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土曜日と日曜日は、ペアレントも現れないし、それから、カトリーナに電話も掛けてこないし、ちょっと寂しかったけれど、それぐらいじゃ、ねずみが暴れることもなくって、ごく平穏で、だから、そういう時間って、すぐに過ぎ去ってしまうものだ。

 気づけば月曜の朝がやってきて、目を覚ましたわたしは、身支度をして、それから、いそいそと制服を着こんでいる。ハンガーにかかった、ブレザーに目をくれる気にならないほどに外の世界は眩しかった。それから、玄関を出て、太陽の熱射光を浴びて、見た目通りに暑すぎて、眉間にしわが寄って、それで我に返った。

 何をわたしは、当たり前のような顔をして、登校しようとしているのだろう。よりにもよってこんな風に、外にいれば、五分と掛からず、ミイラになっちゃいそうな日にさ。

そりゃ、くーちゃんは約束通り、わたしのいる教室を覗きに来てくれるのかもしれないけれど。でも、あんなところ行ったって、わたしには得るものなんてありはしないんだ。大人になる前に消えてしまうに違いないわたし自身には、高等教育なんて、絶対に役に立つことはないし、焦らなくたって、どうせ今夜には、嫌でもくーちゃんと顔を合わせることになるんだから。

 けれど、今さらに、出てきたばかりの家に引き返す気にもなれなくって、だって、どうせ暇なんだし、それからたぶん、一度外へ出たら、当分は帰れないって、身体に染みついちゃってるんだよね。今は朝なのにさ。

そう言う訳でわたしは自転車を漕ぎ始めている。向かう先は、わたしの家から、坂を下るだけでいいところ。そこはわたしの唯一の行く当てだった。

 暑いなぁ。アスファルトで舗装された道路と、青い空と、はるか遠くに見える山影と、さっき下ってきたばかりの坂。この街の中で珍しく平地になったこの通りには、建物はぜんぜんなくって、けれど、ぽつんと屋根が平らな建物があって、建てられたのは、たった数年前のくせに、外観はなぜか色褪せたみたいに、中世に建てられたお城みたいな雰囲気に灰色にくすんでいて、駐車場も狭くって、入り口には風が吹いたら、倒れてしまいそうな、白く縁どられた立札の看板がある。

喫茶るす。

その立札には、いくつかのメニューと、コーヒーカップと、帽子をかぶった女の人がモノクロに描かれているんだけど、疑いようもなく、そのモデルはカトリーナなんだろうな。

わたしが、入口のドアを押すと、ベルが鳴って、店内にはクラシックが流れていて、この曲はたまにカトリーナが鼻歌で歌っているやつで、天井のランプは辺りを橙色の暖かな光に照らしていて、100年以上前から存在していたような古臭いデザインの丸テーブルがいくつかあって、椅子やソファはすべてブラウンに統一されていて、それから、一番奥の壁は殆どガラス張りになっていて、その木枠や薄いレースのカーテンもどこか使い込まれたような気配があって。

きっとぜんぶはカトリーナの好みなんだろうな。けれども、べつにここはカトリーナの店じゃあなくって、代わりにいるのはエイクラで、だってここはあのおっさんが店主を営む喫茶店だからさ。

いくらカトリーナでも、ここまで、露骨に自分好みに染められたお店を立ち上げられたら、嬉しさより、気恥ずかしさが勝るんじゃないかな。わたしは、エイクラのおっさんって、あの顔で、あの強面で、愛に生きてたりするんだなぁって、重い愛情表現だなぁって、他人事ながらちょっとくすぐったくも思うけど、でも少しだけ羨ましいとも感じちゃうんだよね。カトリーナって、ほんと性悪なのにさ。いいなぁって。

まぁ、とうぜんあのおっさんから直接聞いたわけでもなし、ぜんぶわたしが勝手に思っているだけのことで、実際のところは分かりはしないけどさ。

エイクラは、店内に入ったわたしの顔を見て、やっぱり、いつも通りに、どんな表情も浮かべずに、ていうか、いらっしゃいませか、そうでなくても、おはよう、ぐらいは店主としてじゃなくても、人として、言うべきだと思うんだけど、口をいっさい動かずに、どころか会釈さえしなかった。

わたし以外の客が店の奥に二人いた。それ以外にはいなくって、ここはいつもこんな風にがらがらで、とても繁盛しているように思えないのは、こんな風に店主の愛想が悪すぎるのも決して無関係ではないと思う。

カウンターの席に座る。わたしだって、仏頂面でエイクラを睨みつけてやる。そのうちに、コーヒーカップがテーブルに置かれて、それから、一枚の便箋が添えられる。便箋の右隅には、ひよこが座っているイラストがあって、迂闊にもちょっと可愛いなってわたしは思って、それから、タイピングしたんだろうかと見まがうほどに、整った楷書体で、こんな風にしたためてある。

“やりすぎました。ごめんなさい。でも、また次もします。おわびにコーヒーと、あとは好きなものどうぞ   カトリーナ”

 わたしは頬杖をついて、しばらく、その文字列を眺めていた。

ほんとうにさ、カトリーナは厄介な性分なんだよな。下手すればわたしと同じくらいにはさ。

思えば思うほど、やりきれなくなって、毎度毎度、この店に訪れるたびに見せられる恒例の謝罪文は、どうもほんとうにあいつの本心らしいんだよな、わたしを発狂させるたび、後悔してるらしいんだよな。まったくさ、カトリーナはペアレントに喰われちまった方が、幸せになれるんじゃないかって、どうしても思ってしまう。

