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疚市(旧2)  作者: 雪虫
3/15

1-3


 朝日が、ボロボロになったブラインドから私の顔を照らしてきた。私は眩しさに目を細め、朝日から逃れようとくたびれた毛布に顔を埋める。自慢じゃないが朝は苦手だ。頭が上手く働かないんだ。誰にともなくそんな言い訳を脳の中だけで並べ立てて、私は生温い眠りの中に再び落ちて行こうとした。


 しかし、腹にドスンと何かが……のしかからず、私は違和感に目を見開いた。おかしい。いつもなら天良が、もう止めてくれと悲鳴を上げても飛び乗ってくる頃なのに。いつもならこれ幸いとうたた寝を続ける所だが……私は瞼を持ち上げた。


 ベッドから降りて部屋を出て、階段を下ってリビングを覗く。もう十分に朝日に照らされているリビングには、誰もいなかった。祥吾も、清華も、新太も、天良も。他の三人ならまだ寝ている可能性も十分にあるが、早起きの清華もいないというのは珍しい。もう学校に行く必要もないからまだ眠っているのだろうか。起こしに行った方がいいかな? でも、ゆっくり寝かせてあげたいような気もするし……たまには私がご飯の用意をして清華を休ませてもいいかもしれない。


 冷蔵庫の扉を開けよう……とした所で、何か物音が聞こえた、気がした。気のせいかとも思ったが、もしかしたら誰か訪ねてきたのかも。不安を覚えるより期待を寄せてしまった私は、冷蔵庫に伸ばした手を止め玄関へと歩いていった。玄関の鍵は開いていた。


「……え?」


 玄関の鍵は昨日寝る前、確かにきちんと閉めたはずだ。そして気付いた。子供達の靴がない。祥吾のも、清華のも、新太のも、天良のも、四人分の靴がない。


「ど……何処に行ったんだ!?」


 日はとうにすっかり昇っている。寝ているのかと思ったが、私が寝坊しただけで、子供達はすでに起きて外に出たのかもしれない。それにしても私を置いて……と思ったが、もしかしたら気を遣わせてしまったのかも。昨日出遭った人影の事、左眼の事は結局口に出してはいないが、勘が良くしっかり者の子供達の事だ。私の様子が違う事に気付いて黙っていたのかも……


「駄目だな……いくら家族だからって、もっとしっかりしなくっちゃ」


 頬をパシリと叩いてから、私は玄関の扉を開けた。子供達の姿が見えたら元気よくおはようとそう言って、それからごめんと謝ろう。無意識に扉を開けたすぐそこに子供達がいると思い込んだ。


 しかし、外には誰もいなかった。てっきり畑で野菜を採っているかと思ったのに。玄関に視線を戻したが、やはり子供達の靴はない。柵の外に出たのだろうか。それとも……教会に?


 教会は昨日、子供達と共に改めて見て回ったが、酷く薄汚れているという事以外、これと言ってめぼしい物はなかったはずだ。でも、柵の外に行く前に一度確認しなければ。私は教会の前に立ち、錆びた取っ手を自分に向けて引き込んだ。


 窓からの光以外光源のない教会は、それなりの暗がりに落ちていて、それなりの明るさを持っていた。一見すると誰もいないようだが……私は一歩足を踏み出す。


「祥吾……清華……新太……天良……いないのかい?」


 やはり外に出ていったのか? そう思ってふと横を見た、私の目に、壁に寄り掛かっている誰かの姿が飛び込んできた。高校生ぐらいの男の子と、中学生ぐらいの女の子と、小学生の男の子と女の子……祥吾が、清華が、新太が、天良が、教会の壁に背中を預けぐったりと俯いている。


「祥吾……清華……新太……天良! おい、一体どうしたんだ! 何かあったのか! みん……」


 祥吾に近付き、その肩を叩いた私の手にぬるり、と嫌な冷たさが触れた。私は自分の手のひらを見た。不吉な程に赤い色が、液体が、べっとりとした何か、が、私の右の手のひらと祥吾の身体を塗り潰すように染め上げている。祥吾の身体が傾き、うつろな表情のままどさりと床に倒れ込んだ。祥吾も、清華も、新太も、天良も、動かない。動かない。暗がりに沈むその身体が、何か黒赤い液体で、ぐっしょりと、濡れ て  死ん   で   。それを、理解した瞬間私の身体から力が抜け、代わりにとでも言うように、喉から自分のものとも思えないようなひび割れた声が


