表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

徒然なる没

ボール

作者: 骨々

今日(というか昨日)の出来事に、脚色を加えて私小説っぽくしたもの。

日記に近く、大して内容はない。文章は大幅に削ぎ落とした。

ジャンルは何を選べばいいか分からなかった。

 私は今、夜を歩いている。

 閉館時間より少し前、人陰があまりない図書館に滑り込んだ。本を返却するためだ。他に用事はなかったが、今日が貸出し期限日。それだけのことで、外に出た。特に借りたい本もない。

 返した本は杉浦明平氏が訳したピノッキオの冒険と、北アメリカ先住民に伝わるコヨーテの伝承を収録した児童向けの本、そしてスタインベックの短編集だ。

 蛇と自警団が興味深かった。自分も、ピノッキオやコヨーテのように生きられれば、どんなに良いことか。だが、自分は蛇を見詰める瞳が儚い生物学者で、酒を呷る私刑執行人だった。

 今は、返却した帰り。どこかに優しくて都合が良い仙女様がいないかと、空色を求めて、ちらりと見上げる。

 空には三日月。全く、面白くない月だった。先月にあった中秋の名月と、スーパームーンが懐かしい。排気ガスが、いつも以上に煙たい。

 早く帰ろうと、道ではなく、夜の公園を帰路に選ぶ。ここは幼い頃、毎日のように訪れた場所。何か特別な思い入れや思い出がある訳ではないが、それでも家にいるような気持ちになれた。この前、久々にここを歩いたときは、こんなに小さな公園だったかと、驚いたところだった。

 公園に入ると、すぐにそれと行き会った。若者が乗るニケツの原付きだ。速度は出ていない。自分と同じく、通り道にしているらしい。

 ここは確か、車両の出入りは禁止。昔、昼間に訪れるとタイヤ痕が残っていたのは、こういうことだったのかと、初めて解った。まぁ、自分もよく自転車で出入りしていたものだが……。

 またしばらく歩くと、野球のグラウンドを挟んで、音が飛んできた。若者の声と、ボールが転がる音。

 グラウンド分の距離があるため、人数も何をしているのかも判然としないが、声や様子からすると、自分よりも少しだけ若い男性のグループらしい。

 やや恐怖を感じた。普段なら、なんてことはないはずなのに。

 そこで私は、幼い頃に慣れ親しんだ公園の知らない一面を垣間見ていることに、気が付いてしまったのだ。

 近付くのはやめよう。

 絡まれることはないだろうけど、もし絡まれたら対抗手段がない、情けない話だが。それに、こうやって怖がられるのも、彼らにとっては遺憾なことだ。それすらも、知られて気分がいいものではない。

 自分が学生だったときも、こうして怖がった誰かはいたのだろうか。

 そのとき、ボールがこちらに転がってくるのが見えた。背後から取りに来る足音がする。

 渡そう。

 小学生の頃、少しだけだがサッカーをやったことがある。転校していった悪友と、拙いながらもボールを転がしたのも、この公園だった。

 数歩先の地面を横切って離れていくボールを、右の足裏で引き寄せる。そして右足を軸に切り替え、左足の内側、土踏まずに近い位置で、蹴る。ここで、右のアウトサイドで蹴り返せないのが、自分の限界だった。

 ボールが地面を擦り、若者の誰かへ向かう。早く離れようと、また歩き出す。

「ありがとうございます」

 若者の礼を背中で受けた。

 公園を抜けて、先程のことを思い返す。

 今度は、月が明るいときに来よう。……というようなことを考えていたら、知らぬ間に、信号が赤のまま、横断歩道を横切っていた。

借りた本はネタに使うのと、暇潰しになるかと思ったものです。


「コヨーテのおはなし」は、どうせなら原書をお目にかけたい(読めるかどうか解らんが)。

コヨーテは、北米先住民にとっては創造神の一柱か、もしくはそれに近い存在であり、トリックスターのようです。それは体躯や持ち前の俊敏さよりも、知恵を使って物事に当たるもので、ここに、彼らが考えていた知恵者の理想像みたいなものが現れているのかなと。柔能く剛を制す、みたいな。

まぁ、ロマンですよね。小さい存在が大きなものを打倒するのは。けど、コヨーテが相手にしたのって、然程、大きな脅威ではなかったのですが……。オオカミを騙した話も、直にやったのは羊ですし。オポッサムの話になると、ちょっと頭が弱い子を悪ガキがイジメてるだけにしか。

松脂を接着剤として使う話がいくつかあったので、北米先住民にとって、松脂は身近なものだったようです。

あと、コヨーテがオポッサムを騙す話に牧場主とやらが登場するのですが、これは訳す前はなんて単語だったのかが気になる。

ともかく、これらを元ネタに話が作れそうです。


ピノッキオは、諦めました。

さすがに原文を読むのは時間がかかりすぎるので、邦訳された中でもできるだけ古い本を借りて妥協。

しかし、当時のイタリアにあった道徳や倫理観を間接的に知ることができ、また当時の人々が、それに縛られないピノッキオに憧れを抱いていただろうことが解りました。


まぁ、それだけです、はい。なんか、しょぼい感想文みたいになってしまってすんまそん。

作品についての新しい見識やら、含蓄がありそうなことは書けないです。

「ピノッキオの冒険」の後書きは、とても興味深かったので、その話をここに書くことはできますが、それって他人の話を偉そう垂れ流す行為なんで……うーん、作品に取り入れますかね。

狐と猫の件はえげつなくなりそうだ。


脱字修正

数歩先の地面を横切って離れていくボールを、右の足裏で引き寄る。

数歩先の地面を横切って離れていくボールを、右の足裏で引き寄せる。


「引き寄る」ってなんだ。

引いてるのか寄ってるのか。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 文学的な雰囲気がありますね [気になる点] 「だが、自分は蛇を見詰める瞳が儚い生物学者で、酒を呷る私刑執行人だった。」 この文の意味がよく分かりませんでした
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