だって辛いだろ。カトリーナって、きっと世界の誰とも本心じゃあ語り合えないんだ。こんな風にお手紙でも書かない限りはさ。

 なんて、はたから見たら、全員同じなんだろうけどな。カトリーナも、エイクラも、わたしも、それから、くーちゃんだってさ。いまの性格じゃないほうが、ごく平凡な性格のほうが幸せになれるに決まっているんだ。

「じゃあ、プリンアラモード」

 ため息みたいに、わたしは言う。

「悪い。切らしている」

 エイクラのおっさんは相変わらず、仏頂面でさ。まったく、ぜんぜん冗談が通じないんだよね。なぁ、わたしがこの店に来たのも、カトリーナに奢られるのも、もう何度目か分かりはしない。この店の代わり映えのしないメニューぐらい、プリンさえ提供しないようなしけた喫茶店だってこと、よっぽど馬鹿じゃなきゃ、憶えちゃうって、だいたいさ、朝からそんな風に甘ったるいもの食べてられるかよ。

「じゃあ、いらない」わたしが言うと、「ああ、そうか」ってさして残念そうでなく、エイクラは頷いていて、

「くーちゃんは、カトリーナに、ずいぶんと気に入られたようだった」

 そんなことを言うんだ。わたしは、舌打ちをする。ちっ、癖になってるだけでさ、べつに特に怒っているわけでもなかったね。

「なぁ、くーちゃんとか気安く言うなよ。それで、わたしが絶叫したの見てなかったか?」

「ならどう呼べばいい?他の呼び名を俺は知らないが」

「知らねぇよ」

って、わたしは我ながら、わがままを言っているけど。それであのエイクラの落ちくぼんだ瞳が揺らぐことなんて有り得なくって、エイクラがどう考えているかなんてまったく分かりはしなくって。

エイクラの目の下には褐色の肌からでもよくわかるほどに、酷いくまがある。だってこいつ、夜は寝られず、この喫茶店だって、客もろくに来ないくせに、まるで自分に罰でも与えるみたいに、毎朝7時から営業しているんだ。そりゃあ、そうなるだろ。

「例によって、あいつに好かれるようなやつは、数日では消えないだろうから、長い付き合いになるんだろうな」

ふぅんってわたしは頷いた。まぁ、長生きしてくれるに越したことはないからさ。悪いニュースではなかったよ。

「まぁ、そのうちに、くーちゃんをここに連れてこい」

 エイクラは、何時までもぼーっとしているわたしに、だって、わたしには他に行く当てがないんだから、当分は、夕方の暑さがましになる時間くらいまでは、ここに居ようと思っていたから、わたしは頬杖をついて、そっぽを向いて無視をしていたんだけど、わたしの視界に、もう一枚便箋が差し出された。

“くーちゃんへ、この前はごめんなさい。なんでも好きなもの食べて下さい。また、やると思います  カトリーナ”

 だってさ。わたしは頭を掻く。ほんとうにカトリーナは、つーか、くーちゃんも平気な顔してたけど、金曜の夜はひと悶着あったんだろうな。どんなやり取りがあったかなんて、ちっとも興味ないけどさ。

「なぁ、これ、ほんとうはエイクラのおっさんが書いてるんじゃないんだよな」

「まさか、どう見たって、あいつの字だろう?」

 知るかよ。知らねぇけど。さぁ、そうかもなって、わたしは思う。あいつらしく、隙もなく整いすぎてる、嫌みったらしい文字だしな。

 エイクラのおっさんはその後には何にも喋らなくなって、わたしは、退屈だったから、つい適当なことを口にした。

「ねぇ、おっさんとカトリーナ、二人きりの時って、会話はやっぱり筆談なの?あんなの恋人って心が持たないし、普通に喋ってたら毎日喧嘩になっちゃうだろ?」

 エイクラは、答えない。だからさ、真に受けるなよ。冗談なんだって、そんな風に黙りこくらなくっても、くだらない質問だってことぐらい分かってるよ。

そもそもの話、お前とカトリーナがどんな関係かなんて、おっさんと性悪のロマンスだなんて、聞きたい奴がいるはずもないじゃんか。

 

 たぶん、普通の生活を営む人間が、どれだけ日々を充実させていたって、月曜の朝を忌み嫌ってしまうように、地球が逆回転を初めて、ついでに曜日の順番も逆向きにでもならない限りは、わたしが月曜の夜を好きになる日は、きっと永遠に訪れないのだろう。

 もうすぐ0時になろうとしている。今夜はまだ、あの脳みそをかき回される気分にはなっていない。まだ部屋でじっとしていることができる。けど、待ち構えている時間は、あの瞬間よりもずっと憂鬱なんだよね。

 だから、たまには最初から外に出ていようと思った。身体の制御が利かなくなる瞬間を待つよりも、くーちゃんを待っている方がずっといいからさ。

それでね、自分の意思で身体を操っても、やっぱり、自然とブレザーは着てしまうみたいだった。暑いのにね。初めて気が付いたな、今まで自分から外に出たことって、一度もなかったからさ。

