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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

骨海蛇の旗

作者: Kleha

相変わらず、言葉遣いは汚いです。

はなはだしく残酷なこともあります。

 六船長総出の会議に、ベルドーゼはわざと遅刻した。

 理由はない。しいてあげるならば、参加したくなかったからだ。かといって、さぼるわけにもいかない。そんなことをすればこっちの首が危ない。

 単に船長職を失うだけならば、特になにも問題はない。問題なのは、文字通り、鉄の規則にのっとった海賊たちが、こちらを殺そうと、どこまでも追いかけてくることだ。

 抜け出したくとも抜け出すことはできない。白骨化した海蛇を旗印にしたこの海賊たちの結束は堅い。支配するのは権力と、暴力だ。

 その一員に、ベルドーゼが身を置いてそろそろ十年になる。何年たとうと、嫌いなものは嫌いだった。いつか必ず、抜け出してやろうと思って、もう十年がたった。

 彼らがアジトにしているのは、三年前に、海賊団がおそって皆殺しにした街だ。今は無人のその土地を焼き払うための指揮が、ベルドーゼが船長として一番最初に行った指示だった。

 その、町長の館が今は、海賊団の頭目のものになっている。

 ベルドーゼは、陰気な男だった。滅多に口を開かないし、黒い目は常に、前髪の影に隠れて表情が読めない。まず笑うところは見ないし、誰かに優しい言葉なぞかけたためしがない。

 すべて、彼が、なにもかもを嫌っているからだ。海賊団も、頭目も、そして自分自身も含めて、この世の中のなにもかもが嫌いだった。ようやく二十代の半ばに手が届こうかという年にはとても見えない、暗い顔と目をした男だった。

 背の高いベルドーゼが扉を無言で開けた。

 とたん、

「なにやってやがった、この愚図!」

 ののしり声と同時に、からになった酒瓶が飛んできた。声は、甲高い。投げつけてきたのは案の定、頭目の実の娘、《赤目》とも呼ばれている少女、シーラだった。

 飛んできた酒瓶を、無造作に掌でベルドーゼが払いのける。壁にぶつかって、酒瓶がけたたましく割れて砕ける。少女は青い目でベルドーゼをにらんだ。

「いったいぜんたい、船一隻泊めるのにいつまでかかってんだ、タコ!」

 怒鳴り散らすのを頭から無視して、ベルドーゼは頭目に黙礼する。いくら嫌いな相手でも、こっちの首の根をつかんでいる相手には、おとなしくしてみせるくらいの知恵はあった。

 海賊団の中では、誰がなんと言おうと、この頭目が一番の力を持っている。逆らえば、実の娘だって手にかけるに違いないほどの、残酷な男だった。

 それに、この頭目は、逃げ場のなかった自分を助けた人間でもあった。たとえ頭目が気に入らなくとも、向こうが、こっちを気に入ってくれているのは事実だ。

「まあ、いいじゃねえかよ、シーラ。ベルドーゼ、とにかく座れ、てめえが立ってると邪魔だ、でかいんだからな」

 人並みはずれて長身、身体の厚みもあるベルドーゼは、黙って座った。青い目でにらんでいたシーラが、輝く金色の髪を大きくふって肩をすくめる。唇が、なにかつぶやいたのが見えたが、声は聞こえなかった。

 黒い目の船長が腰を落ち着けると、頭目が口を開いた。

「それで、だ。今度の襲撃先だが」

 頭目は、片方しかない目を光らせた。何十年も前に、海軍を逃げ出すときに片方をつぶされたと聞いている。娘の目によく似た、青い瞳だった。

「スサだ」

 短い言葉に、集まっていた五人の船長たちが一斉に頭目を見上げた。

「スサですって?」

 高い、鼻にかかった声で繰り返したのは、頭目の愛人でもある女海賊だった。もっとも、操船や航海術に関してはからきしで、ここで一番の力を持つ男の愛人だから幹部に収まっているだけの女だった。《赤目》のシーラなどは、この女を馬鹿にしきっている。

