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 あと数か月でわたしは16さいになる。16さいにはなれると思うけど、たぶん、17さいにはなれないんだろうな。わたしという人間の存在はそれまでに消え去ってしまうから。ふと、これまでの人生を振り返ってみると、くだらない人生だったなと、しみじみ思う。何がひどいって、大変つまらなかったのに、べつに、これといった後悔もないところだ。

 ああすればよかったな、とか、こうすればよかったかな、とか、普通は人生っていろいろ思い悩むものだと思うんだけど、わたしって、これまでに特に迷ったことすらなくって、だって、そもそも悩むような選択肢すらなかったように思えて、ううん、一つだけあった。好きだった男の子からの告白を断っちゃったことは、ちょっとだけ、ひっかかっているけど、でも、結局は最善な選択だったと思うし、そういうわけで、わたしというやつはおおむね一本道だった人生を仕方なしに一直線に突き進んできて、そろそろ、進むのが嫌になってきたところで、後ろを振り返ってみたのだけど、そこにはなんにもなくって、ほんとにつまんない道だったなぁって思っているのだ。

 運が悪かった。なんて、そんなこと言うべきではないのかもしれないけれど、そんなこと言ったって仕方がないのかもしれないけれど、立派な人間には、もうちょっとがんばれよって、しかられてしまうような態度かもしれないけれど、だって一本道だったわけだし、しょうがないと思うんだ。わたしは運が悪くって、つまらない人生を歩む羽目になって、それで、もうそろそろ、消えてしまうのだ。

 あーあ。つまんない。やってられないな。

 わたしは不幸なままでかまわないから、わたし以外の人間もみんな不幸になってくれないかな。夜がやってくると、わたしはすごく罰当たりで、八つ当たりな、呪詛の言葉を吐き出して、いそいそと身支度をし始めて、学校に行くわけでもないのに、高校の制服のブレザーに袖を通して、玄関を出て。

そうして、今日もこの街を徘徊するのだ。

 この街にはべつに何にもない。ショッピングモールなんてはるか遠く、コンビニエンスストアさえ少し遠く、あるのは軒並みに似たような一軒家ばかり。つくづく、つまらない住宅街で、つまらない人生のわたしの住処にはお似合いで、まったく砂漠みたいに干からびている街だ。

それは夜になればもっと顕著になって、山とか、公園とか、わずかな風景も闇に飲まれて、何にもなくなってしまって、辛うじて街灯の明かりだけが地べたのマンホールとか、石ころとか、土くれとか、別になくてもいいようなものを照らしている。

そんなんだから、この寝静まった街は、夜中には真っ暗闇になるはずで、そうなれば、星空はきれいに決まっていたのに、近所に24時間、白い煙を垂れ流している工場があって、どうもそれは、製紙工場らしいのだけど、そいつが無駄に明るくって、夜闇は、中途半端に薄くって、碌に星も浮かべやしないんだ。

ほんとにさ、繁華街とかが近くにあるわけでもないのに。空だけが明るくって。だから、この街の夜は空も地べたも、ただただもの寂しくって、そんなところを歩いていると、わたしはなんだか、世界でひとりぼっちになっちゃった気がしちゃうんだ。

「なぁ、カトリーナ、退屈だよ」

 わたしは言う。わたしが喋りかけたスマートフォンは、しばらく黙っていて、それからため息の混じった答えを返した。

「ねぇ、日浦。あなた、毎日、毎日、いつも退屈じゃない」

 そうやって、静けさが和らいだから、ひとりぼっちじゃないんだって、わたしは少しだけ安心して、それだから、わたしの口から出てきた言葉は、どこか甘えたような響きだった。

「仕方ねぇだろ。そりゃあ、いつも同じ場所を歩いてるんだからさ、昨日が退屈なら、そりゃ今日も退屈だろ。なんかさ、適当に喋っててくれよ。頼むよ。退屈で退屈で、仕方ないんだ。これじゃあ消えちまう」

