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疚市(旧2)  作者: 雪虫
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2-2


「……ん、分……、分ッ!」


 揺さぶられる感覚と共に声が聞こえ、私は薄く目を開いた。シーツから顔を上げると祥吾が、清華が、新太が、天良が、何処か呆れたような顔をして私の事を見下ろしている。


「み……みんな、どうして!?」


「どうしてって、分があんまり起きないから起こしに来たんだよ」


「分が朝弱いのは知ってるけどさ、今日ぐらいはちゃんと起きてよね」


「分はおねぼう~、おねぼう~」


「ほら、早く起きて顔を洗って。ご飯はもう出来てんだから」


 変わらず聞こえるみんなの声に、ぼろりと涙が零れ落ちた。滲んでいく視界の向こうにみんなの驚いた顔が見える。


「み、みんな……よか……」


「ど、どうしたんだよ、分」


「ひ、酷い……夢を見たんだ。み、みんなが私を置いていって……そんな事、あるはずないよな。みんなが私を置いて逝く訳……」


「夢じゃないわ、現実よ」


 唐突過ぎる鋭い言葉に私の夢は打ち砕かれた。目を開ければ黒い少女が、絶望のように黒い少女が、黒い瞳を傾けて私を覗き込んでいる。


「…………」


「おはよう、寝ぼすけ野郎」


「…………」


「一晩寝たら少しはすっきりしたかしら」


「…………」


「アンタのために丸一日も費やしてあげたんだから、今日こそは出発させてもらうわよ」


 少女の言葉に、私の喉から上がったのは、悲鳴だった。飲み込めなかった現実が、直視出来なかった現実が、目覚めた事により私の脳に一気に雪崩込んできた。少女はうるさそうに耳を塞ぎ、そして、「うるさいッ!」と、私の後頭部を強く叩いた。私の悲鳴は止まったが、顔を上げる事は出来なかった。


「目覚まし時計かっての。ほら、早く起きて。今日こそ疚売りを探しに行くんだから」


「……そじゃ……ない……」


「うん?」


「祥吾達が……みんなが死んだのは……嘘じゃないんだよな…………」


 少女の返事は、なかった。しばらく沈黙が降りてきた。そして少女の言葉が、ぽつりと、薄い膜のような沈黙を酷く無造作に打ち破った。


「嘘じゃないわ。現実よ」


 私は、悲鳴は上げなかった。水分という水分が、顔から滴るだけだった。私はベッドの上で膝を抱え、土で汚れたズボンの上に構わず顔を擦り付けた。それでも、現実は変わらなかった。


 悪夢なんて覚めなかった。





「それで、行くの? 行かないの?」


 少女の言葉に、私はテーブルの上に落としていた視線を持ち上げた。あの後五分ぐらい泣きじゃくり、「いい加減泣いてんじゃないわよ」と頭を叩かれようやく私は泣くのを止めた。五分待っていてくれた事に、思う所がない訳でもなかったが、……それを、清華のダッフルコートを着ている少女に、告げる気になどなれなかった。


「……行くよ」


「…………」


「君の言うとおり、私は……使父は、自分で命を絶つ事は出来ない。それは、この世に生きる機会を下さった神に対しての冒涜だから……それに、君と出会ったのは、神の思し召しかもしれない。みんなを救う事が出来なかった私の、贖罪のために神が君をここに導いたのかも知れない……」


「反吐が出るような言い様ね。アンタ、私が糸で操られるマリオネットだとでも言いたいの?」


「ど、どうしてそういう解釈になるんだ!?」


「だって運命って、『アンタは所詮糸に操られる意思のない人形にしか過ぎません』って意味でしょう?」


 少女の言葉は、私にはとても理解出来ないものだった。私はそれを何とか飲み込もうとし、しかし飲み込めないまま言葉を紡ぐ。


「な……んでそういう悪辣な解釈をするのかな……違うよ。そういう意味じゃなくて……」


「ああ……はいはい、わかったわかった。つまりアンタは生きる事も私と行動する事も全部『神』なんつー居るかどうかもわからない存在にこじつけようってそう言うのね」


「こ……こじ……君……なあ、いくらなんでも、神の存在を否定するのは……」


「言葉が過ぎたわ。神がいないとは思っていない。ただし、『人間を救う神がいるとは微塵も思っていない』けどね」


「……え?」

 

 少女の言葉は、私にはよく聞こえなかった。一応聞き返そうかと思ったが、その前に少女の言葉が私の思考を遮った。


「まあ、いいわ。とにかくとっとと出発するわよ。もう未練はないでしょう?」


「ま、待ってくれ。まだ、その、心の準備が……」


「…………」


「…………」


「……まあ、いいわ。昼までなら待ってあげる。昨日みたいにいかにも頭回ってませんって顔されても迷惑だしね」


「……あ、そう言えば私は、一体何時の間に寝ていたんだ? 確か君について二階に上がって、……?」


「無理に思い出さなくていいんじゃないの? わざわざ思い出さなきゃいけないような事なんて、多分大した事じゃあないのよ。二階はもう用はないでしょ? アンタの部屋から適当な服ぐらい見繕ってあげるから、それ以外にやりたい事をやっとけば?」


