#8 永山がらくた市の椎井夜建、そして夜歌
「さて、ここから近いのは野菜問屋。まずはこちらから、ですな」
「……ですね」
二歩ほどの距離感を保って二竜に着いていってるレイシ。
人にごく近い一鬼や、この町の統治者として君臨する樒といる時はあまり考えていなかったが、あまりに人と程遠い二竜。比良坂堂の住人の中では最も、皆が忌避する『荒魂』に近いのだ。そんな二竜が、良くも悪くも着飾った二竜が、永山がらくた市を歩いている様は……。申し訳ないが百鬼夜行なんとやらという感じだった。
二竜が民衆をどう思っているか、民衆が二竜にどう思われているか――レイシにとっては戦々恐々とした面持ちで眺めるしかない。だが相互の反応は思わずびっくりしてしまうようなもので――。
「お勤め、ご苦労様です」
「おおっ、二竜の兄さん。お疲れさんでございやす」
一礼をして、労いの言葉を男へかける。
「トカゲおじさんだ! こんにちわー!」
「はいこんにちは。おやおや、あまり急いで駆けては危ないですよ。転ばぬように気を付けて、遊びましょうな」
手を振って、挨拶と注意を子供にする。
「むむ? ああ、そこな御婦人。重そうなお荷物ですね。お持ちいたしましょう」
「あらぁ……二竜さん。有難うねぇ~」
微笑みをたたえて、沢山の荷物を持ったお婆さんを手伝う。
その度に返ってくるのは、忌憚なき返事、元気な挨拶、感謝の言葉。
樒や一鬼と差異の無い、正しく同じ町の同胞へと向ける好意そのものだった。レイシがそんな光景を、事実を、俯瞰したような目線で眺めていたのもあるのだろう。やれやれといった様子で二竜が話しかけてくる。
「わたくしの姿、やはり気になりますでしょう?」
どきりと、レイシの心臓が跳ねあがる。
「……へ? なんですか、藪から棒に」
「それを気にも留めないがらくた市の方々にも、やけやたらと気にしているご様子でしたので」
返す言葉も無く図星だった。レイシは己を恥じるばかりだった。己が浅ましさを理解していながらも、二竜を化物のように扱っていたことがばれていたような気がした。
「その実わたくしめも、あまり好まれているとは思えませんがね」
肩をすくめる二竜。気にも留めていないわけではなく、己が力では到底どうしようもないものへの恨めしさを感じさせる。
「そもそも荒魂自体が北海道の惨状を生み出した元凶……好まれるものとは思っておりません。特にわたくしは一鬼殿と違って化生の相が未だ色濃いのです。御心配は無用ですよ」
にちゃあっ、と。お世辞にもそんな擬音にしか聞こえないだろう口角の上げ方で微笑む。
そして彼が……二竜がそのことを心の底からの本心で語っていることが雄弁に伝わってくるのが、レイシには少し悲しく感じた。同時に、再三ながらだが自分の浅ましさ……彼を化物だと思っていた自分を、とことんなまでに恥だと思った。
しかし、謝ることだけはしなかった。謝れば今度こそ二竜に対して「化物だ」と、不注意にも、軽々にも、言ってしまってるような気がしてならなかったからだ。
代わりに、罪滅ぼしのように、目的地に向かいながらレイシは、二竜に永山の町々の様々なことを聞いた。
レイシが聞けば喜んで、「ガイドを務める」と宣言した通りに、二竜は町を事細かに紹介してくれた。見た目通りというか思いの外と言うべきか、二竜との会話はウィットに富み知性が感じられる。
「ああ、そうそう。畑作の区画はご覧になりましたと思いますが、あそこで何が栽培されているかご存じですか?」
「栽培って、うーん……じゃがいもとかですかね? なんでも荒れた土地でも育つし、古くは飢饉の際に栽培が推奨されるほどのものだったらしいですから。あとはイメージ的に、ですかね」
「ふむ、さすがの洞察。ですが正解はてん菜、所謂ビートですな。実はあそこの区画ではありませんが、じゃがいも畑もあるのですよ」
「へぇ……正直、なんか意外っていうか、砂糖ですか。確かに大事なものですが、なんで砂糖の精製が盛んなんですか?」
素直に湧いた疑問に、二竜がこそりと耳打ちしてくる。
「ここだけの話、実は御屋形様の好物が甘味でして」
「……まさか、そのために?」
「はははっ、まさか! 本来の用途以外にも天然の燃料……バイオマスと呼ぶのでしたか? 加工して機器類を稼働させる燃料としているのですよ」
「でもあれだけの面積ですよね。砂糖にするのも結構使うだろうに、殆ど残らないと思うんですけど……」