 知らないわよ、勝手に消えなさい。カトリーナは心底うんざりしたような声色で、冷たいことを言って、それからあいつは、きっと性格悪く口元を歪めたに違いないんだ。

「まぁ、あなた恋人どころか、友達のひとりだっていないものね。そりゃあ、寂しいわよね。そろそろ学校にぐらいは通ったらどう? 私以外にも、電話を掛ける相手ぐらいはできるかもしれないわよ」

 だって。

そう言われても、べつにそんなのは、欲しくないんだし。どうせ、わたしはもうすぐに消えちゃうだろうから。全部どうだって良くって、最近のわたしは、何を言われてもぜんぜん怒らなくなったから、カトリーナもそんな嫌味が効果的ではなくなったことくらい気がついているのだろうけど、この性悪女はわたしが嫌がりそうなことしか喋らない。

というか、カトリーナという人間は誰に対しても、嫌みったらしいことしか喋れないのだ。そういう、はた迷惑で面倒くさい性分らしい。

 だから、

「友達なんて、お前にだっていないだろ」

 きっとそうだと思う。こいつと仲良くなれる奴なんて、いるはずもないんだ。

 あら、カトリーナはそうやって、嬉しそうに呟いた。

「だって、私は大人だもの。大人になったら友達なんて自然にいなくなるものよ。でも、私があなたくらいの年のころには、友達も恋人もいて、それは、それは、楽しい青春を過ごしていたわ。ねぇ、あなたはそれを知らないままでいいの?」

 嘘か本当かも分からないような、それから、信ぴょう性も、根拠もないことをカトリーナは言った。

「大人でも、友達ぐらいはいるだろ。普通ならさ」

「いいえ、そんな奴らは大人になっていないだけ。みーんな子供のままなのよ」

 らしい。そんな訳ないと思うけど、あんまり言い切るから、ちょっとだけ信じてしまった。ふぅん、ってわたしは相槌を打った。どうでもいいことだから。だったら大人って孤独なんだなとか、そんな感想は、どうせ大人になんてなれっこないわたしには完璧に無関係だし、だいたい、カトリーナとなんか、あんまり真面目に話すつもりなんて、初めからないわけだし。

夜空を見る。どうも今夜は快晴らしくって、雲一つなくって、まばらに星が見える。ぽつりと浮かんだ月は半月より少しへこんだ形だ。しけてる。こんな夜に消えちゃうのは嫌だなって、思う。だって、どうせなら満月の夜がいいだろ?

「まぁ、その調子で喋っててくれよ。何にもないよりましだしさ」

 また沈黙。わたしはその間、歩くのを止めて、じっとカトリーナが口を開くのを待っていた。目を閉じて、俯いて、まるで神様にでも祈っているみたいに。

「ねぇ、日浦。私が口にできるのは嫌味だけよ。あなたが嫌な気分になるようなことしか喋れないわ。たぶん、音楽とかを聞いていたほうがましだと思うのだけど」

 だってさ。カトリーナが自分からそんなことを言ったのは、わたしが喋っていてくれって、お願いしたからなんだ。そうじゃなきゃ、カトリーナがわたしを気遣うようなせりふを吐くことなんて、ありえない。

 憂鬱。だけど、こういう気分だって、とっくに慣れてしまっている。

 わたしは、電話口には乗らないように、薄く薄くため息をついた。

「いいよ。なんだって、誰のだって、どんな話でもいいから、声が聞いていたいから」

 そうすると、くすくすと笑い声が聞こえた。

「哀れね。そんなときに頼る相手もいない、あなたのこれまでの人生が可哀そう。そんな風になっても、何も変わらずにただ日々を耐えるだけの、あなたの人生はそのまま、退屈なままで終わってしまうんでしょうね」

 そうやってカトリーナは喋ってくれている。それでわたしが、もう十分だっていったら、もうたくさんだって言ったら、いつだって止めてくれるのだろう。カトリーナは嫌みったらしいことしか、やっぱり喋れないのだけど、振る舞いのぜんぶまで嫌がらせをするわけではなくって、何にも言わずに電話を切られることが、いま、わたしは一番いやなのに、カトリーナはそうしないでくれている。

