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107.聖域

「…これはこれは…。」

パズが深々とため息をつく。僕らは今、王都の城壁の側に立っていた。石壁に沿って歩いて行けばいくつかある入口のうちの一つに辿り着くだろう。

「とんでも無い人だとは思っていたけど、まさかここまでとは…。」

「まぁ、そもそも人じゃないからね。」

パズのボヤキに僕はそう答える。それもそうかと返事が返って来た。




『おや?二人が来たようだな。』

クロがひょいっと顔を上げた。その視線の向こうには並んで歩いてくる二つの影。ティアと金髪碧眼の美女、ティアのお母さんだというシャルルナさんだ。

「みんな…ごめんね。」

近くまで来たティアはそう言ってにっこり笑った。泣き腫らした両目は赤くなっていたが、その笑顔には清々しいものがあった。

クエレブレさんが小さく何かを呟くとその隣に二人がけのソファが湧き出してくる。ティアとシャルルナさんがゆっくり腰掛けた。

「ゆっくり話せたかね?」

クエレブレさんの問いかけにシャルルナさんがにっこりと笑う。

「ええ、あなた。あなたの手荒い歓迎の仕方も含めてたっくさん話を聞かせて貰いましたわ。」

その春先の太陽の様な笑顔にその場の空気が一瞬で凍りついた。

カカァ天下という言葉は人間でもそれ以外でもそう変わらないみたいだ。

完全に固まって動かないクエレブレさんを尻目に、シャルルナさんはエレンに視線を移す。

「あなたがエレンね?ペルに、私の妹によく似ているわ。」

そういえばエレンとティアは従姉妹にあたる関係だった。二人の母親が姉妹だったのか。

「似て…ますか…。」

エレンが若干微妙な顔をする。

なぜだろう?理由は分からないがしばしの沈黙が流れる。

「…これだけは覚えていて欲しいの。母親というものは、どんな時でも自分の子を愛しているものよ。」

少し寂しげなシャルルナさんの笑顔。エレンを見つめ、それからティアに視線を移した。僕らは何も言えずに黙ってそれを見守るしか無かった。


「さて、みんなそろそろ帰らないと、せっかくの夏休みを無駄にしてしまうわよ!」

シャルルナさんが、おそらくわざとだろう、明るい声を上げる。

「確かにここに来るまで二週間以上かかりましたけど、それでも僕らの夏休みはまだまだ半分以上ありますが…。」

そう言った僕も含めてみんな疑問顔だ。それにせっかく来た娘を一日と待たずに帰すというのだろうか?

「…あなた、もしかして…ちゃんと説明してないの…?」

シャルルナさんがまた凍りつく笑顔でクエレブレさんを見る。今やクエレブレさんの顔は真っ青だ。

その様子を見てシャルルナさんは、ふう、と一つため息をつくと僕らに向き直った。

「この世界とあなたたちの世界では時間の流れ方が違うの。あなたたちがこちらに来てすでに数時間。外ではそろそろ丸一日たっているころよ。」

そう言われてみればシャルルナさんの見た目は、ティアを産んだにしては若過ぎる。

「あちゃ…。心配して探し回ってないかな…。」

パズが独りごちる。恐らくパズの従者さんを心配しての事だろう。

そのパズの独り言に、そうね、と頷くシャルルナさん。

「こんな所に二、三日滞在してしまったらそれこそ夏休みなんてあっと言う間に終わってしまうわよ!」

シャルルナさんが冗談めかしてそう言う。

隣でティアが寂しげに俯いた。あまり驚いていない所を見ると、どうやら事前に知らされていたようだ。

そんなティアの頭を優しく撫でるシャルルナさん。

「大丈夫よ。またすぐに会えるから。」

あぁ、本当はシャルルナさんも寂しいんだな。と僕は思った。

「さ!あなた!子供達を元の場所に送り届けてちょうだい!」

そんな寂しい思いを振り切るように、シャルルナさんはクエレブレさんを振り返る。するとそこには、まるで全てを達観した聖者のような顔をしたクエレブレさんが天を仰いでいた。

