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#4 永山がらくた市

 旭川が永山……過去には札幌に次ぐ人口を誇り、動物園やラーメンなる料理といった観光資源も豊富だった。周辺を取り囲む大雪山連峰に水田模様。少し遠出すれば森や花畑といった雄大な自然が待っており、綺麗な湧き水にそれを用いて作られた美味しいお酒。山に原生する希少な生き物たちなどなど。北海道でも有数の観光地にして大都市だった町だ。


 しかし、それらもいまや『爆心地』と呼ばれる冥界の門――そこから溢るる悪しき魂、『荒魂』たちに食い荒らされてしまった。


 旭川の旧市街の地図を開けば鉄道、電車の駅であった旭川駅に『旭川爆心地』は鎮座する。

 規模も内容も定かではないが、永山の街のどこから見てもドーム状の姿は確認できるので、少なくとも旭川駅だった場所をまるまる飲み込んでいるのだろう。あそこから這い出るものこそが『荒魂』である。


 謎めいた生態も詳細な能力も知られておらず、生まれては生きとし生ける者全てに襲い掛かる化生。生きる者たちがその身に宿す霊力を喰らうべく、無際限とも思える物量で湧いてくる……らしい。


 しかし今のところ遭遇したのは一体だけ。「無数」とか「無際限」とか途方も無い表現をされてもいまいち想像しきれないのだが。


 そして過去の永山の姿を知っている者からすれば、一際異様な佇まいで建っているのがここ比良坂堂。

 日本の中でも降雪量の多い北海道には不釣り合いな瓦屋根の屋敷造りに、内陸地域特有のドカ雪で無残な様相になってしまいそうな庭園。どちらかと言えば本州によく見られる様式の屋敷が、永山の町中に建っていた。

 先述の『爆心地』と『荒魂』に関するとある理由のために、およそ百年以上前に建てられたとされているが、今では永山の町を統治する一人の女性と、いくらかの住人が暮らしていた。


 とてとてとて。

 比良坂堂の長い、長い廊下を往復する足音が一つ。


「えっほ、えっほ」


 件の爆心地――『旭川爆心地』から出て来たであろう、自分の記憶を何処かへ置いてきた少年が一人。


 着古した藍染めの作務衣を身に纏い、長い廊下を雑巾がけで何度も何度も往復していた。片手で数えられる人数で暮らすには余りある屋敷だ。屋敷の周りの廊下一周で五十メートルは優に超している。一苦労どころか二苦労以上である。


「レイシ! どこにいるー!」

「ふへ?」


 額に浮かんだ汗を拭う彼を呼ぶ声。

 今の彼の名はレイシ――「淀川(よどがわ)霊四(れいし)」――忘れた記憶を取り戻すまでのかりそめの名を与えられた彼は、今日も今日とて何度も何度もその名を呼ばれていた。


「はい、ここにー!」


 レイシを呼ぶは「淀川(よどがわ)一鬼(いちき)」――レイシと同じく荒魂であり、樒によって救われたという点では似た境遇である。ひょっこりと、レイシの傍の襖から顔を出してきた。

 いついかなる時も変わらない鬼灯色の着物に、適度に適当に纏めた長い黒髪がふわりと揺れている。御屋形様の右腕に相応しく、緩めることなく常時この恰好だ。少なくとも彼女がこれ以外の服を着ている姿をレイシは見たことが無かった。


「ちょうど雑巾がけが終わったとこですよ。なにか用事ですか?」

「終わったのか。それこそちょうどいい。これを七竃診療所へ届けてこい」


 炊事用の鬼灯色の三角巾と真っ白なエプロンを着た彼女は、そう言って手にしていた茶色の紙袋を投げ渡してきた。中身は軽く、外身から指で押すだけでふにゃりと形を変える。質感が感じられないから、柔らかい植物か粉物かだろうか。


