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疚市(旧2)  作者: 雪虫
7/15

3-1

 物語が好きだった。今読めばきっと十分も掛からないような、薄っぺらい絵本が好きだった。悲しい結末のものも中には確かにあったけど、どんな困難が襲い掛かってきても最後には、みんな幸せになれる、そんな救いと希望がある物語が好きだった。


 大人になれば、「現実はハッピーエンドばかりじゃない」って、もちろんそんな事はいつか学んでいくものだけど、それでも、「現実はバッドエンドばかりじゃない」って、そういう風にも言えたはずだ。例えどんな困難が襲い掛かってきても、最後には、みんな幸せになれる。そんな物語だって諦めなければ作る事は出来るはずだ。


 そう思っていた。


 そう思っていた。





「ちょっと、いい加減に起きなさいよ」


 揺さぶられる感覚に、私は薄く瞼を開けた。見れば少女が、ぼさぼさの黒い髪を垂らした少女が、雲の切れ間から覗く太陽を遮るように私の顔を覗いている。


「う……?」


「とっとと起きろって言ってんのよ。いつまで寝こけているつもり?」


「わ……私は? あ、あの男は……」


 突然、意識がはっきりし、私はその場に飛び起きた。少女は、厘は、驚いたように身を引いてギッと私を睨み付ける。


「い……っきなり起きるんじゃないわよ! 私が頭打ったらどうするつもり!?」


「あの……男は……疚人は……?」


「は?」


「私に襲い掛かってきた男がいただろう! 刀のような……長い刃物を持った男が!」


「そいつなら殺したわよ」


 厘は事も無げにそう言った。殺した。殺した。ころした。……殺した、って。私の動揺も知らぬフリで、少女はそのまま言葉を続ける。


「いきなり何を言いだすのかと思ったら……ほら、とっとと行くわよ。こんな所でこれ以上時間を無駄にしている場合じゃない……」


「どうして……どうして殺したんだ!」


「……はあ?」


「殺したって……人間……、人間じゃないか! 人間を! 殺したなんて……なんで……そんな簡単に……」


「アンタ……頭大丈夫?」


 少女は、そう言った。私を心配しているように、ではなく、心底呆れ果てでもしているように。訳がわからなかった。なんだ、その反応は。人を一人殺しておいて、どうしてそう平然と首を傾げていられるんだ。


「人を……殺したら、人殺しだぞ……」


「そうね」


「君は、人を、殺したんだろう……」


「そうよ」


「人を一人殺しておいて……どうしてそんなに、平然としていられるんだ……」


「どうしてって、そんなの、人殺しなんてただの日常茶飯事だからよ」


 …………悲鳴も出なかった。何を言えばいいのかも、何を考えればいいのかも、その答えは私の脳から簡単には出てこなかった。

 

 少女は、少女の姿をした人殺しは、私にじっと視線を合わせて苛立だしげに顔を歪める。


「そんな事どうでもいいでしょう? 今大事なのは一刻も早く疚売りを探す事、そのためにここを出る事よ。まさか私にもう一日無駄にさせるつもりじゃないでしょうね」


「そんな事って……そんな、どうでも、いい訳っ、ないだろう! 人を! 人を殺しておいてそんな事って!」


「うるっさいわね。時間を無駄にさせるんじゃないって何度言ったらわかるのよ。っていうかこのご時世、人殺し程度でガタガタ抜かされなきゃいけない筋合いなんてないわ」


「程度って! ……ちょっと待て。『このご時世』って、まさか、人が人を殺すのが当たり前だとかそんな事……」


「人が人を殺すのなんてただの当たり前でしょう?」


 言うつもりじゃないよな? 私の言葉は、刃のような少女の言葉にいともあっさり切り裂かれた。当たり前って、そんな、そんな。しかし、少女は相も変わらずに私を無視して立ち上がる。


「いいからとっとと行くって言ってんのよ。ここに残るというなら話は別だけど、別に死にたいワケじゃないんでしょ? ここに残って死にたい、と言うなら話は別だけど」


「……」


「死にたい? それともここで殺される?」


 視界に入ったサバイバルナイフに私は慌てて立ち上がった。死にたくない。死にたくはない。殺人者の目をした少女を前に思った事はそれだけだった。


「い、行くよ。……でも、ちょっと待ってくれないか。あの疚人の弔いを……」


「くだらない事言ってんじゃないわよ。っていうかその必要はないし」


「え?」


 視線を上げた私に、少女は鬼のように笑った。


「あの疚人の死体なら、もうとっくの昔に腐っているわよ」





 町を出てしばらく行くと、そこにはもう道と呼べる道はなかった。土埃が重ね塗られたアスファルトはあちらこちらが盛り上がり、すでに枯れ果ててしまった植物の茎をひび割れから覗かせている。アスファルトを突き破って生え枯れた植物達の姿は、決して途切れる事のない生命力の象徴のようでもあり、同時にいつか枯れ果てる命の象徴のようでもある。少なくとも、この辺りにはもう割れたアスファルトを舗装し、枯れた命を刈る者はいない……それは確かな事だった。