 わたしは声を聞いて、ああ、とか。うう、とか。うめき声みたいな意味もない相槌を打つ。カトリーナが喋る言葉の意味なんてこれっぽっちも理解していなかった。誰かがわたしに向けて、喋っている。ただそれだけで十分だった。


 ずっと歩いているから、身体はそろそろ汗ばみ始めていた。いつも、夜12時あたりぐらいからしか外を出歩かないせいで、しかもこの街の夜の風景は代わり映えしないわけだから、季節感が微妙に鈍っているけれど、虫の声とか、風のにおいとか、たしかに、もうすぐ夏がやってきそうな雰囲気で、そりゃあ暑いよなって、自分のことなのに、他人事のように思っている。それでもわたしが、毎晩、カッターシャツの上に、制服のやたらと、おもっくるしい紺色のブレザーを、着込むのは、どうしてなんだろう。わたしはひょっとして、何でもいいから包まれていたいのかもしれない。もしそうなら、いくらなんでも、さすがに女々しいなぁって、ちょっと情けなくなる。

「日浦、ちゃんと聞いてる?」

 カトリーナはまだ何か喋っていた。こいつの声、透き通ってるよな。よく聞いていなかった言葉の語尾には、疑問符がくっついていた気がしたから、「うん」って、適当に頷いた。カトリーナはさ、声だけじゃなくて、実は顔とか全体的なスタイルだったりも、厄介な内面とは比べ物にならないくらいに、きれいで整っているから、こいつに喋りかけられながら、こいつの顔を見ながら、この退屈だった人生に、おさらばするのは、あんがい悪くないかもなって思ったりする。それは、この街のしょうもない夜空を眺めているよりは、ずっとましだと思うんだよな。

 今日は水曜日で、つまり、あと二日後、金曜日の夜にはあいつと顔を突き合わせることになるだろうから、その時に。なんて、無理な相談だろうな。カトリーナはそんな風に、わたしの自分勝手なお願いに付き合ってくれるような優しさは持ち合わせちゃいない。本心はどうあれ、口先は、勝手に消えれば? とかひどいこと抜かすに決まっているんだ。

「あ」

 わたしは、そうやって、声を漏らした。これはカトリーナに向けたものじゃなくって、なんというか、とつぜんに雨が降り始めた時、つい、呟いたのと、おんなじ種類だった。

 曲がり角を曲がって、すぐそこにいたのだ。

 人型の巨大怪人。通称、ペアレント。全身がクリーム色にぼんやりと発光している。そいつには目も鼻も口もない。その代わり、のっぺらぼうな顔面の中央に、ビニールテープで張り付けたような黒い円が描かれていて、その円は、たまに蛇みたいにうねうね動いたりする。だいたい電柱と同じくらいの背丈で、熊みたいにいかつい肉体をしているのに、きゅー、ってけっこう可愛らしい鳴き声をあげたりするのだ。

 わたしはもう慣れちゃったけど、あいつは非日常的な、完全に完璧な化け物だから、初めのうちは、姿を見るだけでも、すごく怖かった。

 遺品はヘッドホンだった。ペアレントの頭のてっぺんに、シルクハットみたいに乗っかっていて、嫌でも目に入る。そうして、今夜、わたしが見つけたのは、それだけではなかった。

 人影があった。しりもちをついた格好のだれかに、ペアレントが覆いかぶさろうとしている。あのひとは襲われているのだ。きっとほっといたら殺されちゃうんだろうな。でもペアレントに消されそうになるやつなんて、わたしや、カトリーナみたいなろくでなしだって、相場が決まっているし、助けたところで、遅かれ早かれ消えちゃうんだし、それにどうせ、あの人の未来には、しあわせなんて、あるはずもないんだから、黙って見捨てちゃおうかな、わたしはちょっぴり冷たいことも考えている。

