中編
思っていたよりも長くなったので三部に分けます。
後半からは少しホラーテイストが強くなってしまいましたので苦手な方はご注意下さい。
『……これから私達どうなるんだろう』
なんだか憑き物が落ちたようにさっぱりしたが、しかしそうなると気になってくるのは今の状況である。
『俺はこのままずっとアコとこの世を漂うのも悪くないと思うよ』
私の右手を弄りながら呑気そうに喋る男性。
『そう、この手。この白くて小さくて最高に可愛い手を握ってみたいと何度願ったことか。わざと目の前でお冷やを溢してみたり愚かな努力もしたなぁ。結局他の店員達が物凄いで集まって来て触れられなかったけど。今はその手を触り放題! ああ、感激だ』
私の手に頬擦りしながらブツブツ呟く男性が怖い。
やっぱりストーカーで間違いなかったようだ。
『アコ、好きだよ』
これほど引いたのに、熱っぽく囁かれると気分が高揚してしまう私はやはり卑しいのだろうか。
男性に何か返事をしようとして気付いた。
この人の名前知らない。
『あの、あなたの名前……』
『そっか俺はアコのことをよく知っているけど、アコは俺のこと何も知らないよね。俺はレイジって言うんだ。是非ともレイちゃんと呼んで欲しいな』
鼻息荒く迫られ思わず身を引く。
やっぱり怖いや。
『レ、レイちゃん?』
『ああああ、なんて可愛いっ!』
全身をわなわなさせて叫ぶレイちゃん。
うーん……“レイちゃん”って、目の前の大人な男性にはあまり合ってない気がするけど。
しかし本人はかなり満足そうなのでこれでいいのだろう。
『沢山沢山夢が叶ったよ。死んでからこんなに幸せになれるなんて思いもしなかった。死んでよかった』
死んでよかったなんて幽霊ならではの台詞に思わず吹き出す。
『アコっ!』
レイちゃんは腹を抱えて笑う私を凝視していたかと思えば、突然腕に閉じ込めてきた。
ぎゅうぎゅうに抱き締められながら、その心地よさに酔いしれる。
『愛してる。ずっと一緒に居てくれ』
『うん……』
寄せられる唇に従いそっと目を閉じる。
レイちゃんとのキスは泣きたくなるぐらい甘く優しかった。
さて、そんな具合に道端で日々イチャイチャする私達。
どうせ誰にも見えないし誰にも迷惑がかからないので気にはしない。
どのくらい時間が経過しているのか分からないが、以前はかなり多くの人が私達の元へとやって来て花を添えてくれていたがそれも段々と収まってきている。
それでも寂しさなどはなく、私達は互いに癒し癒され幸せは増すばかり。
レイちゃんの言う通りずっとこのままというのも悪くない。
そんなある時、あの彼が私達の元へやって来た。
彼は神妙な顔で小さな花束を一つ地面に置く。
「大遅刻だな。ごめんアコ、待ったか?」
これまで聞いたことのないほど穏やかな声で困惑する私に語りかけてくる。
「あの日、本当のことを話そうと思ってたんだ。だが勇気が出せずに此処に来ることが出来なかった」
彼の言葉に身を固くする私の肩を、レイちゃんが抱き寄せてくれる。
「あいつとの関係も清算して、これから新たな道を二人で歩んで行きたかったなんて……今更遅すぎるよな」
本当に今更だ。
なんて身勝手な人なんだろう。
私にとって一番残酷な裏切り方をしておいて、そんな調子のいいこと真に受けるわけないのに。
また私を騙して二人で笑うつもり?
なんて酷い男。あんたなんか嫌い、大嫌い!
『アコ、大丈夫。俺がいるから』
震える私にレイちゃんが優しく囁く。
また疼きだしそうになった醜いモノが大人しくなる。
不思議、レイちゃんが居れば私は大丈夫なようだ。
彼はそれきり黙ったまま結局数時間そこに佇んでいた。
翌日から毎日小さな花束を手に私達の元へ足を運ぶ。
何気ない話をしたり、何も喋らなかったり。
始めは何の目的だと訝しく思っていたが、毎日続くと気持ちが荒れることもなくなってくる。
彼を許すことが出来る日が来るとは思わなかったが、どうやら自分はもう彼になんの感情も持っていないらしい。
レイちゃんが側に居てくれるのが大きい。
それに、昔からどんなに素敵な人でも幼馴染みの虜になった時点でそれは色褪せて見えてしまう自分の性質もあるのだろう。
あんなに苦しかった裏切りは完全に過去のものとして消化していた。
今日も彼は小さな花束を持ってやってくる。
それに何か思うこともなく、寧ろ今はレイちゃんの方が警戒して殺気立ってしまう。
いつものようにレイちゃんを宥めていると、彼の背後から声が上がった。
「ちょっと亮介!」
そこに居たのは相変わらず美しい幼馴染みだ。
「なんでこんな所にいるのよ!」
幼馴染みは彼が私達の殺害現場にいることが余程気に入らないらしく、ヒステリックに叫ぶ。
「それに別れるってどういうことよ!? まさかまだアコなんかのこと気にしてるの!? あんな子どうだっていいじゃない、もう死んだんだから!」
「やめろよ、アコの前で」
彼に私達の姿は見えていないようだが、あたかも此処に私が居るかのように青ざめる彼。
幼馴染みが馬鹿にしたように鼻で笑う。
「はぁ? 頭おかしくなっちゃったんじゃないの? いい? アコは死んだのよ、私の為に」
「アコは居る! アコはきっと今でも俺を怨みながら待っている」
え……もう怨んでないし、待ってないよ。
彼はもしや私の怨念が怖くて毎日ここへ通っていたのだろうか?