「この先に行ったら何があるの?」


「……」


「ちょっとアンタ、聞いてるの?」


 ぼんやりしていた私は、少女の言葉にすぐさま反応する事が出来なかった。突然、脛に酷い痛みを感じ、私はその場に蹲った。見上げれば少女が、酷く冷たい目付きをして私の事を見下ろしている。


「ぼさっとしてんじゃないわよ。この先には一体何があるのか聞いてんの」


「い、いきなり脛を蹴る事ないだろう……」


「嫌ならボサッと歩いたりなんてしないで頂戴。それに疚人にいきなり襲われるよりはマシでしょう。むしろアンタの不注意を身をもって教えてやったんだから感謝して欲しいぐらいだわ」


 横暴過ぎる。口を出かけたその言葉を私は慌てて飲み込んだ。下手に口答えしない方がいいのは火を見るより明らかだ。私は少女への文句から、意識を無理矢理質問に戻した。


「町があるよ……私のいた町より少し規模が大きいぐらいだけど、スーパーや薬局とかもある……あ、あと高校も……」


「あっそ。それじゃあとりあえずこのままそこに行きましょう。ちったあ役に立つ物があればいいんだけど」


 少女はそう言って歩き出した。私はその後を着いていく。着いていきながら、私の脳の表面を泥のような思考が巡る。


 どうして、私はこの少女の後に従ってなんているんだろう。この少女は人殺しだ。躊躇いなく人を殺したんだ。私を囮にして疚人を呼び寄せて、自分は玄関の天井に張り付いて、そして、疚人の首に……その光景を思い出し、私は思わず口を押さえた。頭を振ってその光景を消そうとしても吐き気がどんどん増していく。


 やめるんだ。考えるのは。考えたってどうにかなるものじゃないだろう! いや違う、しっかり考えるんだ。この少女と一緒に旅をするという事は、四六時中人殺しと一緒にいるという事なんだぞ! 人殺しと。その名称に、吐き気と頭痛と悪寒と気持ち悪さが同時に襲い掛かってきて、私は足を止めかけた。考えるな。考えなくちゃいけない。お前はこれから人殺しとずっと行動を共にするのか!


 私は、肺の空気を吐き出した。意識して、全て。脳と胸に溜まっている澱みを全て吐き出すように。それから、また意識して肺に空気を取り込んで。考えろ。考えるな。相反する言葉達さえ一度意識の外に締め出す。私はもう一度深呼吸して、目の前の少女に声を掛けた。


「なあ、ちょっと、聞いていいか」


 少女の黒い瞳が、黒い髪の隙間から睨むように私を見つめた。人殺しなんて、今まで数えきれないぐらいしてきたと平気な顔で嘯く少女。その言葉が嘘ではないとその瞳が語っている。背中を冷たい汗が流れる。少女はじっと私を睨み、ガサガサに渇いた唇を動かす。


「何」


「……疚売り、や、疚人の事を、教えてくれないか……君は何か知っているようだけど、私は何も知らないんだ……」

 

「何が聞きたいの?」


 少女は、そう言った。その言葉は少々意外だった。無意識に断られると思っていたから……私は、人殺しの少女を前に、早鐘のように鳴る心臓をなだめながら口を開く。


「そ、そうだな……疚人の事を聞かせてくれ。五年前に急に現れたって……どういう事だ?」


「私もはっきり覚えているワケじゃないけれど、本当に突然現れたのよ。物凄く長い爪が生えたり、火を吐いたり、半分獣みたいになったり、そういう連中が、突然」


「そ、その人達は、疚人は、一体何をやったんだ?」


「人を殺したのよ」


「ひ」


「手当たり次第、目に付く人間を片っ端から殺したのよ」


 息が詰まり、私はからからになった喉になんとか唾液を送り込んだ。なんで、どうして、うわ言のような疑問符が、頭を過ぎるだけで喉の奥から出てきてくれない。けれど聞かなければ。問わなければ。私は奥歯を噛み締めて、気力を振り絞るようになんとかそれを音へと変える。

 

「人を……殺したって……なんで」


「さあ? 他人の考えなんかわかるハズがないじゃない。ましてやもう死んだ人間の考えなんか」


「し、死んだのか? その人達は」


「死んだわ。だって『疚人』だもの」


 一年経って、疚によって、死んだ。そういう事か。私が見た疚人達と同様に、全身真っ黒になって、死んだ。人が黒く染まりながら次々倒れていく光景を、連想しそうになって私は慌てて頭を振った。