 それから、わたしは、ちょっと歩いて、くーちゃんの家の前で、ふぅって息を吐いて、今日もまた夜空を見上げた。

どうも今夜は曇っているらしいのだけど、空を見上げても、それに気づくのに時間が必要なのは、夜だからで、それからこの街にはもとから殆ど星なんか出ないからで、つまり、曇りでも晴れでも、月とせいぜい二等星ぐらいまでの星が見えなくなるくらいで、あんまり眺めは変わらないんだよね。

それでも、この街の夜が余計にもの寂しくなってしまった気がして、くーちゃんの顔が早く見たいって素直に思ったね。やっぱりさ。わたしは一人で過ごす夜が苦手なんだよね。寂しくって、誰がどんな風にだって構わないから、喋りかけて欲しくなってしまうんだ。

 そうやってわたしが、忙しなく前髪を触ったり、首筋を触ったりしている間に、随分と時間が経っていて、あの分からず屋は、ぜんぜん家から出てこなくって、そのうちにペアレントが出現したことが分かって、それからどれだけやせ我慢したって、耐えきれないはずの時間が経って、おかしいなって、首を傾げた後に、わたしはようやく状況を理解したのだ。

 エイクラのおっさんは、無意味な言葉を喋ったりしないんだよね。だからさ。今朝の会話は、今思えば不自然だったんだよな。そのうち、くーちゃんを連れてこい、だとか、気に入られていた、だとか、何気なく見せてくれた便箋だとか、ぜんぜん無駄口としか思えなかったし、意味のない行動だっただろ。

 だってさ、そんなのは、わざわざわたしに言う必要のないことだったんだ。わたしたちは金曜日には毎週会う約束をしていて、その時に自分で伝えればいいんだからさ。あれは、くーちゃんをその前に、あそこへ連れていく必要があるって意味だったんだ。

「ああ、そっか。今夜くーちゃんを苛めるつもりなんだ。で、その後にあんな感じに手紙を見せるつもりなんだ」

 って、一人で呟く。我ながら間抜けだったな。力が抜けちゃって、わたしは、はしたなくアスファルトにそのまま腰を下ろして、ため息をつく。

くーちゃんは、昼間か夕方、きっとどこかで攫われたんだろうな。まぁ、あいつを連れ去ることなんて簡単だろ。小学生みたいに、飴玉一つでもついて行っちゃうんじゃないかな。それでさ、カトリーナは容赦しないだろうし、くーちゃんが馬鹿みたいに、呑気でいられるのは、きっと今日までなんだろう。

 いいけどさ。わたしの絶叫を心の奥底では楽しんでいるに違いないくーちゃんだって、そろそろしっぺ返しを食らったっていい頃だろうし。

 そんな風に考えているのは、わたしの上っ面だけで、その思考は自分自身をちっとも騙せていなくって、指は勝手に動いている。スマートフォン。わたしの着信履歴。液晶画面のどの部分に触れても、かかる場所は同じだった。

 二回だけ、コールして、それから、

「どうかしたの?日浦」

 って、いつも通りに、胡散臭い、きれいな声に出迎えられた。ああ、わたし、この性悪女に電話かけてたんだ。それでようやく正気に戻って、「べつに」って言った後、いっそのこと切ってしまおうか迷ったけど、止めて、後ろ髪を掻いた。

「あのさ、くーちゃん、そっちに居る?」

 なぁ、すげぇ、心細そうな声だったな。わたし。親を見失った子供だって、こんな風に喉は震わせないんじゃないかな。

カトリーナは、絶対に口元を歪めたに違いないんだ。あいつの顔が見えなくって、ほんとうによかった。そうじゃなきゃ、頭のねずみも穏やかにしていてくれなかったと思うな。心からむかつくだもん。カトリーナの得意げな表情ってさ。

「ええ、居るわ。当分は借りておこうかなって、だって、新人教育はいつもわたしの役目でしょう?」

 どうかな、教育って、お前がしてるのは、新人いびりだろ。そんな風に指摘したところで、カトリーナは喜ぶに決まっているから、わたしはただ、「知らねぇよ」って呟くんだ。

「くーちゃんはわたしに任せるんじゃなかったのか?」

「仕方ないじゃない。だって、あなたはいつまでも甘やかすつもりなんでしょう?」

 カトリーナはそんなことを言う。甘やかすなんてのは、よく分からない理屈だよな。わたしはただくーちゃんを必要以上に苛めるつもりがなくって、それから、わたし自身はただいつも通りにしているだけのつもりなのだけど、それって、甘やかしているって言うのかな。

 まぁいいか。カトリーナが傍にいる間はさ。くーちゃんは消えないに決まっているんだから。きっとなんとうなく、上手に物事は進んでいくんだろうから。って、本当に頭では分かっているんだよ。これ以上に口を開く必要なんてないってことぐらいのことはさ。

「それで、いまくーちゃんと何処にいるんだ?」

「あなたね」

 わたしは、我ながら、脳細胞を節足動物程度にしか、持ち合わせていないとしか思えないようなせりふを吐いていて、カトリーナがため息をついたのも、まぁ、当然だよなって感じだったな。

