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朝は容赦なく晴れていた。空の色はきっと誰かがクリック一回で塗りつぶしたんだと思う。むらなんてまったくなくって、雲一つなくって、真っ青な空には太陽だけが異物として存在していて、だから、日光はちっとも希釈されずに、宇宙の果てから地球の地表にまで届いているに違いなくって、そういう訳で今日は暑くて暑くて、たまらなかったんだ。

 でもまぁ、それでもわたしが、到着するだけでも、干からびてミイラになっちゃいそうな高校へと、自転車を漕ぎだしたのは、だって、昨夜くーちゃんがあんなに嬉しそうにしていたから、行かなきゃ悪いかなって、思ったから。それにひょっとしたら、わたしが行かなきゃ、今夜はもうくーちゃんは、発現もしなくって、あっさり消えてしまうのかもって思ったから。

 それでまた、わたしは後悔しているのだ。

 くーちゃん、あいつさ。わざわざ、わたしのクラスまで聞き出しておいて、死にたくなくなるほどに、うれしかった癖して、ぜんぜん様子も見に来ないんだ。だから、わたしは一日中ただ普通に授業を受けただけだったんだ。

クラスメイトや、クラス担任の教員は誰もおかしいって思わなかったのかな、不登校のわたしの席を、どうしてクラスの真ん中に配置したのだろう。だからさ、学校にやって来た不登校は、余計に目立ってしまって。みんなわたしのこと、じろじろ見てた気がするな。

 その癖して、誰一人として喋りかけては来ないんだ。教室の真ん中で、美術館とかに飾られている下らないオブジェにでもなってしまったような気分で、他人の視線が絡みついているのが、すごく不愉快だった。

けどまぁ、わたしは頭の左隅に棲んているねずみを、どうにしかして、なだめすかせるのに必死だったから、誰も喋りかけないのは、逆に良かったのかもしれない。だって、ちょっとした刺激でわたしは絶叫しかねなかったし、話しかけただけで発狂するようなやつ、そんなのは誰にも、かばいようがないんだし、不登校が、学校に顔を出したその日に停学になっちゃうのは、いくらなんでもあんまりかなって、べつにわたしはどうだっていいんだけど、わたしの身体と境遇はそのうちにどこかの誰かが引き継ぐんだし、それに、そんなことになったら、くーちゃんはたぶん嫌な顔するだろうから。

 それでわたしは一日中、机に突っ伏していた。だって、いつもは眠っている時間なんだから。わたしにとっては、それが普通で。よく眠れないのも、まぁ、いつも通りで、そんな風でもわたしが途中で帰らなかったのは、7限目までしっかり授業を受けたのは、なんていうか、くーちゃんが、そのうちやってくるような気がしていたから、あいつ、結局、最後まで来なかったんだけどさ。むかつく。夜には一回だけぶん殴ってやろう。なんて、どうせわたしは殴ったりしないんだろう。くーちゃんはたぶん今日もジュースを奢ってくれて、きっとそれだけでわたしは、つい許しちゃうんだ。だって、あんまり人に優しくされたことって、ないからさ。

 もうほとんど夏みたいで、夕方になっても、太陽はいつまでたっても沈む気配はなくって、それなのに、毎日決まって夜は来なくちゃいけない約束らしくって、知らないうちに、気づかないうちに、わたしの住む街は、暗闇に埋もれていくのだ。

わたしはいつものように、布団にくるまっていて、けれども、ぜんぜん眠らず、デジタル時計の数字が、一秒ごとに変わっていく様子をじっと睨んでいる。どうせ今日もこの街を徘徊しなきゃいけないに決まっているのだから、もう諦めて、さっさと身支度をして外で待っているか、それとも、何か、例えば、テレビを見ているとか、本を読むとかそんなことをしていたほうがずっと有意義に違いないのに、わたしはそうしない。

 どうにも何をする気分にもなれないのはいつものことだった。

 うじうじしたって仕方ないのかもしれないけれど、でも、どうにも憂鬱で、それから、わたしは、どうしてただ普通に学校に通って、卒業したら、適当に働いて、好きな人と寄り添って、そんな風にごく当たり前に生きるってだけの選択肢が最初から、与えられていなかったんだろうって、つまらないことを考えてしまう。

だって、わたしの知る限り、わたしがこれまでに出会った中では、頭にねずみを飼っていて、そいつが定期的に暴れてしまう人間なんて一人もいなかったし、それから、夜は怪物を倒してからじゃなきゃ眠れない人間も、そんなに多くはないんだ。それなのにわたしは、両方に当てはまっているんだから、ついてないなって、そう思わずにいるってほうが難しくないかな。

 ああ。今日も、許してくれないみたいだ。べつにさ。そりゃあ、わたしは、あんまり褒められるような性格はしていなくって、ひとことで言えば癇癪もちの厄介者なのかもしれないけれど、けどさ、べつに好きでそうなったわけじゃないし、そんなに悪いことはしていないつもりなんだけどな。

