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疚市(旧2)  作者: 雪虫
6/15

2-3


 町は変わらず静かだった。結局全てを見て回る事など出来なかったが、三日間も誰の声も姿もなかった、それで証明は十分だろう。もう、誰もここにはいない。


「けれど、一体何処に行ってしまったんだろう……」


 呟くと、少女が不思議そうな表情でじっと私を見つめてきた。その表情に戸惑っていると少女が眉を顰めて口を開く。


「知らないの?」


「知らないよ……三日前、目が覚めたら突然こうなっていたんだ」


「この町の住人全員揃って避難でもしたの? それでアンタ達だけここに置いていかれたってワケ?」


「避難って……地震や津波が来た訳でもあるまいし……」


 少女は唇に指を当てしばしの間黙り込んだ。そして再び私の顔にじろりと黒い瞳を向ける。


「ところで、どうしてアンタ疚人の事知らないの? こっちには一人もいなかったワケ?」


「……え?」


「昨日は一応説明してやったけど、疚人が出現してもう五年近くも経っているのよ。いくらこの辺りにほとんどいなかったからと言って、全く存在も知らないってのは……」


「ちょ、ちょっと待ってくれ! 五年? 疚人ってヤツが五年も前からいたって言うのか!? そんな事ニュースでは一言も……」


「アンタ、一体何言ってんの? テレビなんてとっくの昔に映らなくなっているじゃない」


 言葉を失う事しか出来なかった。五年前から疚人がいる? テレビがとっくに映らない? そんな、そんな訳はないだろう。


「テレビ……ちゃんと映っていたよ……四日前は、何も変わらずみんなでテレビをつけながら朝食も夕食も食べていたんだ。疚人なんて知らないよ……一体何を言っているんだ!」


「それはこっちの台詞よ。五年前に疚人が突然世界中に現れて、テレビ局も電力会社もとっくに無くなっているじゃない。この国以外がどうなっているかは知らないけどね。ネットもテレビも繋がらないし、船も飛行機も当然使えなくなっているんだから」


 訳が……分からない。この少女は一体何の話をしているんだ。何かの小説の話じゃないのか。そう言い切ってしまうには、少女の表情は真剣味を帯び過ぎていた。


「とりあえず、アンタの話を聞かせてもらうわ。『四日前』から話して頂戴」


「……四日前はいつも通りの日だったよ。朝起きて、みんなでニュースを見ながら朝食を食べて、みんなを学校に送り出してから教会で使父の務めをして、新太と天良が帰ってきたからバスに乗って近所のスーパーで買い物をして……みんなでシチューを作ったんだ。プリンが安かったから全部で九個買ったんだ。それで、五個残して冷蔵庫に入れて……翌朝食べるつもりで」


「……」


「次の日起きたら家の中が変だった……まるで数年経ったみたいに荒れていて、冷蔵庫の中のプリンがなくて、野菜がいくつか入っていた。見覚えのない本があって、いつの間にか小さな畑が出来ていて、町の人がいなくなって、それで、君の言う疚売りに会って、恐らく疚を打たれてしまって……」


「朝起きたら様子が一変していた……」


「そして次の日は……朝起きたら子供達が家にいなくて……それで……」


 教会の中で見た光景を思い出し、私は顔を両手で覆った。私が目を覚ました、あの時、子供達はすでに死んでしまっていたのだろうか。それともまだ生きていたのか。わからない。わからないけど、もっと早くに気付いていたら。私がもっと早くに起きていたら。一部始終を見ていたという少女を責めてしまったが、私だって子供達を見殺しにしたようなものだ。それに気付くと、たまらなくて、両目から熱いものがぶわっと溢れて零れ落ちた。しかし少女は、私の胸の痛みなどちっとも気付いてくれはしない。