「あ、ああ。……ありがとう……」


 少女の言葉に私は素直に頷いた。私を気遣ったというよりも、私にこれ以上時間を掛けたくないといった空気が漂っていたが、どんな理由にしろ自由に使える時間が増えるのはありがたい。教会……にはさすがにもう入る気にはなれないから、時間は『みんな』と過ごすために使う事にした。


 私は申し訳程度の朝食を終え、冷蔵庫にあった水を使い汚れた食器を洗っていった。少女が「もう誰も住みやしないのに」と文句を言ったが、自然に荒れ果てていくのと、蝿が集るような状態を残していくのとでは話が違う。リビングに飾ってあった写真を写真立てから外して懐に仕舞い、それ以外は……置いていこう。みんなとの思い出はたくさんあるが、全部は持っていけないし、探していたらそれだけで離れ難さが募ってしまい、ここから旅立つ事さえ出来なくなってしまいそうだ。全部終わったら、必ずここに戻ってこよう。他の思い出を振り返るのは、その時でいい。来るのであればその時でいい。


 少女に声を掛けられるまでは『みんな』の傍にいるつもりで、私は思い出の詰まった家に対しても別れを告げた。それから、昨日みんなを埋めた所まで歩いていって『みんな』の前にしゃがみ込む。花壇の花でも手向けようかと思ったが、花壇にあったのはすでに枯れて果てた後の茎だけだった。仕方なく私は、結局手ぶらのままに『みんな』へ向かって話し始める。


「えっと……私は、ここを離れる事になったよ。あの子の……厘の言う事が本当なら、私はあと一年の命らしいんだ……うん、意味わからないよな……」

 

 言いながら、自分が何を言っているのかもよくわからなくなってしまった。いやそもそも、自分が何故ここにいるのかよくわからなくなってきた。それでも、後になって『後悔』したくないから、思い付くままに言葉を並べる。


「みんな……こんな私の傍に、ずっと居てくれてありがとう……家族で居てくれてありがとう……守ってやれなくて……う…………うぐ…………守って……まもって……やれなくて…………」


 胸が詰まって、それ以上言葉が出てこなかった。鼻が痛んで、胸が痙攣したように忙しなく動いて、息を吸う事さえままならなかった。どれぐらいそうしていただろう。肩を小突かれ、私は何時の間にか膝に埋めていた顔を上げた。背後には少女が、黒いダッフルコートを着た少女が、厚い雲に背を向けて私の背後に立っていた。


「気は済んだ? 済んでないと言われてもこれ以上待つ気は微塵もないけど」


「……ああ、行く、行くよ。行くよ。行く。行くよ。行く。……何処へでも」


 立ち上がった私の前に、少女が黒いダッフルコートを差し出した。驚いて顔を上げると、私を睨みつけながら少女は忌々しそうに顔を歪める。


「必要ないなんて言わないでよ? アンタのために一応探してあげたんだから。寝袋なんて便利な物は持ってないし、野宿が当たり前になるから。ちょっとガキっぽいけど、丈夫だし、下手な防寒具着るよりよっぽど夜でも暖が取れる……」


「あ、ありがとう。何処で見つけてきたんだい?」


「……いちいち言わなきゃいけないの?」


「いや、まだこの季節、ダッフルコートなんて取り扱ってはいないだろう? 君の着ている物も昨日より随分キレイだし、何処で調達してきたのかなって」


 少女は、少し驚いた顔をして、眉を顰めて私を見つめた。どうすればいいのかわからずしばし見つめ返していたが、少女は一層、顔を顰めて私の事をじっと見ている。


「アンタ、私が昨日言った事は覚えてるわよね」


「私と君は『疚』というものに罹っていて、君はあと半年の命、私はあと一年の命。その解決策を探すために、疚売りを探しに行く……」


「アンタも来るのはわかってるわよね」


「うん。だからこうして、みんなとのお別れの時間をわざわざ用意してくれたんだろう?」


「……ああ、それだけわかっていれば十分だわ。じゃあさっさと行くわよ。それと、これを持って頂戴」

 

 少女はリュックの一つを指差し、もう一つを自分で背負った。中身を聞くと「水と食料と必要物品」と簡素な答えが返ってきた。


 最後にみんなを振り返って、最後に「ありがとう」とそう言って、少女が渡してくれたダッフルコートに腕を通してボタンを閉めた。前に、みんなで買った中古のダッフルコートに似ている気がしたが……ダッフルコートなんてどれも似ているし。


 きっと、そうに違いない。

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