 そうして今日もまたあの時間がやってくる。脳みそをどこかの誰かにいじくられ、わたしの意識は身体から離脱する。

 そうして、わたしは、誰かに操られている自分の身体を、いつものように眺めている。ブレザーを着こむのは、果たして、わたしの意思なんだろうか。ひょっとして違うのかもしれない。少なくとも朝はわざわざブレザーを着こんだりはしなかった。今夜だって、べつに、涼しいわけではないのに。むしろ蒸し暑いくらいなのに。

 あんまり快適でもない格好で、はいどうぞ、ってわたしは家の外に放り出されて、それから、身体は自由に動かせるようになるんだけど、玄関に向かって、引き返すことだけは許されなくって、わたしはため息をついて、そうして、同じような目にあっているはずの幼馴染の顔でも見に行くことにするのだ。

 10歩と少し歩いたら、くーちゃんの家の表札の、あのまったく可読性のかけらもなく刻まれた漢字の形がちゃんとわかるようになって、でも、それでもわたしには、ただの記号にしか思えないから、あれは日本語とは縁もゆかりもない、ただの古代文字で、海外旅行のお土産の掛札なんだって言われれば、すぐにでも信じるに違いなくって、それから、夜空を見上げれば、今日はきれいな半月が浮かんでいた。

 まぁ、悪くないかな。昨日よりはましで、でも、明日になったら、あの月はちょっとだけ膨らんで、不格好になっちゃうんだよな。

 そんな風にわたしが、ぼんやりと考えている間、だいたい五分くらいかな、わりかし長い間、夜は風の音と虫の声と、あとは室外機が震える、ぶーんって音くらいしか聞こえなくって、すごく静かだった。

だからさ、くーちゃんって、あんがい素直じゃないんだよね。無駄に悪あがきしているんだ。ようやくくーちゃんが、真っ青な顔で、首筋にも、額にも、びっしりと半透明の汗をまとわせながら、玄関から飛び出てきたとき、わたしはさ、心配するよりも、呆れていた。こいつやっぱり、昨夜わたしが教えたこと、ぜんぜん聞いていなかったんじゃないのかな。

「だから、無理なんだって、変なことに体力を使うなよ」

 くーちゃんは、虫の息って感じで、1500メートル走を走り終わった後のような感じで、両膝に手をついて、ひゅーひゅーと掠れた吐息を漏らしている。

「やってみないと分からないじゃん」

 って、そういったくーちゃんはなぜだか、珍しくふてぶてしい感じだった。

 そうかな、わたしはくーちゃんが、そんな風にひどい顔しなくていいように、昨日、言って聞かせたつもりだったんだけどな。

というか、ねぇ、なんか、目つき悪くない? まぁ、頭が痛いと機嫌も悪くなるよね。その気持ちは分かるよ。べつに分かるだけ、だけどさ。

「ばーか」

 わたしは言って、くーちゃんが息を整えるのも待ってあげないことにした。

「なぁ、今日も奢ってくれるんだろ?」

 そう言ってわたしはそのまま背を向ける。歩き始めると、くーちゃんは、ぶつぶつと何か呟いていたけれど、結局、背後には人の気配があって、着いてきてくれているみたいで、まぁ、ちょっとは薄情かもしれないけれど、でも今回ばかりは、流石にくーちゃんが悪いと思うな。


 くーちゃんにペプシコーラを買ってもらった。だから、昼間のこととか、今夜のちょっと横柄な態度だとか、その他もろもろ、気に入らなかったことは予想通りにすべて帳消しになってしまって、わたしは、ん、って一文字だけを口を真一文字に閉じたままに漏らしていた。

 それはくーちゃんからペットボトルを受け取った時に漏れ出た声で、まぁ、ありがとう、をすごく簡略化したものだと思ってくれればよくって、その意図が伝わったのかは知らないけれど、とにかく、くーちゃんは、うん、って言っていた。

 昨日わたしが蹴り飛ばしたベンチは、相変わらず、背もたれが壊れたままで、どころか砕け散った木片も地面に無造作に転がったままで、つまり、誰かが拾うことも蹴飛ばすこともなかったわけで、ひょっとして、この場所に好んでやってくる人なんて、世界にはわたしたちぐらいしかいないのかもしれなかった。

 たかが背もたれが欠けたくらいで、座れなくなるわけでもなし、わたしはそこに座って、ペットボトルに口づけて、こくこくと喉を鳴らして、くーちゃんはその横に立っていた。

「日浦、今日、学校来てたんだね」

「ああ?」

そうやって、わたしが眉間にしわを寄せると、くーちゃんは、「柄悪いよ」って。こいつ、わたしの親か何かのつもりだろうか。学校に行くだけですげぇ喜んで、行儀に小言を言って、そりゃあ、こんな反応にもなるだろ。ぜんぜん、わたしの様子見に来なかった癖に。それがすごく癪だったのに。なんだかんだ、わたしには興味がないんだなって思っていたのにさ。わたしは舌打ちして、ちょっぴり、くーちゃんを睨む。