だとすると、それはとてつもなく迷惑である。
偽造だとはいえ元彼が逢いに来るなんて、しかも今の恋人の目の前で。
これを迷惑と言わずしてなんと言うだろうか。
私はただ穏やかにレイちゃんと二人で過ごしたいだけなのに。
どうにかこれを伝える方法ってないものかな?
「アコが幽霊になって襲ってくるとでも言うの? 馬鹿言わないで。あの子は元々私への害を代わりに受ける身代わり人形なのよ。その為に生きてたのだから、怨んでいるわけないでしょ」
幼馴染みの言葉に流石の彼も絶句している。
「しっかりしてよね、これから私の婚約者としてパパに会ってもらうんだから」
珍しく本性を見せているかと思えば、どうやら幼馴染みは彼に本気らしい。
「だからお前とはもう付き合えないと言っているだろ! 俺は……アコを待っているんだ」
「本当に頭おかしくなったの!?」
「おかしくない、正常だ!」
人の殺害現場で痴話喧嘩を始めた二人。
早く出て行ってくれないかと辟易としながら二人の言い争いを聞いていると、第三者が割って入った。
「これは、お嬢さん。来て下さったんですね」
若い女性に声をかけているとは思えないほど腰が低い中年の男。
そして、その妻らしき女が男の背後に佇んでいる。
『お父さん………お母さん………』
記憶よりもかなり痩せた両親。
今まで一度も此処へ来たことのない二人のいきなりの登場に驚いてしまう。
動揺して狼狽える私を抱き寄せるレイちゃん。
見上げると、大丈夫だと一つ力強く頷いてくれる。
うん、大丈夫。
「あら、おじ様おば様。お久しぶりです」
幼馴染みは咄嗟に猫を被り、綺麗な笑みを両親へ向ける。
「アコも、アコも喜びます……」
母がハンカチで目元を押さえながら涙声で言う。
「親友でしたもの、当然です。私はまだ毎日通っていますよ」
彼女が此処へ来たのは今日が初めての筈だが、相変わらず調子がいい。
呆れ返る私とレイちゃんとは裏腹に、両親は感激した様子で礼を述べている。
「お恥ずかしながら私達はどうしてもアコの死を直視出来ず、此処へ来るのは初めてなんです。今日この四十九日に漸く決心が固まり足を向けることが出来ました」
父は少し寂しくなり始めた頭を恥ずかしそうに掻く。
幼馴染みはそれに一瞬だけ白い目を向け、すぐに笑顔に戻った。
「そうだったんですか」
「はい――おや? そちら、お連れ様………あんたは」
幼馴染みの後ろの存在にやっと気付いたらしく声をかけようとし、彼の顔を見て固まった。
「………あんたのせいで娘は、アコはっ!」
停止した父を置いて、今まで儚く佇んでいた母が凄い勢いで彼の胸ぐらを掴みかかった。
両親に彼を紹介したことなんてあるはずもないが、どうやら私が彼のストーカーに殺されたと知っているらしい。
母を慌てて止めに入る父。
「申し訳ありませんっ!」
引き剥がされても尚暴れる母とそれを押さえる父に、彼は土下座で謝罪した。
母の激しさに驚いていた幼馴染みは、道端で土下座する彼にもっと驚いたらしい。
「ちょっとこんな所で止めてよみっともない!」
腕を引き立ち上がらせようと必死になるが、彼の方はまったく微動だにせず両親へ頭を下げ続ける。
その様子が気に入らない幼馴染みは両親へ向かい鋭い視線を飛ばす。
「おじ様おば様、実は彼はアコの恋人ではなくて、私の婚約者なのです」
「は?」
「以前から彼はストーカーに付きまとわれて迷惑してたので、アコが彼の恋人役を買って出てくれたんです。このままでは私にも害があるかもしれないからって」
いけしゃあしゃあと吐かれる言葉にもう何の感慨も湧かない。
彼女はこれからもこうやって自分に都合よく軌道を修正しながら生きていくのだろう。
「だから彼を責めるのはお門違いなんですよ」
「じゃ、じゃあアコはお嬢さんの身代わりに?」
震える声で問う父に幼馴染みはにこりと笑う。
「そうですよ。だっておじ様とおば様がアコにいつも言い付けてくれてたのでしょ? 私の身代わりを務めるようにって。毎回とっても役に立ってましたわ。ありがとうございます」
「ああ……私達は、なんてことを………」
「次はもっと丈夫な子がいいのですけど、おば様のご年齢だったらもう次は難しいかしら? 誰かアコの代わりを寄越して下さらない?」
「アコ……アコ……」
『お母さんっ!』
母は私の名を繰り返し呟くと、ふと力が抜けて足から崩れ落ちてしまう。
父がそれを慌てて支えると、幼馴染みと彼を憎々しげに睨み付けた。
だが視線を母へ移し、そして私達の為に飾られた花束を見て苦しそうに目を閉じる。
暫くすると両親は幼馴染みには何も言わず、覚束ない足取りで支え合うように去っていった。
『お父さんお母さん……。あの子の役に立てたんだから、絶対、喜ぶと思ったのに』
『ご両親はアコが思うよりも、きちんとアコを愛していたんだね。そして、ようやくアコの立たされた立場と自分達の身勝手さに気付いたんだと思うよ』
去り行く両親の背をレイちゃんと二人並んで見つめた。
先に逝ってごめんなさい、お父さんお母さん。
ようやく素直にそう思えるようになった。