第一話 始まりのトラウマ
ザッ――――ザザッ――――ザッザッ――――
森の中、二つの足音が湿り気を帯びた落ち葉の絨毯の上を獣道と見分けがつかないとある神社への道に沿って進んでいく。しばらく足音が続いて道にゴツゴツとした石を見かけるようになった頃、
「おい、そこは苔があって滑んぞ。気ぃつけろ」
「はい!分かりました!」
と、奇妙な貫禄がある白髪頭の老人の男が言い、長い髪を後ろに束ねた黒髪の若者が元気よく返事をする。
彼らは便利な道具類や刀、動きやすい着物、雨風をしのぐ笠、などの旅装束に身を包み、大荷物を背負子に積んで山奥に荷物を届ける歩荷という仕事をしていた。
といっても若者の方はこれが初日の仕事なので、妖怪などの危険が少ない博麗神社コースでの研修中、というわけである。最近、金の延べ棒を手に入れたとかで博麗の巫女様は羽振りがいいらしく、何度も仕事を頼んでくれるので新人の教育がしやすい環境なのだと若者は老人から聞いていた。
それにしても―――――――
「巫女様はどうやって金の延べ棒なんかを仕入れたんでしょうねー?」
博麗の巫女を知っている人間に「博麗の巫女といえば?」と聞いて回れば必ず「貧乏」という答えが帰ってくるほど巫女様の貧乏具合は知れ渡っている。疑問を持つのは当然だろう。
「ああ、あんまし追及しねぇほうがいぃぜ、それ」
「,,,?どうしてです?」
「前聞いてみたんだがよ、目ぇ泳がせてたんだ」
なぜそれで追及してはいけないのですか?との意味を込めて若者は首を傾げて見せる。すると老人は顎で道の先を指し示す。そこにはなにか大きなもので地面を抉りとったかのような不自然な道ができていた。
「あれは、一体,,,」
「ありゃあ先々代の巫女様がやったのよ」
言いつつ抉れた道を歩きながら老人はとある物語を語りだす。
「昔、バカな野郎があそこで転んで荷物ぶちまけちまって、怒った巫女様は地面を抉りそいつを人里に突き出してこういったんだ。『これで通りやすくなっただろう!次同じことをやったらそいつはあの地面のようになるぞ!』ってな」
そしてそのバカ野郎は一生博麗の巫女達に荷物を届けるっつう責任を負わされたってオチさ、そう言って老人はこのお話を終わらせた。
「はあ,,,過去にそんなことが、大変でしたねぇ」
「おおよ、世襲制じゃねぇっつうのに博麗の巫女は代々気まぐれでな、未だに皆怖がってお前か物好きか博麗神社へお参りに行く爺さん婆さん以外は道を通ろうともしねえな」
つまり、下手に聞かなくていいことを聞いて巫女様の機嫌を損ねてしまえば、彼ら二人が歩いている抉れた道のようになりかねないという話だった。
「まあ俺もそれ以来、巫女様方にゃあ頭があがんねぇってわけだ。っととすまん仕事中に喋りすぎたな、そろそろ神社に着くぞ。」
話に夢中になっていた若者は「おお、そういえば」と老人から目線を外し前を向き直ると、そこには大きな丘に長い石造りの階段が作られてあり、その頂上には鳥居が一基だけ建っていた。丘から神社らしき屋根がはみ出て見える。
「よし、ここだ」
その言葉が発されると共に二人は階段を登り始めた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
「ふん♪ふん♪ふふふん♪ふふん♪ふふふん♪」
少女は気分よく鼻歌を口ずさみながら神社の境内を掃除している。彼女の名前は博麗霊夢、赤い模様入りのリボンで黒い髪を結い、肩周りの布を切り取ったかのような赤と白の巫女服を着た、ここ、博麗神社の巫女であり彼女の物語の主人公だ。
「そろそろ届く頃なのよね」
霊夢は深く背伸びをしながら今日届くはずの食材達と今日の献立を思い、幸せそうなため息を吐く。そして噂をすれば影がさす。
「おお!ここが博霊神社,,,!」
「霊夢さーん。お荷物、届けに来やしたぜぇ」
歩荷が到着した。持っていた竹箒を縁側に立て掛け、小走りで荷物の元へ向かう。来たのがいつものお爺さんと、もう一人は誰だろうなとは霊夢は一瞬考えたものの食料を前にしてすぐに忘れてしまっていた。
「豪さん、ありがとう。早速だけど荷物を倉に置いてもらえないかしら」
元々料金は払っているので世間話をしつつも荷物はすぐに運ばれた。
しばらくたってそろそろ会話の風呂敷を畳む用の言葉が頭にちらつくようになると、
「はっはぁ!んで霊夢さんは努力を無駄と思うんですかい!はっはっはぁ......ああそうだ、今日の目的はあいつを紹介しに来たってぇのもあるんです」
「んぅ?」
と豪と呼ばれていた老人が目線で促した方向を見ると、それまでキョロキョロくるくると境内を探索していた目と足をキリッとこちらへ向けて深く息を吸い、
「どーも!ボクはリュウ ウミと申します!よろしくお願いします!」
まるで元気の化身であるかのような心地の良い挨拶が境外まで鳴り響く。もっともそれを向けられた霊夢の耳は騒音に近い音としてしか処理しなかったが。