「三日前に突然様子が変わった……これは間違いないわね」


「……ああ」


「……五年分の記憶を、何らかの理由で失くしたという事はないかしら」


「……え?」


「だって冷蔵庫に野菜が入っていたり、畑が出来ていたりしたんでしょう? アンタ達の他に、あの家と教会に誰か他のヤツでもいたの?」


 私は首を横に振った。少女は続けた。


「だったら、その野菜やら畑やらを用意したのはアンタ達自身で、何らかの理由で五年分の記憶を失った……それが一番辻褄が合うんじゃないの? ま、疚や疚人を知らないアンタからしてみれば、今のこの状況は夢とでも考えた方が自然なのかもしれないけれど」


 その言葉に思わず小さく頷いた。そうならどんなにいいだろう。貧しくても、何もなくても、みんなと一緒に平凡に、平穏にずっと生きていられる日々ならば。どんなにいいだろう。

 

 けれどこの現状が夢でない事を知っている。


「……でも、そんなはずはないんだ」


「うん?」


「五年分の記憶を失った……そんな事はないはずなんだ。この現実が『現実』だって、認めるよ。嫌だけど。でも、五年分の記憶を失ったなんてあり得ない……だって」


 私が顔を上げた、その時、何かピリッとしたものが首の後ろを貫いた。何がとは言えないが、何か、静電気のような痛みが急に首筋に走ったような。首を押さえながら少女を見ると、何故か鋭い目付きで左右に視線を巡らせている。


「ど……どうしたんだ……」


「黙って。……しくじったわ。いくらなんでもダラダラし過ぎた」


「ど……どういう事だ……」


「ちょっと、こっち来て」


 少女は私の腕を引っ張ると、一番近くにあった空き家の一つへ歩いていった。そして扉を引こうとしたので私は慌てて少女を止める。


「待て。不法侵入じゃないか」


「もう誰もいないのに不法もクソもないでしょう。法律も、法律違反を取り締まる警察だっていやしないわよ」


 少女は私を引っ張り込むと玄関の扉の鍵を閉めた。そして扉に耳を当て、瞳を瞼の奥へと閉じる。


「な、何をしているんだ」


「静かに。疚人が来てるのよ」


「……え?」


「多分一人だと思うけど、臭いがしたのよ。疚人の疚の臭いが。教会にいたヤツの仲間かしら……まあこの際どうでもいいわ。問題はこれからどうするかよ」


 少女は目を閉じたまま何かをブツブツ呟き始めた。私はどうすればいいのかわからずそこにいる事しか出来ない。


「多分最初は教会に行くわね……あそこが一番臭いが強いし……もしかしたら家に入るかもしれないけれど、いずれにせよその間にここから立ち去る時間はないわ。この家で決着つけるしか……アンタ、能力はどれだけ使える?」


「の、能力って……瞬間移動とかいうヤツか? ど、どれだけって……そもそも私に本当にそんな能力が……」


「使えない」


 少女はそう吐き捨てた。舌打ちでもしそうだった。だが、私には弁解も出来ないし、そもそもどうすればいいのかわからない。


「正面から突っ込むのは避けたい所ね。何の能力を持っているのかもわからないし……外、土地勘がないわ……やっぱりここで決着つける以外になさそうね……ねえアンタ、自分の能力をどう使えばいいのか知らないのよね」


「……あ、ああ……そもそも、私に本当にそんな能力があるなんて……」


「わかったわ」


 少女は短くそう言うと、右手で私を手招いた。意図がわからず首を傾げるとすごい目付きで睨まれたので、おとなしく少女の傍に寄る。


「あ……あの……、……厘」


「黙って」


「……」


「とりあえず、今はいないみたいね」


 厘はそっと扉を開くと、外に出て、再び私を手招いた。恐る恐る外に出る。人の姿は見当たらない。


「で、出て大丈夫なのか……」


「一応ね。ほら、そんな借りてきた猫みたいにしてないでもう少し外に出なさいよ」


 厘に言われて大人しくもう少しだけ足を踏み出す。完全に家から出てしまうのは不安だったが仕方がない。完全に外に出て、辺りを見回す。やはり人の姿はない。妙な臭いも感じられない。


