たくくんの夢~つながる昔と残された今~
それは「たくくん」が話してくれた、夢の中でのことでした。
午後の学校の授業で、さくのじょう先生がみんなに告げたのです。「今日、見た夢のことを作文にしてみよう」と。
夢。
さくのじょう先生はこの夢について語るのが好きらしく、時間を見つけては私たちに話をしてくれます。
ついこの間の話題は、「君は色のついた夢を見るか?」でした。
先生は、昔の人が見る夢はほとんど白黒であったのが、最近になって色がついてきたと話します。
これにはカラーテレビの普及が関わっているとされ、日々、画面を通しても色に囲まれる私たちは、夢の中を色づかせることができているのだと。
昔の夢は白黒で、今の夢は色とりどり。けれど夢には違いない、と。
いざ夢を文におこそうとしてみると、難しいものです。
それが今朝のことであっても、なんとなく「嫌だったな」「楽しかったな」といった、ぼんやりしたものしか思い出せないのですから。
授業の終わりが近くなり、ひとりひとりが発表していくのですが、どれも私と大差ない数行で終わってしまう味気ないもの。
そこに入り込んできた、たく君の長い作文はひときわ目立つものだったのです。
彼が語る夢は、自分がだだっ広い砂浜に寝転んでいるところから始まったといいます。
照りつける太陽、抜けるような青い空、その空よりなお深い蒼をたたえる波打ち……。
それが夢だとは、たくくんも分からなかったらしいのです。
立ち上がって見渡しても、どこにも建物の姿などありません。人の姿もありません。海さえなければ、砂漠かもと思っていたかもしれなかったとか。
――ひとまず、この海ぞいを歩けば誰かと会えるかもしれない。
夢の中でそう考え、彼は海の波にさらわれないギリギリの位置を保ち、とぼとぼと歩き出したそうなのです。
いくらもいかないうちに、彼は波を何度も被りながら、砂の中にうずまっているものを見つけます。
ハンバーガーでした。
半分以上が砂に埋もれながら、そのパンズとそこに挟まるパティとベーコン、そして厚切りの卵。
それは少し前に食べそびれてしまった期間限定のハンバーガーの中身、そのままだったといいます。
思わず歩み寄ろうとしたところで、ザザっと音を立てて、波が先ほどより深く入り込んできました。
つい何歩か逃げ出してしまい、振り返ったときにはもう、あのハンバーガーの姿はなかったのだとか。
いぶかしく思いながらも、彼は引き続き歩いていきます。
いくらか進むたび、彼の前には横たわるものが現れました。
やぶいてしまって、お父さんに怒られた本がありました。
壊れてしまって捨てられた、テレビゲームたちがありました。
ずっと前に飼っていた犬と、同じ尾っぽのみが、砂に突き立っていることもありました。
それが彼の近づくたび、深く入り込む波に覆われて、引いていくときにはすっかりなくなってしまっているのです。
届きそうではある。けれども、決して届かせてはくれない。
そのようないじわるをされている気がしてならなかったとか。
そこから先も、いくつか漂流しているものはありました。
それらも、もう使っていた記憶すら定かでないほにゅう瓶を最後にとぎれ、なお浜を彼は歩いていくのですが、やがて気がつきました。
真っすぐ伸びる砂浜の、ずっと向こう。ゴマ粒ほどの黒い点が視界に浮かんでいるのを。
ゴマは揺れています。それだけでなく、少しずつ大きくなってくる気配さえありました。
近づいてきている。
そう感じた矢先に、彼の目の前が一変しました。
白黒になっていくのです。
浜も、空も、太陽も。こうしてしきりに波を打ち付けていく海も。
かなたに落としたインクのにじみが、たちまち広がっていくように、どっとすべてを塗り替えながら彼に迫り、そして追い越していきます。
つい振り返った景色の先も、たちまち白黒へ置き換わってしまいました。
あぜんとする彼の肩に、ふと「ぽん」と手を乗せられる感覚があったのです。
向き直ったときには、自分の真ん前に真っ黒な人が立っていたのだとか。
彼とほぼ同じ背の高さでありながら、その手足、胴体、顔と頭に至るまで、墨汁で染め上げたような影は、はっきりとした声で彼に告げたのです。
「おまえが、たく」と。
作文を読み終えた彼に、拍手を送るのはさくのじょう先生のみでした。
同時に、チャイムが鳴ります。
このあと、掃除の時間に入りますが、さくのじょう先生はみんなにおのおの掃除をするよう指示を出し、たくくんを連れ立って、二人で教室を出て行ってしまったのです。
――いえ、たくくんではありません。
彼は「おさむくん」なのです。
何十、何百日も、少なくとも昨日まで一緒に過ごしていた彼は、「おさむ」を名乗っていたのです。
しかし、それが今日になっていきなり「たく」を名乗り出し、「たくくん」と呼ばないと、殴ってくるのも辞さないくらい不機嫌になっていたのでした。
おふざけか、マンガとかのなりきりかと、この時まではみんな思っていたのです。
けれども、あの読み上げた作文の内容が本当だったら……と、考えたらおだやかではいられません。
結局、「たくくん」という名のおさむくんは、それから数日の欠席ののち、転校していってしまいました。
そしてさくのじょう先生も、一身上の都合により、学期の途中で担任を辞めてしまい、代わりの先生が来られるようになりました。
後で知ったのですが、さくのじょう先生も本当は「まさはる」という名前だったのです。
それが自己紹介のときから、ずっと「さくのじょう」で通し、私たちにもそう呼ばせていたのでした。
昔の夢は白黒で、今の夢は色とりどり。けれど夢には違いない。
そこで「おさむくん」も「まさはる先生」も、昔と一緒になりながら、夢になってしまったんじゃないか。
私はいまでも、そう思うのです。