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112.風雲、急を告げる


『起きろ!!フォルテウスが危ない!!』


僕はガバッとベットから身を起こした。突然の大音声で送られて来たクロの念話に頭が一瞬混乱する。

「フォルテウス様が…危ない…!?」

クロの言葉を反芻すると、ハッと目が覚めた。

着の身着のまま靴だけを引っ掛けて部屋を飛び出した。静まり返った城の中を、僕は両脚に魔力を込めて全力で駆け出す。

最短の距離で離れまでを駆け抜ける。周りの景色が流れる中で、僕の心臓は早鐘を打っていた。


「クロっっ!どこっ!?」

離れの目の前に着いた僕は大声でクロを呼ぶ。離れ全体が薄い靄に包まれている。まだ夜中だというのにおかしい。

離れの周りにはいつも警備にあたっている衛兵たちが倒れている。手近な一人の口に耳を近づける。息はあるようだ。

『中だ!!何とかフォルテウスの所まで来た!例の煙だ!気をつけろ!』

それを聞くやいなや、僕はありったけの力で風除け魔法を展開すると、躊躇なく離れの中へ駆け出す。目指すはフォルテウス様の部屋だ。

部屋の目の前でも見張りの衛兵が倒れていた。目立った傷は無い。恐らく外の衛兵と同じく気を失っているだけだろう。

「クロ!!」

僕は思い切って部屋の扉を開く。床の上で倒れ臥すフォルテウス様とその隣にダラス先生がいる。

『煙に巻かれている!俺の風除けで今はどうにか息はある!問題はこいつだ!』

その瞬間、僕は驚愕した。全身の毛を逆立てたクロと対峙していたのは…。

「クリストファー様!?」

小さな小刀を携えたクリストファー様だった。僕の声に反応したのか、ゆっくりとこちらを振り向く。

「!?」

その顔にはほとんど生気が感じられなかった。焦点も合わずぼんやりと僕を見ているように感じる。

『そいつの足下だ…。』

そこには小さな香炉が転がっていた。その香炉から薄く紫煙が立ち上っている。

『グズグズしている暇は無いぞ。フォルテウスが斬りつけられている。傷は深く無いが例の毒だろうな。急いで手当てが必要だ。』

だがどうやってクリストファー様を抑えつけよう?魔法で攻撃するわけにもいかないし…。

僕が逡巡する隙にクリストファー様は前触れなく斬りかかってくる。太刀筋は単調なので避ける事は容易いがこれではフォルテウス様とダラス先生を手当て出来ない。

「…レ、レオナードくん…、これを…。」

ハッと振り返るとダラス先生が僕に向かって必死に手を差し出している。僕はクリストファー様の一撃を避けて、なんとかダラス先生の手の中の物を受け取った。

「これは…!」

僕はパッと顔を上げるとこちらへ向かってくるクリストファー様の足下へそれを、()()()()を撒き散らす。

「頼む!上手くいって!」

両手に魔力を込め、そのまま床に叩きつけると種へと魔力を送り込んだ。

すぐさま芽が生えて一気に成長していく。そしてその蔦は僕の意識のままにクリストファー様に絡みつくと、あっと言う間にその体を拘束した。

「…。」

クリストファー様は無言のまま、必死に体を動かそうとしているが、蔦の拘束は強力だった。

僕は一気に距離を詰めるとその手から小刀をもぎ取って部屋の隅へと投げ捨てる。

「レオ!!」

その時だった、部屋の中へパズが駆け込んで来た。続いてエレンとティアも現れる。

「何これ!?」

エレンの叫び。ティアは顔を青くして口元を押さえた。

『説明している暇は無い!レオとパズはフォルテウスの解毒を!ティア!クリストファーの中から煙を追い出すんだ!南方公の時と一緒だ!エレン窓を開けてくれ!それからティアの手伝いを!』

クロの声に僕らはハッとなって動き出した。

僕は慌ててフォルテウス様へと駆け寄る。フォルテウス様はほとんど息をしていなかった。

「心の臓が止まりかけています…。毒抜きは私が…、レオナード君、ジギタリス粉末を…。」

ダラス先生がヨロヨロと這いながら近づいてくる。

「先生!でも!」

「大丈夫。私は少し煙を吸っただけです…。それよりも急いで…。今、この中でジギタリス粉末の在り処を知っているのは君しか居ない…。」

先生の強い意志を宿した瞳に、僕は一つ頷き返す。

「みんな頼んだ!僕は薬を取ってくる!」

僕は両脚に再び魔力を込めると、一気に駆け出した。




明け方になって雨が降り始めた。雲が重くのしかかっている。

あまりの慌ただしさに、この数刻の事はぼんやりとしか覚えていない。

ベットの上ではフォルテウス様が青白い顔で横たわっている。

ジギタリス粉末、あの温室で栽培されていた子猫の手袋の別名を持つ毒花は、きちんと精製されることで心臓の薬となる。その薬のおかげでフォルテウス様は何とか一命は取り留めたが、まだ予断を許す状態では無かった。

ベットの脇ではダラス先生が憔悴しきった顔で椅子に腰掛けている。

誰もが休息を勧めたが先生は頑なにそこを動こうとはしなかった。

「殿下にもしもの事があったら…、私はクリスティーヌ様に顔向けができません…。」

クリスティーヌ様…初めて聞いた名前だ。

「亡くなられた王妃様のお名前よ。」

そう思っていたらティアがそっと教えてくれた。

亡くなられた王妃様、つまりはフォルテウス様とクリストファー様のお母様、ということか…。

「私はもともとクリスティーヌ様にお仕えしていたのですよ。それはそれは美しいお方でした。あのお方も殿下と同じように心の臓が弱く、私は結局、あのお方をお救い出来なかった…。だからこそ…。」

独白に近い先生の言葉に、僕らはただ黙って耳を傾けるほか無かった。


ティアの魔法によって、体の中から例の煙を追い出されたクリストファー様は、まだ目を覚まして居ない。

問題は何人もの衛兵が小刀を手にしたクリストファー様を見た事だ。

彼らはその後に急に意識を失ったと報告している。クリストファー様が怪しい香炉を持っていた事も…。


そのクリストファー様は、今は別室で眠っている。物々しい見張り付きで…。

僕達から見ればクリストファー様が例の煙で操られていた事は明白だ。だが衛兵達はそうはいかない。そもそも煙やお香で人を操る技術自体が一般的ではないのだ。

今後、クリストファー様がどうなってしまうのか…。そちらの心配も、まるで今朝の雨空のように晴れて消える事は無かった。




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