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#7 比良坂堂の淀川二竜

 『荒魂』の発生から一週間が経った。町は元通り、いつも通りの様相だ。商いの大声と人々の笑声飛び交う永山がらくた市だった。


 時刻は午前八時。レイシも三人で食卓を囲み食事をするのも慣れてきた。一鬼の作った料理に手を合わせ、いただいたご飯に感謝を告げる。量は少量、しかし味は絶品。丁寧に下処理と味付けされていて、さながら旅館の料理のようだ。


「「御馳走様でした」」

「お粗末様でした。まあ、お粗末なものは出してる気は無いがな」

「ええ。いつも丹精と真心が籠った料理です。ぜひとも誇ってもらいたいです」

「……えへへ」


 樒の笑顔に釣られて笑う一鬼。自然にレイシも顔がほころんでしまう。

 比良坂堂も町と同じく平常運転。樒は永山の統治管理を、一鬼は比良坂堂の家事炊事掃除を。そしてレイシはその補佐として雑用を務める毎日だった。


「じゃあ食器下げますよ」

「ああ、よろしく頼む」


 全員分の食器持って台所に向かい、水の溜まった桶に入れる。

 こうして比良坂堂の中をうろつくのも、三人で一つのテーブルを囲んで食事するのも慣れてきたところ。それでも不思議に思うことは尽きることはなかった。


 食器を入れた後だが、水を手ですくって匂いを嗅いでみる。少し醤油の匂いがするだけで、それ以外の異臭は無い。汚れた外の水とは違う、真水そのものだ。食後に飲んだ水も、今し方食べていた食事も、健康的で健全、それでいて清潔そのもの。崩壊した世界でこれだけ上等且つ上品な食事が摂れていることに、最近慣れきってしまっている気がしてならない。


「戻りましたよー。今日のお仕事はなんでしょうか?」

「ありがとうございます。レイシ」

「今日の仕事は昼からだ。しばらくゆっくりしてろ」


 珍しく今日は遅めの始業のようだ。言われた通りにレイシは自分の部屋に戻っていく。比良坂堂の長い廊下は歩くたびにギシギシと床板が悲鳴を上げている。


「…………」


 レイシはふと、障子の前で立ち止まった。

 自室の隣の部屋、いつもは特段気にも留めず通り過ぎている部屋だ。二つ開きの障子には、いついかなる時も己の影しか映らない。一度開けてみたが奥にはもう一枚襖があるばかりの六畳間。それも置物や照明器具の類も無いのだ。そもそも障子自体が外の光を和らげつつ取り込む代物なのだが、これではまるで意味を成していないではないか。


 開けてみてもやはり誰も居るはずがなかった。


 ――やっぱり居るよね……。


 けれどもその奥に誰かが居る。ずっとそう思っていた。


 この間気になって夕餉(ゆうげ)の時に思い切って聞いてみたが――。


「それが、その……一人だけ少し気難しいというか、人見知りな子が居て……」

「御屋形様、遠慮はいりませんよ。アイツは相当気難しいし、筋金入りの人見知りだ。ろくに動きやしない」


 といった具合だった。随分な言いようだった。さしものレイシも苦笑すら出なかった。比良坂堂の住人という「誰か」が居るということだけ分かっただけでもいいのだが……。


「……どんな人、なんだろなぁ」


 レイシはただ漠然と、そう思うばかりだった。



 しばらくゆっくりとは言われたものの、部屋に帰ってもやることは特にない。ワーカホリックというものか、最近では働くことが暮らす目的になってきている気がしている。

 蔵に積まれた昔の教科書や文庫本、小説や漫画の類を時々発掘したり貰ってきているが、これを今読んでしまうと長い夜のお供がいなくなってしまう。本を読む以外に料理とか体操とか、武術の型とか何でもいい。なにかしら趣味や勉強もやっていきたいなとは思っている。


 良い暇つぶしは無いものか、外をふらふらしていると、なにやら樒と一鬼が向かい合っていた。二人とも竹刀を持っている。試合の様式だが、一鬼から漏れ出る殺気は試合とは思えないほどだ。


 樒の構えは両手持ちの下段。荒魂と切り結んだ時と同じ、静かで整った構えだ。

 片や一鬼の構えは片手持ちの無形。無行の型とでも呼べばよいのか、樒の刀術とは別種の荒々しさを感じる。


「もう一本!」

「どうぞ、何処からでも」


 足の幅を広げて一気呵成に踏み込む一鬼の逆袈裟斬り。見た目に反した凄まじい圧力を伴う一閃を、樒は確実に捉えて落とす。

 バシンッ、バシンッ、と数度の切り結び。約一キロ前後の鉄の棒を振り回すより扱いやすいのは分かるが、それにしてもスピード感満点の打ち合いを繰り広げる二人。


「はぁっ――!」

「シィッ――」


 裂帛の気迫を声と共に振り絞るも、最後に振るった樒の切り上げ――逆風(さかかぜ)というのだったか――が、強かに一鬼の竹刀の握り手を打ち据えた。

 あまりの一閃に竹刀は宙を舞い、レイシの隣でカラカラと音を立てて転がった。取り落とす一瞬の隙を突き、樒が面打ちするフリをして試合終了。


「ま、参りました……」

「うふふ、まだまだ一本は取らせませんよ」


 たった数度の打ち合いにも関わらず、一鬼は肩で息をするぐらいに疲弊していた。思うにレイシが見つける前にも何度か打ち合っていたのだろうが、それにしてもここまで身も心も削れるものか。造詣がてんでないレイシにはやや理解できないところもあるが、それほどの使い手ということなのか。


