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Bitter Sweet Candy  作者: りん
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【7】③

 曇りのない、明るい笑みを浮かべる翼。

 その潤んだ瞳に、慶尚は恥を忍んで切り出した。彼と一歩踏み出せない理由の一端。


「翼、俺さ。俺、……経験ないんだ」

「なんの?」

「──セックス」

 決死の覚悟で吐露した慶尚に、目の前の恋人は拍子抜けした様子を隠そうともしなかった。


「なーんだ、そんなこと。僕もないよ」

「え? ……え!?」

 この綺麗で可愛い翼が、しかも慶尚に対してあれほど積極的だった彼が。

 俄かには信じられず二の句が継げない。


「当たり前じゃん。僕『そういう』意味で好きになったの、よっくんが初めてだもん」

「そ、そう、なのか?」

 初耳だった。てっきり慣れているのだろうと信じていたから。


「僕ね、今まで誰かを『恋愛』の意味で好きになったことなかったかな、って」

 さっきまでとはおそらく違う意味で、彼は慶尚から視線を外す。

 そして普段通りに淡々と語り出した。


「友達は女の子の方が多いけど、惹かれるのは必ず男で……。だから僕はそう(・・)なのかな、とは思ってたんだ」

 確かに、サークルでも翼はどちらかというと女子と一緒にいることが多かった。

 無論、男とは口もきかない、目も合わせない、というわけではまったくなく。


「でもカッコいいな、とか感じいい人だな、とかそんなとこで止まってて。『付き合いたい』とも『抱かれたい』とも考えたことなかった。──もしかしたら、無意識に自分を抑えてたのかもしれないなぁ」

 不意に俯き加減だった顔を上げて目線を合わせて来た彼に、あなたが初めてだったんだよ、と言外に訴えられた気がする。


「たとえばさ、女の子の裸の写真とか見ても、──自分の意志じゃなくても、男同士のコミュニティで見せられることってあるじゃん?」

「あー、まあ。……よくあるな」

「好みも一応あるけど、造形的に綺麗だとは普通に思うんだよ。僕は絵を描くから、『この胸からお腹とか、ウエストの滑らかなライン、どうやったら表現できるかな』とかも。でもそれだけ。やらしい気分になったことなんか一回もない」

 また伏し目がちになった翼が感情を込めずに話すのを、慶尚は黙って聞いていた。

 今の彼に掛ける言葉は、慶尚にはない。


「だからって、男の裸でそーいう気分になるかっていうとそれもなかったんだ」

「そ、──」

 俺は、お前に反応してたよ。確かに。喉元まで出かけた言葉を咄嗟に飲み込んだ。

 そうだ。とっくに状況は整っていた。あとは慶尚の気持ちひとつだった、のだろう。


「僕は同性愛者(ゲイ)だと思う。だけどよっくんはたぶん違うよね。女の子とも付き合ってたみたいだし、今だって女の子がダメだなんて思ってないでしょ?」

「……まあ二人ほど付き合ったことはある、けど」

 咎める風ではなくさらっと尋ねる翼に、慶尚は一瞬迷って、──正直に打ち明けることにした。


「これ訊いていいのかわかんないし、答えたくなかったら無理しなくていいからね。……付き合ってたのに、しなかったの?」

「そこまで行きつかないんだよ。最初のデートの途中からなんかぎこちなくなって、そのままバイバイとかな」

 不快でも何でもない質問なのであっさり返す。


 今にして思えば、付き合いが短過ぎて傷も浅いのだ。

 そもそも当時はともかく、今は相手に特別な感情も一切ない。プラスもマイナスも。

 失礼極まりないが、顔も名前も曖昧なほどだった。


「よくさ、『もっと面白い人かと思ってたのに意外とつまんない』とか言われて上手く行かないって話あるだろ? 俺はそれはないんだよな」

「そーだね。よっくん、僕と二人で過ごしてて盛り上げる必要なんかないのに、いつも通りよく喋るもんね」

 口調にも特に含みは感じないので、それについても安心する。

 もともと慶尚は、自分でも無口だとは思ってもいない。

 しかし「口を閉じていられない」というほどではなく、ただ沈黙が怖いのだ。

 気まずい空気を味わうくらいなら、のべつ幕なしに喋っていた方が楽だからに過ぎなかった。話すことが苦手でもないのだからなおさらだ。

 おそらくサービス精神旺盛なのだと感じている人間も多いのではないか。そんな殊勝なものではないのだが。

 翼といる時についつい口数が多くなるのは、それに加えて慶尚が他に恋人を楽しませる術を思いつかないからに尽きる。


「俺の場合は、『落ち着いてて頼れそうだと思ったのにガッカリ』って振られる。そういう関係に進む前に。そりゃまあ、二人きりになったら俺が頼りないのなんかすぐわかるよな」

「……あの、よっくん。今までどういう人と付き合ってたの?」

 一応、遠慮がちに訊いて来た翼。


「いや、具体的に誰とか説明要らないけど。友達でもサークル仲間でも、ちょっと一緒にいたらよっくんが『落ち着いて頼り甲斐ある』人だとは思わないんじゃない? まさかナンパじゃないだろうし、逆に気になるよ」 

 しれっと結構厳しいことを言われている気もするが、何ひとつ間違ってはいないので文句をつける気にはならなかった。


「うーん、高校んとき委員会で一緒だった後輩と、あと前のバイト先の新人の子。──そういえば、俺が教える立場っていうか、そう勘違いさせそうな状況だったのかな」

 改めて考えてみて、初めて気づく。

 彼女たちにとっては、『自分を助けてくれる、優しくて頼りになる長身でカッコイイ先輩』がスタートだったのだ。

 逆に向こうこそ裏切られたような気になっても無理はない、のかもしれない。


「ねぇ、話戻すけどさ。入れる、っていうか『ホントのセックス』しなきゃいけないってわけじゃなくない? よっくんがその気ないんなら、別に今のままでいいじゃん。僕は構わないよ」

 唐突に気負いなく口にする翼は、本心からそう思っているのだろう。

 本当にそれでいいのだろうか。

 しかし、ここで安易に「できる。しよう」と言って、実際に叶わなかったら。


 ──真に傷つくのは慶尚ではなく翼の方だ。


 恋は甘くて幸せなだけのものだと、ただ夢見ていた頃もある。

 幼い頃頬張った飴玉(キャンディ)が、口内で転がしている間は甘いままだったように。

 余計なことに気を取られずにただそう信じられた無邪気な時代は、苦い想いも味わった現実を経て遠い記憶の彼方に霞む。

 結局その場では正解を導き出せないまま、慶尚は翼の座るベッドに乗り上げた。


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