。守衛に知らせないと…。」
「それが…、」
僕がついさっき守衛室で見た光景をアルに説明するとアルは絶句している。
『二人とも隠れろ。』
「アル!隠れて」
クロの声に僕が反応し、その僕の声にアルが反応する。僕らはそれぞれ左右の壁に背を貼り付けて隠れた。もう三匹の小鬼は寮の近くまで迫っていたのだ。
喉がカラカラだったが唾を飲み込むのさえ躊躇われる。
『…行ったようだな…。』
しばらくしてクロがそう伝えてきた。僕はそっと窓から外を伺う。三匹の小鬼は寮に背を向け森の方へと歩き出していた。
「…行ったみたいだよ…。」
僕はほうっとため息をついた。向こうではアルも胸を撫で下ろしている。
「…しかし、良く小鬼だなんて分かったな。」
「いや、うちは田舎だからさ。山から下りてきた小鬼の行商を見たことがあるんだよ。」
「…小鬼の行商?」
アルが面食らった顔をする。
『レオ、まだ安心するのは早いぞ。』
そこにクロの声が降ってきた。
『奴らが本隊ごと戻って来たら今度こそえらい騒ぎだ。今のうちに何か対策を考えておかなければ。』
「え!?また来るかもしれないの!?」
アルの顔が再び驚愕の色に染まる。クロの声は聞こえてないだろうから僕が反応した声に驚いたのだろう。幸い、僕とクロが会話していることには気づいてなさそうだ。
『可能性の話だがな。今のうちに助けを呼ぶなり、他の皆を避難させるなりした方が良いだろうな。まて…これは…まずいぞ…。』
何かが開く音がする。僕とアルは慌てて窓から外を見た。なんと、酔っ払った守衛の一人が玄関を開けてふらふらと外へ出て来たのだ。酔いを醒ますつもりなのか、井戸のある洗い場の方へと覚束ない足取りで歩いて行く。見ると小鬼たちは物陰に隠れてその様子をじっと見守っていた。
自分の背後に武器を持った魔物が居るなど露ほども想像していないのだろう。守衛は水を組み上げると顔をバシャバシャと洗い、更に頭に水をかけて気持ちよさそうにしている。
『このまま何もなければ良いが…。』
だがそうはいきそうにも無かった。小鬼たちは物陰から物陰へと移りながらそっと守衛の背後へと近づいていく。
「…まずい…、まずいぞ…。」
アルが小さく唸る。守衛は全く気づく様子が無い。ついに小鬼たちと守衛の間に遮蔽物が無くなった。小鬼たちは最後の物陰が出ると、抜き足差し足で守衛の背後に近づいていく。僕の心臓はすでに破裂しそうなほど脈打っていた。その時…
「危ないっ!!後ろだっっっ!!後ろを見ろ!!」
アルが窓をバンと開け放って叫んだ。
「「「ギギャ!?!?」」」
「んー…?うわぁぁぁ!!なんだ!!!」
不意を突かれて驚く小鬼たちと一瞬遅れてその小鬼たちに気づく守衛。
「な、なんなんだよ…!」
守衛は慌てて腰の剣を引き抜くと小鬼に向かって構えるが、切っ先が震えているのが三階のここからでも分かる。
「まずい!助けないと!レオはここに居て!」
そう叫ぶとアルは立てかけてあった木剣を掴んで部屋を飛び出して行った。
『…ちっ!馬鹿野郎が!』
クロが悪態をついて後を追いかける。
一瞬の出来事に僕はまったく動けずにいた。外からは叫び声が聞こえてくる。窓から身を乗り出すと守衛は剣を取り落とし、小鬼達に棍棒で袋叩きにあっている。そこにアルが玄関から飛び出してきたところだった。
「ぼ、ぼ、僕も行かなきゃ!」
脚が震え、奥歯がカチカチ鳴っている。
「…ええい!!」
僕は両手で思い切り自分の頬を叩いた。そしてだっと駆け出す。
『なぜ、何のために、強くなるのか。何のため、誰のために、その力を振るうのか。それを考え続けろ。そうすれば自ずと答えは見えてくるさ。』
頭の中では、あの日のクロの声が響いていた。