「そんなの、教えるはずないし、いちいち私に聞く必要もないでしょ。くーちゃんに直接聞けばすむ話じゃない」

 ああ確かにそうだな。って、一瞬だけ納得しかけて、それから、わたしは、ふと首を傾げた。

「くーちゃんの連絡先なんて知らないし、だって、あいつが聞いてこないから、ねぇ、わたしから聞くのっておかしいだろ?」

 そういうと、スマートフォンは黙りこくった。まぁ、わりかし不自然な沈黙だったな。たっぷり10秒くらいのさ。カトリーナがこんなに沈黙するなんてことは結構珍しいんだ。つまりさ。あいつはわたしが嫌悪感を示しそうな言葉を、ほとんど意味もなく吐き出すロボットみたいなものなんだけど。今はそれさえ思いつかないってことで、ひょっとして、何にも思いつかない空っぽのカトリーナはたぶん普段よりは本音に近いことを喋るんじゃないかな。

「日浦、あなた、どれだけ女の子してるのよ」

 だってさ。やっぱりそれは、カトリーナの心からの言葉のように思った。別にさ。そういう訳じゃないけど。もじもじしてたって訳でもないけど、わたしとくーちゃんの関係は、二年前と同じで、つかず離れず、仲がいいわけでも、悪いわけでもない一般的な幼馴染なんだよ。連絡先なんて知らなくたって困りはしないんだよね。

「べつに、そういう訳じゃなくって、要らないと思ったんだよ」

「もう」

そういう風に、やけに淡白で、明らかに呆れた返答が、純粋にカトリーナの心情を示すものだったのか、それとも、特に意味をもたない、相変わらず、嫌がらせのためだけのものに変わってしまっているのか。たぶん、半々なんだろうなって、わたしは見当をつけているけど、実際は分かんないよね。他人の心なんて結局、分かりはしないからさ。

「じゃあ、私が聞いて教えてあげるから、居場所はくーちゃんに直接聞きなさい」

「ふぅん」

それは、カトリーナにしては、悪い提案ではなかったから、わたしは、わりと素直に相槌を打って、「じゃあ頼む」って、言ったんだ。

それから、少し間があって、

「ねぇ、日浦。ありがとうは。意気地なしのあなたの代わりにわざわざ聞いてあげるのよ」

 そんな風に、カトリーナがいつも通り、しょうもない、きっと心にもないことを喋り始めたのが分かったから、わたしはすぐに電話を切ってやった。


 しばらくしてショートメールで、数字11桁が、カトリーナから素っ気なく送られてきた。だから、くーちゃんに電話をかけようと思う。だって、あいつが苛められていないか、心配だし。

わたしはそれを一つずつ、時限爆弾を解除する暗証番号みたいに、一回でも間違ったら、爆発でもしちゃうみたいに、慎重に打ち込んで、それから、スマートフォンはわたしの気持ちなんか汲んでくれるはずもなく、ほんとはもうちょっと、心の準備が必要だったのに、ただ命令に忠実だから、0.5秒くらい沈黙しただけで、すぐに発信して、わたしは、この呼び出し音が途切れるのをじっーと待っていた。

 5回くらいコールされた後に、向こうは電話を取ったらしく、静かになって、スマートフォンに耳をそばだてると、いつもより、周りの音がよく聞こえる気がして、そのせいか何故だか緊張しちゃってた。

 相手はずっと無言で、そりゃあ、登録されてない番号から掛かってきたんだから、わたしから何か言うべきかなって思って、でも、なんて喋ればいいのかな。こんばんは?わたしがそんな風にちゃんと挨拶したのって、最後はいつになるんだろう。

「よぉ、聞こえるか?」

 結局、いつものように、不愛想に、わたしが、ようやくそう言うと。くすくすと、あの嫌みったらしい、なんだか、人を馬鹿にしたような笑い声が聞こえてきたんだ。

「ねぇ、日浦。ただその怖い声色を作るだけなのに、随分と時間がかかったのね」

 ちっ、って舌打ちしちゃう。心から不快。うざすぎるよな。ほんとうに。

「なぁ、何してんだよ、お前」

カトリーナは悪戯にしたって、もうちょっと、上等なのを思いつかなかったのかな。しょうもなくないかな。あのさ、この番号って誰のなの。へぇ、携帯をふたつも持ってるんだ。そんな風に会話を続けるのって、ちっとも楽しくないと思うけど。

 怒りさえあまり湧かなかった。9割くらいは呆れている。残りの1割はやっぱり怒ってるんだけど、そんなのは順番待ちを横入りされたくらいの、目を五秒瞑れば忘れちゃうような些細なものだった。けれど、カトリーナは、そよ風でも吹いたみたいに、穏やかに笑うんだ。

「だって、普段あなたが、くーちゃんとどんな風に喋っているのか、どうしても気になっちゃって、ねぇ、肩ひじ張りすぎじゃないの? 」

 それはほんとうに余計なお世話で、きっと、そんなのはカトリーナも承知の上で、わたしは今すぐにでも電話を切るべきで、だって、そろそろ出番かな、なんて風に、頭の左奥に棲むねずみが指先を動かし始めているんだから。

「もう分かったから、さっさと変われよ」

「誰に?」

「くーちゃんだよ。他に居るか?ばか」

「あら」

 あら、じゃないんだよね。ばかって、わたしがそんな適当にしか、悪態をつかないのも、無意味だって知ってるからだ。怒れば怒るほど、余計にカトリーナは嬉しそうにするんだよね。本心はともかく、少なくとも表面上はさ。

