スマートフォン1
朝、俺は無駄に広い洋室で目を覚ます。
カーテンの隙間から差し込む日だけで、全てが明るい。
……地下の暗く薄汚れた狭い自室とは、格段の違いだな。
慣れる事の無き違和感をいつも通り覚えながら、俺は柔らかいベッドの上で体を起こす。
こんな生活が普通であったなら、二十一世紀の人間達は、自分達がいかに幸せだったのかを知る由もなかったろうな。
時間は八時。今から、夕方の五時までを夢想世界で過ごす。
あえて現実世界の時間を当てはめて細かく言うと、今は午後八時で、これから朝方の午前四時五十九分五十九秒までを、夢想世界で過ごす事になる。実際の俺の体は、硬く汚いベッドの上で夢を見ている状態だ。
俺はふかふかのベッドを出ると、昨日脱ぎっぱなしにしたはずなのに、今日はハンガーに吊るされていた紺色の学生服を身に付け、ネクタイを締める。そして、硬い革で出来た用途の狭そうな鞄を持ってマンションから学校へ向かった。
この世界の住居は、全てが地上にあり、当たり前のようにひび一つ無い。その整然と並んだ建物の横には、植樹された木がこちらも一列に整列している。車両が走る道路には石ころが落ちてないし、小さな凹凸すら無い。戦争が無ければ、これほど世界に保守点検を行き届かせる余裕が生じるのだと感心する。
戦争が五十年以上続いている今は、基地が破壊されるたびにデータが失われたため、一体どういう理由で争いが始まったのか記録に残っていない。記憶していただろう年寄り達も、もういない。俺達解放軍は日々、機甲兵と呼ばれる敵と戦うだけで精一杯で、相手が誰だったのかも忘れてしまったのだ。こちらは生身で戦うのに、相手は無人兵器だ。余裕が無いのも当然だ。
おそらくだが、今でも開発出来ないでいるロボットを半世紀も前に製造出来た事からして、相当に科学が進んだ国が人類全体相手に喧嘩をしかけたのだろう。そして、それは成功し、攻められた側は敗戦色が濃厚となっている。現在は、ここ東アジアの基地以外に、大陸の辺境地帯にあるゲリラ基地しか残ってないと聞く。
戦争ずくめの毎日の息抜きの場が、夢想世界だ。この夢の世界にある大型の娯楽施設など、現実世界で作ろうものなら敵に気づかれてあっという間に襲われる。
そして、この夢想世界では、兵士達が楽しみにするもう一つの大きな理由がある。
それは、女性だ。現実世界では化学兵器によって既に死滅してしまったX染色体を二つ持つ人間が、ここにはいるからだ。無論、夢想世界だけの作り物なのだが。
教室へ入ると、目じりを垂れ下げながら話しをしている裕也が目に入った。もちろん、その相手は本宮沙織だ。教室の後方では、片山美樹の話を熱心に聞く正人がいる。
二人は俺に気がつくと、話を切り上げて走り寄って来た。
「おいーっす! 聞いたぜ法次、突然やばい任務を与えられたんだって?」
「単独偵察任務で帰って来た人なんて聞いた事無いですよ! やっぱり法次君はすごいですね!」
裕也と正人は、本当に心配してくれていたのが表情から感じ取れた。俺が中隊長に拾われてから二年、ずっとこの調子で二人は仲良くしてくれている。
「……ん? なんだよ法次? 人の顔をじっと見てさ?」
「あっ……、悪い」
俺は目を伏せた。
つい、桃の肩から覗いていたあの目を探してしまっていた。奴相手に戦った事のある裕也や正人が奴の中に入っているはずが無いのに……。
「僕達とまた会う事が出来て、法次君もきっと嬉しいんですよっ!」
「あっ! そっかぁ! なんだか照れるけど、いくらでも見ちゃっていいよん、法次ちゃん!」
裕也と正人は、俺に頬ずりをするかのようにぐいぐいと顔を寄せてくる。俺はそんな二人の額を手で押さえ、顔を背ける。
「何してるのー? 新しい遊び?」
目の前に、花音の顔があった。
息を飲んだ俺は体勢を崩し、裕也達と絡まったままもんどりうって倒れる。周りの机や椅子も転げた。
「だっ…大丈夫っ?!」
花音は、心配気に俺を上から覗き込んでくる。
「ほ…法次……、何すんだよお」
裕也が、机を押しのけながら立ち上がる。正人も、ズボンを払いながら立ち上がって俺に言う。
「本当ですよ。もうっ! 法次君が引っ張るから……」
正人は神経質そうにズボンの埃を丁寧に払っている。
だが、余りにも驚いた俺は、未だに立ち上がれないでいる。それに気づいた花音は、慌ててしゃがみこんで聞いてくる。
「法次……まさか怪我したのっ?!」
顔を青くする花音を見ながら、俺は唾をごくりと飲み込んだ。
あの目だ……。そうだ……どこかで見た気がしていたんだ。
な……なぜ桃の肩の中に花音の顔を見たんだ……?
機甲兵はロボットで、誰も中に入ってなどいない。万が一、億が一に誰かが中で操縦していたとしても、仮想世界でしか存在しえない花音なはずが無い。
どうして俺はいち機甲兵と、花音を重ねてしまったのだろう? 確かに花音からは何か懐かしさを感じていたが、現実世界で幻覚として浮かぶほど気になっているのか?
いや……、やはりこれは敵による精神攻撃なのか? 機甲兵に知り合いを重ねて幻視させ、こちらの攻撃を鈍化させようとしているのじゃないか?
きっと……そうだ。
一瞬顔のような物が覗いた桃の肩だったが、改めて注視した時には中は何も無い空っぽ、暗闇だったじゃないか。奴らの装甲の色と同じく、内部は黒だった。
「あっ! 花音っ! パンツ丸見えだよっ!」
美樹の声がしたとたん、正面でしゃがんでいた花音が膝を閉じた。
「法次のエッチっ!」
そして、顔を真っ赤にしながらスカートを押さえて立ち上がる。
「法次、ずりぃぞっ! んで、……何色だった?」
目を輝かせて裕也は色を聞いてくるので、俺はとっさに頭に浮かんでいた色を答える。
「色? 内部は……黒だったが?」
とたん、俺の顔面に上履きの底がめり込んだ。
「黒なんかじゃないっ!!」
花音は、頭から湯気を出しながら足を下ろした。
次話、本日23時に追加されます。