「いいねえ、おもしろそうじゃねえか。いつ行くんだ、頭目」

 《緑目》と呼ばれている男が、濁った声で頭目に尋ねる。頭目は、欠けた歯をむき出しにして笑った。

「あさってにでも、な。スサの海賊どもは、俺たちを目の敵にしているからな。楽しいことになるぞ」

「では、わたしは準備にかかろう」

 立ち上がったのは、《青目》と呼ばれている、明るい茶色の目と髪をした男だった。海賊になるには似合わないほど色が白く、物腰が穏やかだ。だが、ひとたび戦闘ともなれば、頭目ですら一目置くほどの強さを見せる。かといって、残酷ではないので、ベルドーゼは比較的、この男とならば話をする。

「あ、それならあたしも行く」

 シーラが立ち上がる。出て行きながら、ちらりとベルドーゼに目を向けた。

「逃げるんじゃないよ、腰抜け男」

 だが、ベルドーゼは黙ったままだ。シーラに目を向けすらしない。傷つくだけの心など持っていなさそうな、光のない目はただ、頭目の後ろの壁を見つめている。

 《青目》の後を追ったシーラが出て行くと、緑目が椅子にだらしなくもたれた。

「頼むからよう、びびって逃げるなんてしてくれんなよ、《黒目》」

 ベルドーゼを薄笑いで見上げる。それも、ベルドーゼは無視した。目の前にいるのは頭目だけと言いたげな態度だった。

「いい加減にしろてめえら。シーラにもあとで言って聞かせるけどなあ、こいつは別に、逃げたわけじゃあねえ。こないだの襲撃のときだって、こいつが後ろから襲ってきた海軍のやつらを襲ったのを忘れたってのか」

「あら、ずいぶん優しいのね。あれだってたまたま逃げてたからじゃないの」

 愛人の女海賊は、紅い唇に笑みを浮かべた。紫色のドレスを着た女は、ベルドーゼをにらみつける。目尻の切れ上がったきつい黒い瞳を見ようともせずに、ベルドーゼはようやく、頭目に声をかけた。

「スサの海賊を襲う気なら、全船団で行くんだな?」

 当たり前だろうが、と豪快な返事が返ってくる。ベルドーゼは小さくうなずいた。

「それならお前だって逃げられねえな、《黒目》よ」

 《緑目》が絡んでくる。もっとも、この男の目は濁った灰色だった。みっともない小さなこの目の方が、よほど臆病に見えるが、この男はさながら、血に酔った鮫だ。目の前にあるものすべてを食い殺さなければ気が済まない。

 ベルドーゼは、この男が一番きらいだった。

 だから、なにも言い返さずに立ち上がった。目を向けることすらしない。

「船の修理具合を見てくる」

 頭目に向かって言い残し、ベルドーゼは立ち去った。薄暗い廊下に出ると、なぜかほっとした。


**

 西海のはずれにある小さな荒れた土地の島、スサには自称、「正義の海賊」たちが集まって、小さな基地を作っている。

 どこが正義かというと、彼らは無力なものからは盗まない。そして、無力なものも獲物にするような海賊たちを逆に襲っている。それが、スサの海賊たちの「正義」だ。

 だが、正義の海賊といったところで、やっていることは自分たちと大差ないと、ベルドーゼは思っている。要するに、誰かを襲ってかすめ取って暮らしているだけだ。殺すか殺さないかは大きな違いではない。

 だが、そう思っていても、好んで人を殺している自分たちと彼らとの間には、大きな違いがあるような気もする。どちらなのかは、自分でも、よくわからなかった。ここにいると、あまりものごとを深く考えなくなる。

 その彼らを、今度はたたきつぶしに行く。規模から言っても、実力から言っても、今までにない、大きな襲撃になるはずだ。

 それが、最初で最後のチャンスだ。

 黒い目を光らせて、ベルドーゼがドッグに入ってくると、作業をしていた男たちの雰囲気ががらりと変わった。おがくずまみれの男たちが、やってきた船長の顔を見るなり、急に作業に対して熱心になる。この、黒い目の船長は、船ではひどくおそれられていた。