「へぇー、へんてこな名前ね。あんたは豪さんの後継者ってやつなのかしら」
「えっ!そうなんですか?豪さん」
とウミと自己紹介した若者は驚いていた。霊夢にとっても予想外のリアクションである。
「お前なぁ、俺ゃもう年だそ。仕事を継ぐやつの一人や二人、会の連中も寄越すだろうよ。あっ、言っとくが何でもやるっつったのはお前って聞いてっからな。俺に文句は言うなよ」
「え?ええ、も、もちろん文句なんてありませんよ」
「なんでもいいけど情報伝達はよそでやってくれない?」
そんなやり取りを終えて、彼らは人里の方向へ帰っていった。うるさいのが増えたな、と思いながら立て掛けた竹箒を回収し、とても暇そうにまた背伸びをする。
「お茶でも沸かそうかしら」
そうして彼女の日常は小金持ちになったことを除いて、いつもどおり暇なまま過ぎていった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
「それじゃこのへんで」
「じゃあねー、豪さん」
豪は短く挨拶を済ませ荷物を置いて軽くなった背負子を背負い直す。軽くなったと言っても荷物を持ちながら森を歩くことは老人にとってはかなりの重労働で、いつも腰に気を使いながら荷物を運んではいるが日に日に体力が衰えている。だからこそこの仕事を継いでくれる人材を会に頼んでみたのだが。
「おー、戻りますか、分かりました。霊夢さんさようなら」
「んー」
霊夢が手を降り応じるのと同時に豪はウミに対し不安を感じていた。というのもウミの言動は少し抜けている。これではいざ危険な目に合ったとき、適切な対応ができるか怪しい。だがそれはこれから自分が教えていくのだ、と豪は自負を鼓舞する。
「それでー、道はどっちでしたっけ?」
「,,,,,,抉れた地面が見えねぇか?」
「ああ、あれですね。よし、行きましょう」
ただただ先が思いやられるばかりだ。そうして二人は人里に続く道を歩きだした。
ザザッ――――ザッザッザッ―――ギャャァアアアッ―――ザッ――――
突然、森の奥からギャアと声が微かに響いた。
「今、足音とかに混じってなにか聞こえませんでしたか?」
ウミでは判別できないので今の声について豪に判断を委ねたが、ウミには少なくとも今の声が動物などよりももっとおぞましい何かのように感じていた。
「ああ、鳥じゃあなさそうだな。確認するぞ」
ギャアと聞こえたあの声の主は豪の見立てでは妖怪である。それでも今の声は、長年山で仕事をしてきた経験上一度も聞いたことがない得体の知れないものだった。
「一応言っとくが、捕捉したらすぐ逃げんぞ」
だが、それを確認し、討伐を巫女に任せるのもこの仕事の一つ。
何よりここは博麗神社の近く、いわば博麗の巫女の縄張りであり強い妖怪が自分の縄張りからここまで出張ることは滅多にないことだ。隠れるのが得意な弱い妖怪か、なにかの拍子に喉が潰れた動物だろう、とたかをくくり、されど身を屈めて慎重に声の聞こえた方向へ歩く。
すると――――
グルルルルルル
ネコの唸り声に近いがそれとは全く別物の心胆から震えあがるような音が聞こえてくる。
嫌な予感がする。二人ともである。何れにせよ今更戻る訳にもいかない。ウミは震える心と体を音が出ない程度の深呼吸で諌め、微かにかいた冷や汗を腕で拭いとる。
そして道からそれて200メートルほど進んだ先、ついにそれを見つけた。
ヤツの体型は人に近い。身長は小柄で耳が長く右手に棍棒を持っていた。何より最も特徴的なのが、その全身緑色の皮膚である。
もう確認しただろう。もういいだろう。とウミは一歩身を引
ドン
背中に硬い何か当たった。これがなければウミはきっとここで死んでいたのだろう。
「シュッ」 バン!
豪はドン、という音を耳が拾うと同時に鋭い息を吐きながらウミを蹴り飛ばし、その勢いを使って自身も横っ飛びになる。適切な受け身をとりながら刀を抜き、音がした方向を向き直った。
そこには今の今まで自分たちが見ていた緑色の妖怪と体型、顔、武器、などが鏡で映したかように全く同じの存在が二体棍棒を振り下ろした状態にいた。
ウミは一歩引いたときに背中がヤツらの腹に当たっていたのだろう、運良かった。と豪が考える暇もなく、倒れたウミに緑の妖怪は襲いかかる。
豪はウミの元へ走りつつすれ違いざまに豪を攻撃した方の妖怪へ胴切りをし、ウミに棍棒があたる直前で棍棒を蹴って攻撃を逸らす。
火事場の馬鹿力を発揮し、過去一レベルで神経をフル稼働させ、老体に鞭打って、やっとの思いで妖怪との膠着状態をもぎ取った。その貴重な時間を無駄にしないため、さらに喉にも負荷をかける。
「ウミぃ!!!時間を稼ぐ!!立って逃げろ!」
「あ、あ」
状況を理解しきれていないウミは放心し、豪が稼いだ、いや、今まさに稼いでいる時間を無駄にする。
「何してんだ!?早く立ッ」 バギッ
そしてその代償はとても高くついてしまった。