「行ったよ。つっても、寝てただけだけどな」

「うん、そっか」

 くーちゃんの返事は素っ気なくって、とくにそれ以上には会話を続ける気はないらしくって、それで、まだ喋り足りないのは、わたしのほうだった。

「なぁ、不登校ってそんな珍しいのか?どいつもこいつも、じろじろ見やがって。その癖さ。だーれもわたしには喋りかけねぇんだ。クラスメイトも、教師だって」

 いまの愚痴は、くーちゃんが、わたしが学校に来たのは知っていたくせに、喋りかけに来なかったのは、同じなのだから、全く無関係ではないんだし、だから今日一日分の憎悪を込めて睨んでやると、くーちゃんは少し困ったように眉を寄せた。

「ああ、まぁ、日浦は目立つから。でも、そんなのは、そのうち慣れると思うよ」

 らしい。まぁ、あんなもんなのかな。なんてさ、実際問題、どうだっていいことだったんだよな。べつに誰に見られててもわたしは。そりゃあ、うっとおしいけど。もう間もなく、わたしは消えるんだし。どう見られてるかってことが気になることは、良くも悪くも、あんまりないんだよね。

「お前も来ないしな」

 だから、気に入らなかったのは、どっちかっていうと、こっちだったんだけど、そのせりふに、くーちゃんは「え」って、まるきり不意をつかれたみたいな声を出しやがるから、すごくむかつく。

「嫌がるかなって思ったんだけど。退屈だったなら月曜は行くよ?」

 わたしが意地を張らないように、気を遣って、選んだに違いないせりふが気に入らない。妙なとこだけ、気が回ることも気に入らない。

そういう風に言えば、素直に頷くって思ったのかな。残念なことに、そんなので簡単になびくほど、わたしは単純でもないんだよね。まぁ、気難しいのって、べつに、美点でも何でもないんだろうけどさ。

「要らない、うざいからくんな。あともう二度と学校には行かないから」

「そっか」

 くーちゃんは、悲しそうに首を傾げる。

 もうほんと、いらいらする。


 わたしは飲み切ったペットボトルをくーちゃんに向かって、ふわりと投げた。くーちゃんはそれを受け止めて、不思議そうに瞬きした。

「それ、空だから、捨てて」

 べつに、ごみ箱はほんの少し離れたところにしかないんだし、わたしも歩けるないわけでもないし、わざわざくーちゃんに捨てさせたところで、ぜんぜん得もしないんだけど、わたしは羽虫でも追い払うみたいにして、手のひらを動かして、口をへの字にして、鼻を鳴らす。

「いけよ」

 くーちゃんは、きょとんとした顔のままで、わたしを見つめたけど、すぐにため息をついて、「了解」って言ってくれた。ちょっとだけ納得いってなさそうだったな。例によって、よく顔にでていて、なんだか呆れたような目つきだったから。

 いい加減にしないと、そろそろ嫌われるのかもしれないね。でもさ、嫌なら嫌って言えばいいでしょ。しかられたらわたし、もうちょっと大人しくなると思うんだ。首根っこを掴まれた仔犬みたいにさ。しゅんってしょんぼりしちゃって、ひょっとしたら、撫でたくもなるかもね。なんて、冗談。わたしは可愛くないやつだから、口を尖らせて、そっぽ向いて、拗ねちゃうだけなんだろうな。

 くーちゃんがごみ箱に向かって行ったとき、ちょうどその背中が透明な光に包まれた。

それはさ。もう日常茶飯事になった超常現象的な何かでも何でもなくって、ごく当たり前の出来事だった。だってもうそういう頃合いだし。このバス停は、金曜日にわたしたちが落ち合うことに決めている場所だから。

真っ黒なミニバンがバス停に向かってきている。それでヘッドライトがくーちゃんの背中を照らしているってただそれだけのことだ。

きゅるきゅるとタイヤが道路を擦って、目の前で止まる。ドアがオートマチックに開いて、振り返ったくーちゃんは眩しそうに目を細めて、それから、わたしの顔をじっと見つめた。

 うん、くーちゃんの予想通りわたしはあれが何なのか知っているよ。今から教えるね。わたしは立ち上がって、あごをしゃくる。

「乗れよ。わたしたちの仲間の車だ。まぁ、面白くはないだろうけど、わたしが学校で過ごした時間よりかは有意義に過ごせると思う」

 くーちゃんは、数秒黙って、それから、

「僕はいいや」

 って、首を振った。むすっとした顔して、今日はいろいろとわがままをし過ぎてしまったせいなのかもしれない。くーちゃんだって、そろそろ、嫌気がさしていて、だから珍しく、従順じゃないのかな。わたしは舌打ちをする。面倒くさい。わたしだって、くーちゃんとカトリーナを積極的に引き合わせたいわけじゃないんだけどね。