「いたんだ?」

 でも、カトリーナはほんとに目ざとくって。いったいさっきまでの適当な相槌とどんな風に違いがあったっていうんだろうか。「ああ、よく分かったな」わたしは気だるさを隠す気もなく言って、それから、目の前の光景をいまだに傍観している。

 きゅー、そうやって、ペアレントが鳴いた。いつも、あの鳴き声はどこか緊張感に欠けている。なんだか、でかい犬がじゃれているみたいな声なのだ。そのうえ今回は、襲われている人の表情にだって、悲痛な感じは別にないものだから、余計にさ。

それはそれで、あの人は、いくらなんでも危機感がなさすぎるような気もするけれど、まぁ、ペアレントに襲われるようなのは、変な奴ばっかりなんだ。取り立てて、驚くことでもないんだよね。

 そのまま、わたしは、まだぼんやりとしていて、やがて、

「くーちゃん」

 と呟いた。

 自分の口から出てきた名前の響きが、すごく懐かしくって、わたしは、こくりって唾を飲んでいる。

 そうして、瞬きして、あの呑気そうな横顔にはやっぱり、見覚えしかなくって。

 くーちゃんだ。あいつ。今消されそうになってるの、わたしの幼馴染だ。くーちゃんは、そりゃ、ちょっと変なところもあったけれど、でも、ペアレントに襲われるようなタイプじゃないと思っていたのに。

「え、日浦。あなた今なんて言ったの?」

 カトリーナの声。さすがのこいつも、わたしの幼馴染の、しかも、わたし以外は使っていなかったあだ名までは、嫌味の種としても、抑えていないみたいだった。「ああ、くーちゃん、あの子ね」って訳もなく言い始めちゃいそうなところが、こいつの末恐ろしいところで、そう言い始めてもわたしはそれほど驚かなくって。

 考えている場合じゃないのかもしれない。

わたしの思考はそのときまで、ひょっとしたら最近は、ずっとだったのかもしれないけれど、寝起きみたいにふわふわしていて、けれど、顔でも洗ったように、その瞬間に、はっきりとした。

「くーちゃんが襲われてる!」

 まぁ、そんなことを叫んでしまったのは、あんまり冷静でもなかったかもしれない。「え?」とカトリーナの声は、今までに聞いたことがないくらいに間が抜けていて、だけど構わずに、わたしは駆け出した。

 そうして、走りながら、あの夜空に浮かんだ月に手を伸ばす、半月未満で風情のかけらも感じない。下らないかたちの月。

くーちゃんをこの世界から消されたくないっていう思いは、つまり、わたしがいなくなった後の世界のことなんて、どうだっていいに決まっていて、誰が存在していても、誰がいなくなっていても構わないはずで、結局わたしが、なんだかんだ、ぐちぐちこぼしていたって、まだ生きていたいと考えている証だった。

 わたしの生への執着は右手で発現して、発光して、光線へと変わる。輝いた右手の光は複雑怪奇に折れ曲がり、ゆっくりと形を成していく。

 わたしの身長の半分くらいの長さのショットガン。今はそれが手の中にあるけれど、まるで存在していないみたいに軽くって、これを視界に映すことができるのも、結局わたしたちだけなのだから、実は本当は幻だったりするのかもしれない。

 だったら、これ、もうちょっと可愛くってもいいのにな。

この真っ黒な銃身を初めて見たときに、これはショットガンなんだと、すぐにわたしが分かったはずもなく、ただでかい銃と呼んでいたのはもう一年以上も昔の話で。あーだ、こーだと全然聞いてもいない、興味もない話をずっとしてくれた、やたらと銃の構造に詳しかったあの人はもういなくなってしまっている。

 なんだっけ、リロードの必要がないのが残念だって、ロマンがないって、コッキングアクションは必要不可欠なんだって、意味わかんないこと言ってたな。

 わたしはアスファルトを蹴った。

 このショットガンから、ばらばらに飛び出たペレットのどれか一つでも、ペアレントに掠ってしまえば、それでおしまいなのだから、こんな風にわざわざ飛び上がる必要はなかったけれど、走ってきた勢いのままに、わたしは気が付けば跳躍していた。