このおっさん…またなんかやらかしたな…。

「あ、な、た?」

額に青筋を浮かべた笑顔のシャルルナさん。その背後から地鳴りのような音が聞こえる気がした。

僕は心の中でクエレブレさんに向かって手を合わせた。合掌。


「えぇ!?じゃあ今あそこに戻っても、僕ら帰れないって事ですか!?」

パズが悲鳴に近い声を上げる。

クエレブレさんは地面に正座をさせられている。その向かいには腰に手を当てて仁王立ちするシャルルナさん。

「…うちのダメ親父と母様みたい…。」

その様子を見てエレンがポツリと呟いた。

『どうやら旦那を尻に敷く家系のようだな。』

エレンの言葉を聞いてクロが意味ありげに僕の方を見てきた。


クエレブレさんの話によるとこうだ。

僕らが数日は滞在するだろうと思って、パズの従者に暗示をかけ、きちんと護衛を付けた上で、馬車とともにすでに王都への帰路に就かせているらしい。

最終的に自分の手で僕らを王都へと送っていくつもりだった、と。

まぁ、クエレブレさんならそれくらい難なく可能なのだろうけど…。相談なくそれを行った事に激怒したのがシャルルナさんだ。

「だって…その方がみんな喜ぶかと思って…。」

「僕はとても嬉しいです!!」

打ちひしがれたクエレブレさんに、キラキラした目で賛同しているのはもちろんアルだ。

おお、友よ!などといいながら二人で固く握手を交わしている。僕らはそれを見て盛大にため息をついた。


かくして僕らは数日間、世界樹の生える異世界に滞在して過ごしたのだが…。期待を裏切ってくれたのは、とにかく大きな木がある以外は見た目はごくごく普通の森だった。

「本当に、何も無いところでごめんなさいね。」

シャルルナさんはそう言って苦笑する。

「僕は故郷に帰ったみたいな気がしてとても落ち着きますよ!」

掛け値無しに僕がそう言うと、シャルルナさんはじっと僕の顔を見た。

「あなた…、もしかして…。」

訝しげな顔のシャルルナさんを、僕はキョトンとした顔で見返す。

『ああ、レオナードはエルフの血を引いている。全員知っている事だから気遣う必要はないよ。』

クロの言葉にシャルルナさんがなるほど!といつつポンと手を叩いた。

何がなるほどなのか、僕にはさっぱりだったがシャルルナさんが納得してニコニコ笑っているから良しとしよう。

「でも食料とかどうしよう?何も持ってきてないよ?」

そう不安げな声を上げたのはパズだった。

「大丈夫よ。ここは精霊達がたくさん集まる場所だからとにかく魔素が濃いの。一週間くらい何も食べなくても平気よ。どうしてもお腹が空いたらその辺になっている木の実を食べると良いわ。危険な物は一切無いから。」

そう言ってシャルルナさんは手近にあった背の低い木から珍しい果実を一つもぎ取ってみんなに手渡していった。

「これは…、なんか産毛のようなものが生えてるわ。不思議な手触り…。」

一番最初に受け取ったティアが不思議な感想を漏らす。

産毛…?そう思いつつ、その果実を受け取った僕は、ダラス先生から借りた古い本の中にあった記述を思い出した。

「これは…桃??」

「あら?よく知っているわね。こちらではペッシェと呼ばれているわ。」

「あ、いや、魔法植物学関係の本で少しだけ…。」

僕の答えにまたもやなるほど!と納得するシャルルナさん。

「どういう実なんだ?」

アルが興味津々といった顔で聞いてくる。

「ええと、遠い東の異国では不老不死を与える、とか魔除けの力がある、と信じられている植物で、その実は神様の食べ物。なんて言われているよ。」

僕の解説にアルがおおお!!!と興奮した声を上げる。その様子を見てシャルルナさんがクスクスと笑った。

「確かにそういう言い伝えがあるにはあるけど、これは普通の果物よ。ただし人の手では育てるのがとっても大変なの。この世界だと精霊達が大事にお世話をしてくれるからすくすく育つのだけれどね。さあ、ご賞味あれ!」