 汗を手渡された手拭いで拭き取る一鬼の顔はどこかすっきりしていた。


 そんな彼女たちにパチパチパチパチ。それが拍手の音だと気付くのはやや遅れたが、レイシは後ろで誰かが拍手していることに気付いた。


「あいや、お見事でございます。帰ってきて早々、良いものを見せていただきました」


 比良坂堂では自分しかいないはずの男性の声が聴こえた。


 ふいにクスクスと口元に手を押さえて微笑む樒。

 示し合わせるように意地悪な笑みを浮かべる一鬼。


 理由も分からずに拍手が聴こえた方向へと振り返ると――。


「おやおやこれはこれは。見知らぬお声がすると思えばやはり。新たな住民でありますか」

「ッッ――ひぎゃぁぁっっ!?」


 腹の底から魂の限りに叫んだ。


「おやおや……おやおやぁ?」

「うわぁぁぁ――――ッッ! ば、化物ぉぉぉっっ!!」


 ずずいと形容しがたいなにかに顔を寄せられ、喉が潰れそうなくらい叫んだ。

 笑っていた二人を恨めしく思いつつ助けを請おうとすると、予想通りのレイシの反応に楽し気に顔を見合わせてるではないか。ひとしきり笑って満足したのか、一鬼が軽く涙を浮かべながら助け舟を出す。


「クカカカッ……おい二竜(ふりゅう)、さっさとその面をどけてやれ。レイシの心臓が持たん」

「む? はははっ、これは失敬。てっきりわたくしめのことは伝えているものかとばかり。それに三孤(みこ)殿には、荒魂とは既に遭遇したと伺ったものですから。まさかわたくし程度でショック死するとは思えなくて」

「鏡を見て物を言え……と思ったが、お前の部屋の鏡、割れてるか曇ってるか、あるいはお前の目もとうとう腐ったのだろうな。でなければそんな台詞を吐けるものか」

「ははは、御冗談を。自分の醜さは十二分にわきまえておりますよ」


 レイシは本当に心臓が口から飛び出しかけた。失禁しなかったのが幸運なくらいだ。これ以上凝視すると正気を失うまであるだろう。見ず知らずの相手を化物呼ばわりしたにも関わらず、彼は寛大な態度で微笑を浮かべていた。笑い疲れて満足した一鬼の変わらない毒舌にも怒らずだ。


 頬へ至るまで裂けた口。白目の無い深淵のように真っ黒な瞳。ちろりと伸ばしている先が割れて真っ青な舌。暗く青ざめた皮膚。まるで蛇か蜥蜴か山椒魚か、またはそれらの融合体か。まあ爬虫類か両生類のどちらかなのだろう。事実として人間から到底かけ離れている容貌をしていることは確かなのだ。


 身なりと立ち振る舞いからレイシの記憶の端に掠めたのは、ここより遥か西洋の地の英国紳士だった。杖を持ち、紅茶やスコッチを嗜み、礼節に富むあの姿。帳の下りた夜を彷彿させる黒一色のスリーピースのスーツにシルクハット、革靴と取り揃っていれば、遠巻きではまさしく英国紳士だ。


 それにしても隠しがたい異形。忌憚もせず、礼節にも欠けるが、爬虫類人間と言えば二竜と呼ばれた異形の者の容姿の説明はつくだろう。それを多少なりとも隠すためにスーツとシルクハットを被っているのか、彼……なのか彼女なのかも不明なモノの真意は、レイシには分かるはずない。


 客観的に見てもあまり効果は無さそうだが、二竜は気にしていないようで、逆にこちらのあからさまな態度にもまるで動じていなかった。杖に体重を掛けながら優しく語りかけてくる。


「しばし背を向けてますので、心ゆくまで深呼吸を。落ち着いたら教えてもらえると有難い次第です」


 物腰は柔らかく、目を細めて微笑みを絶やさないものの、笑顔の端々にどこか悪意が入り混じっているように思えるのは気のせいか。気を遣われてもどこか引っ掛かるものがあり、素直に受け取れないでいた。何故か樒や一鬼に比べて警戒心が解かれないことにレイシは不審に思う。