 いまペアレントのお腹と銃口との距離は一メートルもない。だから、外すことなんてあり得ないだろう。わたしはトリガーを引いた。

 ぱすり。

 そうやって、夜闇には、まるでコルク栓でも抜いたみたいな、手ごたえのない、物足りないぐらいの発砲音が響く。

空気を入れ続けた風船が破裂するみたいに、ペアレントの体は一瞬だけ、膨れ上がって、それから音もなく、散り散りになって、夜の闇にクリーム色の残骸が花吹雪のように舞って、その内に、そのぜんぶが空気に溶け出して、消え失せてしまった。

 きゅー。

ペアレントの断末魔は、いつもひどく耳障りだ。なんだか、足元で眠っていた子猫を蹴っ飛ばしてしまったみたいな、どうしようもない気分になる。けれど、ごめんって謝ったことは一度もない。だって、誰かに撃てって強制されるわけでもなくって、たまたまでもなくって、わたしが勝手に、自分の意思で、このペアレントを消してしまいたいと思って、撃っているんだから。

 それで、遺品のヘッドホンだけが未だにこの世界で形を留めている。ペアレントがいなくなったから、ヘッドホンは落下して、地面にぶつかって、がちゃり、と気に障る音を立てて、わたしは、うっとおしくって顔をしかめた。

でも、しかたないから拾って、数秒見つめたら、残されたそれも、光になってどこかへ、跡形もなく、消えていってしまう。

 これで、ようやく、今夜はおしまいなのだ。

 はぁ、それで、明日も明後日もきっと繰り返すのだ。

「日浦?」

 わたしが、いつもの通り、ぼんやりと立ち尽くしていると、そうやって声が聞こえた。へぇ、よく分かったね。二年ぶりなのに。顔を見て、わたしの苗字をすっと口にできるくらいには、わたしのこと覚えていてくれたんだね。

わたしも、くーちゃんの苗字を呼ぼうと思って、口を開きかけて、すぐに閉じる。思い出せないことに気づいたんだ。

だってさ、思い返せば、くーちゃんの本名って、漢字が信じられないくらい難しいせいで、読めないから、ずっとあだ名で呼ぶしかなくって、ほかの人がなんて呼んでいたって、興味なんてなくって、くーちゃんはくーちゃんでしかなかったせいで、たぶん、忘れたとかじゃなくて、もともとわたしの脳には、記憶されていなかったのだと思う。

「よぉ、見ちまったな」

 だからって、呼び名が思いつかないからって、こんな風に、勢いに任せて、人間界では正体を隠していた悪魔か何かみたいな、そんなせりふを言う必要はぜんぜんなかったのだけど。

それから、わたしはショットガンを肩に担いで、首を曲げる。こんな風な仕草も、普段はしないね。

 格好をつけようとしているんだって、自分が一番よくわかっている。ずいぶんと長い間、笑っていなかった左ほおを無理やりに釣り上げて、くーちゃんを見下ろす。

ほんとうに小さい子供の命を救った、正義のヒーローにでもなった気分。だって、くーちゃんは、明らかに尊敬の眼差しでわたしを見ているんだもん。

顔見たの、久しぶりだなぁ。ってわたしは思う。身長が昔より、ちょっと伸びている気がするのはたぶん勘違いじゃないだろう。

きちんと学校に通って、ちゃんと陽の光を浴びているに違いないくーちゃんの肌が健康的に日に焼けているのが分かった。それから、相変わらず、細くって、癖のない髪で、うらやましい限り。でもさ。もう少し身体には肉はつけたほうがいいんじゃないかな。ぜい肉だっていいからさ。だって、ちょっぴり頼りないもん。