 でも、あの性悪は、なんだかんだ、いつも上手くやるから。新入りが入るたびに、信じられないほどにいびって、でも、よくいびられたやつのほうが、結局いつまでも消えないでいるから。例えば、わたしとか、それから、あのミニバンを運転しているに違いないエイクラとかもさ。

 ねぇ、わたしはさ、くーちゃんには、少なくともわたしよりも長い間は、この世界にとどまっていて欲しいんだよね。

 わたしは、言うこと聞かないとひどいよって、ほんとに殴ったり蹴ったりするよって、そうやって睨むけど、くーちゃんは目をそらすことがなくって。

 わたしは、息を吐いた。

「じゃあいいや。わたしだけ乗る。お前はひとりでここに居ろよ。でも、その前に渡すものがあるから、こっちこい。今夜生き残るために必要なもんだ。知らないうちに、お前がペアレントに喰われてても、寝覚めが悪いからな」

 くーちゃんは、露骨にほっとした顔して、のこのことわたしのすぐ近くにやってきて、やっぱりくーちゃんって、馬鹿だなぁ。わたしに騙されるなんてこと考えもしないんだ。

 もう一回睨んで、くーちゃんが態度を改めないことを確認してから、ん、ってわたしは指をさす。あのミニバンの開いた扉のほう。くーちゃんは首を傾げた後に、そっちを向いた。

 そうしてわたしは、心の中でちょっとだけほくそ笑んだ。

 この分からず屋にちょっとだけ、痛い目に合せてやるんだ。

 わたしはくーちゃんの腰のあたりを思い切りに蹴飛ばしてやった。くーちゃんの身体には、見た目通りに、贅肉も筋肉だって、大してついていないんだ。「痛っ」って、あっさりとよろめいて、だから、あとはちょっと後押ししてやれば、空いたドアの向こうへ、くーちゃんは勝手に入って行って。

 わたしも後から乗り込んで、それから、助手席に座っていたカトリーナは、すごく性格が悪そうに、頬を緩めて、「あらあら」って呟いていたんだ。

「なにこれ、ぼく誘拐されたの?」

 くーちゃんは言っていたけれど、そんなさ。間抜けな質問に答えるやつがいるわけないんだよね。


 4人乗りのミニバン。その後部座席の左側に、わたしは座っている。ドアに身体の半分を引っ付けて、外の景色を眺めている。景色は、この街には、やっぱり面白いものなんてありはしないんだけど、辛うじてあった家とかさえも、だんだんとまばらになって行って、そうやって、まぁ、ちいさな街だから、ミニバンがこの街の一番端に来るまでには、たいして時間もかからなかった。

 遠くに信号機が見えた。でもそれだけ。あとはすっかり闇に呑まれてしまっている。

あたりには街灯さえもほとんどなくって、この辺りにあるのは、いつかの昼間の記憶をたどると、たしか田んぼとか、手入れもなされていない空き地とか、そんな感じだったと思う。まぁ、わたしたちの街の端っこなんて、押しなべて、だいたいそんなものだから、大きく外してることもないだろう。

このミニバンにはカーラジオも音楽も流れていなくって、ウィンドウは締め切られていて、あるのはエンジン音と、それから空調機から吹き出る風の音だけで、喋っているやつもいなくって、車内は人工的に外よりも静かだった。

 ふとミニバンは止まって、それからサイドブレーキがあげられる音がして、カトリーナは助手席のヘッドシートを抱きかかえるようにして、あどけない笑顔を携えて、こっちに顔を向けた。カトリーナはいつか、お酒がどうとかっていう話をしていたから、少なくとも成人はしているはずで、だから、わたしより5つは年上に違いないのに。そのしぐさはとても幼なく見える。

だいたいカトリーナという存在は、わたしが言うのもなんだけど、住んでいる世界が、過ごしている時間さえも普通とは違っている気がするのだ。なんというか、異質だ。

例えば、青い瞳とか、わたしとは種類の異なる、決して不健康な感じのしない真っ白な肌とか、それから、金色の髪の毛も、ぜんぶこの街では異質に浮きこぼれていて、別次元のどこかから、ワープしてきたような存在で、その上に、服装も、純白のワンピースにエメラルドのネックレスなんて、おおよそ、一般的ではなくって、彼女のほうからはこの街に歩み寄るつもりは、まったくないみたいで。

「さて、日浦。その男の子のこと紹介してくれる?」

 ってカトリーナはくーちゃんのことなんて、存分に調べあげたはずなのに、おそらくは、わたしが思い出せないままでいる、あの日本語だとも思えない苗字の読み方も、しっかりと抑えているはずなのに、無邪気を装った偽物の笑みをわたしに向けるのだ。

「自己紹介してくれってよ」

 だから、あの言葉はわたしへの嫌がらせでしかなくって、少なくとも絶対にわたしは答えなくていいから、なぁ、お前への質問だぞって、横目にくーちゃんを見たら、くーちゃんは露骨に目をそらして、なんだか、むくれている風だった。

