口もとの華、きみの約束
「あれ、自分、鴨上大学ちゃう?」
イベント会場準備の日雇いアルバイトを終えて給料を貰い帰る途中、事務所の入り口でそう声をかけられた。誰だか分からず「あ、はい」と答えると、その人は続ける。
「やっぱり。俺もやねん。1回生で学部は法学部。自分は?」
「1回生で経済学部です」
「何で敬語やねん。タメやで」
「あ、うん。大学で会ったっけ?」
「いや、見かけただけや。自分は目立つねん。よく似ているからな、あの何とかっていう俳優と」
おそらくその人は、僕がよく似ていると言われている俳優のことを言った。
「そう、じゃあ、お疲れ」
僕は会話を打ち切り帰ろうとすると、その人は言った。
「なぁ、バイト代も出たし今から忘年会がてら飲みに行かへん?」
思えば、この時があの日の分岐点だったのかもしれない。
「良いよ。どこ行く?」
その人の馴れ馴れしい態度や、初対面に対していきなり飲みに誘うことも気にならなかったのか、僕はなぜか躊躇することなく、そう答えていた。
「帰りはJR?ほな、駅前の七剣伝に行こか」
それがその人、大学4年間で年に一回だけ忘年会のみで会う、松木元洋行との出会いだった。
〜毎日、私の死を彼が望んでいます。だから私はその通りに〜
「ねえ、知ってる?甲斐さんの遺書に書いてあった言葉。誰かが自分が死ぬのを望んでいるって」
「うん。聞いた、びっくりしたよ。骨折明けで仕事復帰することは事務所と話していたんだって」
「え、何で復帰することを決めていたのに、あんな、ねぇ、自殺なんて」
「鬱だったんじゃない?」
「いや、骨折で鬱になるの?」
「なるわよ。ほら宇崎さんの旦那さん、転倒して腕を骨折したじゃない、それで鬱になっちゃって。退職したんだって」
相変わらずババァ共が他人の下らない噂で盛り上がっている。願いは叶ったが、僕は神様を信じてはいない。何故、そんな僕の願いが叶えられたのかは分からない。そもそも甲斐の自殺に僕には関係ないはずだ。確かに僕は三年間、甲斐の死を願っていた。だけど、願っていただけだ。
「年に一回、忘年会で飲まへん?来年は自分が幹事してや」
「アハハハ、良いよ。じゃあ来年は幹事するから連絡先を教えてよ」
「ええで。これが連絡先」
松木元くんはそう言って、携帯電話の画面で自分の携帯番号とメールアドレスを見せる。僕はそのアドレス先に僕の携帯番号をメールする。
「はい、了解。来年の忘年会幹事、宜しくな」
「学部は違うけど、大学で会うかもしれないね」
「いや、俺、全然大学に行ってないねん。だから多分、会わんわ」
「そうなんだ。バイト三昧?」
「まぁ、色々あんねん」
何か言いにくい話題だったのかもしれない。そう思って無理に聞かなかった。もし唯一会えた忘年会のたびに無理にでも聞いていたら、あの言葉の真偽が分かったのかもしれない。
僕たちはお互いのファンであるプロ野球のチームの話、お互いの彼女の話などをする。
そして、再び松木元くんと会ったのは、一年後の忘年会だった。
「今年もお疲れ、乾杯」
僕の音頭で二人だけの忘年会が始まる。
「いや本当に大学で会わなかったから、一年振りだね」
「せやな。メールきたとき嬉しかったわ。忘れてなかったんやと思って」
「僕もどうしようかなって。本当に会わなかったし、忘れているかもしれないし。その場のノリだったかもしれないと思って」
「なんでやねん、忘れるか」
僕たちはそう言いながら笑った。僕は他の友達ともよく飲みに行っていたが、こんな訳の分からない飲み会もいいなと思った。だから忘年会以外で会おうという連絡もしなかった。もちろん大学で会えば話すけど挨拶程度だと思う。僕たちはお互いのファンであるプロ野球のチームの話、お互いの別れた彼女の話などをする。僕は松木元くんに来年の幹事を頼んで、この年の忘年会は終わった。
「はい、今年もお疲れ、乾杯」
松木元くんの音頭で二人だけの忘年会が始まる。
「いよいよ就職活動に卒論か、大変やな」
「いやいや、松木元くんもそうだろう」
「いや俺は卒業はするけど、就職はせんわ」
「え、どうすんの、何かやりたいことあるの?」
「いや、特にやりたいことはないわ。せやけど就職はせえへん。まぁ、色々あんねん」
「そうなんだ。まぁ、色々あるよね」
やはり年に一回しか会わず、あまり踏み込んだ話はしないことは分かっていたので、僕はそれで進路の話は終えた。僕たちはお互いのファンであるプロ野球のチームの話、お互いの出来た彼女の話などをする。僕は松木元くんに来年の忘年会の幹事を頼まれて、この年の忘年会は終わった。
「お疲れ、乾杯」
僕の音頭で二人だけの最後の忘年会が始まる。
「めでたいな。自分は就職も決まって」
「松木元くんも卒業おめでとう」
「何とかな。出席は出来ないから、出欠とらないレポート重視の講義でな」
「それも凄いよ」
「今までありがとな。楽しかったわ、本当に」
「今日で最後か。こっちこそ、ありがとう」
そんな話をしながらも、僕たちはお互いのファンであるプロ野球のチームの話、お互いの別れた彼女の話などをする。
「なんかやべぇ」
忘年会を終えて店を出ると、松木元くんはフラフラになりながらそう言って路地裏に行き、川に向けて嘔吐した。
「出して出して、無理にためずに」
心配でついていった僕は松木元くんの背中をさすりながら笑う。
「おぅうわ、げぇええ、アハハハ」
松木元くんは嘔吐しながら笑う。
「ありがとな。自分のおかげでホンマに楽しかったわ。自分はエエやつやから願いを叶えてやるわ。ひたすら願うそれを俺がな」
全部出しきり四つ這いになりながら、松木元くんは笑顔で言う。
「アハハハ、ありがとう」
僕はそう答え、自動販売機で水を買い松木元くんに渡す。
「ありがと。もう大丈夫やで行ってや。元気でな、頑張ってな」
「うん。松木元くんも元気でね」
それから20年が経ったが、松木元洋行と会うことはなかった。
死をもって償うべきなのだ。
三年前のあの日から、僕は毎日起きるたびに甲斐の死を願った。当然、口に出すこともなく、何かに記録や記載して残すこともなかった。そもそも人の悪口を言わないと周囲から評価されている。間違っても、遺書に書かれていた“彼”が僕とは結び付かないはずだ。
何より僕は三年間、願っただけだ。
ねぇ、松木元くん、叶えてくれる願いは一回だけなのかなぁ。
そんなことを思っていると、ババァ共が僕に首を吊った甲斐の話を振ってきた。
「すごく驚きました。本当に残念です。何があったのでしょうか?」
僕は神妙な顔をして答える。