「う……う、う、うっ……うわあああああぁぁぁっ!」


 私はその場に崩れ落ちた。私の悲鳴に子供達は顔を上げない。見向きもしない。床に崩れた祥吾の身体に、巨大な爪で引き裂かれたようなむごたらしい痕を認めた。中途半端な暗さに慣れた私の目に、子供達の血に塗れた全身が映し出される。その動かないうつろな表情も。どうして。顎の骨がガクガクする。涙が溢れて止まらない。どうして。なんで。いつ。誰が。どうして。誰が。どうして。誰が。


「おい」


 突然、見知らぬ声が聞こえ、私は後ろを振り向いた。そこには男が立っていた。昨日の黒いローブを着た死人のような影とは違い、きちんと「男」と言い切れる、しっかりと顔が見える男がそこには立っていた。


 だが、異様な目付きをしていた。例えるなら恐怖に怯えた瞳。それも生半可な恐怖ではない。あと数十分後に自分は死ぬのだと突然突き付けられたような、そんなどうしようもない恐怖がまざまざと現れた瞳だった。まだ、私が使父見習いだった頃、先輩の使父の付き添いとして訪れた刑務所で垣間見た、死刑執行を朝日と共に告げられた罪人達と同じ目だった。


 男は、渇ききった瞳でへたり込む私をしばらくの間見下ろしていた。本能的に警鐘のようなものが頭の中に響いたが、背を向け、走る事など出来なかった。呼吸が荒く速くなるのを感じるだけで、私はその場から一歩足りとも動く事は出来なかった。男は、何か黒赤いもので濡れた手をだらりと横に垂らしたまま、妙に渇きギラついた目で私の事を見つめ続ける。


「ここは……教会か。アンタもしかして……使父ってヤツか……だったら……なあ、俺を助けてくれ。助けてくれ、助けてくれ、助けてくれたすけてくれたすけてくれ。情けないって思うかも知れないが、俺は死ぬのが怖い。死ぬのが怖い。死ぬ事が、死が、しししし死ぬのがしぬのが怖くて怖くてたまらない」


 この男は何を言っているんだ。私のそんな考えとは裏腹に、私の腕や足は少しずつ、少しずつ、ようやくと言うように男から遠ざかっていこうとした。男は渇いた目を一層大きく見開くと、半開きになった口から唾液をボタボタ垂らし始める。


「なあ……なんで逃げる。なんで逃げる。逃げるな。逃げるな。逃げるな、にげるな、にげるな、ニゲルナ、逃げるん、じゃあ、ない。使父様、アンタが神様のお使いってヤツだって言うのなら、助けてくれよ。頼むから俺を助けてくれよ。俺はまだ死にたくない。おおお俺はまだまだ死にたくない。なあ、頼むよ、たすけてくれよ。俺は、まだァ、死にたくなんてねえんだよォォオッ!」


 突然、男が右手を上げ、私はそこに異常な程に長く鋭い爪を見た。私は横に転がった。咄嗟に躱した私の横を爪が掠り、床の上に鋭利な刃物で抉られたような痕が残る。


「ああ……そうだ、そうだ、俺にはこの『力』がある。一年後に死ぬなんて、そんな酷い事があるはずがねえ。俺は生きられる。まだ、まだ、まだまだまだまだ! きっとお前を殺せば! 俺はまだ生きられるはずだァッ!」


「う……う、うわああああああぁッ!」


 ようやく声を出せた私は、狂ったように爪を振り回す男から逃れるために無我夢中で駆け出した。何故、獣のように爪が生えてきたのか、祥吾達を殺したのはこの男なのか、そんな事は考えていられない。このままでは殺される。この男は私を殺す気でいる。


「死ねェッ!」


「あぐっ!」

 