もう、って思うけど、くーちゃんが怒っちゃうような心当たりは、とくに今夜は、数え切れないほどにあって、まぁ、当然かなって気がするから、ただ諦めて、また窓の外に、窓の外にはべつに何にもないんだけどさ。そっちへ目線を逃がした。

「本人に聞け、ばか」

「いやよ。信用できないもの」

「何がだよ。こいつは変に嘘なんかつかねーよ」

「ううん。初対面だもん。見ず知らずの男の子より、あなたを信用するわ」

 なんてそんな訳ないだろ。だって、他ならぬくーちゃん自身のことだもん。本人から聞くのが一番に決まっていて、カトリーナなんて、ただそれっぽく喋っているだけの癖して、まぁ、そんなこと言ったって無駄だよね。最初からわたしに嫌がらせしたいだけにきまっているんだから。

 ふぅって息を吐く。こんな些細なことで脳みそがうずき始めている。もう本当に、わたしの頭に住むねずみは我慢が利かない。

ねぇ、くーちゃん、わたしはいま、かなり困っているんだけど、くーちゃんは助けてくれないんだもんね。ずっとそっぽを向いて、まだ、知らない振りをしているんだ。

わたしは、自分だけで、ひとりぼっちで、なんとかするしかないよね。いつも通りさ。

「こいつは」

 そういって、わたしはちょっとだけ口ごもった。わたしは今のくーちゃんのことをどれだけ知っているのかな。だって、あだ名以外には名前さえも知らないのだ。辛うじて、好きな漫画と通っている高校ぐらいは分かっていて、それから、わたしが発狂したあとの優しいんだか、優しくないんだか、分からない態度が、昔と変わることがなかったってことは知っていて、まぁ、つまり、わざわざカトリーナに向けて喋るようなことはあんまりないんだよね。

「こいつは家が近くて、同い年。幼馴染ってやつなんだろうけど。どうだろうな。二年間、ひとことも喋ってなかったんだ。もう他人と変わらないかもな。昔のこいつがどんな奴ってことさえ、定かじゃないな。どうだろ、いろいろと悪くなかった気がしたけど。頭の出来とか、その他もろもろもさ。でも、今は駄目だな。なんか馬鹿になってるし、やけに世話を焼こうとしてくるし、うざい」

 そうやって、未だにぐずって、そっぽ向いてるとことかも特に駄目だよ。わたしは、くーちゃんをちらりと見るけど、向こうはぜんぜんこっちに見向きもしないんだよね。

 ふぅん、ってカトリーナはどうせ碌に聞いていなかったに違いないのに、そんな風に吐息を吐いて、カトリーナの吐息には何故だかいつも甘い匂いが漂っている気がして、まぁともかく、それから、カトリーナは首を傾げて、にこりと笑った。

「で、名前は、その子名前はなんていうの?」

 うんざりするよ。お前、どうせ聞くまでもなく知っている癖してさ。

「名前ぐらいは、本人に聞けよ。つーか、お前もそろそろ喋れよな」

 わたしは言う。なのに、くーちゃんはだんまりで、カトリーナはじっとわたしを見つめるばかりで、だーれも取り合っちゃくれないんだ。なんで変に息が合ってるのかな。お前らは、疑いようもなく初対面のはずなのに。

 だからもう、仕方なくわたしはもう一度口を開く。

「名前は知らない。覚えてないんだ。家は近いんだけどさ。表札の文字も、あんなのは存在しないのと同じで。読めなかった。気になるなら直接聞いてくれ」

 カトリーナはあごを上げた。もうあの歪みきった頬は、あの狂気じみた笑顔は性格の悪さをちっとも隠せていない。

「うん。それで、あだ名があるんでしょ。一昨日に聞いたわ。私、すっかり忘れちゃって、ねぇ、もう一回教えてくれないかしら」

 なぁ、そんな訳ないよな。昨夜もさんざん繰り返してた。いい加減にしろって言っても、ぜんぜん許してくれなかった。

「なぁ、カトリーナ。何がしたいんだ。お前さ」

「べつに何も。ただどうしようかなって。このままだと何時までも他人行儀に、君とか、僕とか言って、その子のこと呼ばなきゃいけないなぁって」

 そうしてカトリーナは、ねぇ、って言って、急にくーちゃんに取り繕った笑みを向けるのだ。くーちゃんは、困ったように首に手をやって、「はぁ」って頷いていたけれど、初対面じゃ、分かんないかもな。カトリーナってさ、実は全く笑っていないんだよ。くーちゃんが、どんな表情をするか、注意深く伺っているんだ。それでね、隙を見せたら最後、永遠に粘着されちゃうんだよ。

 ああもう。苛々する。だからさ、ぜんぶカトリーナの思う壺なんだよな。まぁでも、わたしが頭の左隅に飼っているねずみは、しょせんねずみだから、知能なんてほとんどないんだから、対話の余地なんかあるはずもなくって、しかもそいつは元気を有り余らせているらしくって、都合よく大人しくさせておこうなんてのは、元から無理な話なんだって、ずっと昔から分かり切っていたことで。