 まんまと、困ったことに、くーちゃんは、ちゃんと勘違いしてくれたらしくって、瞳の奥まで、澄んだ川の水みたいに透き通っていて、「すげぇ」って呟いて、それから、本当に厄介なことに「何も見てない」とかほざき始めてしまったのだ。

 そりゃあ、それは、わたしのせいなんだけど、ちょっと誤解させてしまっている。

 違うんだよ。べつにわたしには正体がばれたら最後、魔界に帰らなくちゃいけないとか、いっさいの能力を失って、明日からの戦いは大ピンチになっちゃうとか、身体に爆弾が埋め込まれていて、それが爆発しちゃうとか、そんな風にたいへんな事情は抱えていないし、それにだいたい、くーちゃんも残念ながら、もう今日からは仲間なんだよ。

 って言えばいいのに。そこまで丁寧でなくたって、違うから、べつに見てたっていいから、ってひとこと言えば終わりなのに、わたしはそうしなかった。

 気に喰わないことがあるわけでもないのに、無駄に舌打ちなんかして、くーちゃんを睨んで、ショットガンの銃身は半円を描いて、二年ぶりに顔を合わせた、わたしの幼馴染を覗いている。

「んなわけねぇよな。だったらこれも見えねぇか?」

 くーちゃんは、ペアレントに襲われていた時の、尻もちをついた格好のままで、じっとわたしの顔を見ていた。もう額と銃口がくっつきそうになっているのに、なんだかくーちゃんは平然としていて、怖い顔をしているわたしのほうが本当は困っていて、口の中が急に乾いてきて、わずかに残った唾液も苦くってたまらなかった。

「いーよ」

 それでくーちゃんはそう言ったのだ。いーよって、具体的に何がいーよなのか、わたしはしばらく分からなかった。というのはたぶん嘘で、分からない振りをしていただけなんだと思う。でもさ。くーちゃんの性格も、ペアレントに襲われるような人間にふさわしく、ちゃんとおかしいんだ、なんてこと、素直に受け入れたくないじゃん。

「いーよ。撃って、でも、ここで撃つと死体は目立つだろうし。面倒そうなら、ちょっと歩いてもいいよ」

 そうやって、くーちゃんは繰り返した。わたしが呆気にとられて、無言でいたのを、くーちゃんはまた変な風に捉えたらしい。

「不都合もないなら、ぼくはどこでも構わないけど」

 わたしは、からすの死骸がアスファルトで干からびているのを発見しちゃった時みたいに、鼻にしわを寄せた。今のせりふに嘘なんてないんだって、心からの言葉だったんだって、わたしには分かってしまう。

 だって、わたしたちは、死にたくないと願えば、生きたいと願えば、ただそれだけで、右手が輝いて、武器を、でかい銃を、ショットガンを、どこかの誰かから、押しつけがましく、与えられるんだ。ほら、あとはこれで、自分で何とかしろよって、あまりにも暴力的に、投げやりに願いを叶えてくれる。くーちゃんは、さっきペアレントに襲われていた時から、ずっと、手ぶらのままだった。だからこいつ、生きたいとも、ちっとも願っちゃいないんだ。

 銃口で、こつんとくーちゃんの額をつついてやると、くーちゃんは目を瞑ることもなく、痛みを知らない赤ん坊みたいなきょとんとした顔をして、首をかしげる。

「撃たないの?」

撃つわけないでしょ。ばか。

 頭の左奥がぴりぴりしてきているのを感じる。久しぶりだった。わたしのこの症状が、最近なかったのは、もう全く怒ることがなくなったのは、ぜんぶぜんぶ、どうでも良かったからで、今はよくないみたい。すごくいらいらする。

くーちゃん、こいつ。いい加減に。

 ああ、駄目だって。

 わたしは頭を振った。

危ないな。このままだとわたしは身体の制御を失って、引き金を引いて、本当にくーちゃんを撃ってしまうかもしれない。わたしは慌ててショットガンを投げ捨てて、手を離れたそれは地面に着地する前に、どこかへ、たぶん、宇宙の果てにでも、消えてしまって、くーちゃんはまた、瞳の奥をきらめかせていた。ため息が出そう。そうだね。すごいね。わたしもそう思うよ。ねぇ、ちょっとは怖がったら?