 右足に強い痛みを感じ、私は床の上に転がった。右足の肉が鋭利な刃物で切り裂かれたように裂けており、そして、顔を上げれば男が、血走った目で私の事を餓えた獣のように見下ろしていた。


 ……嫌だ、死にたくない。死にたくない。しにたくないしにたくないしにたくない。なんでだとかどうしてだとか、理屈じゃない。ただ、ただ、死ぬのは怖い。みっともないほどにしぬのがこわい。死ぬのはいやだ。ここから逃げたい。誰か助けてくれ。誰か助けてくれ。誰か、だれか、だれか、だれか


「死ねェェエッ!」


 私はギュッと目を閉じた。死を覚悟していた。みんなと同じように殺されるのだとそんな事が脳裏を掠めた。


 しかし、想像していた痛みはなく、私はそっと目を開けた。目の前に男の姿はなかった。男の代わりに私の目の前には教会の聖母像があり、砂埃を被った薄汚れた瞳で私ではない何処かを見ていた。


「何処に行ったクソ使父がァァアッ!!」


 男の怒声が聞こえ、私は慌てて身を伏せた。どうやら先程の男が私を探し回っているらしい。


「その臭い! どうせお前『ヤマイビト』だろぉぉっ! どうせ一年したらくたばる運命なんだろォォォッ! なあ、頼むよぉ、使父さまァ、どうせくたばるならその前に俺に殺されろォッ! アンタ使父なんだろう!? 人を救うのが使命なら! 頼むから俺に殺されて俺の事を助けてくれよォッ!」


 何だ。『ヤマイビト』って。ヤマイビトって一体何だ。ヤマイって、『病』か。それは一体何なんだ。意味がわからない。何もかもが突然過ぎて。わからない。わからない。いったいなんなんだこの男は。


 私は、必死に聖母像の影に身を隠し、両手を組んで神に祈った。神よ、私を助けて下さい。どうか私をお助け下さい。けれどそんな私の祈りとは裏腹に、男の気配が一歩、一歩、私の方に近付いてくる音がする。


「まだ臭いがする……まだこの中にいるはずだ……時間がない……時間が……俺は、まだ、死にたくはない…………」


 足音が、一歩一歩、近付いてくる音がして、私は恐怖に堪り兼ねた。じっとしている事など出来なかった。右足が、ガクガクと震えながら立ち上がろうと無意識に伸びて、足下に落ちていた石くれを蹴り飛ばした。


「そこかァァアッ!!」


 上から、上半身だけになった聖母像が落ちてきて、私はそれを避けるべく咄嗟に横に転がった。ガシャンという音から顔を上げると、視線の先には爪の長い血塗れの男が立っていた。


 もう駄目だ。もう駄目だ。モウニゲルコトナドフカノウダ。私は再び死を覚悟したが、しかし男は、動かなかった。獣のような爪の男は呆然と私を見つめていた。突然、立ち尽くす男の口から、黒い何かがまるで血のようにボタリと滴り落ちてきて、そして、男は膝から床に崩れ落ちるとそのままドタリと転がった。苦しげに背を丸め、黒い何かを吐瀉物のように呻きながら溢し続ける。


「ぶお…………ごぶっ……ごぼ…………がはっ…………」


 男は身体を痙攣させながらしばらく何かを吐いていたが、突然顔を上げ、「ギャアアアアアアッ!」と喉を裂くような悲鳴を上げた。男は目を見開いた。男の目は穴が空いたように深い黒に染まっていた。


「ギャアアアアア! アガッ! ゴウッ! …………グボッ! ゲエエエエッ! ゲエエエエエ、ゲエエエエエッ!!」


「あ、ああ、あああ…………」


「ゴブッ! い……いやだ……しにたくない。しにたくないしにたくないしにたくない……ガボッ! ……た、たすけてくれ……しにたくないしにたくないしにたくない…………」


 男の、血塗れの腕が私に伸び、何かを掴むかのように宙をかいた。男の目は真っ黒だった。男の口の周りも真っ黒だった。男の黒い目の周りが、肌が、皮膚が、私に伸ばされる血塗れの手が、何かに侵食されるようにどんどん黒くなっていく。