「知るかよ」

 わたしは親指で眉間をぐりぐりと押し込んだ。それから、また窓の外を眺める。真っ暗闇。どこか遠くに視線の焦点を合わせて、出来るだけわたしの気に障るものが目に入らないように。例えば、カトリーナとか、それからもちろん、くーちゃんだって。

「ぼくの名前なら」

 くーちゃんは、やっとだんまりを止める気になったようで、というか、ようやく、わたしが、ぎりぎりのところで踏みとどまっていて、それで、こんな風に逃げ場もない車内で、わたしが絶叫したら、自分も巻き添えなんだって、気づいたみたいで。ちょっぴり慌てた顔をしていて。

 けれど、カトリーナが人差し指をくーちゃんに向けた。

「あなたは何も喋らないで」

 くーちゃんは、そんなので、黙り込んじゃうんだ。なんだかさ。わたしの指とかショットガンを突きつけられたときはさ。もっと、興味もなさげにしてたよね。そんな風に戸惑ったような顔はしていなかったよね。

 くーちゃんは、ちらりとわたしの目を見て、いったいぜんたい、どういった判断があったのか、口をつぐみやがったんだ。だからさ、わたしは思ったんだ。もういいやって、この先のことは何にも知らないからって、そう思ったんだ。まぁ、ひょっとして後悔くらいはするかもしれないけど。でも、ぜんぶ、くーちゃんのせいなんだし。

「そう黙っていなさい。だってね」

 そう言ってカトリーナはいよいよ頬を吊り上げた。

あのきれいな、まるで絵画から飛び出てきたみたいな顔も、流石に歪み切ってしまって、不細工だなぁってわたしは思う。

「だって、日浦から聞きたいじゃない。くーちゃん、だなんて。ねぇ、日浦、あなたそんな風に怖い顔して、どの口でくーちゃんだなんて、あんな可愛らしいこと言うのかしら」

 って、そんなしょうもない挑発で、ほんと小学生みたいなからかいで、騒ぎ始めてしまっているわたしの頭に住むねずみは、どうしようもないぐらいに正直で、信じられないくらいに単純なんだよね。

「ねぇ、くーちゃん。日浦ったらね。ほんと寂しがり屋で、毎晩、毎晩、私に電話をかけてきて、それでね。くーちゃんが襲われていたあの夜も私たちはお喋りしていたのだけど、日浦がね、とつぜん叫んだのよ。くーちゃんが襲われてる!って」

 カトリーナは、身体を乗り出した。その青い瞳の輝きかたは異様で、まるで昔アニメか何かでみた、イかれちゃった科学者みたいで、わたしは素直に気持ち悪いって思うんだけど、くーちゃんの瞳もなんでか知らないけど、呼応してきらめき始めてしまうんだ。

 カトリーナはまだ止めてくれない。

「この子ってね、あなたの名前を呼ぶ時にはね。すごく愛おしそうに、くーちゃんって口にするのよ。ねぇ、その癖、そのくーちゃんが隣にいるときは、こんなに険しい顔しているんだって、もうおかしくっておかしくって」

 平然と、あることないこと言いやがるんだ。なぁ、嘘つくの止めてくれよ。いつだれが、愛おしそうに、くーちゃんって呼んだって言うんだよ。だいたい、わたしが不機嫌そうにしているのは、いつものことだって、お前はよく知ってるだろ。

 そんな風にさ。頭の片隅で、ねずみが暴れ始めているわたしが、冷静に指摘できるわけもないんだよね。

だからさ、いつも通りだった。

脳みそがぐちゃぐちゃにかき回されて、それから、

ぴくり。左眉がつりあがる。

「あ〝あ〝ああああああああああああああああああああああ!!!」

 わたしの意識は身体から分離して、ミニバンの天井に、べったりと張り付いていてしまっていて、だから当然、こぶしを振り上げているわたしは実は空っぽで、それでも、あのこぶしが、あのにまにました顔に直撃してしまえばいいって、心から願ったよ。だって、むかつくもん。カトリーナ。

 でもさ、それが叶うことすらないことも、わたしは分かっていたんだよね。例によって、わたしの意識は宙に浮き上がっているから、周りの光景がよく見えたんだ。

 くーちゃんは、自分だって、いつ殴られるか分からないのに、なんだか飛行機雲でも眺めるみたいなぼんやりとした雰囲気で。

それで、カトリーナは「エイクラ」って呟いていたんだよね。

 この二人。カトリーナとそれから運転席に座っているエイクラは、意思疎通がすごく簡単なんだろうな。付き合いが長いせいかもしれないけど、カトリーナはただ名前を呼んだだけだって言うのに、何をして欲しいかってことがすぐに分かったみたいで、こいつら、普段から、べつにあんまり会話もしないのにさ。エイクラはサイドブレーキを下ろしていた。