 別に、常に酒に酔って暴君になっているわけではない。しょっちゅう怒鳴り散らすわけでもないし、誰彼かまわず文句をつけてまわっているわけではない。規則を破ったり、仕事をさぼったりでもしない限りは別に、厳しく罰することはない。

 おそれられているのは、彼が、なにも話さないからだ。伝えたいことがあるときは、いきなり本人に直接、きわめて短く命令するだけだ。なにを考えているのかもわからない。

「船長」

 そのそばに、青年が一人、近づいた。おそらく、二十歳前だ。ベルドーゼが黒い目を向けると、青年は姿勢を正した。自然と、背筋が伸びるらしい。

「日の入りまでには補修が終わります。あとは索具の手入れをして、荷を積めばいつでも出航できます」

 黙って、ベルドーゼはあごを引いた。ほっとした顔で、青年は唇をゆるめた。ベルドーゼの腹心と言ってもいい立場にいるが、別に、だからといってベルドーゼが彼を頼りにしているふうはない。青年の方も、船長の補佐以上の仕事はしない。近づこうとしないといった方がいい。

「話がある」

 ベルドーゼが、低い声を出した。折から、響き始めた金槌の音に、声がまぎれてしまう。そばにいた青年が、驚いたように船長を見上げた。並の男よりも頭ひとつ分は確実に高い船長は、青年を冷たい目で見下ろしている。

 なにかやったろうか。

 青年の顔に、おびえが浮かんだ。だが、ベルドーゼはそれ以上なにも言わない。黙って、ドッグの外に出た。陽ざしは明るい。さえぎるように、ベルドーゼは手のひらをかざした。

 あわてて青年が後に続く。ベルドーゼは、ドッグからはなれて、岩壁のくぼみのそばで足を止めた。

 後についていた青年が、おびえた顔で、船長を仰いだ。

「あの、船長」

 ベルドーゼは、上から黙って見下ろした。この船長が酒を飲むところも、女たちを物欲しそうに眺めるところも、青年は見たことがない。ひたすら、不気味で恐ろしい相手だ。なにを考えているかわからない相手が、自分よりも強い立場にいるというのは、命の危険にさらされていると言うことだ。

「裏切るぞ」

 なんの前置きもなく、いきなりぶつけられた言葉の意味がわからない。青年は、思わずまともにベルドーゼを見上げていた。

 そこにいる船長は、まるで別人だった。確かに目つきは暗いが、投げやりなものがどこにもない。鋼のような視線でにらまれる。のぞき込んだ黒い瞳は、まるで、闇夜だ。

「裏切るって」

「この連中だ。これ以上、こんなところにいられるか」

 波と風の音に、青年は耳を澄ました。

「あさって、スサの海賊と一戦交える。そのときだ」

 それだけ言うと、ベルドーゼは歩き出した。大きな背中が、岬をぐるりと回る。船長が見えなくなって初めて、どっと背中が濡れた。

 いったい、なにをする気なのか。海賊団を裏切って、そこからどうする気なのか。なにより、自分に話して大丈夫だと思っているのか。自分が密告するとは思っていないのか。

 聞きたいことは山のようにあるが、おそらく、問いつめても答えてはくれまい。

 それよりもなによりも、と青年は辺りを見回した。今の話を、誰かに聞かれでもしていたら一大事だ。

 あたりは、カニの他にはなにもいない。ほっとして、彼は肩の力を抜いた。脚が震えている。一瞬、仕事を放り出して、酒でも飲みに行こうかと思った。しかし、自分の仕事は、海賊どもをちゃんと働かせることだ。おろそかにしようものなら、それこそ船長に張り飛ばされる。

 ぶるっと、身震いして青年は、深く息を吐き出した。

 一足、歩き出す。岬の向こうには、滅ぼした街の墓地があったはずだ。もっとも、迷信深くても、信心深くはない海賊たちが、死者の眠る場所に行くはずがない。

 《黒目》の船長がなにを考えているのかなど、理解できなかった。想像もつかない。

 それでも、ついて行こうという気になったのは、あの、恐ろしい目を見たからだ。

 あの船長は、ひとたび戦いになれば、恐ろしく強い。切り込み刀を持たせれば、人の腕など簡単に切りとばしてしまうような腕力を持っている。銃を使わせれば、目がいいのもあって、狙ったものは決してはずさない。単純な力比べでも、身体の大きさを生かして相手を投げ飛ばしてしまう。それでいて、あの体格で、と言いたくなるくらいに素早く、物音を立てずに動くこともできる。

 確かに、あの人なら、本気で海賊団をひとつ、作ろうと思えば作れるはずだ。

 ――もし、それにくっついていったとしたら?

