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#1 比良坂堂の淀川樒

 両目が捉えるのは四方何処までも続く暗闇。ただただ落下する気配のみだけが知覚できる。虚無の中、無重力の渦、底無しの無間へと落っこちる。

 いくらもがいても、泳いでも、当然待っても止まりやしない。目を閉じても闇の世界は変わらないし、かといって目を開けてても変わりっこない。目が開いているかすら疑わしくなるほど、先の見通せない暗黒が何処までも続いている。


 悪夢が意図しているのは、死以外のなんだろうか――。


「ッ――はァッ!」


 そして目が覚める。


「あ……れ……?」


 そもそも見慣れた物の記憶すら無いはずだが、見慣れぬ天井が目に入る。


 上半身をゆっくりと起こす。全身の気怠さと鈍痛が真っ先に知覚し、それからほどなくして悪寒を伴って冷や汗が噴き出してきた。夢か現か疑わしいほど、あまりに体感的だった悪夢。真偽はさておき、覚醒してまともなはずの意識すら認識することを拒んでいる。


 うっすら目元から伝っていた涙を拭おうと腕を動かせば、肩の関節が大きな音で鳴る。うぐっ、と呻き目を擦れば、涙に混じって目やにもちらほら。顔をしかめて上体をそらせば背骨が盛大に乾いた音を響かせ、首を軽く回せばぺきぺきと小気味いい音を奏でる。辛うじて思い出せる短い記憶と体調を頼りにしても、自分が相当長い時間床に臥せってたことは明白だ。


 そして改めて自分の体のあちこちを見やる。

 汚れていたはずの服は着古された甚兵衛(じんべえ)に着せ替えられ、切り傷だらけだった手や頬には軟膏が塗ってあった。身体もいくらか拭われており、ほのかにお日様の香りがする布団に寝かされて、自分はとても良い待遇で介抱されていることが分かる。少年は深く考え込む。


「……ここは?」


 客間の一室らしき六畳の和室で横たわってた自分は、果たして何処に居るのか。目下それが一番の謎だった。

 誰が連れて来たか。思い出せる状況の流れでは、真っ黒な影、あるいは暗黒の塊――『荒魂』だったかを切り伏せた白い着物の女性。きっとそのはずだ。

 しかし何故連れてこられたか。そう思って己がしでかそうとした行為を省みる……が、省みるだに怖ろしいものだ。今になってよくもまあ、あのような命も魂も捨て去る発想ができたなと。


 そしてごく軽々と、易々と、人の命と自分の命を天秤にかけてしまったことも。

 闇の塊たる化物、『荒魂』を引き連れて街へ逃げ込もうとしたこと。街の人を犠牲にしようとしたこと。それらの行為は確実に見られているだろう。


 剣術刀術に深い造詣を持たない自分でも、刀は近距離で振るうもので飛び道具ではないことは分かる。自明の理だ。しかしどのような速度、勢いで『荒魂』へと向かったとして、よもや千里の果てから飛んできたはずはないだろう。つまり自分の葛藤を、救ってくれた女性に見られていたのだ。例外としては、恐怖で視界が眩んでたり脳が超常現象の理解を拒んでいなければ、門の前で震えていた男も当てはまるだろうが。


「……誰か、いないのかな?」


 思い出せる記憶が無いと自覚しているが、あくまで身元を証明する情報だけが欠如しているようだ。行動の規範や常識に類することや、助けられて感謝するという最低限の作法に関しては忘れていないらしい。

 家主を探そうと立ち上がろう、そう両足に力を込めると、障子に人の影が映る。えらく腰の曲がった人であるが……と、認識した矢先、映った影がやおら腕を伸ばすと――。


 ぴしゃり! と無作法に障子を開け放ったではないか。


「おやおや! 起きたかえ? 若いのは回復が早いこと……ええことじゃの」


 思いの外強烈な破裂音を弄した障子に釣られ、妙な声が出かける。少年の驚く顔を覗き込むは、力強い目付きの老婆、もといおばあさんだった。頭頂部で丸く纏めた白髪にえらく腰が曲がっている姿から推測するに、自分の歳の倍を遥かに上回る年月を生きてるだろうが、みなぎる活力は微塵も失っていない。茶色の瞳を鋭く光らせながらこちらを見てるだけで、言い得ない妙な圧すら纏ってるように思える。


 一瞬の無言に合わせた威圧的な一視に喉が詰まり、んぐぁ、と。呑まれかけた心を唾と同時に飲み込んで辛うじて声が出る。


「えと、その……事情も状況もよくわからないのですが……とにかくありがとうございました。助けてもらって」

「助けてもらってどうもって、あたしゃ医者だよ。当たり前じゃないか……っても、自他ともに認めるヤブだけどねぇ」

「そんなこと。清潔にしてもらえることもそうですし、傷に薬まで……」

「んあぁ。効きゃあいいねぇ、その軟膏。使用期限とうの昔に過ぎてるからねぇ」


 けたけたと笑うおばあさん。患者を前に堂々と薬の不備を告白するとは。ここまで振り切っていると藪医者どころか筍医者だ。


「こーいうのを落語じゃ薮井竹庵、ていうんだよ。覚えておくといいさね」

「あははは……」


 用途用法が合ってるかはさておき、助けてもらった身分ながら気の利いた返事はできなかった。


「ああ。自己紹介がまだだったね。あたしゃ七竃(ななかまど)(しとね)。んで、あんたがぐーすか寝てたここは診療所……ま、ウチ件病院みたいなもんだね。ここまではいいかい?」