「その人達は……突然現れた疚人達は、自分が疚に罹っていた事を知っていたのか?」


「多分知っていたと思うわ。『どうして疚が治っていないんだ』って泣きながら人を殺しているヤツを何度か見かけた事があるし」


「……、疚っていう名前は、どこから」


「さあ? 話の通じる連中に出くわせた試しはなかったし、疚や疚人を誰が言い出したかなんて、悪いけど私は知らないわ」


「テレビとかがなくなったっていうのは」


「そんなヤツらがあちこちに突然現れて、テレビや社会や文明をそのまま維持出来ると思う? 船や飛行機もおんなじよ。と言っても、私は船も飛行機も使った事がないから詳しい事情は知らないけどね」


 船も飛行機も使った事がない? 最近は修学旅行で飛行機を使う事もあるはずだけど……新幹線のみだったのだろうか。とは言え、重要なのはそこじゃない。私は先を促した。 


「それで、……その、疚人が現れて、せ、世界は、どうなったんだ?」


「さっきも言ったけど情報が入ってこないんだから世界規模の事は知らないわ。でもま、私が見た範囲なら、使い古された映画の設定っていう所じゃない?」


「使い古された映画の設定?」


「変な能力持ったヤツらが、何の能力も持っていない人間を手当たり次第に殺していくヤツ。人を殺している側も、人に殺されている側も、みんな『死にたくない、死にたくない』って喚きながら死んでいく……三文映画の設定としては使い古された方じゃない?」


 嘲るような少女の口から弾き出された表現は、私の脳には「地獄絵図」、という言葉に変換された。死にたくないと叫びながら人間を殺していく人間。死にたくないと叫びながら人間に殺されていく人間。それを地獄と呼ばずして、何を地獄と呼ぶと言うのか。私を殺そうとした疚人の姿が思い浮かぶ。死にたくない。死にたくない。それは私の目の前で死んでいった疚人の言葉でもある。喉をひりつかせ、焼き焦がすような声音で放たれた、あの言葉をあの男は一体どんな思いで口にしたというのだろう。


「なんで……そんな、酷い事が起きるんだ。死にたくないからって人が人を殺すなんて、そんなの普通じゃないだろう。本当に知らないのか? 疚人が、どうして他人を殺すのか」


「だから知らないって言ってんでしょう。そんなに気になるなら自分でインタビューしてみれば? アンタを殺そうとする疚人に、『どうして僕の事を殺そうとするんですか』って」


「……」


 聞けない。聞ける訳がない。私は視線を彷徨わせた。正直この少女と会話をするのも苦痛のレベルに達していたが、止める訳にもいかなかった。私には今の状況に対して何の情報もないのだから。 


「疚売りについて……聞いてもいいか?」


「それは私が一番知りたい事よ。私が疚売りに遭ったのは半年前。ぼろっちい布を被って、死ぬ寸前の病人みたいな感じだったわ。アンタも疚売りに疚を打たれたんだからわかるでしょうけど」


「ああ……」


「目覚めたら疚売りはいなくって、しばらくして疚人に『なってしまった』事を知ったわ。そりゃあこの五年間で何度も疚人には出くわしたけど……実際自分がなってみると……」


「……ショックだったか」


「ブッ殺すって思ったわ」


 ゾッ、とするような声で少女は言った。何の迷いも見られない、圧倒的に純粋な、殺意。完全に人を殺す瞳。


 私は見ていられなかった。


「ま、とりあえず話はあいつを探し出してからね。なんで疚をバラ撒いているのかもわからないし……もしかしたら疚も疚人も、全部あの疚売りの仕業かもしれないけれど……」


「あの疚売りが、疚や疚人の……全ての元凶? そんな、一体何のために?」


「だから知らないって言ってんでしょう? なんでもかんでも思いつくままに聞かないで、ちったあ物を考えてから質問してくれないかしら」


 ギッ、ときつく睨まれて、私は思わず視線を逸らした。しばし沈黙してから伺うように視線を上げると、少女は目を眇めた後「ハア」と呆れたように息を吐く。


「ま、いいわ。聞きたい事は以上かしら」


「あ、ああ……多分……とにかく疚売りを探すしかないって事はわかったよ……」


「それだけご理解頂ければ嬉しいわ。それじゃあとっとと行きましょうか」


 言うや少女は背中を向けて歩き出した。少女の泥に塗れたブーツの下で、アスファルトから伸びていた乾いた植物が音を立てる。


 悲鳴のようなその音に、少女は見向きもせずに歩いていく。


 私はその背に、やはり着いていく事しか出来なかった。

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