 ふっと、青年が肩の力を抜いた。

「もしかしたら、できるかもしれねえな」

 唇をゆがめ、青年はドッグに戻った。


***

 ベルドーゼが向かったのは、街の墓場だった。もっとも、埋葬してやるほど海賊たちが死者を丁寧にあつかったはずがない。

 死んだものも、瀕死の重傷を負ったものも、無事だったものも、見つけ次第この、海の見える岬の先端につれてきて、動けるものを使って、巨大な穴を掘らせた。力尽きたものはその場で殺された。

 二日がかりで掘りあげたその中に、まず、死体を投げ込ませた。次に、虫の息だった怪我人たち。

 そして、最後は、生きていた人間を殺して穴のなかに突き落とした。

 それだけでは終わらなかった。

 頭目の命令で、街にあった油という油が集められた。それを、穴のなかにぶちまけて、本を大量に集めさせ、さらに油をかけて、火が放たれた。まだ息のあった怪我人のさけぶ声が響き渡る。それすら、炎の音はかき消した。

 三日三晩、火は燃え続けた。風向きによっては、海賊たちが宴会をしているなかに、その煙が流れ込みもしたが、誰も気にしなかった。

 ベルドーゼは、それには参加していなかった。

 その間、彼はずっと、穴のそばで火を見つめていた。街を制圧してしまえば、することがなかったのもあった。昼も夜もなく、彼は穴のなかでよじれて灰になっていく人の形をしたものを見つめ続けていた。瞳は炎にさらされて乾き、腫れて痛んだが、それでも、目はそらせなかった。

 四日目の朝になって、海賊たちが呑み疲れて眠るころになってようやく、炎はくすぶりながら薄い煙を上げるだけになった。業火にさらされつづけた、穴のそばにあった木が乾ききった葉を散らしていた。

 ベルドーゼは、その黒く焼けた跡を残す穴の前に立ちつくした。

 黒い穴のなかには、雑草が生えていた。ベルドーゼは、唇をゆがめる。

「死体を苗床に、草が生えるか」

 つぶやいて、彼は左手を伸ばし、そこに咲いていた名前も知らない小さな白い花をちぎった。かすかに、青臭い香りがする。風にゆれる花を、穴の底に投げ込んだ。

 祈りの言葉などつぶやいた試しがない。ただ、彼は黙ったまま、穴の底にひっそりと落ちていった花を見つめただけだ。暗く黒い穴の底で、青白い花はあざやかだった。

 不意に響いた、石を踏む音に、振り返る。

「……誰かと思った」

 つぶやいて、驚いた顔をしていたのは、《青目》だった。茶色い瞳が、かすかに見開かれていた。なにかを、腕に抱いている。

 彼は穴の縁をぐるりとまわって、ベルドーゼの隣にやってきた。だが、だからといってベルドーゼをまともに見るわけではない。茶色い瞳は、穴を見下ろしていた。

「あなたでも、こういうところにくることがあるのだな」

 声は淡々としていた。ベルドーゼは、なにも言わない。

 風だけが吹きすぎる。《青目》の船長は、手にしていたものを穴の縁にそっと置いた。ベルドーゼが、かすかに目を見張った。

 古ぼけた人形だった。高価なものではない。母親が、娘のために作ってやるような、端切れで作った布人形だった。

「……それは」

 思わず口にすると、《青目》は、茶色い瞳で黒い目の船長を見上げた。感情のない瞳は老いたもののようだったが、彼はおそらく、ベルドーゼよりは若いはずだ。奇妙に落ち着いた物腰と目の光が、彼の年をわからなくさせる。

