仮想世界4
「……っ?」
手の中の端末を見ている時、周囲で何かの気配がした。俺はすぐに木の幹に身を隠す。
木々の間に、黒色の装甲を纏う大きな人影が見える。距離は三十メートル程だ。俺と同時に奴も敵を認識したようだった。
機甲兵か。囲まれたか?
俺が周囲に気を配ると、機甲兵も首を左右に振って索敵しているようだった。どうやら、奴にとっても俺と会うのは予定外だったようだ。
しかし、相手はどうして一人で戻ってきたんだ? それとも、仲間を殺った小隊とは別の固体か?
とにかく、敵が一体だけなら逃げるには都合が良い。ここは中隊長に言われた通り……、
そう思った俺だったが、実に最悪な色が目に飛び込んできた。
桃色だ。正面の機甲兵の右肩が桃色に塗られている。
『桃の肩』か。機甲兵の中でも最強と噂される奴だ。
敵が一人なのは幸運だったが、そいつが強敵なのは実に不運だ。だが、やるしかない。奴に背を見せれば、確実に殺られるだろう。
〈ダメ……〉
「――っ?」
誰かの声が聞こえた気がした。だが、もちろん機甲兵であるショルダーハートが喋るはずが無い。何より、奴は左腕のガトリング砲を俺に向けてやる気満々だ。
ガガガガガガッ
飛来する銃弾で、墓石が完全に砕かれた。桃の肩の左腕は、空中の俺を追って撃ち続けてくる。俺の腕より太い枝がいくつも地面に落ちた。
大木の陰に着地した俺へ、尋常でない速さで桃の肩が接近して来る。奴は右手から鉄剣を伸ばして振り下ろしてくるが、俺はそれに刀銃を合わせる。
ガキンッ
間に立っていた大木が、桃の肩の鉄剣で斜めに切断されて倒れた。
力比べでは当然機甲兵には勝てない。俺は、刀銃のプラズマ機関を作動させた。瞬時に刀銃がプラズマの熱により赤く染まる。
ズズズズ……
熱剣化した刀銃の刃が、奴の鉄剣を溶かしてめり込んで進む。
ズバッ!
切り取った鉄剣が中を舞う。しかし、俺が刃を返すより早く、俺の頭に奴の左腕が突きつけられる。
ガガガガガガガガ
零距離ガトリング砲を、俺は体を捻ってかわした。銃口から吹き出る熱が俺のマスクを焼く。
「ちっ……」
俺は奴から距離を取り、煙を上げるマスクを顔から剥ぎ取って捨てた。
長居は危険だ。奴はこの瞬間にも通信をしているかもしれない。援軍が現れる前に決めないと……。
俺は、真っ赤に輝く刀銃を上段に構えた。
「あの時の……続きだ!」
答えるかのように、桃の肩の二つの赤い目が光った。
最大出力にした浮遊装置が、空気を爆発させ噴射する。俺は、一呼吸で奴の懐に入った。
ブンッ!
俺の渾身の一振りが避けられた。奴は嬉々として鉄鎚のような右腕を振り上げる。
だが、俺は右足の浮遊装置を吹かせて足一本で急停止をすると、慣性による骨と筋肉の悲鳴を無視し、その捻じれを利用してV字に切り上げた。
ズバッ!
奴の手首が落ち、胸部装甲から頭部にかけて深い切り傷が入った。しかし、やや浅い。奴の拳が思いのほか早く、意識したあまり致命傷とならなかった。
「止めだっ!」
俺は一旦刃を引くと、切っ先を奴の胸に向けて前傾姿勢を取り、突きの姿勢で地面を蹴った。
〈やめてっ!〉
「――っ?!」
俺の刀銃が、桃の肩の寸前でぴたりと止まる。
……また、さっきの声が聞こえた。
しかも、物理的な音波を鼓膜が拾ったと言うより、俺の脳に直接響いた。
一体、何者だ?