「嫌よ。だってこれ私の携帯だし。少なくともあなたは私にかけてきたんだし。というか、あなた、くーちゃんがいないと、平気でそのあだ名を使うわよね。ねぇ、それも代わりに教えてあげようか?日浦ってわりと可愛らしいところがあるのよって」

「やめてくれよ。別にさ。ありのままを話す分には構わないけど、どうせお前は誇張するに決まってるんだ。それで勘違いされたら、たまんないって」

 カトリーナは、くすり、と鼻を鳴らして、それはやっぱりすごく癪に障るんだよな。

「ふぅん。まぁ、いいけど。後悔したって知らないわ。電話番号すら知れず、今夜、くーちゃんは消されてしまうわ。決めたもの。あなたが何か譲歩しなきゃ。ええ、絶対に助けてあげないから、しーらないっと」

 ほんとうに面倒くさいんだよな。

そんなの、どうせ、はったりに決まっているのに。「好きにしろよ」ってわたしが切り捨てられないこと、カトリーナはお見通しなんだ。わたしは頭を掻いて、んーって呻いて、深呼吸して、心の中で、頭の中のねずみに、大人しくしてろよ、ってよく言い聞かせて。

なんとか、落ち着いてくれそうで、それからわたしは、ようやく口を開いた。

「何でもいいから、くーちゃんの電話番号を教えてくれよ。なぁ、頼むよ。カトリーナ。もしお前が下手打って、くーちゃんが消えちゃったら、わたしさ。たぶん、また、ちょっと前みたいに、半分魂が抜けたみたいになっちまって、夜もふらふら彷徨うだけになっちゃって、そんなのじゃ、お前の玩具にもなってやれないと思うぞ、なぁそれって、お前も寂しいだろ」

 そんな風に。けっこう本音で喋っちゃってた。ほんと、甘かったんだ。ついさっきまで、唾液が苦くなるほどに口が乾いていたし。それで、急にその緊張が和らいだせいて、油断してたんだ。でもさ。カトリーナに無防備に弱みをさらけ出すなんてこと、しちゃあいけないんだよ。そんなの絶対にひどい目に合わされるに決まっているんだからさ。

 スマートフォンがずっと黙っているから、わたしは息を吐いた。それで、その吐息に、なんだか、申し訳なさそうな声が続いたんだ。

「あの、いいよ。日浦の番号はさっき、カトリーナに教えてもらったから、こっちから連絡する」

 ぴくりって、顔の筋肉が痙攣している。くーちゃんの声。わたしは瞬きをして。全身が固まって、それから、口だけは他人のものになってしまったみたいに、ぽかんと、間抜けに開いて、その瞬間は頭に住むねずみさえも、凍り付いてみたいで、だから心臓だって、止まってしまいそうで。

「だってさ。日浦、良かったじゃない」

 そうやって、また、カトリーナの声が聞こえる。くーちゃんのため息も、どこかから聞こえた気がする。

「お前」

 わたしはようやく三文字だけ言った。その先は言葉が続かなかったな。

そうして、くすくすとカトリーナの嘲笑が聞こえたんだ。

「ごめんね。でもさ。意気地なしだから、弄ばれるのよ?」 

 それで、わたしは限界を迎えた。固まった心臓が、急速に脈を速めて、それから、ねずみはきっとぐるぐると手足を回転させていて、だからもう、制御なんてできっこないのだ。

「〝ああああーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」

 わたしは叫んでいる。例によって、意識を宙に浮かびあがらせながら、わたしはどこか他人事のように思うのだ。なんでこんな目に合わされているんだろう。カトリーナは嫌いで、くーちゃんも大嫌いだ。そうやって、もう知ったことかって、ぞんなに簡単に割り切れるようなら、わたしが発狂することなんて、きっと初めっからあり得ないんだろうけどさ。

 

 いつものように、当たり前に、絶叫が終わった後の身体はひどい有様で、頭は割れそうなほどに痛くって、死ぬ寸前だってこんなにひどくないだろうって、そう思いながら、わたしは息も絶え絶えに身体を縮こまらせている。

わたしは近くの電柱に背中を預けて座っていて、それって、あんまり清潔じゃないよねとか、考える余裕はあるはずもなくって、からからになっている口の中は、水分を欲しているけど、近くには誰もいないから、いたとしても、くーちゃんみたいな妙ちきりんなやつでもなきゃ、飲み物なんて差し出してくれるわけもないから、我慢するしかなくって、ただわたしは夜空を見上げて、今夜はやっぱり曇ってるなぁって、月が見えないなぁって、どこかずれたことを考えていた。

 もう動く気分にもなれそうにない。大きく息を吐いて、あーって意味もなく言ってみて、そんなのが、わたしの気持ちを晴らすことなんてことあり得ないから、そのままに、また俯いてしまう。

 それでさ。スマートフォンが鳴ったんだよ。いちおう液晶を眺めて、知らない番号で、だから、相手が誰かってことを考える必要はなかったけれど、ちょっとだけ無視しようかなってそんなことを思った。だって、疲れてたし。一回眠って、何もかもをリセットしてしまわないと、わたしは使い物にならなさそうだったし。

