豹変1
こんな時勢、こんな戦況でも、夢想世界は落ち着ける。
外をこんなにもゆっくりと歩いていると言うのに、背後や上空を用心する必要が無い。
現在正人が開発中の装置が無くても、もしかすると夢想世界へ通わなくなれば俺達の洗脳も徐々に解けて行くのかもしれないが、はっきり言って皆を説得するのは不可能だろう。
俺は廊下を歩き、三階の突き当たりにある教室の前に立った。
扉を開けると、今日も花音の声は無かった。だが、いない訳じゃない。
「花音、おはよう」
俺が花音の肩を叩くと、自分の席で俯いていた花音は慌てて顔を上げる。
「えっ?! あっ! 法次、おはよう! えへへ……」
ごまかすかのように、花音は机から教科書とノートを出した。だが、教科書は国語で、ノートは数学だ。
このように、花音の様子が最近ずっと妙なのだが、理由を聞いても「なにも無いよ」の一点張りだ。
最初は、沙織の怪我がよほど酷かったのかと思ったのだが……、そうでは無かった。
「おはようございます」
教室に沙織が現れると、裕也はしっぽを振ってその周りを駆け回る。
俺は一週間学校を欠席していたが、沙織はその更に三日後の昨日、ようやく登校してきた。腕を切り落とされたのに、十日で再生してくるなんて俺に匹敵するほどの回復力だと驚いたものだが、よく考えるとおそらく違う。
装甲鎧を纏い、機甲兵となって戦う彼女達だが、体格がまるで変わってしまう。つまり、女子が機甲兵の中に入っているとしたら、手足が鎧の末端まで届くはずがないのだ。
と、なると、俺は確かに紫の天使の肘から先を切り落としたが、恐らく沙織は手首から先を失っただけだ。これなら十日程で再生治療を完了するだろう。
「葉助」
俺がその言葉を口にすると、花音はきょとんとした表情で俺を見る。
「……ん? 法次、何か言った?」
「いや……別に。独り言だよ」
花音は、無理をして笑顔を作った。
『葉助』との言葉は、夢想世界では花音に聞こえないようだ。つまり、花音は現実世界で『葉助』と言う名前を知っている。だからこそ、あの戦闘中に聞こえたスマホの主の声で動揺したのだ。元気が無いのも、葉助と言う名の人間に関係しているのだろうか?
しかし……葉助は、56年前に16歳だった男だ。現在72歳……。そんな年寄りが生きているはずがない。それに、スマホの主の声が花音にも聞こえるのが不思議だ。俺に接近していたからか? それとも、他に何か理由があるのだろうか……。
ドドドドドド……
「法次く~ん!」
「ぐへっ!」
油断していた俺に、美樹のダッシュタックルが決まった。以前の花音と今の美樹のおかげで、俺は夢想世界限定で腰痛持ちとなっている。
美樹は、眉尻を下げて悲しそうな顔で俺に言う。
「台風で壊れた正人の家は、まだ直らないのぉ?」
「あ……ああ。屋根の修理は終わったんだが、次は風呂がな……」
「手伝いに行ってあげた~い。……そして正人の部屋で二人は見つめ合い……ぶはっ!」
突然、美樹は鼻血を噴き出した。相変わらず、花音より騒がしい奴だ。
正人が休んでいる理由だが、製作活動だと正直に美樹に伝えると、なぜか大工仕事だと変換されてしまった。まあ例の装置が完成すれば、夢想世界での意思疎通も完璧になるだろうから取りあえずは放って置くことにした。
美樹は鼻に詰めるティッシュを貰いに沙織の下へと去った。
俺は、席で俯いている花音の頭を撫でて言う。
「元気出せよ」
すると、花音は少し違和感のある笑顔を俺に向けて言う。
「ワトソン君、君の推理はまだまだだな。元気が無い訳じゃないんだよ。むしろその逆だ。わっはっは!」
俺はその言葉を、深くは考えなかった。
次話、本日23時に追加されます。




