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紙一重

 扉を開けると、満たされた空間がそこにはあった。 

 塔を入ってすぐ、鼻腔をくすぐるコーヒーの香り。うるさすぎず、かと言って静かすぎるわけでもないあたたかな雰囲気漂う店内は、午後の光をふんわりと受け止めていた。

「やあ。こんにちは」

 オレンジ色の淡い光に照らされて穏やかな笑みを浮かべる美青年はこの塔の主、パルである。

 おそらく本日最後と思われるお客は小さな少女だった。

「やあ」

 少女が抱いているぬいぐるみから、空っぽな缶のような男の声がした。ここでは、人でないものが言葉を喋るというのは日常茶飯事であったので特に他の客が気に止めることもなかった。

「こんな時間にお客さんとは珍しいなぁ」

 パルは嬉しそうにそう言うと、洗い物をしていた手を止め、キッチンから出た。そうして少女に近づくとぬいぐるみに顔を寄せた。

「君はここのぬし?」

「まあ、そんな所。君はどこから来たんだい?」

 どうぞ、とフィリアが席を用意すると少女が軽く頭を下げた。

「隣の国からだよ。少し用事があってね」

「旅行か?」

 ボアーダが興味深げに問うた。

「いや、違う。ちょっとした仕事。僕はリック。魔法売り」

「なるほど。魔法売りのリックとレイクとはあなた方のことでしたか」

 フィリアの言葉に店の客は振り向いて、金だけを机に置き、せわしく帰っていってしまった。

「全く……お客が帰っちゃったじゃないか」

「客がなんだと言うのです。あの有名な不吉な魔法売りが目の前にいるのですよ? 彼らは犯罪者です。何をするかわかりません。今すぐ天に通報を……」

「お前さん、そう焦ることもねえよ。まあ待ちな」

 塔の扉を開けて今にも飛び立ちそうなフィリアをボアーダが止める。パルと長い付き合いのボアーダには分かるのだ。パルの企みが。

「で、うちの常連さんも引き取らせてまで何をしに来たのかな?」

「二人とも酷い。どうして私のことを知らないふりするの? 私はずっとあなたを追いかけてたのに。ねぇ、先生」

「二人ともって俺はほとんど話したことねぇだろうがよ」

 パルは少女と向かい合うように腰掛けて、微笑んだ。

「パルさん、どういう事です? なぜ神の使いである貴方が犯罪者に先生などと呼ばれているのですか?」

 フィリアは眉間に深い皺を寄せて目を見開いている。

「犯罪者だなんて言わないで。私たちを育ててくれた先生の名前に傷がつく」

 そう言ってレイクはきつくフィリアを睨みつけた。どうやら彼女にとってパルは大切な存在のようだということは今の言動から充分読み取れるだろう。

「俺は先生だなんてそんな大層な者じゃないって言ってるだろう? ちょっと秘密を教えてあげたってだけで。ね、ボアーダ」

 いたずらっ子のような笑みをボアーダに向けると、ボアーダは困ったようにため息を吐いた。

「少なくともこの二人が不吉な魔法売りなんて呼ばれるのはお前のせいだな」

「相変わらず人聞きが悪いんだから困るよなぁ」

 ふふっと笑うその顔は、天使のようにも、悪魔のようにも見えた。

「……前にも同じ様な事を聞いた気がしますが、貴方は一体何者なのですか」

 普通ではありえない魔法をさらりと使いこなし、犯罪者には先生と呼ばれ尊敬される。そんな人が神の使いであっていいのかどうか、どうしてそんな人が『色つけ屋』という言葉の神様にとっては重大な仕事を任されているのか、この仕事の重さや責任をよく理解しているフィリアは不思議でたまらなかった。

「前にも同じことを言ったけど、俺はただの神の使いだよ。なんでそんなに疑うかなぁ。俺としてはその方が不思議だよ」

 言いながら、パルは立ち上がってキッチンに向かった。勢いよく流れ出た水道水が食器についた泡を落とす。

「フィリア、お客さんが机の上に置いていったお金を集めておいてくれないかな。それが終わったらいつも通り片付けよろしくね」

 洗い物をしながら声をかけるパルに、レイクは近寄って寂しそうにパルを見つめた。

「先生、あの子はここで働いているの?」

「フィリアのことかな? 彼女は俺と言葉の神様との連絡係で、ここに毎日通っているからついでに手伝ってもらってるんだ」

「……私も、先生の元で働きたい」

 そう言うレイクにパルは、泡を落とし、洗ったばかりの濡れた食器をレイクに差し出した。

「そこに布巾があるから、それ使って。吹き終わったら後ろの棚にしまってくれる? よろしくね」

「はい……! 先生」

 表情の乏しいレイクの顔は少しだけ笑ったようにも見えた。


「全くわがままな教え子だ」

 自室のソファで眠るレイクにそっと毛布をかけた。そしていつもの如く机に向かう。

「名付ける色は誘昔色ゆうせきいろ。昔の景色に思いを馳せる時、優しくその記憶を包むベールの色が、この色だ」

 色創ノートを書き終えると、タイミングよくノックの音がした。扉の向こうからフィリアの高い声が聞こえる。

「ノート、よろしくね」

 フィリアは手渡されたノートをじっと見つめてから、口を開く。

「あの不吉な魔法売りの事は、今回は何も報告をしない事にしました。情報もまだ不充分ですし」

「君が天に嘘をつくだなんて珍しいこともあるんだね」

「馬鹿言わないでください。私は嘘をついている訳ではありません。まだ報告をするには情報が足りないのと、あの二人の異名と関わりのあるという貴方の事に関しては、まだ何も知らないので」

 探るようなフィリアの眼差しに臆することなくパルは答えた。

「感情の神様なら俺のこと知ってるかもね。それじゃあ気をつけて」

 フィリアは塔の階段を下りて、外へ出た。明かりの灯るパルの部屋を一瞥して、暗い夜の空に溶けていった。

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