 でも、出てあげた。電話をかけた相手がいつまでも反応しない心細さって、けっこう嫌なもんだしさ。わたしはそのことを知っているんだよね。だってまぁ、カトリーナには毎晩電話かけてたしさ。それに指を動かすぐらいの体力は、残ってたし。

「えっと、日浦、大丈夫?」

 ちょっとだけ、好きな声。やっぱり、くーちゃんだよね。タイミングいいよな。そうだよ。ちょうど喋れるくらいには元気になってる。

「なんだよ。わたしを揶揄おうとしてんのか?」

「あのさ。僕はカトリーナみたいに性格悪くないよ」

 くーちゃんは呆れたように喋って、はんって鼻を鳴らしたわたしは、今さらに取り繕って、どうするつもりなんだろう。そうだな、お前は性格の悪さを普段は上手に隠してるもんな、そんな風に、意地悪を言えば少しは憂さ晴らし出来るかな。

「明日さ。学校で会える? 埋め合わせする。さっきの、ぼくも正直カトリーナの悪ふざけに付き合ったところがあるし、電話なんて変わらなきゃ良かったし、それに、わざわざ日浦からの着信を待ってる必要なんてなかったんだしさ」

 くーちゃんはごくごく真面目な声色でそんなことを言った。ぜんぶぜんぶ優しい言葉だって分かっているけど、わたしは、機嫌が悪いから、素直に頷こうとは思えなくって、訳がなくとも、なんでも否定したい気分で、たぶん、1+1の答えを質問されたとしても、こんな風にまともには答えなかった。

「悪ふざけに付き合って、それで、どうせ今だって、カトリーナになんか吹き込まれたんだろ」

「うん、そうだよ」ってくーちゃんはあっさり答えやがるんだ。ちっとも迷った様子もなかったし、しかも、「それでもいいじゃん。別に」って、開き直った。

「何がいいんだよ」

「何が不満なの?」

 なのに、どうしてだか、くーちゃんはぜんぜん譲る気がないみたいなのだ。いつもなら、睨みつけて、それでもだめなら手を出して、そうしたらくーちゃんは、肩をすくめて従ってくれるのかもしれないけど、今は電話で、いくら無言でいても、何にも状況は変わらなくって。

 わたしはため息をついた。

「・・・じゃあ、顔合わせた後に、思い切り殴らせてくれるんだったら、会ってあげてもいいよ」

「うん。わかった」

 いいのかよ。意味わかんないな。

くーちゃんはやっぱり躊躇なく返事するんだよね。そりゃあ、はったりなんて、無意味に決まってる。こいつは、ショットガンを突きつけても、撃ってもいいよって迷いなく言うような、変人なんだから、正直この反応はぜんぜん予想通り。けど、どうしようもなくわたしは安心しているんだ。

「なぁ、ほんとに殴るからな」

「だから、いいって、それで来てくれるんでしょ?」

 じゃあ、まじで思い切り殴ってやろう。わたしは思う。完全に八つ当たりだけど、くーちゃんはそれでも構わないらしいし。それから、わたしはしばらく黙った。いいよ、って素直な言葉を告げるのが、未だにこそばゆかった。

「で、どこに居るんだよ。お前、もともとはお前の居場所が知りたかったんだ」

 取り繕うようにわたしは言う。そうすると、くーちゃんは、ええと、って気が抜けた声を出して、

「南が丘小学校の近く。でも、カトリーナの車に乗せてもらってるから、すぐに移動するかも」

「そっか。一応向かうから。また場所が変わったら連絡くれ」

「別にいいのに。こっちはカトリーナも要るんだしさ。ぜんぜん安全だよ」

 わたしは、勢いをつけて立ち上がる、絶叫しちゃった後で、未だに身体が重くって、ふらふらと落ち着かない足も、一応は動いてくれる。

「なぁ、カトリーナが傍にいて、安全なんてことあり得ないだろ」

 だって、その女はさ。たぶん、お前が不快な思いをさせるために全力を注ぐんだからさ。

「なぁ、お前こそ、何が起こっても、明日は学校来いよな」

 どういうこと? くーちゃんは言ったけど、わたしはもう電話を切っている。だって、早いとこ助けに行ってやらないと、くーちゃんなんて、カトリーナにかかれば、簡単に泣きべそをかかされるに決まってるんだし。


 くーちゃんが襲われているところに颯爽と現れて、またどうせ、尻もちでもついているあいつを救ってやれたら、格好いいなって思ったけど、そんな風に上手くいくことがわたしの人生に二回もあるわけないなって、うすうす予感していた。だって、ぜんぜんままならないばかりの、わたしの人生なんだから。

 ともかく、わたしが出来る全力で、自転車を漕いで、南ヶ丘小学生に向かって、それは昔なじみの通学路で、小学生時代の思い出を、あの時は良かったなぁ、なんて振り返ることはないのは、だって生まれてから今までずっと苦しいことばかりだったから、ともかく、我ながら結構頑張っちゃってて、それでもさ。小学校まであと数分ってところでスマートフォンが鳴ったんだ。

 ポケットの中で振動を始めたそれを手に取ると、(カト)悪女(リーナ)って文字が表示されている。それなのに、まだペアレントは消滅していないみたいなんだ。だから、ろくな連絡じゃないに決まっていた。非常事態ってことなんだ。