「た、たすけてくれ。たすけてくれ。たのむ、たすけてくれ、助けてくれ、たすけてくれ、たすけテクレ。タすケテくレ。カミさマ。オ、オレはしニタクなイ。しニたくなイ。しにたくない。お、オレガ、イッタイ、ナニ、 ヲ……、………………」


 男は、そして動かなくなった。血とも腐液ともつかない黒いものが、ドロドロと男から周囲の床へと広がっていく。死んだ。それ以外の単語が出て来なかった。死んだ。死んだ。祥吾や、清華や、新太や天良と、同じく、四人を殺したこの男も、たった今ここで、死んでしまった。何故だ。何故この男は四人を殺し、そして今ここで死んだんだ?


「それ、瞬間移動? まあまあ便利な能力貰ったじゃない。オトリ程度には使えそうね」


 突然、上から声が降ってきて、私は天井へと顔を上げた。同時に黒い物体が、ドサリと、まるで電線から烏の死体が転がるように教会の床に落ちてきた。その『物体』は、少女だった。もしかしたら見た目より実年齢は上かもしれないが、『女性』というより『少女』という形容詞の方が近しく見える、そんな風貌の『少女』だった。長く伸びきった黒い髪。所々毛羽立ち、埃に汚れたダッフルコートから覗く肌は、浮浪者のように垢染みていて酷く汚らしかった。少女はダッフルコートを揺らしながら私の方に近付くと、好意とは程遠い笑みを浮かべて私の顔を覗き込む。


「命拾いおめでとう。まあ今この状況で生きてる事がアンタにとって幸か不幸かは知らないけれど、ここで会ったのも何かの縁ってヤツだし、私が生き延びるのに利用させてもらうとするわ」


「き……君、一体誰なんだ…………?」


「人に名前を尋ねる時は自分からって赤の他人に教わらなかった? まあ言い合うのも面倒だから教えてあげる。私は厘。あと半年は不死身だけどあと半年で死ぬ疚人。アンタに疚売りを探す手伝いをして欲しいのよ。手伝うでしょ? やるって言え。言わなかったらこの場で殺す」


 そう言うと少女、はサバイバルナイフを取り出して私の方へ刃先を向けた。その既に錆びの浮くサバイバルナイフの向こうには、一切の光も宿っていない、ぽっかりと穴の空いたような少女の黒い瞳が見えた。


「い……きなり現れてな……んなんだ、君は……何だヤマイビトって……何だヤマイウリって……何だ……不死身の能力……って……君が……あと……半年で…………死ぬ?」


「そうよ。ちなみにアンタは、この一年以内に確実に死ぬ。この疚人みたいに、全身真っ黒な炭みたいに変色してね」


 少女は、そう言った。まるで「当たり前よ」と言わんばかりに。「人はいつか死ぬものよ」と、何かを悟りきったように。


「その……『疚人』って……一体……」


「アンタ、真っ黒なローブを被った妙な人影から妙な注射をされなかった?」


「…………」


「あれが『疚』よ。あれに『感染』するとね、身体能力が凡人よりちょっとばかし良くなって、おまけに現代科学じゃ説明がつかないような異常な『能力』が手に入る。ただし、その一年後に死亡する。こいつみたいに血反吐吐いて、目ン玉も皮膚も何もかもが全部真っ黒に変わり果ててね」


 言いながら、少女は足下の『疚人』に視線を向けた。そこにあったのは人間の『残骸』だった。黒炭よりも黒くなったそれが、動かなくなった「何か」が、先程まで『人間』だったとはとてもじゃないが思えなかった。見ただけで吐き気が込み上げる程に、それは、完全に止まり壊れ果てた悲惨なだけの『物体』だった。


「それに……君は感染していると……?」


「アンタもそうよ。さっきこいつが言ってたでしょ? 『臭いがする』って。それに、アンタさっきこいつの前から忽然と姿を消したわよね。アンタ自身覚えがあるハズよ」


 覚えがある。そんな事は、思い出すまでもない。とても信じられなかったが、否定するだけの根拠もなかった。確かに私は、この男に襲われた時、まるで瞬間移動したとしか思えないような状況で、何時の間にか聖母像の下に座り込んでいたのだから。