 口を開きかけて、それからためらい、もう一度口を開いたとき、《青目》の声はわずかに震えた。

「《赤目》が殺した子どもが持っていたものだ。ようやく見つけ出した。これで、あの子に返すことができる」

 はじめて、彼の茶色い目に怒りと憎悪を見つけた。彼はじっと穴の底を見つめている。不意に、ベルドーゼの視線に気づいたように目を上げた。いつも通りの、なにも浮かべない、穏やかで空っぽな瞳だった。

「あなたは、あの戦の指揮を買われて船長になったのだったな。そして、初仕事が、街に火を放つことだった」

 ベルドーゼは、声をかけられても答えなかった。いまさら分かり切ったことだ。効率よく街の住人たちを広場に追い込み、銃と切り込みの刀で殺戮した若い海賊を、頭目が気に入ったのだ。ちょうどあいていた、《黒目》の船長の跡を継いだのが、ベルドーゼだった。

 それは、どの船長もほぼ、似たり寄ったりの経歴だ。

 《青目》も、なにも言わない。ただ、風の音を聞くように、瞳を閉ざして彼は、聞き取れないほどかすかなつぶやきをこぼした。

「できるものなら、わたしはスサの海賊に、私たちを滅ぼしてほしい」

 そして、彼はまた、静かに立ち去った。足下の人形を拾い上げて、ベルドーゼはそれを見つめた。

 丸い白い顔には紅をはき、唇は赤い紅をさしている。黒いボタンの目、明るい茶色の毛糸で作った髪を編んで垂らし、先には赤いリボンを付けている。明るいピンク色のドレスは、小さな花の模様で、白いエプロンをつけていた。

 その白いエプロンには、茶色のしみが付いている。おそらくは、血だろう。

 いったいどんな子どもがこれを抱いたまま、《赤目》に殺されたのだろうか。

 自分が殺した町の人の顔が、もう思い出せない。顔のない黒こげの人の群れが、穴の底から手を伸ばす。その中に、ベルドーゼは、そっと人形を投げ入れた。偶然か、風に吹かれた人形は、白い花のすぐ横に落ちた。

 海を見つめ、ベルドーゼは唇をゆがめた。色鮮やかな、明るい海だった。まぶしげに瞳を細めて、彼は遠くに見える水平線をにらんだ。

「滅ぼして欲しいではなくて――自分の力で滅ぼすべきだろうよ、《青目》」

 もう姿も見えない《青目》にむかって、《黒目》はささやいた。口元には、かすかな笑みが、確かに浮かんでいた。


****

 スサに残っていた海賊船は、たった三隻だった。ベルドーゼは、船を横付けにして襲いかかってきた若いスサの海賊を蹴り飛ばす。

 額を割られて、暗い金髪が血に染まっている。だが、薄水色の目をしたその海賊は、薄く笑っただけだ。ぶつけた背中をさすって起きあがる。そのしぶとさに、ベルドーゼは舌打ちした。

 こんなところでいつまでもこいつらにかまっていられるか。

 骨海蛇が苦戦している。《金目》の旗を掲げた頭目は一番後ろに引いている。その船に乗り移ったスサの海賊たちのなかで、ひときわ華やかな色が、目を引いた。あざやかな、緋色だ。海と空の青にひどく映える。髪の色だ、とだけ気がついた。

「おいおい、よそ見しないでくれるかな」

 ふっと、耳元で声が聞こえた。振り返るより先に、ベルドーゼはカトラスをあげていた。がきんと、手応えが返ってくる。

「あれが、《勝利の宝冠》号だよ。あんたらみたいな外道を蹴散らしてくれる、スサの親父さんの船さ」

 若い海賊はにやにや笑っている。ベルドーゼは無言で、たいした力もない、ひょろりと背の高いその男を蹴飛ばした。もんどり打って、相手の長身が舷側を乗り越えた。

「うわあ、船長!」

「大丈夫か笑い上戸!」

 二人ほど、海賊がそれを追いかけて飛び込んだ。相手がそのまま、するすると後ろにひくを任せて、ベルドーゼはさけんだ。

「回頭しろ!」

 そばにいた、副長の青年が緊張した顔でそれを復唱する。舵取りまで伝えられた命令に従って、船はゆっくりと向きを変えた。

 ベルドーゼの黒い目の先にあるのは、金色の旗を掲げた海賊船だ。暗い目をした船長の顔に、はじめて笑みが浮かんだ。そのあまりの暗さ、すさまじさに、そばにいた海賊たちが息を呑む。