 全力で自転車を漕いでいたわたしは呼吸が荒くって、止まったら、余計にひどくなって、けれども、この着信には絶対でなきゃいけないって、分かっていたから、ブレーキを握って、止まったんだけど、バランスを崩して、自転車は、がしゃりって倒れてしまって、辛うじて身体ごと地面に叩きつけられることはなかったけど、横たわった自転車をもう一回持ち上げるのも面倒くさくって、だって、ちょうど目の前は上り坂になっていたから、目先の数十メートルは歩いたほうが、たぶん早いんだし、回らない頭は先のことなんか考えもせず、ただ足を前に引きずっていった。

「くーちゃんね。いま大ピンチ」

 カトリーナがそんな風に言っている。わたしは、首筋の汗が不快で、ねずみだって指一本も動き出せないほどに疲弊していて、「そうか」って、反射的な相槌を返す。

「ペアレントに襲われてる。それでね。くーちゃんったら、へたくそなのよね。あんなのただ狙って、撃つだけなのに。あら、惜しい惜しい。でも、あれじゃあ、駄目ね。やる気あるのかしら、ええ。きっとないのよね」

 性格悪すぎるよ、お前。横で見てるのか、違うのか、そんなの、助けてやればいいだろ。ペアレントの一匹ぐらい、お前にかかれば瞬殺なんだから。なぁ、くーちゃんなんて、試すまでもなく、よわっちぃに決まってるんだから。

 わたしは舌打ちをする。少しだけ息は整い始めていた。

「カトリーナ、何が望みなんだ」

 おぼつかなかったわたしの歩みも、だんだんとまともになってきている。ようやく酸素が脳に行き渡り始めていて、だから、自転車を捨てたことは後悔し始めていて、それでも、自転車を取りに戻る気分にならないのは、ちょうど坂を上り切った後だったからで。

「そうね、じゃあ、あなたがもうちょっと素直になるところが見たいかしら」

 だいたい50メートルぐらい先かな、まっすぐな道は続いていて、相変わらず、夜だからなのか、やたらに目立つカトリーナの白いワンピースと、真っ赤なコンパクトカーと、ペアレントとそれから、くーちゃんの姿がぼんやりと見えたんだ。

 ひょっとしたらさ。わたしがへんに駄々をこねずに、くーちゃんと下らないやり取りとかをしていなければ、間に合っていたのかもな。

 ペアレントはあの巨大な体を丸めている。くーちゃんは地べたに座っていて、そうして、ぼんやりと、もうすぐ喰われちまうに違いないのに、まったく身体を動かすこともないんだ。くーちゃんは、どうせ諦めたんだろう。ねぇ、くーちゃん、わたしと明日、合うって約束したじゃんか。それなのに、ショットガンを構えてさえいなくって、つまり今は発現さえしていないってことで。

あのやろう、べつに明日なんて来なくていいって考えていやがるんだ。

「くーちゃんはね。たぶんもうすぐ殺されちゃうわ。それでも、私は助けてあげないんだけど。ねぇ、代わりにね。あなたの声を届けてあげる。もう分かるでしょう? 簡単じゃない、くーちゃんをその気にさせるって、ただそれだけよ」

 だからさ。お前みたいに性格が終わってて、性根が腐った人間はこの世界には、一人だって、いやしないんだよ。ペアレントに喰われちまってもさ。別に死ぬわけじゃなくって、ただ人格がぜんぜん別人になっちゃって、それから、この不可思議な日々にまつわる全てを忘れちゃうって、ただそれだけだろ。

 未練がないなら、いや、たとえ未練があったとしてもさ。わたしたちみたいなのは、いっそさっさと消えちまった方がいいって、たまに考えちゃうのは、たぶんわたしだけじゃないと思うんだけどな。

 くーちゃんが、どんな風に考えているかなんて、知らないけどさ、でも、あいつ自身は、生きたいとも、死にたくないとも考えてはいないんだろ。

 わたしはのろのろとくーちゃんに向かって歩いている。どうせ間に合いっこないんだけどね。今日は月も出ていないし、今から発現したって、馬鹿みたく右手を輝やかせて、それからこんな亀みたいな歩みで、あそこまで到着するその間に、くーちゃんは喰われちゃうに決まってるし。

「じゃあ、どうぞ」カトリーナはそうやって、へたり込んだままのくーちゃん近づいて、スマートフォンを耳に添えていた。

あのペアレントの顔面に描かれた、丸い円は揺れていて、それから狼みたいに牙のたくさん並んだ口を開けて、ゆっくりとくーちゃんにかぶりつこうとしているっていうのに。くーちゃんは、ちっとも逃げようともしないんだ。

くーちゃんは、一体何を考えているんだろう。

ねぇ、死んじゃうよ。いなくなっちゃうよ。

「くーちゃん」

 わたしは言っている。黙っている方がきっといいのに。あとで後悔するに決まっているのに。

「ねぇ、くーちゃん。聞こえてる。ああもう。聞こえているんだろうな」

 反応はない。言葉が返ってこない。どんな風に喋ったらいいんだろう。ぜんぜん分からないや。

「あのさ。わたし楽しみにしてるよ。明日学校で会って、なんか喋るんだろ。だからさ、早く眠りたいんだよ。寝不足の顔付き合わせたくないからさ、なぁ、さっさと倒してくれって」

