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今日は雨の日

「今日は雨だね」

「だな」

 青年がカーテンを開き、静かに言葉を口にすると、丁度手のひらに収まるほどの大きさの体で、指の付け根から第二関節程度の長さの、おもちゃのような煙管きせるふかす気難しそうな中年男が、宙に浮きながら空返事をした。

「今日の朝ご飯は何がいい?」

「何でもいいぞ。パルの好きなのにしろ」

「うーん……。どうしようか」

 パルは、起きてからそのままだったベッドを整え、クローゼットの中の几帳面に畳まれた部屋着に着替えた。

「……よし。トーストとフルーツとコーヒーにしようか」

 パルは一つ下の階に降りてカフェエプロンを付けると、カウンターキッチンに立って朝食を作り始めた。

「はい、ボアーダ」

「ありがとよ」

 溶けたマシュマロののった一欠片ひとかけらのパンを、ボアーダは相変わらず眉間にしわを寄せたまま咀嚼そしゃくした。

 絶え間なく降り続ける雨は、先程よりも強く窓を打つようになった。

「こりゃあ止みそうにねぇな」

  小さな窓を伝って流れていく雨粒越しには、薄暗い雲の下で降り落ちた雨の光を反射させ、きらきらと輝いている丘と、静かに整列した森だけが映っていた。

「そうだね。今日は仕事日和だ」

「慣れたように言うな。初仕事だろ」

 『色つけ屋』と名付けられたこの仕事は一週間程前に言葉の神様が作った新しい職業で、当時感情の神様の下で仕事をしていたパルが、言葉の神様直々の頼みを受けたものなのだ。

「ごちそうさん」

「お粗末さまでした」

 パルはコーヒーカップを机に残してあとの食器を片付けると、壁いっぱいの本の中から日本語の辞書を取り出して、席についた。

「辞書なんて読んで、何が楽しいんだぁ? お前の行動はいちいち謎だな」

「楽しいよ。まだ俺の知らない言葉が、辞書を開けば噴水みたいに溢れてくる。俺からしたら魔法の本だね」

 一番初めのページから、一語一語丁寧に読み進めていく。ゆっくりと、時間をかけて。

 時々ペンを持って印を付ける。そこに書かれていたのは色の名前と、その説明だった。

「けっ気に食わねぇ」

「そんな事言われると反応に困るなぁ。ボアーダの『気に食わねぇ』は褒め言葉の裏返しだからね」

 コーヒーカップを口許に持っていって、目線だけをボアーダに向けたパルの顔はいたずら好きの幼い少年に見えた。

「そういう所だよ。そういうのがもっと気に食わねぇんだよ、俺は」

 そんな風に二人で雑談を交わしていると塔の扉を叩く音がした。

「お、来た来た」

 読みかけの辞書も閉じずに、パルは優しい笑みを浮かべて扉を開けた。

「こんにちは。言葉の神様の使いをしています、フィリアです。これからパルさんと言葉の神様の連絡係として働く事になりました」

 フィリアは傘を畳むと、無表情で淡々と自己紹介をした。

「やぁ、こんにちは。知ってると思うけど、俺はパル。こっちのはボアーダって言うんだ」

「よろしくな」

「はい。よろしくお願いします」

「雨降ってるのに大変だね。コーヒーでも飲んでいく? 俺にはそれくらいしか出来ないけど、可愛らしい女の子が体を冷やして頑張ってくれたからね」

「はぁ……。貴方は本当に質が悪い。私の単純な妹から聞いていた通りですね」

「全くだ」

「え、何それ。どういう意味……」

色創しきそうノートを届けに来ました」

「あれ、無視された」

「こりゃ相性最悪だな。まあそういうこともあんだろうよ」

 半ば無理やり納得させられたパルだったが、彼の注意はもう、フィリアの手の中に注がれていた。

「へぇ。これ色創ノートって言うんだ。大分分厚いな。これがノルマなら言葉の神様はなかなか厳しいね」

 色創ノートと呼ばれたそれは先程パルが愛しそうに読んでいた辞書を二つ積み重ねたくらいの厚みだ。これを全て完成させるのは骨が折れそうだ。

「そんな事知りません。それがパルさんの仕事なので、文句を言わずにしっかり取り組んで下さい」

「うん。勿論もちろん分かってるよ。また夜に来てくれるんだよね」

「ええ。ノートの回収をするのでそれまでに今日の分の仕事は終わらせておいて下さい」

「あ、待って。ほらボアーダ、天までお送りして。この雨の中ノートが濡れないようにわざわざ持ってきてくれたんだ」

「何で俺なんだよ。お前が行けばいいだろう?」

「色創ノートの管理はボアーダに任せただろう? これからはフィリアさんと関わりが増えるかもしれない。それに、俺はさっき振られちゃったからね」

フィリアに向けた笑顔はキラリキラと光を写す雨粒のように柔く輝いている。

「……ボアーダさん、この人は危険人物です。塔から出してはいけません」

「安心しろ。もう手遅れだよ」

 パルはその好青年ぶりで、町に出向けばお金を払わずとも一週間生活が出来る分の食糧や、譲り受けの衣服、綺麗な食器に家具まで揃うのだ。

「悪口にしか聞こえないけど俺なんかした?」

「お前は存在そのものが罪なんだよ。気付け阿呆」

「なあに?俺がかっこいいよって言ってくれてるの?」

またもや眩しい笑顔で受け答えて、おちゃらけてみせる。

「自覚があるんだかないんだか.....」

「ごめん……?」

「もう行きましょう、ボアーダさん」

 ため息をついて塔から出ていった二人の天にのぼっていく様を暫く見つめてから、パルは塔の最上階にある仕事部屋で重厚感のある机に色創ノートの一ページ目を広げた。

 真っ白なそのノートの紙の匂いをすんと嗅いで、目を閉じた。瞼の裏に映ったのは、小さな窓から見えた雨の景色。

 パルは机の端の羽根ペンを手に取って、インクも付けずにそっと紙の上に垂直に立てた。その羽根ペンは普通の代物ではないので、細いペン先が少しだけ浮いていた。

「名付ける色は雨粒色。光の加減によって変わるあの不思議な色は名前を持っていない」

 羽根ペンは滑らかに紙面上を駆けた。しかしそのペンの足跡は残っていない。フィリアが言葉の神様の元にこのノートを運んで、神様が世界にばら撒いて初めて文字として現れるのだそうだ。

「雨の日の美しさが、少しでも多くの人に伝わります様に」

 パルは静かにそう唱えてから、冷めたコーヒーが残る二階の部屋へ降りていった。

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