アルやパズは豪快に、エレンやティアは恐々とその実に口をつける。

「「「「「!!!!!!」」」」」

僕も含めて全員が、声にならない驚きの声を上げた。

「こ、これは…、さすが神様の食べ物…。」

目を丸くするアルの横ですでにパズが一玉食べ終わりそうだ。

「甘くて、濃厚で、果汁が溢れ出る。」

「それに凄く良い香り!この香りだけで幸せになれそう。」

女子二人がご満悦だ。その二人をにこやかに見守るシャルルナさん。自分の娘と、自分の妹の娘が目の前に二人で仲良く並んでいるのだ。

『自分たち姉妹と重ね合わせているのかもな…。』

僕の心を読んだようにクロがポツリと呟いた。


「うおおおぉぉぉぉぉお!!!」

「ちょっと!アル!うるさい!」

アルの大声にエレンの叱咤が飛ぶ。

「でもよエレン!飛んでるんだぜ!空を!興奮するなと言う方が無理だ!!」

僕とエレンにそれぞれ両手を取られてアルは空中遊泳を楽しんでいた。

「私とレオに感謝しなさいよ!」

そう言いながらもエレンも頰を紅潮させている。

僕らの少し上空では、シャルルナさんに手を取られたティアが楽しそうに空中を舞っていた。


「せっかくだから飛行魔法を教えてやろう。」

とクエレブレさんが言い出した時、僕らは一も二も無く即応した。

「飛行魔法なんてまだ研究段階の魔法じゃない!それが学べるなんて夢みたいな話よ!」

一度、飛行魔法を身を持って体験している僕とティアは比較的落ち着いていたが、エレンは大興奮である。

「僕は遠慮しとくよ。実は高所恐怖症なんだ。」

唯一、パズだけは辞退した。その代わり、僕らがクエレブレさんから飛行魔法を習っている間に、シャルルナさんから様々な果物の種を貰い、その育成法や注意点を事細かく習ってはメモを付けていた。

『ありゃ一儲けする気だな…。』

その様子を見てクロが苦笑していた。


かくして僕らは飛行魔法を習得したのだ。

ただ残念ながらもともと、魔法が得意ではないアルだけは、地面から少し浮く程度が精一杯だった。

そこで僕とエレンが手伝うことになった、というわけだ。

ちなみに、ティアはまだ少し怖いという理由でシャルルナさんと一緒に空中浮遊を楽しんでいる。

『本当は少しでも一緒に居たい、甘えたいのさ。シャルルナも嬉しそうだしな。』

僕の頭の上にふわりと乗ったクロが、またもや僕の心を読んだように呟いた。


驚いた事にクロは最初から飛行魔法が使えた。

『俺が使えるのは正確には浮遊魔法だがな。』

浮くのと飛ぶのは少し違うらしい。どうして教えてくれなかったんだ、と僕が口を尖らせると、

『危険だからだよ。』

と即答された。

『お前達が自由に飛び回れているのはこの世界に満ちている濃い魔素のおかげだ。向こうの世界で今と同じように飛行魔法を使ってみろ、数分と持たずに魔力切れだ。そんな状態で空から落ちてみろ、ただじゃ済まない。』

僕らは顔を見合わせる。飛行魔法を習う事を辞退したはずのパズが一番青くなっていた。

『よって向こうの世界に戻ったらむやみやたらに飛行魔法を使わない事。いいな?』

「あらあら。厳しい先生だわ。でも逆にこれなら安心ね!」

クロの厳しい言葉にシャルルナさんがコロコロと笑った。


それはさて置き、

「…ねえクロ、僕の心が読めるの?」

冗談めかして僕はそう聞いてみる。するとクロは呆れたような顔をした。

『気づいてないのか?その痣を制御する為に俺が楔になった。それによって俺とお前の《魂の繋がり》がより強くなっているんだよ。だから前よりもお前の考えている事が分かるんだ。』

「ええ!?…でも僕はクロの心は読めないよ?」

『俺は心を読ませないようにする術を幾らでも知っているからな。』

フフンとクロが笑った。それってちょっと卑怯だ…。

「ねえ、それって私とルビィも同じって事?じゃあ私もルビィと話せるようになるの?」

アルの向こう側からエレンが訪ねてくる。

『そうだな。忘れていたがお前達に念話を教えてやらんとな。』

そういえばこの旅の最初の頃にクロがそんな事を言っていた気がする。

「それはさ、後にしないか?とにかく今は飛ぶ事を楽しもうぜ!」

とうとう我慢できなくなったアルが口を挟んで来た。僕とエレンは顔を見合わせて苦笑いをする。

「じゃ、いくわよ!!」

そう言ってエレンが急上昇を始める。僕は慌ててそれについて行った。アルが嬌声を上げる。

こうして僕らは空中を自在に飛び回るという夢の様なひと時を過ごしたのだった。





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