「それで……これからどうするんだ?」


 そう言って厘を見ようとした、瞬間、何者かに突き飛ばされ地面の上に転がった。慌てて体を起こして振り返ると厘が、真っ黒な少女が真っ黒な瞳で私の事を見下ろしている。


「一つ忠告しておくけど、玄関からあまり離れない事ね。聞かなかった場合命の保証はしないわよ」

 

 そして少女は、玄関の扉をガチャンと閉めた。私を外に残したまま。気付いた時にはもう遅く、扉は厘だけを中に入れ完全に壁と同化した。


「……え?」


 追い出された、その言葉を認識した瞬間、頭の中が真っ白になった。立ち上がり扉の取っ手に縋りつく。押しても引いても開きはしない。


「り、厘、厘、! 何をしてるんだ! やめろ、頼む、開けてくれ!」


 いくらガチャガチャ取っ手を引いても一向に開く様子はない。鍵を掛けられている。その事実が一層私をじりじりと追い詰めた。厘の話が正しければこの近くに疚人がいる。昨日見たのと同じ疚人が。家族を殺した疚人が。疚人というものがどういうものか、詳しい情報を私は得ている訳ではない。それでも、これだけははっきり言える。身を隠す必要があって、厘が私を囮に使う必要がある……そうだ、囮だ。私は囮にされている。どういう腹積もりか知らないが、疚人が近くにいるという状況で、独り締め出されている状態に!


「厘、厘! 頼む、頼むよ、頼むからここを開けてくれっ!」


 私は必死に叫びを上げた。生きるか死ぬかの瀬戸際に、恥も外聞もない。とにかく開けてもらわなければ! その時、私の耳に、ギイ、と微かな音が聞こえてきた。無論目の前の扉が開いてくれた訳ではない。音は教会の方から聞こえてきた。私が使父として務めていた教会から。


 『多分最初は教会に行くわね』、厘の言葉が頭を過ぎる。厘の予測が当たっているとは限らないが、少なくとも教会にはもう誰もいない筈だ。いるとしたら完全に腐り果てた疚人の亡骸ぐらいで、彼が生き返りでもしない限り、教会の扉を開ける者だっていない筈だ。誰か別の者が訪れでもしない限りは。私は慌てて口を両手で押さえたが、声が届いていたとしたらそんな事をしてももう遅い。微かに土を踏む音が聞こえる。土を踏む音は一歩一歩私の方へと近付いてくる。最初はもしかしたら私の気のせいだったかもしれないが、ざり、ざり、という音はわずかに確かに大きくなって、それがアスファルトを踏む音に変わった瞬間、はっきりと現実のものになった。誰かいる。誰かがこちらへ近付いてくる。声も出せず目も逸らせずに音のする方を見つめていると、玄関から人影が覗き、私を見た。


「う、う、うわあぁぁぁぁあっ!」


 私はいよいよ必死に扉に縋りついた。殺される、殺される、このままでは殺されてしまうっ! 取っ手を勢いよく引いた瞬間、扉が開いた。今までの抵抗はなんだったのかと思う程にあっさりと。玄関に入り奥に逃げようとした所で、私は玄関と廊下の段差に足を取られて躓いた。勢いよく鼻を打ち付けじんとした痛みが脳に広がる。鼻を押さえた右手のひらにぬるりと生温いものが伝う。


「う、うあ……いたい、いたい、いたい……」


「お前、疚人、だな?」


 声が聞こえ、私はおそるおそる後ろを向いた。そこには男が立っていた。何か長い、刀のようなものを手にした男が。男が刀を右手に下げて、じっと私を見下ろしていた。


 口の中から一瞬にして唾液が消え失せたような感覚がした。舌も喉もカラカラで、声が出ない。声が出ない。声が! 私は、はくはくと口を動かして、なんとか湧き出てきた唾液を飲み込み喉を潤す。言わなければ。なんでもいい、何か言って時間を稼がなければ。幸い、男は私をじっ、と見ているだけですぐに動く様子はない。考えろ、落ち着いてよく考えるんだ。一歩間違えれば殺される!