「中身の詮索は必要ないぞ」

「いや別に。……あのおばあさんに渡すようなものの中身は知りたくないです」

「非合法なものではない。もっとも、法などこの旭川では我らが法のようなものだけどな」

「あんまりシャレになってないですよ。というか一鬼さん……そんなこと他の人に言ったら絶対樒さん怒りますよ?」


 相変わらず人を食ったような、一々棘のある言葉遣いである。


「ああ、怒られるだろうな。そうなったらお前が庇ってくれよ、レイシ」


 苦笑するこちらの様子すら、彼女には愉悦そのものなのだろう。


 話題は変わるが、唯一気になっていたのは、彼女たちの名付けの由来なのだが――。


「だって、「四霊(シレイ)」だと聞こえも呼ばれも悪いでしょう? 人の形を成しているのに、それではあずましくない(落ち着かない)というか……」

「それに「四霊(シリョウ)」とも読めるしな。ただでさえ霊だの魂だの耳にすることの多い私たちだ、尚更気色悪いだろうに」


 ……という、彼女たちの感覚によるものだったと判明した。


 言われれば、確かにそうだと納得してしまったのがまた痛い。聞こえは良くないし、どっちかと言えば「死霊(シリョウ)」と字を当てそうになるのも分かる。ともあれ、レイシ自身も与えられた名にケチを付ける気も無かったし、嫌ではなかったから別に良かったのだが。


 爆心地をあてどなく彷徨い、漂流し、どぶ川に浮かぶ木の葉みたく揺蕩っていく。暮らし始めて幾度かの夜を超えてなお、あの名状し難い感覚をレイシは未だに夢見て味わっていた。

 だからこそ、今のレイシにとって名前とは寄る辺そのものだった。呼ばれると不思議と身体は熱を持ち、心に火が灯る。それが『霊魂』であれ『荒魂』であれ。善悪も浄不浄も無いただの魂であれ。その感触に生きるよすがを感じられるのだろう。


 さて、こうしてせっせか働けるのも、健康体を動かせるのもやはりいいものだと、レイシは純然に思う。爆心地から彷徨い出てからの記憶はかなり朧気だったが、どこからどう見てもぼろぼろな身体を動かすのは億劫極まりなかったこと。それだけは覚えていた。まるで内側に棘が付いた鉛の鎧でも着せられた上、重石を括りつけた手枷足枷を付けられていた気分だった。


 そんな絶不調で最悪な体を整えて。自分の体のみならず心さえ縛っていた枷から、慈愛と療治に満ちた生活と触れ合いをもって解き放ってくれたのだ。レイシはせめて助けたくて、なにか動きたくてたまらなかった。住人の数には見合わないくらい大きな家の掃除であれ、日に日に件数が増えるお使いであれ、今や彼の比良坂堂、ひいては樒たちに対する奉仕の心は留まるところを知らず、はち切れんばかりであった。


 レイシは雑巾をバケツに放り投げ、作務衣のまま縁側に放っていた靴に履き替える。蔵や箪笥の奥底から発掘した男物の古着だが、着心地も履き心地も妙に良いものばかりだ。


「それでは淀川霊四、今よりお使いに行ってきます!」

「フッ、ああ、委細万事なく頼んだぞ」


 最近見せてくれるようになった微笑を受けて、レイシは診療所に向けて駆け出した。



 一度見たはずの街並みも、心に余裕が生まれれば少し違って見えてくる。


 レイシが走っているのは『永山がらくた市』の大通り。

 元はただの住宅街跡地だった場所を再開発し、碁盤状に新たな居住区兼露店を作り出したのが成り立ちだという。簡易的な長屋造りで寒さの厳しい永山では些か厳しいのではと思ったが、各々補強や改築を繰り返して住みよくしているようだ。今でも露店が商いの基本形式なのは変わっておらず、様々な加工品や食べ物が割と無造作に売りに出されていたりする。串焼きの鶏肉や野菜の漬物、特に多いのが砂糖菓子の類だった。

 形あるものだけでなく歌や楽器の演奏、マジックや曲芸の披露もされていた。街行く人たちも足を止めて見事な芸を称賛したり、沸き上がっておひねりを渡したり。なんだかちょっとしたお祭りの屋台のようで、レイシはそれを眺めているだけで心が躍った。


 旭川駅が『爆心地』に覆われる以前は、約八キロに渡る平和通り買物公園の歩行者天国が役割を担っていたが、今ではもう見る影もなく荒れ果てている。しかし今でも旧世代の遺物を回収すべく、我こそはと志願した者たちが遠征に出かけることもあるそうだ。