〈……助、……見て〉
声は、俺の頭をがんがんと叩いて来る。
桃の肩からの電磁波攻撃なのか? それにしては聞こえてくる文章が妙だ。「ダメ」とか「やめて」とか、まるで戦いの中止を求める懇願だ。更には、間違いなく女の声だった。
こんな無骨な鉄の塊が、女の声で敵を油断させる戦術など似つかわしくない。
俺は、思わず桃の肩の顔を見た。
すると……
「なっ……っ!」
目が……合った。
切り裂かれた頭部装甲の隙間から、桃の肩の顔の一部、右目と頬が覗いている。
俺は、後方跳躍して距離をとる。
ロボットのはずの桃の肩から、人間の目? 長いまつ毛もあった気がする。
しかし、改めて桃の肩を見ると、当然だが装甲の裂け目には闇しか見えない。
あ……あたりまえだ。機甲兵には機械以外何も詰まってない。それは、過去の戦闘で倒した機甲兵で何度も確認している。実際、桃の肩の切り落とした右手からも、血のようなものは噴き出していない。
妙な声、そして幻覚。俺は、やはり何らかの精神攻撃を受けている最中なのか?
しかし、それが桃の肩に寄るものにしては、奴も不思議と戸惑ったように攻撃を仕掛けてこない。
今だ!
ブォン!
俺は、両足の裏を前方に向け、浮遊装置の圧縮空気を最高出力で噴射した。煙幕のように土ぼこりが舞うと同時に、俺の体は後方へすっ飛ぶ。
俺は森を抜け出し、荒野を全速力で進んだ。桃の肩が追ってくる姿は無い。
右手を失ったからだろうか?
それともあの困惑した様子、まさか第三者から俺と同じように攻撃を受けていたのか?
いや……それより、何故あいつは一人だったんだ?
俺は念のため、追跡されないように三十分ほど迂回してから基地へと戻った。
「それで、桃の肩と呼ばれる機甲兵が、単独で現場に戻った理由は推測できるか?」
「……忘れ物をしたとしか」
任務完了報告中、中隊長は腹を抱えて笑い出した。そして、涙を指でぬぐいながら俺の肩をばんばんと叩く。
「法次、お前は真顔で冗談を言うよなっ!」
「いえ、ふざけている訳では無いのですが……」
「分った、わかった!」
中隊長は息を整えると、真面目な表情に戻って手元の携帯型板状端末を読み上げる。
「第十九番部隊は、本日の偵察任務中に機甲兵部隊と遭遇し、全滅。撤退したかに思えた機甲兵部隊だったが、一体が現場に戻る。理由は不明。あの地域を警戒ランクBに指定する」
俺が頷くと、中隊長は携帯型板状端末を下ろして小さく息を吐き、眉尻を下げて安堵の表情を見せた。
「法次、お前が帰ってくれて、……本当に安心した」
「今回は、幸運に恵まれました」
頭を下げた俺が背を向けると、中隊長が俺に言う。
「これからどうだ? 秘蔵の酒をちびりちびりとやらないか?」
俺は振り返り、横顔を見せて答える。
「未成年ですので、遠慮します」
「相変わらず固い奴だな。ここは夢想世界みたいに、そんな法律無いぞ!」
「今から、高校生ですので……」
中隊長が笑って肩をすくめるのを確認し、俺は作戦会議室を出た。
魚住中隊長は、二年前に記憶を無くして彷徨っていた俺を拾ってくれた時から、弟のように可愛がってくれる。彼のためなら、俺はどんなに生存確率が低い任務でも二つ返事で引き受けるだろう。
ただ、今回は、彼からの酒の誘いより優先したいことがある。
俺は、無銘の墓で拾った携帯端末をポケットから取り出した。
桃の肩が突然現れたためについ持ち出してしまったこの端末だが、戦闘中に聞こえたあの声と関係あるのだろうか?
端末を見ると、画面は真っ暗なままだ。スイッチらしき物も付いているが、押しても反応しない。百年近く前の物なので、恐らく電源系に問題があるのだろう。
俺は自室へ戻ると、シャワーも浴びずに端末の蓋を開けた。
次話、7/3(金)の22時に掲載されます。