 それがわたしの精一杯だった。

 それでさ。くーちゃんが何にも変わらなかったら、わたしは一体どうするつもりだったんだろう。中途半端に声なんか掛けたせいで、余計に後悔するに決まってて。最後に喋ったのが、あんなにぶっきらぼうな感じだったら後味も悪いに決まっていて。

 でもまぁ、くーちゃんってやっぱり馬鹿で単純だから、そんな心配はいらなかったんだよな。くーちゃんはあっさりと右手を光らせて。実はね。その気になれば、ペアレントに負ける人間なんて、居るはずもないんだ。ペアレントはわたしたちを食べようとする瞬間には、すごく無防備になるんだからさ。それはね。たっぷり10秒くらいの時間があって、至近距離でショットガンを打つには十分すぎる時間なんだよね。

だから、あーあ、ってわたしは思ったんだ。

くーちゃんはもう、きれいじゃなくなっちゃう。馬鹿みたいに呑気でも居られなくなるんだろう。わたしやカトリーナみたいに腐っていくのかな。

ペアレントって、どうも人間の魂みたいなんだよな。わたしたちはさ。毎晩この街をうろついて、それから、誰とも知らぬ人間の魂に襲われて、そうして、それをショットガンで撃って、消滅させているんだ。

ねぇ、人間の魂を消滅させているんだよ。それで消えちゃった魂は二度と帰ってくることはないんだよ。

ほんとうにさ。まるで罰でも受けている気分なんだよね。毎晩、毎晩、人を殺さなきゃいけないんだ。そうでなきゃ、消えてしまうんだ。消えてしまって、今の本当にろくでもない、些細なことで絶叫するような、誰にも必要とされていない人格は消えてしまうんだ。

それが死ぬってことなのか、わたしたちは、人殺しなのかは、いまだに分からないけど、罪に問われて、法に裁かれることなんてあり得ないけど。くーちゃんは、今夜も気づかないままでいられるかな。

無理だろうな。カトリーナはわざわざくーちゃんに撃たせたんだ。


そいつの遺品はメガネだったらしい。

遺品ってのは、おそらくはペアレントに宿った魂の記憶が染みついたもので、それに触れると、その遺品は消滅するけど、かわりにその記憶が頭に流れ込んでくるんだ。

今夜くーちゃんが受け取ったのも、きっとどうしようもない人間の記憶だったんだろうな。ペアレントに関わるようなやつ、まともな奴じゃないって、決まってるんだから。それでも、倒す側に回るようなやつの性格よりかは、幾分かましな人間が多いけどね。

遺品さえ消滅させちゃえば、わたしたちは誰の魂を消したのか理解することが出来て、それと同時に夜がおしまいになって、わたしたちは家に帰ることができるようになるのだ。まぁ、べつに触らなくてもいいけどね。ただ遺品が残っているうちは、夜が明けるまで、家に帰れなくって、眠れないって、ただそれだけのこと。

くーちゃんを遺品に触れさせたのは、もちろんカトリーナに決まっていて、わたしはくーちゃんを好んで不幸にしたいわけではなかったから、止めようとしたんだけど、距離が遠くって、無理なもんは無理だし。カトリーナは容赦ないからさ。

くーちゃんは、ペアレントが散り散りになった後に、残った遺品を拾わされてて、それで、叫び声すら上げていなかった。でも、それからは、一言も喋らなかった。

わたしが、よぉ、って言っても、カトリーナが笑っても、口を真一文字にして、拗ねちまった子供みたいにさ。まぁ、当然の反応だとは思うよ。だってさ、あいつ、べつに生きていたいわけでもないんだろ。そりゃあさ、だから、次の夜にでも消えちまうかもな。わたしみたいに、ただ怖いからって理由で、毎晩だれかを殺してまで、何年もしがみついたりもしないだろ。だいたい、しょせん中身が入れ替わるってそれだけだし。しかもさ、わたしたちみたいな人間は、こんな人格は、さっさといなくなってしまった方がいいに決まっているんだから。

そうやって、ともかくは、いつものように夜は終わったんだ。

気が付けば朝がやってきていて、火曜日になっていて、わたしたちが家に帰ってから、、少しだけ雨が降ったらしくって。だって、アスファルトが湿っている。でも、ぜんぜん涼しくはないんだよな。どうも曇っていたのは一晩だけのことだけだったみたいで、相変わらず馬鹿みたいに暑いんだ。まだ7月にもなっていないのに、だから、この先はもっとひどくなるに決まっていて、もう、お終いにしちゃおうかな。色々とさ。明日も明後日もどうせいいことなんてありはしないだろ。眠れないまま、くそみたいにつまんない住宅街を歩いて、それから、誰かの魂を消滅させなきゃいけないんだ。

そんな風にして、二年も経っちゃったんだ。

今日もさ。こんな蒸し暑い空気が身体に纏わりつくような不快な日には、外に出る必要なんてないに決まっているんだけどね。その上、ろくすっぽ眠れなかったんだし、わたしは寝てればいいのに、いそいそと身支度をして、玄関を開けて、自転車にまたがっているんだ。

だって、今日は学校で、くーちゃんがお喋りしてくれるって言うからさ。約束したんだからさ。くーちゃんは、あいつ今日ちゃんと学校に来るのかな。

ねぇ、わたし楽しみにしてるんだよ。


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