 全力で踏み込まれたに違いないアクセルペダル。悲鳴みたいなエンジン音。加速するミニバン。わたしのこぶしは、瞬きすらしなかったカトリーナの鼻先に触れかけて、それから、身体ごとバックシートに叩きつけられていた。

 あ〝あ〝あ、ってわたしは掠れた悲鳴を上げていて、それから、背中が痛くてたまらなかった。だから、意識が身体に戻っている。だって痛みを感じることができるのから、それから、こうやって、咳き込んだのは、いつもみたいに叫びすぎて、酸素が足りなかったわけじゃなく、衝撃でしばらく呼吸が出来なかったから。

 カトリーナは口に手をやって、くすくすと、まるでお嬢様みたいな笑い方してて、だからさ、そういう仕草もどこかずれてるんだよな。わたしたちとは住む世界が違うように見えて、なぁ、やっぱりお前は、別の時代からタイムスリップしてきたとか、それでなくとも宇宙人だったりしないか? なんて、わたしはカトリーナを恨みがましく睨んで、それから、くーちゃんは、「大丈夫?」って心から心配そうに眉を下げている。

 あのさ、お前がわたしを心配し始めなきゃいけなかったのはさ。カトリーナが喋り始めたころからなんだよね。あまりにも手遅れで、ほんとうに今さらって感じだよね。

 でも、そういう顔されちゃうとな。

べつにいつものことだよ。なんて、言えるわけないだろ。わたしが、何をされても怒らなくなったのは、だいたい半年くらい前からで、それまでは、顔を合わせれば、なんだかんだ、おちょくられて、それでわたしはいつも発狂していて、もうだいぶ慣れてきていて、今日もべつにいつも通りで、ぜんぜん大丈夫だよ 。

 そんなこと言ったときに、くーちゃんがどんな反応をするかなんて、知りたくないから。

「痛ってーな。エイクラ!」

 わたしはまだ痛む身体を無理やり動かして、運転席に手をかける。

 エイクラは、このおっさんは、笑ったことも、泣いたことも、怒ったこともないらしくって、そういうわけで、今日が特別であるはずもなく、無表情で、つーか、地黒なのか日焼けなのか、肌は浅黒くって、それから、全身に厚く筋肉をまとわらせている、熊みたいなやつが、不愛想なのは、怒っているよりも、敵意を感じて、そんな奴が周りの人間と友好的な関係を築けるはずもなくって、だからこいつも相当に生きづらい性格をしているんだよな。

「お前は相変わらず、カトリーナの言いなりなのな。なぁ、やめとけよ。ほんとに、こいつより性格が悪いやつなんて、世界に一人も存在しないんだぞ。なぁ、世界中の誰でも、これよりはマシなんだぜ?」

 エイクラは、ぴくりとも顔面を動かさない。まるで何にも聞こえていないみたいに。ずっと、無表情でいる。でも、無視されているわけでもない。エイクラは、基本的に寡黙で、ただ、答えるまでもないって、それだけのことだって、無意味な助言だって、わたしだって分かってる。

 カトリーナは、あらあら、とわたしの方に顔を向けた。枯れ木でも見るような顔でさ。こいつ、自分の番になると、とたんに機嫌を損ねるんだもんな。

「やっぱり、くーちゃんの前だと、いいかっこしたいんだ。もうほんとうに、辞めなさい。みっともないわ。そんな風だと、愛想尽かされて、相手にもされなくなっちゃうわよ。ただでさえ、あなたは、おかしな持病を持ってるんだから」

 って、べつにさ。どうだっていいことだよ。普段ならさ。だから何だよって、受け流せたんだと思うんだ。でも、わたしの頭の中身はついさっきまで、ねずみに無茶苦茶にされていたし、カトリーナの言葉もあながち噓でもないだろうから。

 確かにわたしは強がってるよ。それに、くーちゃんも今日はずっと不貞腐れている感じだ。再会したのは、まだ二日前だっていうのに。ひょっとしてもう嫌気がさしているのかもしれないな。

 ぐらぐらと世界が揺れている。分かってる。脳みそでねずみが暴れているんだけど、ここまで酷いのは久しぶりで、いつ以来だろう。カトリーナに出会って三日目に、わたしはひどい絶叫を経験したけど、あのときと同じだ。

 いつもなら、意識は分離して、叫んでいる身体とは裏腹に、わたしは、わりあい冷静に周りを俯瞰してたりするのだけど、今は違う。何もかもぐちゃぐちゃなんだ。耳鳴りがする。カトリーナの姿が陽炎みたいに揺らめいている。視界が滲む。まるで、世界中にモザイクがかかってしまったみたいで。