 がらくた市の外れには田園と畑が広がっている。レイシが彷徨っていた水田とは違い、不思議なくらいに綺麗に整っていた。張ってある水も浄化されて腐敗しておらず、植えられた稲の苗が整然と並んでいる。畑もやや痩せているがよく耕してあり、作物を栽培するのに適している。点々と井戸も掘られているようだ。山の湧き水はまだ生きているのかと、外の荒廃っぷりを目の当たりにした手前、またまた不思議に思ってしまうレイシだった。


 『荒魂』の暴威で壊れかけたはずの市井。生活の基盤を崩され乱れ切ったはずの市井。『爆心地』の発生は百年前と聞き及んでいる。『荒魂』とは未だ終わらぬ戦争が続いている。長い年月を経てもなお、一瞬で生と死の境界線がその目に映る……。


 そんな脅威に晒されながらも、永山の街は未だ命の火が煌々と燃え盛っていた。命の保証が無い世界ながらも、「無い」を言い尽くせないぐらいに貧の淵に立たされながらも、人は「生きること」を止めはしない。そんな人の意地が見て取れるようだ。


 荒れ果てた世界でも物資流通やインフラ整備、商工に農業、糧食問題など。誰かが数々の行政を取り纏め、執り行う必要があった。それについて率先して従事したのが、初代比良坂堂の御屋形様……とされている人物。『爆心地』発生期から旭川が永山に居を築き、『荒魂』からの防衛や職を失った住民たちの暴動鎮圧、職の安定化などなど……挙げた功績は枚挙にいとまがない。がらくた市の根幹を創り上げた傑物と言っていいだろう。


 ――先代も大概凄い人だと思うけど、樒さんも想像以上の傑物だよなぁ。


 先代にして初代の御屋形様が生没年不詳の人物だが、二代目御屋形様の樒は外見の推測でも二十代半ば。若く見積もっても十代のハズはないだろう。推定年齢から就任期間を概算すると、凡そ十年前にはがらくた市の統治者として勤めていたことになる。執政や指揮指導の引継ぎもされぬまま、十代前半には第一線に立っていたのだ。若さを感じさせぬ有能ぶり……なんて言葉では済まないくらいの手腕を振るっていると言えよう。


 ――でも、それじゃあ辻褄が合わないよな。


 自分で見て、聞いて、感じたことに思いを馳せながらも、レイシは微かに矛盾と疑問を感じていた。


 およそ百年前に『爆心地』が発生しその同時期に比良坂堂が造られたのならば、先代の御屋形様は少なくとも樒と同年齢……常識的に考えても成人は過ぎたくらいにがらくた市を発足したはずだ。樒以上に有能で、人を先導し魅了するカリスマ性があったと言えばそれまでだが。


 しかし前者でも後者でも、代替わりまでの約二十年間、永山の町には統治者が居なかったことになる。その空白の期間は果たして誰が維持していたのか。

 人の寿命は男女平均しても八十年前後。百歳まで生きることも珍しくなかったが、それも文明が在った時代の話だ。向かっている七竃診療所しか引き合いに出せないが、見るに医療処置のレベルは大きく下がっているだろう。


 そして、なにより、『荒魂』が居て、『旭川爆心地』があるのだ。

 生命を襲い、喰らい、滅びを運ぶ怨念の象徴。時が経つにつれて荒廃は広がり、人の生存領域は狭まっていく。生きることがままならなくなっていく世界で、人と町の命脈を握り、背負い、守っていた。

 初代御屋形様が如何に強大な敵と戦ってきたのか。如何なる意志を以てこの偉業を成し遂げたのか。百年前には居なかったレイシですら畏敬の念を抱いてしまう人物。


 だのに、一つたりとて活躍は今世に伝わっていない。

 文献も、慰霊碑も、口伝する人物すら居ない。

 子供も血族もおらず、二代目との繋がりすらもない。


 作為的なものがあるのか、レイシは漫然と考え込んでいた。


 そうこうしている内に見覚えのある建物――七竃診療所に辿り着く。おんぼろ屋なのは相変わらず、扉を叩くと頼りなげに軋むものだから焦ってしまう。


「毎度、比良坂堂でーす! 七竃さんは御在宅でしょうかー?」

「ほいこれで終わりぃ! ……ってはいはいよぉ、ちょっと待ってなぁ!」


 自称藪医者の婆さん一人が経営してる診療所にしては珍しく忙しそうだ。風邪が流行る時期でもないのに、診療所の藪はガサガサと揺れて騒がしい。閑古鳥の鳴き声の代わりに老若男女問わず咽び泣くような声が聴こえているが、それに負けないくらいに慌ただしい足音と、悲鳴に負けないくらいの低い声を張り上げている。


