お客さんはとんがり帽子
今日は、塔に少し不思議なお客が来た。
背丈はパルの膝くらいしかない、童話に出てくるような魔女の格好をした鼻の歪なお婆さん。
コンコン、と軽くドアを叩く音がして、パルがドアを開けると杖を持ったその人が立っていた。
名前を訪ねても何、客だよと言うだけで答えてはくれなかった。
「ここに来れるとは思わなかったねえ」
「思い出の場所なんですか?」
嗄れた声でそう言ったお婆さんにパルが問い掛けると、お婆さんは深く頷いた。
「ここはねえ、アタシが前に通っていたんだよ。ほら、ぼけっとしてないで早く入れとくれよ」
話を聞けば、お婆さんが言う『ここ』というのはとある喫茶店の事のようだ。
「お婆さんごめん、ここはその喫茶店じゃないんだ」
「何言ってるんだい、確かに私はここに通ったよ」
「婆さんこそ何言ってんだか」
パルは、悪態を付くボアーダの首根っこを掴んでお婆さんを塔の中に招き入れた。
古本の独特な匂いが香る、塔の玄関と言うには広すぎる空間。
特に家具は置いていない。
「……何だいこれは。本当に喫茶店じゃないのか」
お婆さんは心底残念そうに呟いた。
折角見つけたと思った想い出の喫茶店は、偽物だったのだ。
この塔には少々変わった力が込められており、たまに通りすがる旅人や魔女、妖精を想い出と繋げて惹き付けるのだ。
そのためにここには稀に想い出を辿って客が来る。
「……ごめん。喫茶店は今も昔もやっていないんだよ」
パルは眉の端を下げて頭を掻いた。
彼はいつもそうであった。
ここに導かれる客達の顔を見ては申し訳なさそうに頭を掻いてどうしたものか、とでもいうように俯くのだ。
「そうだ。ねえアンタ、喫茶店を始めたらどうだい」
「無茶言うなよ婆さん。こんな呑気な奴だが一応大事な仕事があんだよ」
「……うん。そうだな。それはいい案だ」
少し考えた後に満面の笑みを浮かべて、お婆さんの手を取り頷くパルに、ボアーダは目を点にした。
「失礼します。パルさん、貴方何を言っているのですか。勝手に」
ノックも無しに塔に入って来たフィリアは相変わらず表情乏しく淡々と言った。
「良いんじゃないかな、たまには。今までにもこういうお客がいたんだ。悲しむ人の顔を減らせるチャンスだ」
乗り気になったパルは、一人でキッチンはこうして机と椅子はこの色で、と早速内装を考え始め、ものの数分で両手を打った。
「よし、善は急げだ。ボアーダ」
ボアーダは小さく舌打ちをしてからパルの広げた片腕の人差し指の先にちょこんと乗っかった。
「よし、改装だ」
パルは胸を張ってから、左足の踵を二回、爪先を二回地面に打って音を鳴らした。
すると、塔にいる者は一瞬目の前が真っ暗になり、かと思ったらさーっと波が引いていくように暗闇が小さくなっていった。
そうして現れたのは切り株の椅子に背の低い木の机が五、六セット、長いカウンターテーブルは黄金に輝いている。
立派な喫茶店の完成だった。
「こんなものかな」
今度は指を鳴らして箒を出すと何事も無かったかのように掃除を始めた。
「アンタ凄いね。こんな事出来るのか」
「これだけの事をして笑顔で立っていられるとは。貴方、本当に只の神の使いですか」
「どうして。只の神の使いだよ」
首を傾げたパルに、フィリアは呆れて溜め息を吐いた。
「さてと、副業スタートだ」
またもやどこから出したのか分からないカフェエプロンを着けて、お婆さんとフィリアに注文を取ると、キッチンに向かい、カモミールティーとアールグレイを一つずついれてボアーダにウエイトレスを頼んだ。
パルは基本何でもできるので、神々によくお茶をいれるのを頼まれていた。
そのためにお手の物だったのだ。
お婆さんは笑顔になって帰っていき、フィリアは複雑な表情で座っている。
ボアーダはまた俺は雑用か、と愚痴っていたがパルは聞こえないふりをした。
「じゃあ俺は本業してくる」
パルはエプロンを外して最上階に向かった。
パルが『副業』をしていると、ボアーダに言われた事がある。
ここに訪れる客はほんの数人だという事だ。
それは百も承知で提案を引き受けたパルは、想い出を辿って来た人に残念な想いだけさせて帰らせたくなかっただけだから別に構わないと答えた。
それは本心だが本心ではなかった。
利益はなくてもいい。
でも、お婆さんのように笑顔になってくれるなら、自分が笑顔の作り手になれるのならば、沢山の人に出会いたいと心からそう思った。
「……お婆さんは、素直な人だったな」
自分の欲を抑えて、今日を振り返る。
想い出に巡り会えたと喜んだお婆さん、そこが『偽物』で腹を立てたお婆さん、次第にそれが哀しくなったお婆さん、今日から始まった喫茶店を満喫したお婆さん……。
「心の揺れ動く日だ。うん。これにしよう」
色創ノートのページを捲って悲涙色の下に羽根ペンを立てる。
「名付ける色は心色。この色は止まる事無く混ざり合う、むげんの色にしよう」
明日から始まるであろう新しい出会いの日々に心を弾ませながら、パルはノート片手に小気味よくリズムを取って階段を降りていった。