「仰る通りですな。百年前の北海道と比較するまでもなく、作付面積は微々たるもの。それにまだ実験段階の技術でして。砂糖に加工した後の余り物で抽出しようとしているくらいですよ」
二竜は苦笑しながら諸手を挙げてひらひらと振ってみせる。
やはりというか、近代化を果たした以上燃料含むエネルギーの問題は避けられないのだろう。永山がいくら崩壊した町といいながらも、そこに機械の姿が無いわけではない。小型の発電機に照明機器などをはじめ、石油ストーブやラジオなどなど。比良坂堂にも大型の発電機があり、食事の際にみんなが集まる居間だけは蛍光灯が付いている。
しかし発電するにも元手となる燃料が足りないのが現状だ。ただでさえあらゆる分野の技術が衰退した現世。大掛かりな装置が無くとも、燃やせば直で電気に変換しやすい灯油やガソリンが最も使い勝手が良かった。技師のレベルも著しく低下しているから、直せる機械の限度もあるだろう。
それ以外にも先程二竜が語っていたバイオマス発電、太陽光や風力なども取り入れているそうだが、技師の話によれば焼け石に水、雀の涙程度の発電量だそうだ。まあ、文明黎明期の時分でさえ物量不足で実用性に乏しかった発電方法だ。こんなポストアポカリプス、世も末の時代を制せるはずがないだろうが。
ちなみにラジオやテレビはどこかの電波塔が生きているのか、チャンネルを回していれば砂嵐やザップ音が流れたりする。生きていたところで放送する番組どころか、司会も演者もディレクターも居ないのだが、噂では時たま人の声がするとかなんとか。
そんな二竜の語りに耳を傾けつつ、レイシは彼のことを改めて、深く、深く観察していた。不思議なもので見慣れてくる容貌は、注意深く眺めてみれば実に変化に富んでいることが分かる。語気の上下や身振り手振り、質問に対する肯定、会話の振り方などなど……人と話すのがたぶん好きなのだろうか。同時にこちらが退屈にならないよう、大いに気を遣ってるのが伝わってきてしまう。
――僕は、バカなヤツだ。
レイシには彼を慰める上手な方法を思いつかなかった。
そうこうしているうちに目的地へと辿り着いた二人。極太の墨文字で梅森八百屋と書かれた表札を構えている。
「らっしゃいぃ坊ちゃん。新しく来た比良坂堂の子だってねぇ」
「……知ってるんですか?」
やや訛りの効いた声の男店主は、痩せこけた枯れ木のような腕で頭を叩く。漂う肥しの臭いに混じって数々の香味野菜の臭いが鼻を刺す。 痩せているものの関節が節くれだって爪には土が食い込んでおり、まだまだ現役の農家であることが伺える。
「ああそうさぁ。七竃さんが楽しそうに言い回ってたからねぇ。今日こっちに来るって聞いて、どんな子か気になってたんだよぉ。そう、こんな感じ……「お前さんの畑で採れた中で、一番良い野菜を頼む」、ってねぇ」
――あのお婆さん……。
「レイシ殿。素直に好意として受け止めれば良いのですよ」
返答に困ってしまう。どんな感情で受け止めればいいものやらと思っていたら、二竜が耳打ちしてきたので心にしまい込んでおいた。
「じゃ、じゃあこのメモ通りお願いします」
「あいよぉ……ってぇこりゃあ随分な量だねぇ。荷車用意するかい? 運ぶのはあんちゃんたちだけども……」
至急取り繕った笑顔を向けて、男店主に一鬼から貰ったメモをそのまま渡す。すると、目を通して僅かに狼狽えるのが見えた。大概予想通りの反応だったが、内心レイシはげっそりしていた。大通りから来れるものの比良坂堂からそこそこ離れている。二人掛かりとはいえ押して帰るのは中々に骨だろう。しかし二竜はあまり気に留めていない様子だった。
「ええ、委細問題ありません。遠慮なく借り受けましょうぞ」
「んじゃあちっと待ってくれなぁ」
待つこと十分。店の裏手から威勢のいい「よっこいしょ」の掛け声が聴こえてくると、野菜満載の古い荷車を引き連れて男店主は現れた。色とりどりの根菜に、青々とした葉物野菜は種別ごとに分けられて積んである。中でも目を引くのがトマト。夏真っ盛りのこの時期が最も旬な夏の味覚。かじれば甘さか酸っぱさに目が眩むだろうが、それよりもこの野菜の山に目が眩みそうだ。見るからに数十キロは下らないだろう。
「これ……マァジで重いけんど……いけっかぁ?」
「……えーっと、ちょっと自信が……」
「おっと、思いがけず重たいですなぁ」
そう言いながらも二竜は事も無げに引き始めたのだ。
「ええ……」