「……大盛況ですね」

「ヒッヒ、有り難いばかりだねぇ。藪以下の筍が儲かるなら、も少しババアも頑張れるってもんだよ」


 元よりしわだらけの顔をこれ以上なくぐにゃりと歪ませる。笑っているのか判別しにくいが、「そしてアンタもね」と尻を勢い良く叩いてきたのだ。たぶん笑って気分がいいのだろう。


「すっかり元気だろう? 言った通り、何日か休んでりゃあんたみたいなイキの良い若者はすぐ元気になるってねぇ」

「おかげさまで。傷も治ったし体も癒えたしで雑用三昧ですよ」


 一つ勘違いしてもらいたくないのは、この一言は決して非難ではない。命を救われた身分の己が、分をわきまえずに嘯く真似をする気も無いのだと。


「ヒッヒッヒッ! 飯と服と寝床があるだけ良いってこたぁ、アンタも分かって言ってんだろうさね! 軽口叩けりゃあ完治さねぇ」


 ……まあ、このお婆さんには百も承知なようで。


 言葉の内に混ざっている抑揚は上機嫌なものだから、なんだか心の内まで見透かされてそうな気持ちになる。


「……あの、ちなみになんですが――」

「おっと、中身については詮索NGってことでねぇ」

「……麻薬とかじゃないでしょうね?」

「ほぉ……ねぇお前さんや。もし比良坂堂から投げられたら、ウチで働く気は――」

「無いです!」

「おやおや、そりゃあ残念」


 とりあえず、やはり中身については今後一切聞かないことにしよう。

 そう心に誓ったレイシだった。


「それじゃあ僕はこれで。忙しそうですけど頑張ってください」

「おや、もう行くのかぇ? 茶ぁの一杯と煎餅くらいは出してやれるんだがねぇ」

「いやぁ、ゆっくりしてたいですけど、雑用は出かけてる間にも増えてるでしょうし。なにより働きたくって。助けてくれた人たちのために」

「ヒッヒ! 殊勝なこった! なら仕方ないねぇ。いつまでも足止めしてちゃあ悪いってもんさ。ま、いつでも来なさんな、もてなすくらいならしてやるに」


 一礼して玄関を出る。パパっと走って仕事の続きを、と思ったその矢先――。


「おぉい、小僧っ子!」


 駆け出したレイシの背中を叩いて、褥が声を張り上げる。


「あだっ!?」

「若いんだから二日三日寝なくてもだいじょうぶさねぇ。お前さんもいろいろあるだろうけど、やりたいことができれば死んだように頑張りんさいな。死ぬ気じゃ所詮死にゃしない、死人になることを覚悟した方が限界なんざ容易く超えられるよぉ」


 ――楽観的で、非科学的極まりないな。


 背中の痺れに耐えて苦笑しながらも、レイシは褥の気遣いを有難く受け取った。

 樒との間柄から察するに、きっと『荒魂』の内情を知っているはずだ。自分が運び込まれた時点で、事の経緯を理解していたはずなのだ。


 それでも一言も追及せず、医者として命を救ってくれた。


 この町に生きる民草の内、どれだけの人が『荒魂』に命を奪われたか。大切な人を喰われたか。大事なものを壊されたか。


 考えるだけで胸が痛くなる。自分もその一種に違いないのだから。いつ均衡が崩れ、人を襲う魑魅魍魎に成り果てるか分からないのだから。


 彼女だってもしかしたら、亡くしているかもしれないのに。


 家族を、傍立つ人を、腹を痛めた我が子を、喪っているのかもしれないのに。


 レイシは褥へ、深々と、深々と頭を下げた。


「はい、ありがとうございますっ!」

「んーじゃあ気ぃ付けてなぁ。ここいらもまだまだ治安が悪い。アンタならなおのこと気を付けんさいね。……あと、名前聞いてなかったね。なんていうんだい?」

「レイシ――淀川霊四です。以後宜しくお願い致します!」


 改めて自己紹介すると、レイシは褥に手を振りながら帰路についた。

最後までお読みいただきありがとうございました。


歳を取ればとるほど死に行く者も手放すものも増えていく道理。

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