「ハハハッ! なぁに、安心しろ。思うまでもなくヤツもまた同類だからな」

「……ってことは――」


 一鬼の半笑いの台詞にレイシはハッとする。呼吸を整えるのもそぞろに、爬虫類顔の紳士に向き合った。


「貴方も……荒魂?」

「御明察でございます。こちらに来た荒魂は一年ぶりでしょうか……お初にお目にかかります。わたくしの名は淀川二竜(ふりゅう)――比良坂堂が二代目御屋形、樒様に仕えて五年目の元荒魂でございます」


 見た目に反する恭しい一礼。しかしその礼が彼の身に染み付いたものであり、誰かの真似やこけおどしではないことは明らかだ。


「この化物には比良坂堂の維持管理、物品調達を任せている。見た目とは裏腹に外交的で、これまた忌々しいまでに学がある」

「これはこれは……一鬼殿、貴女から褒められたのは何年ぶりでしょうかねぇ?」

「黙ってろ。串焼きにするぞ」


 一喝されて二竜は肩をすくめる。


 ――たぶんこれが自分が入る前のテンプレートな会話だったんだろうな。


 などと考えられる余裕は頭に戻ってきたようだった。


「えと、二竜さん、でいいですかね?」

「ええ。レイシ殿……淀川霊四殿ですね。宜しくお願い致します」

「は、はい! こちらこそよろしくです!」


 手を差し伸べて礼をする二竜に、レイシも焦りながら手を出して握手。自分と同じ荒魂と分かれば……とはならないのが難しいものだが、彼の(便宜上彼で良いのだろうか?)仕草や所作は、樒くらいに美しかった。


「クカカッ……これからは私からコイツがお前の相棒を務めるから仲良くやってくれよ? レイシ殿?」

「……なんすか、その面白そうな言い方は」

「つまりはあれこれ規範や規則を教え、示してくれるということです。二竜、宜しくお願いしますね」


 一鬼の頭を軽くはたいて樒が続きを言い。


「ええ。とはいえ大仰に言われるようなものではないですよ。簡単に言えば教育係、そんな感じでしょうな」


 取り次いで二竜が補足する。


 確かに自分は永山の町の地理だって診療所周辺の一部しか知らないし、今や寝床に三食と衣類までいただいているこの比良坂堂すら理解しきっていない。自室の隣に居るはずの名無しの誰か以外にも、同じ荒魂の中でも特に人外寄りの二竜もいたのだ。診療所の褥の反応は、ある意味でこの町に自分以外の荒魂が居ることを知っている……などと取れるかもしれない。


 ――そういえば、三孤(みこ)って誰だろうか。


 驚いてばかりで気付くのにやや遅れたが、二竜は人名のような名前を確かに言っていた。


 ……一、二、三。


 一鬼、二竜、三孤……霊四……。


 ――ああ、なるほど、そういうことか。


 深くは追及しないでおこう。別に樒の昭和期の安直な名付けセンスめいたパターンに、呆れると言うかなんというかな感情が浮かんでしまった……というわけではないのだ。……うん、たぶん。


「……異論は無いんですけど。ええ。教えてもらうことってなんなんですか?」

「そうだな……じゃあ今日はとりあえず、こいつとお使いに行ってもらうか」


 笑いをこらえた一鬼の言葉。


「……今、なんと?」


 レイシは思わず聞き返す。


「この異形の蛇もどき頭とお使いに行ってもらう。新人と古株だ、距離を詰めるためと思え。お前の為にもなる」


 今度はニタニタと厭味ったらしく笑っていた。


「わたくし目の補佐をお願い致します。こちらへ来てから日は浅いと聞いております。一流のガイドには程遠いですが、永山がらくた市内の詳細なエスコートはできます故。是非とも同行していただきたいと思いまして」


 一鬼とレイシの不可視の攻防を知ってか知らずか、割って入って二人の顔を覗き込む二竜。光沢が無い漆黒の両目に見据えられると背筋が凍る思いだが、先程までの悪意は感じられない。彼なりの気遣いというか親愛の気持ちが籠っているのだろうか。


「と、いうわけだ。仕入れは書き込んだものだけでいい。買い物よりも雑用が主になるだろうからな」

「うぁ……多いなぁこれ。二人で大丈夫なんですか?」

「運搬はそこの化物が居れば問題ないし、量についても当たり前だろう。これでひと月分だ。扶養家族が多いせいだし、増えたせいもあるがな」

「一鬼、余計な一言が多いですよ」

「あぅっ」


 一鬼の脳天にずびしと、樒の手刀が刺さる。

 二竜にとっては見慣れた光景なのだろうか、笑みをたたえたままにこちらに振り返ってくる。


「ハハ、何はともあれです。参りましょうぞ、レイシ殿」

「は、はい。すぐにでも行けます」


 レイシはそうして二竜の後をついていく。

最後までお読みいただきありがとうございました。


天啓の名前がそのまますぎる件。


異形頭という私の男性キャラの性癖が反映されております。

ちなみに映画泥棒の二人とかバチクソ好きです。

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