「……ちょっと待て。なんで、君が、私と、この男のやり取りを知っているんだ」


「なんでって、見てたからよ。アンタがこの疚人に襲われている所も、そこのガキ共がこいつに殺されていく所も」


 耳を疑った。見てたから。私が襲われている所も。子供達が殺されていく所も。子供達が殺されていく所も。みんなが。みんなが。殺されていく所を。この少女、は。


「なんで……なんで助けなかった! 君が助けに入っていれば、あの子達は!」


「助ける義理がないからよ」


「…………た」


「なんで私が、見ず知らずのガキ共を助けてやらなくちゃいけないの?」


 凍りつくような瞳で、少女はそう、言い放った。まるで「なんで人を殺してはいけないの」と、心の底から不思議で仕方がないように。頭の中が真っ白になった。そして拳が酷く震えた。私は立ち上がり、足を踏み出し、真っ黒な少女に悲鳴を放つ。


「き……みが、助けに入っていれば、あの子達は死なずに済んだかもしれないじゃないか!」


「ふーん、じゃあつまりアンタは見ず知らずのガキを助けに入って、この私が死んだ方が良かったってそう言うワケね」


「…………な……に……」


「確かに、私が助けに入っていれば、あの見ず知らずのガキ共は助かっていたかもしれないわ。でも無駄だったかもしれない。どころか私も死んでいたかもしれない。アンタはそうすべきだったって言うんでしょ? 私が死ぬ可能性があったけど、見ず知らずのガキ共のために見ず知らずの私は命を投げ捨てるべきだったってそう言うんでしょ?」


「そ……そんな事は……言ってな……」


「そう言ってない『つもり』で、アンタは人に死ねって言うのね。そういうのなんて言うんだっけ。未必の故意? 未必の殺意? まあどっちでも構わないけど。でもまあそうよね、人間ってそうよね。見ず知らずの他人より知ってるヤツの命が大事。知ってるヤツが助かるなら見ず知らずの他人が何人死んでも構いはしない! 人間ってそういう生き物よね」


「……」


「でも、だからこそアンタには私を責める権利なんて微塵もないわ。だってアンタはアンタの知り合いが助かれば、見ず知らずの私は死んで構わなかったと言外にそう言ったんだから」


 言葉が出なかった。私は眼の前の黒い少女を見つめる事しか出来なかった。少女は、厘は、「ハッ」と鼻で小さく笑うと、サバイバルナイフを持ったまま私の方へと近付いてきて、あと一歩という距離から侮蔑するように私を見上げる。


「いつまで惚けているつもり? すぐに出発するんだから早く準備して頂戴。着替えと食糧と使えそうな物全部よこして。三分待ってやるから早くして」


「……は?」


「言ったでしょう? アンタはあと一年未満の命だって。つまりアンタには私と一緒に疚売りを探すか、ここで一年後にくたばるかどっちかしか残っていないのよ。ここでその上半身パックリ割れた石ころの前に跪いてビクビク死んでいくぐらいなら、今綺麗さっぱり死んだ方が少しはマシってもんでしょう? 使父は自殺出来ないって聞いたし、ついでだからボランティアでここで殺してあげるわよ」


 呟いて、少女は再びサバイバルナイフを私の首に突き付けた。状況が……理解出来ない。彼女の言葉が脳にきちんと届かない。だが、少女は、厘は、私の『理解』など待つ気はさらさらないようだ。サバイバルナイフの向こうで、蔑むように笑いながら口を開く少女が見える。


「ちんたら悩んでる暇があるとでも思ってんの? 時は金なり、一分一秒だって無駄になんて出来ないのよ。答えなさい。私についてくる? それとも死ぬ? 三秒で答えないなら殺す」


 そう言って私を覗き込んだ少女の瞳は、例えようもない程黒かった。何の光も反射せず、何の光も灯さない、黒く、深く、重く、澱んで、真っ暗で、…………そして、どうしようもない。


 ただ生きる事しか考えていない、そんな獣の目だと思った。

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