「撃つわけないだろ。馬鹿。だったら最初から助けないから」

 そうやってわたしが、わざわざ手のひらをひらひらと動かしたのは、くーちゃんにサービスしているのだ。マジックが終わった後に、観客に仕掛けがないことをアピールするみたいな感じ。瞬きもせずにわたしの手にひらに夢中なくーちゃん。もう何も出てこないよ。ねぇ。くーちゃんって、そんなに馬鹿だったっけ。

「じゃあな」

 わたしは首を曲げて、くーちゃんを睨んで、それからすぐに視線を外す。

だけど「日浦、待って」そうやって、くーちゃんが、わたしを呼び止めた。なんだろう。あんまり、神経に障るようなこと言わないでくれると嬉しいな、たぶん、そろそろ限界だからさ。

「日浦さ。僕と同じ高校だったんだ。知らなかった。そのうちまた会えるかな?」

 わたしの制服を見て、言ったんだろう。それは嬉しいような、悲しいような、中間点。そりゃあ、わたしは入学式になんとなく顔を出しただけで、それ以外には、一日も高校には通っていなかったんだから、仕方ないんだけど。幼馴染がどこの高校に通っているかなんてこと、ちょっと興味をもって、ちょっとでも努力すれば、すぐに知れたんじゃないかな。ねぇ、わたしは知ってたよ。くーちゃん、入学式のあの日は、すごく眠そうだったよね。

「ああ、会えるぜ」

 わたしは口を曲げる。くーちゃんはやっぱり馬鹿みたく、なんだか、散歩に連れていかれる直前の犬みたいな雰囲気で嬉しそうに「うん」って頷いた。

たぶん、その再会はくーちゃんが想像しているような感じじゃないんだけどね。きっと偶然に同じクラスになって、となりの席に座ったり、移動教室ですれ違ったり、そんなことは起こらなくって、でも真夜中には、嫌でも出会うことになるんだよ。

「じゃあ、日浦おやすみ」

 そうして、何にも知らない、くーちゃんはごく自然にそう言ったのだ。

 おやすみ、だなんて言葉を掛けられたのは、ずいぶんと久しぶりだった気がする。カトリーナは口が裂けたって、そんなこと言えないだろうし、親子仲なんてずっと昔から、わたしが不登校になる前から最悪だったし、だから、わたしはどうするのが適切か分からなくなって、ふん、って鼻を鳴らして、くーちゃんに背を向けた。

 あんまり上手なコミュニケーションじゃなかったなぁ。べつに素直に、おやすみって言えばよかっただけじゃん。それってそんなに、難しくなかったじゃん。数歩歩いただけで、わたしは後悔しはじめていて、それでも、わたしが一度も振り返ることがなかったのは、いまだに格好つけているのと、それから、そろそろ本当に身体の制御が怪しかったから。

 カトリーナと同じで、わたしだって、面倒な性分なんだよね。

 結局さ、今夜の出来事は、わたしにとって、全体的には不快だったんだ。

そりゃ、ぜんぶがぜんぶって訳でもなかったけれど、だいたい心地の良い夜なんて、もう3年ぐらい経験していないから、そのうちにわたしは何にも感じないようになっていたのだけど。

 とにかく、危なかった。今夜ぐらいは、久しぶりにくーちゃんに出会った日ぐらいは、わたしはまともでいたかったから。

家に着いてから、わたしは服を脱いで、シャワーを浴びて、くたびれたグレーのスウェットを着て、それからはベッドに寝転がって、目を瞑るだけだと思っていたのに、スマートフォンが鳴っていて、わたしに電話をかけてくるような相手なんて一人しか思いつかなくって、そうして、夜が終わった後にかかってくるのも、いつものことで。

 カトリーナからの呼び出しが、うっとおしいって感じたのは、久しぶりだなって、そんな風に思った。


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