「き……君も……疚人、なのか……? あと、一年足らずで、死んでしまう……のか……?」


 私は声を振り絞った。声は掠れ、息は苦しく、油断すると涙が出そうになったが、届いてくれと願いながら必死に男に語り掛けた。男は無表情で、瞳孔は完全に開いていて、言葉が通じてくれる人間どころか、生き物とさえ思えなかったが、けれど、まだ話し合えるはずだと、どうにかなるはずだと信じて、信じたくて、私は必死で言葉を紡ぐ。


「ちょ、ちょっと、落ち着いてくれ……すまない、驚かせて……悪かったよ……ちょっと、気が動転しただけなんだ……君、疚人、なんだろう? 私も、実は、そうなんだ……君の、話を、聞かせてくれないか? 落ち着いて……私と話を……」


「お前、何を言ってんだ?」


 ゾッ……、とする声だった。感情の、その中でもとびきりにドス黒く醜く悲惨な部分を、集めて煮詰めて捏ねてさらにドロドロに腐らせでもしたような。急に息の上がった私に、男はそのまま私を見ながら語り掛ける。


「話? 何を。一体お前と何を今更話す事があるって言うんだ? お前疚人だよな? 疚人だよな? なんでこんな所に? 他にも疚人がいやがるのか?」


「ちょ、ちょっと待ってくれ……頼む、頼むから落ち着いて……」


「●×△◎■○▼!」


 疚人が突然叫びを上げた。何かを叫んだのは確かだが、発音が不明瞭過ぎて何を言っているかはわからなかった。男は血走った目で私を見つめ、刀を握っていない手でガリガリと頭を掻きむしる。


「疚に罹って一年が経つ! どうにかしないと俺はもう今日明日で死ぬんだよ! それなのにごちゃごちゃと■×△●▲×◎×□! ふざけやがって●■◎×▲●■!」


「…………」


「もういい! もういい! もうどうだって▲○×◎■! とりあえず疚人を殺す事だ。とりあえずお前を殺せばいい。その後の事はその後で考えればいい●×■!」


 男の言葉に、私は脊髄ごと震え上がった。男の言っている言葉も、男の思考回路もわからなかったが、お前を殺す、その言葉だけははっきりと私の脳の奥まで響いた。


「ま……待て、待ってくれ! 頼むから落ち着いてくれッ!」


「うるッせえンだよクソボケがァッ! テメエの話なんざどうでもいい! 今大事なのはお前を殺す事! そして俺が生き延びる事だッ!!!」

 

 男が刀を振り上げる。私は目を見開いてそれを見つめる事しか出来なかった。男が、上げた腕を振り下ろす、その時何かが降ってきて男の首に激突した。男はびくりと動きを止め、口から黒い何かをぼたりぼたりと滴らせる。


「ガ……」


「心の底から賛成するわ。今大事なのはアンタを殺す事、そして私が生き延びる事よ」


 落ちてきた何かは、サバイバルナイフを持った少女は、男の首筋に立てたナイフをそのまま背中に振り落とした。男の背中から赤い何かが勢いよく噴出し、赤い噴水は黒く変わりながら男の全身を濡らしていく。男は、顔も眼球も腕も足も黒に染まり始めた男は、刀を持った腕をダラリと垂らし床の上にどうと倒れた。床に倒れた物体はダラダラと広がる液体の中で、その姿を瞬く間に黒いモノへと変えていく。


「……あ……あ……」


「囮ご苦労。いい悲鳴だったわ。そして『命拾いおめでとう』」


「…………あ」


 少女の声に私は目を見開いて、頭を抱えて、絶叫した。喉が裂ける程に声が上がっているとわかっていても、止められない。頭が真っ白で、何も見えなくて、ただ壊れた機械のように声を上げる事しか出来なかった。


 なんだこれは。なんだこれは。なんだこれは。これは。目の奥で白い光が明滅し、徐々に大きくなり、そして突然真っ黒になる。


 なにもみえない。

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