 その顔に向かって、ベルドーゼが、ほえた。

「目標は、頭目の船だ!」

 叫びがあがった。賛同と、反対だ。ベルドーゼは薄い笑みを浮かべたまま、反対しようとした海賊に近づく。相手が口をつぐんだときには、もう遅い。

 一太刀で、その海賊の顔が断ち割られていた。ぐしゃりと足下に崩れ落ちたのを蹴飛ばすと、顔に飛び散った血をぬぐって、ベルドーゼはもう一度、命令を下す。

「目標は、頭目の船。頭目を殺したやつには、俺から賞金を出そう。スサの海賊にはかまうな。やつらよりも、まわりの船だ」

 しん、と甲板が静まりかえった。たたみかけるように、ベルドーゼが口を開く。

「できないやつは、俺が斬り殺す」

 足下にくずおれた海賊の身体を、ふたたび蹴飛ばして、《黒目》の海賊はつぶやいた。

 船が滑るように、頭目の船に近づいた。向こうはどうやら、加勢にきたと思ったらしい。こちらが近づいてくるのに気づいたのか、スサの海賊たちがあわてて引き返す。頭目の船では歓声が上がった。答えず、《黒目》の船は静かに近づく。

 船を横付けにすると、海賊たちが音もなく、頭目の船に乗り込んだ。反対側では、先ほどまで攻撃していたスサの海賊船が素早く離れていく。

「おう、《黒目》、助かったぜ」

 船尾でにやりと笑った頭目に、カトラスを下げたままのベルドーゼは無言で近づいた。相手が、ふっと目を細めたときにはもう、遅い。

「――!!」

 声にならない叫び声がわいた。ベルドーゼは、頭目ののどを貫いていた。左手で握ったカトラスの切っ先は首をぬけて、背後のマストに、重いしめった音を立てて突き刺さる。

 引き抜くヒマはなかった。叫び声をあげて襲いかかってくる頭目の部下たちを、銃の台尻で殴り倒し、ベルドーゼは身軽に船尾の奥まで引いた。

 引きつった顔の、《赤目》が見えた。それにむかって、血のとんだ顔でベルドーゼは笑いかける。相手の顔がゆがむのが見える。

 気分がよかった。ここにいて、これほどまでに気持ちが晴れたことはない。背を伸ばして立ったベルドーゼは、はじめて、声を上げて笑った。

 それに、怒りに満ちたうなり声が静まっていく。海賊たちを眺めわたして、ベルドーゼは低い声を上げた。

「どうする。頭目は死んだぞ」

「抜かせ、この、」

 言いかけた《赤目》に、ベルドーゼの副長が斬りかかった。かなうはずがない。ベルドーゼが瞳を細めた瞬間、《赤目》は金髪を翻した。きらりと、光をはじいた刃が赤く染まる。少し遅れて、副長の身体が海に落ちた。

 それを見もせずに、

「この、裏切り者!! 頭目に助けてもらっておいて」

 髪が逆立つほどの形相でさけんだ《赤目》は、つっこんできた。その前に、《青目》が走り出る。彼女が動きを止めた瞬間に、《青目》は彼女を突き飛ばしていた。

「リロア――」

 大きく青い目を見開いた彼女を、《青目》は冷たい目で見下ろした。

「よせ。あなたでかなう相手ではない」

 《青目》が、腰の刀を抜いた。ベルドーゼが音もなく、船尾楼から飛び降りる。あらためて、海賊たちはこの《黒目》の身の軽さに驚いた顔だった。

 無言だった。《青目》が斬りかかる。なれた動きに、ベルドーゼは銃身でその刃を受け止めた。かん、と高い音がする。銃ではしのぎきれない。すぐさま、手を離したベルドーゼは飛び退いた。今まで彼が立っていたところに、銃が落ちる。