あれ、えっと、一体ここはどこなんだろう。

 ふと、目の前に閃光が走って、雷でも落ちたのかと思った。

「〝ああああーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」

 どこかで誰かが叫んでいる。考えるまでもなく、そんな奴わたし以外には、いるはずないけどさ。ほんと、嫌になる。

 そうして、何もかもが真っ暗になったんだ。


 経験上、まぁ、気絶してしまった経験は何度かあるんだけど、そういう時、目を覚ました後にすぐ状況を理解できる人間は少ないんじゃないかなって思う。記憶がある瞬間から途切れていて、まるで、読んでいる小説の真ん中がなくなっちゃったような感じで、とつぜん場面が変わってしまっていて、どういう状況なのかまったく把握できないんだ。

 でも、くーちゃんが傍にいて、くーちゃんの横顔と、あのどこか、ぼんやりとしたような立ち姿が視界に入って、だから初めは夢の中だと思ったんだ。

「くーちゃん」

 そうやって、呟いたつもりだったけど。でも完全に喉は駄目になっているみたいで、すごく痛くて、ただ意味を持たない吐息が漏れ出ただけで。それでも、くーちゃんは、気が付いてくれたみたいで、大きく息を吐いて、こっちに向かってきて、ようやくわたしは状況を理解したんだ。

 もうミニバンには乗っていなかった。ここはあのバス停で、わたしは例の背もたれが半壊したベンチに寝転がっている。暑いのに、ブレザーまで着ているから、前髪が湿るほど汗をかいていた。ああ、わたしはさっきまで気絶していたんだって、ようやく気付いて。それから、今は何時なんだろう。って考える。どこか夜空が白みはじみているみたいだった。

ペアレントはもう誰かが消してくれたみたいで、それは、たぶん、あんな風に平気な顔をしているくーちゃん以外の誰かなんだろう。だって、もしそうだったら、正気じゃいられないはずだから。

 身体中は痛くて、声はやっぱりでなくって、なのに不思議だけど、そんなに悪い気分じゃなかった。いつだって、わたしはちゃんと眠れていなくって、そのせいで、目の下の隈は薄くなる気配もなくって。

こんなに長い間、まぶたを閉じていられたのは、実は久しぶりだったから。

「良かった。起きたんだ。・・・どう、動けそう?」

 ってくーちゃんは、わたしの顔を覗き込んだ。わたしは上半身を起こして、それから目を擦って、喉に指をあてる。

「----」

 喋れない。わたしはそういう風に口を動かして、それはちゃんと伝わったらしく、くーちゃんは、うん、って頷いた。

 それから、くーちゃんはどこかへ歩いて行って、どこだろうって思ったら自販機へ向かっていて、それから、水をくれた。どこか遠い国の雪解け水だと、ラベルに書いてあった。ペプシコーラが良かったな。そんなしょうもない文句は、伝えたいとも思わない。むしろ喋れなくてよかったくらい、わたしは素直にペットボトルを傾けて、数度、喉を鳴らした。 

「どう? 喋れそう?」ってくーちゃんが聞くから、試してみる。「あ…」って一文字だけ声が出て、それから首を振る。

「無理そうだね」って、うん、たぶん今日は一日中、こんな感じなんだと思う。でもまぁ、大した問題でもなくって、一晩か二晩眠れば治る程度の他愛のない障害に過ぎないだろうから、心配しないで欲しいな。

「気づいていると思うけど、ペアレントはもう消えたよ。あの女の人が倒した」

 くーちゃんが言って、こくりとわたしは頷いた。ペアレントがまだこの街にいるかどうかってことは、わたしたちは、直感的に分かる。だって、あれがこの街に存在している間は、家に帰れないから。でも、今は帰れる。説明のしようがない。わたしたちにしか分からない感覚。なんだか、脳みその一部が変わっちゃうような。くーちゃんも、身をもって知っているはずだった。

「あんなに性格の悪い人間がいるとは思わなかった。ぼく、あの人嫌いだな」

 くーちゃんはそんなことを言っている。どうかな、性格の歪み具合でいったら、たぶん、くーちゃんも、大差ないよ。わたしが叫んでいるときに、嬉しそうに瞳の奥をきらきらさせていること、自分じゃ気づいていないのかな。そういうのって、今までにくーちゃんだけなんだけど。どっちの性格が、よりひどいかなんて、わたしには判断付かないや。

カトリーナって、ほんとうは口先だけなんだし。口を開けば、どうしたって、人が嫌がることしか言えないって、ただそれだけで、表面上だけ優しい、くーちゃんとは正反対だね。

 声が出ないわたしは、ただ黙って、首を曲げて、それだけのしぐさで、いまの気持ちが伝わるわけもなくって、ふとくーちゃんは肩をすくめて、「帰ろうか」って、言った。

 いまわたしは、久しぶりにちゃんと眠ったおかげで、すごく調子が良くって、頭の中のねずみもまるで消え去ってしまったみたいで、ひょっとして、ありがとうも、それから、分かれ際にくーちゃんが言った、おやすみ、にもきちんと答えてあげられそうだったのに。わたしがちゃんと声を出せるようになったのは、日曜日も終わりかけたころだったから、間に合うはずもなかったよね。


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