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Bitter Sweet Candy  作者: りん
2/13

【1】①

 入学式後の、学部・学科ごとに分かれてのガイダンス。

 翼が指定された講義室に入ると、前方の黒板に指示の書かれた用紙が貼ってあった。

 学籍番号順に、三人掛けの座席の中央を開けた両端に一人ずつ着席するように、との記載がある。

 高校までは縦一列だったが、ここでは少し違うらしい。机と椅子が一人分ずつ独立していないからだろうか。


 用紙の座席図では、一列目に一番と二番、二列目に三番と四番。最後列まで行くと、隣の並びの最前列からまた順になっていた。

 自分の番号に割り振られた座席に向かう。

 翼はすでに着席していた同じ卓の女子学生に会釈して、中央の椅子の空いた半分に荷物を置き腰を下ろした。


 座っているので詳しくは不明だが、彼女は少なくとも小柄には見えなかった。

 百六十五センチに届かない翼とさほど変わらないか、もしかしたらさらに長身かもしれない。

 緩くウェーヴの掛かった、肩より少し長い髪。漆黒ではないが、染めているのか地毛なのかは微妙な色合いだ。

 翼自身が全体に色素が薄めで瞳も茶色い。髪も明らかに黒ではないので、「そうは見えない」地毛があるのはよくわかっている。


 席につくとき自然に目に入った限りでも、驚くほど端正な顔立ち。隣の席からちらりと目を走らせて、ここまで横顔が美しい人もそうは居ないだろうと感嘆さえ覚える。

 翼はイラストを描くのが好きで、ついいろいろなものを「絵にする」前提で見てしまう癖があるのだ。

 本格的にデッサンさえしたことがない、単なる趣味のお絵描きに過ぎないのだが。


「え!? うわ、噓ぉ……」

 絶望感の漂う呟きに、翼はふと右側に目線を向けた。

 もともと各々の机上に置かれていたプリントの一枚の上端に、ボールペンでぐるぐる小さな円を描いている彼女の引きつった表情。どうやらインクが出なくて焦っているようだ。

 この様子では一本きりで予備もないのだろう。

 今日は式で服装も鞄類も普段とは違うため、筆記具も最低限しか持っていない学生も居るのかもしれない。


「あの、よかったらこれ使う?」

「あ、ありがと。助かる」

 囁いて翼が机の上に滑らせたボールペンを、女子学生は恐縮しながら受け取った。

 ガイダンスが終了して、解散が告げられた。


「ありがとう! えっと」

 改めて礼を言いながら、彼女が貸したボールペンを両手で丁寧に返して来る。


「小泉。小泉 翼だよ」

「……つばさ?」

 訝しげな声に、翼は顔には出さずに落胆した。


『へー、可愛い名前だな』

 ほぼ男の場合だが、語尾につけられた『(笑)』が透けて見えるのだ。しかし、女子の場合はまずそういうことはなかったのに。

 見た目に似合ったこの名に対しての、良からぬ反応には慣れ切っていた。とはいえ何度直面しても決して嬉しいものではない。

 しかし、続く彼女の言動は翼の予想を裏切るものだった。

 

「ねぇ、小泉くん? つばさって鳥の翼の、あの字?」

「そう、だけど」

「あたしの名前、みわって言うの」

 返し掛けたペンを再度握り直して、裏返したプリントに何やら書き殴っている彼女。


「ほら、これ!」

 差し出された紙には、『小林(こばやし) 美羽(みわ)』の文字。 


「美羽、──(はね)。そっか、僕と同じ……」

「そう! きっとさ、同じような願いが込められてるんだよ。名づけに」


『未来に羽ばたくには「翼」が要るでしょ? お父さんとお母さんからの最初の贈り物よ。もう少し大きくなったら上手に書けるようになるわ』

 子どもの頃、画数が多く書き難いこの名に苦労していた。

 常用漢字ではあるが小学校では習わない難しい字に、つい愚痴を零した翼への母の言葉。

 四年生の時、突然の事故でこの世を去った母からの、一番最初で一番大切なプレゼント。

 誰になんと思われようと、たとえ陰日向に嘲笑されようと、翼は己の名が好きで気に入っているのだ。


「……未来に羽ばたくための翼なんだってさ」

 つい口にした翼に、美羽が嬉しそうな笑みを向けて来た。


「やっぱ同じだ。あたしもそうなの! でも『翼』じゃ男っぽいし、女の子だから『()』も大事ってことで美羽なんだって。でも実はあたし、『翼』でもよかったんだよね〜。中性的でカッコいいじゃん?」

「男、っぽい? 僕、よく『女みたいな名前』って言われたけど」

 散々ぶつけられた、忘れられない言葉たち。

 彼女が口にした正反対の内容に、思わず声が漏れた。


「えー。そっちがヘンだよ! そりゃ男女共に使える名前だけど、あたしのイメージはどっちかって言うと男かなぁ。いや、女にはおかしいって意味じゃなくてね。──ホラ『ボールが友達』だっけ? あったでしょ、そういうアニメ」

「ああ、なんか古い奴……」

 おそらく親世代の作品でさすがに観たことはなかったが、知識としては持っている。


「古くても知ってるんじゃない! そんだけ有名ってことじゃないの?」

「……確かにね」

 美羽の言う通りだ。

 実際には観たこともなく世代もまったく違う自分でさえ、タイトルにもなっている主人公の名もビジュアルも、一応は知っているのだから。


「あ、そうだ! ねー、小泉くん、キャンディ食べる? 甘いもの嫌いじゃない?」

 ふと思いついたように、彼女がいかにもなビジネス風のバッグから取り出したカラフルなパッケージ。


「好きだけど。いいの? てかいつも持ってんの? 今日、鞄替えてるでしょ?」

 ボールペン一本しか持たずに来たのに飴はあるんだ、とまではさすがに自重した。

 

「うん。これ、結構美味しいんだ。夏でもベタつかないから、バッグに放り込んどくのにちょうどいいんだよね。あたしだけかな、頭使うと甘いもの欲しくなるの」

 話しながら、袋から個包装をいくつか取り出した美羽が「はい!」と渡して来たピンクがかった赤いキャンディ。

 親指の先より大きめで、色と形からもイチゴ味らしい。


「ありがとう。……それ本能じゃないの? 脳が糖分欲してるんだよ」

 せっかくなので、受け取ったキャンディの透明な包装を破って口に放り込む。

 久しぶりに味わった、舌の上で少しずつ溶けて広がる甘み。父と二人の男所帯では、菓子を買うにもまず飴は選ばないからだ。


「ホントに美味しいね。甘いんだけど、ヘンに甘過ぎないっていうか」

「あ、よかった。あたしこのイチゴ味が好きなんだよね〜。まあ、これ果汁入ってないけど」

 第一印象では気品のある、……悪く言えば高慢な雰囲気を醸し出していた美羽。

 話してみればまるで違うのはすぐに判明したわけだが、翼は勝手なイメージを抱いてしまったことを密かに反省する。

 外見で一方的に判断される不快さを、誰よりも知っている筈なのに。


 自分が特別頑迷だとは思わないものの、翼は他人と打ち解けるのに時間か掛かる。あるいは表面上は取り繕っても心の距離は結局遠いまま、という状況も珍しくはなかった。

 毎日、同じ教室で過ごした顔ぶれも変わらないクラスメイトとさえも。

 新しい環境に臨んだ初日から、同級生と気負わず会話することができた。

 それ自体が幸先のいいスタートを暗示しているようで、大学生活への期待も膨らむ気がする。


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