 飛び退いた足に死体がふれた。自分の船に乗っていた舵取りだ。その手ににぎられたままの切り込み刀を、《黒目》は奪い取る。手入れのされていない汚い刃だったが、ないよりはましだ。

「あなたは、最初からこれをねらっていたのだな」

 《青目》は、切り込みながらかすかにほほえんだ。ベルドーゼがそれを押しのける。直後、《青目》が飛びすさった。襲いかかるように、《黒目》が切り込み刀の切っ先をその胸に向けて飛び込んだ。

 そのまま《青目》がこけるかと思ったとき、彼は踏みとどまった。楽しそうに笑って、彼は腕を上げた。防御は間に合わない。糸で引かれるように、切り込み刀の切っ先が、胸に沈んだ。体重をかけると、簡単に背中側に突き出る。

 女の甲高い悲鳴が聞こえた。

 甲板に倒れた衝撃で、切り込み刀がおれた。跳ね飛んだ刃が海に落ちる。

「ありがとう、感謝する、ベルドーゼ」

 かすかに声が聞こえたのは、ベルドーゼだけだった。

 憎くて殺したわけではない。街の人間も、同じだ。

 そっと手を伸ばし、その瞳を閉ざしてやる。同時に、後ろから斬りつけられた。とっさに身体を沈める。切っ先が、背中をかすめた。シャツが裂けるのがわかる。

 薄暗いなかでも、その背中にちらりと、色鮮やかな絵が見えた。

「この野郎、頭目だけじゃなくて、《青目》まで殺すかよ」

 《緑目》が、剣をもてあそんでいた。ベルドーゼが後ろにのけぞった。のど元を、切っ先が追いかける。血に濡れて滑る甲板についた左手が、落とした銃にふれる。取り上げた。

 なめらかに腕を上げ、相手の額をねらう。きちんと腕を固定するだけの時間はない。弾は、一発だけだ。

 引き金にかけた指に、力を込める。同時に、後ろから力任せに髪を引かれた。頭がのけぞったが、引き金は引いていた。男の濁った悲鳴が上がったのが聞こえる。

「殺してやるっ」

 震える声が聞こえた。首筋に、刃が当たっている。動けば切れる。

 わかっていて、彼は首を動かした。腕を伸ばし、押しつけられた刃を素手で押しのける。血走った青い目が見えた。金色の髪を血に染めて、女が立っている。

「あれだけ人を殺した女が、惚れた男を殺されたくらいで逆上するか」

 嗤った。彼女がナイフを取り出すのが見えた。恐ろしくはない。

 ナイフが、左腕に突き刺さった。にぎっていた銃が落ちる。同時に、生き残っていた海賊たちが、飛びかかるのがわかった。それでも、五、六人ははねとばしたはずだ。

 あとは、動く間もなかった。腕と足を縛られ、目隠しをされた。

 かすかに、唇がゆがんだ。甲板に転がされて、さんざん蹴られ、踏まれた。

「殺してやる」

 思わず、低くうなった。乾いた《赤目》の声が聞こえる。

「生きてたらな。やっちまいな」

 重い足音が、頭のすぐそばで止まった。襟を捕まれて、担ぎ上げられたのがわかる。

「畜生、よくもまあ、ここまでやってくれたもんだよ、なあ、《黒目》。運がよければ助かるぜ、スサの海賊船が見えるからな。たぶんその前に死ぬだろうけどよ」

 濁った《緑目》の声が聞こえる。一番嫌いな相手を殺しそこねたかと思うと、おかしかった。《黒目》を抱え上げた《緑目》は、相手を力任せに海に投げ込んだ。

 塩辛い水の中に落ちる寸前、赤いものが見えた気がした。だが、すぐに、冷たい水が身体を包んだ。足におもりでもつけられたのか、足を下にして、深いところへ沈んでいくのがわかる。

 泡をはいた。水の中なら、さけんでも、誰にも聞こえないだろう。

 ――死んでたまるか!

 身体は沈んでいく。意識も、空気を閉ざされて、闇に落ちていった。

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