普通に引いているものだからレイシは困惑する。一応後ろに回って押そうと思ってたがその必要がまるで無いのだから困り果ててしまう。
「……もう全部二竜さんだけでいいんじゃないかな」
「はははっ! 本来はわたくし一人で雑用をこなしておりましたからなぁ。このくらい、体が丈夫なわたくしには余裕ですよ」
「あの量を一人で……」
さめざめとした気持ちになってしまう。さすがにレイシが担当している掃除や配達の全てを請け負っていたはずはないだろうが……それにしても働き者というのか、拒否するのも権利だと思うが……。
「ああ。逆にもし、お疲れなら荷台に座ってもらっても構いませんよ?」
「……大丈夫ですよ。僕だってそこまでヤワじゃないですから」
手伝う必要も無いだろうが、二竜の隣に並んで荷車を引く。次に向かうは正門側……つい先日に荒魂が現れた水田方面だ。
「入ってきた門はちょうど放棄された水田方面でしたか? でしたら困難な道のりでしたな。ただでさえ泥濘に満ちた地域……こちらに来る苦労もひとしおでしょう」
「ええ。とっても大変だったってことだけ、ぼんやりと憶えてます」
「厭な記憶が残ってるでしょうに申し訳ありませぬな。なにせ門側の者に用事がありましてね。それに、つい先日も荒魂と怨魂が現れたと聞いた矢先……いやはや申し訳ないことこの上ないです」
「まあ……うん、厭な記憶には違いないんですけど。うーん」
曖昧にごまかす。荒魂から受けてしまう感情に慣れてきたのは内緒だ。
「おっと、此処ですな」
二竜が立ち止まり、レイシの細腕に荷車の重みがかかる。目的地に着いたのだろうが、そこは何屋というわけでもなく、ただの長屋のようにしか見えなかった。
「ここは?」
「左官の者、特に荒魂に対抗する防壁を構築する者の家でございます」
「防壁?」
首をひねっていると、長屋の戸が開いた。出てきたのはざんばら髪の男に、その男の影に隠れている少女。男の方は使い込み擦り切れた作業着を着崩し、捲った袖や隙間から盛り上がった筋肉がちらと覗いている。
「お勤めご苦労様です、夜建殿」
「お疲れさんでございます、二竜のダンナ。して、そちらさんは?」
任侠者を彷彿させる一礼からの鋭い一瞥に、レイシはつい身がすくむ。荒魂とはまた別の怖さが滲み出ている気がした。
「淀川霊四、レイシ殿です。これからわたくしと行動することが増えるので、一度ご紹介しようかと思いましてね」
「淀川ねぇ……はぁなるほど。理解しやしたぜ、ダンナ」
紹介に与った途端、レイシを凝視していた男は、品定めするような視線に変わるが、それは一瞬だけだ。
「よ、よろしくお願いします」
「ま、御屋形様はさておきダンナが連れて来た御仁だ。敬意を払わにゃな。椎井夜建だ。こっちは娘の――」
「夜歌、です」
「色黒は嫁さん譲りなんだ。かあいいだろ?」
父親と同じ、いやそれよりも襤褸切れめいた布の服を着ている少女は、夜建の背を盾に臆病そうな表情でレイシを見た。地黒の肌に綺麗な長い黒髪が左目を隠している。クリンとした金色の瞳に縦長の瞳孔が、どこか猫や蛇の類に見えなくもない。うりうりと頭を撫で回されて嬉しそうな心地よさそうに口元を緩める。
「ほれ、夜歌。挨拶してやんな」
「……えと」
僅かに顔を見ると、夜建の足で顔を隠してしまう。彼女は結構な人見知りなのだろう。促されるように頭をぽんぽんとされるも張り付いて動かない。
「はじめまして。夜歌ちゃん」
「…………」
そこでレイシはきっかけを作ってみる。荒魂の恐怖に打ち克ち踏み出した自分なのだ。このくらいの一歩が出ないはずはない。……などと心中で嘯いた。
「僕は淀川霊四、よろしくね。皆はレイシって呼ぶから、そう呼んでくれると嬉しいかな」
笑顔で差し出した手を、おずおずと握る夜歌。にぎにぎ、さわさわ、なでなで……つまらないだろう男の掌の感触だが気に入ったのだろうか、レイシの手をやけに瞳を輝かせて触る。
「……あたたかいね」
「んーと、そう、だね?」
目を細めて微かに笑う夜歌。悪い気はしないが変にやきもきする。見た目は自分より年下なはずなのに、妙な色香を漂わしている気がした。
「ワハハハッ! ボーズ、ウチの夜歌をよろしくな。ちっと引っ込み思案だが、ウチの嫁さん譲りで炊事洗濯掃除はなんでもできるぜ?」
そんな内心を見透かされたのか、夜建はとんでもないことを言い出したではないか。餓鬼の風体ながらもさすがに意味は分かる。レイシも顔を真っ赤にして反論しようとしたが――。
「ふぅむふむ。それはまた良い事ですな。その年その年は過ぎ去るもの……記憶を失えど光陰矢の如し、過ぎていくものです。二度と訪れないものやもしれないならば、是非とも青春は楽しんでもらいたいものですからなぁ」
などと上品に口元を押さえて笑みながら二竜も乗っかってきたのだ。
「っつーわけだボーズ。来てもらってワリィんだが、夜歌と一緒に買い出し行ってやってくれねぇか? なぁに、仲良くなるキッカケぐれぇに思ってくれな!」
おまけに二人きりにしようとする始末。露骨すぎるくらいに外堀を埋めにかかっている。
トドメに夜歌が「嫌……だったかな」と俯きながら下唇を噛んでムッとするものだから、もうレイシには反論する余地は無かった。
「分かりました、分かりましたよ! お使い先でお使いって状況に困惑しただけですから!」
「おっ、すまねぇなぁ! んじゃこれ、よろしく頼むぜ!」
メモ書きと布袋を手渡される。書かれているのは生活用品に食料品だが、あまり食材が精細に書かれていない辺り、こと献立に関しては本当に夜歌に任せっぱなしなのだろう。
「いやぁそのな。ウチの嫁さんにも口酸っぱくして言われてたんだが、オレぁとかく台所仕事がヘタクソでなぁ。恥ずかしい話だが、今は夜歌に家事を任せっぱなしにしててなぁ」
「はぁ、なるほど」
「それに、夜歌の服も、な。ちと成長が著しすぎて、な」
「……お父さん」
「あはは……」
頬を掻く夜建の太腿をつねる夜歌。それに、確かに夜建の言葉に嘘は無かった。先ほどの台所仕事の話もそうだし、発育ぶりは同い年の少女たちより一歩二歩は進んでいる。窮屈そうな胸元や臀部は、否応なくレイシの注意を引いていた。
そんな雑念を追い出して、目をキラキラと輝かせてる夜歌としっかり手を繋ぐ。平熱が低めな彼女の微かな温もりを感じて、少し頬が熱くなりそうになりながら、先導するように手を引いた。
「それじゃ、行こっか」
「――! うんっ……!」
がらくた市へと走り出す二人の背中を見送る夜建は、どこか安心した様子だった。両膝に手を突き一礼。任侠者を思わすお辞儀。
「ありがとうございやす、二竜のダンナ」
二竜にとっても思わぬ感謝の言葉で、つい首をかしげてしまう。顔面が常人と乖離している故、ジェスチャーで感情を表すことが多いが、それにしてもあまりに意外だったからだ。
「久しぶりに夜歌が懐くような気のいい小僧っ子を連れてきてくれて……いや親として有難い限りでさぁ」
――ああ、なるほど。そういうことか。
彼の言葉で合点が行き、ついつい笑みをこぼしてしまう。
「はははっ! 彼を連れて来たのに特別な意思や意向はありませぬが……ええ、ええ。比良坂堂でも自信をもって婿に送れる自慢の孝行息子ですな」
調子に乗ったことを吹聴してしまう。なにしろ二竜もそう思っているからである。一時間に満たない短い付き合いながら、彼のことは好意を寄せるに値する。
二竜はレイシが比良坂堂に流れ着いた理由を既に聞いていた。聞いた上で、彼がどのような苦難葛藤の渦中に落とされたことも知り及んでいる。
だからこそ、経験則に照らし合わせて分かったことが一つあった。
レイシは荒魂として生まれ落ちた時点で、既に何処かが壊れている。尋常の身でありながらも、こと心が異常に振り切れている。きっと本人も知らぬ間にネジを落としてしまったのだろう。
己の境遇を知っていながらも、生きることを諦めなかった。突如放り込まれた非日常にも、迫り来る未曽有の脅威にも順応し、適応し、打ち克った。特に記憶を喪失していることが相まっているのか、客観的に見ても根明に類するタイプなのが極め付きだ。なにせこのような異形に接する態度すらも、常なる人間とまるで変わらないのだから。
――そんな性格が招くのは両極端な結末のみ。最も得をするか損をするかの二つに一つ。
彼はいつか、救いようの無い善人にも、救う価値も無い悪人にも、平等に、見捨てるはずもなく、手を伸ばしてしまうはずだ。不毛と知っていても、無駄だと分かっていても、終に、末に、死ぬことになろうとも。
二竜は嘆息する。目の前に夜建が居るにも拘らず。どう足掻いても修羅に踏み入りそうな同胞を前に、日常の幸せくらいはせめて噛み締めてほしい――心からそう思っていた。
最後までお読みいただきありがとうございました。
五万文字書いていて自分でもびっくりしたのですが、お胸が大きい子がおりませんでしたわ。