「は、はい。……まあだいたい大丈夫です」


 おばあさんの名前と、名を冠した診療所と、自分はそこで寝ているという事実と。状況的に理解している事実と違いなく――。


「で、診療所が建ってるのが北海道は旭川、一地方都市の永山。北の大地のど真ん中だよ。ここも大丈夫だね?」

「……そうなんですか」

「……それは大丈夫じゃないってかい。困ったねぇ」


 同時に自分の記憶の欠落が浮き彫りにもなる。


 そういえば……その時ふと、とある言葉が蘇る。気を失う前のことだ。


「北海道が……旭川、爆心地」


 地名。統治。資格。保持する人物。


 『荒魂』を雲散霧消させた女性の言葉を思い出す。


「おや、やっぱりわかっとるじゃないかい。初めからそう言っとくれよ」


 ため息一つ、褥が少年の頭を軽く小突く。けれど、彼自身その言葉の意味を殆ど理解していなかった。ありとあらゆる点が線になるわけでもない。点のまま何物にもくっつかないことも往々にしてあるのだ。


 爆心地――ただ繰り返し呟いただけで、真の意味は理解できていないが、字面だけでも凄惨苛烈な惨状は容易く想像できる……というより、良い光景が想像できるはずもないだろう。


 そして身震いする。殆ど理解できてない言葉の意味の、掠る程度に僅かな本質を理解していることに。


「……どうしたんだい? 急にしおらしくなっちまって」


 はたと、目を伏せていた自分に気付き、慌てて少年は褥に向き合った。


「いえ、なんでも。それで、僕はどうしてここへ運ばれ治療を――」

「ああすまないねぇ。そーいうの、やめとくれると助かるよ。面倒で厄介な話、老い先短いババアに語られても困るからねぇ」


 ババアと自称するには生気に満ち満ちているが――とはさすがに言えず、少年は返答に再び困る。


「その説明は今来る人が存分にしとくれるよ。あんたを救った、命の恩人がなぁ」


 「こんなババアよりゃ良いもんだろ?」と、幾度も返答も同意も困る言葉を添えられる。


「ま、もうしばらくそこで待ってな。起きたことは飛脚共に伝えてあるからすぐに来るさね」

「……なにからなにまで、ありがとうございます」

「ヒッハッ! 礼儀正しいもんさね。このご時世、あんたみたいなガキはほとんどいないんだがねぇ……」


 しみじみとした彼女の言葉に妙なとっかかりを感じるも、褥に素直に従って布団に寝転がった。少しばかり眠っただけで、ぼろぼろの身体から気怠さは一向に取れるはずもなく。思い返せば肉体も脳みそも随分酷使したものだ。

 悪路での全力疾走、人間の異常死の直視、死の恐怖への突貫行為……思い直すだけで寒気がする。きっと自覚している以上の負担がかかり、蓄積しているのだ。僅かでも長く、ゆっくり休もう。


 にしても「このご時世」、とは。

 それなりの年月を生きた人間の発言だと窺い知れる。この永山の町の寂れ具合同様だ。風雨に晒された門扉や金具の錆び具合、遠巻きに見えた木造家屋といった情報だけでも察することができる。相当な年月を経てなお、修繕の手が入っていないのだろう。


 常識的な情報が散逸してないことを鑑みてだが、まるでタイムスリップしたような感覚だ。見方によってはパラダイムシフト……価値観の変化とでも言うのだろうか。それにしても変わりすぎとしか言いようがない。自分の生きていた時代から遠くかけ離れている気がする。

 さながら今は江戸時代。被服建築の様相だけだとそう思える。文明の発展途上の過去に遡ったか、あるいは文明の寂れ廃れた未来へ渡ったか。


「……どっちみち、非、科学的だな」


 口からするりと抜けて出た台詞にどこか懐かしさを感じたが。

 非科学的で、非現実的で。自分が培ってきた……はずの常識に照らし合わせても、出てくる回答はそれだけだ。考えるだけ頭が痛くなってきそうだ。

 とうとう頭が痛くなりそうで、少年はついに思考を放棄することに決めた。途端、遠くで玄関が開け放たれた音が聴こえた。次いでパタパタと、小走りで誰かが近づいてくる。軽快だが、胡乱な足音じゃない。急いでいながらも品のある足音。男性よりも女性よりの足音。


 そんな分析をしている内に――。


「褥さん、開けますよ!?」


 障子に映った影がその一言を言い終える前に障子を開け放ったのだ。


「開けた後に言うんじゃないよ!」


 たぶん走って疲れる距離ではないだろうが、廊下を走ってきたであろう女性は軽く息が上がっていた。

 刹那、少年は女性に目を奪われた。新雪のように白い肌と、二房触角のように伸ばした同じ色の髪。薄っすら額に汗をにじませながら、立ち居振る舞いも崩して目線をうろうろ彷徨わせると、改めて自分と目が合った。


 すると、ふにゃあっ、という擬音そのままに顔がほころんだ。心の底から安心、安堵の感情を示しているのがよくわかる。


「良かった……! 褥さん、有り難うございました! 彼に特別深い傷とか、後遺症とかありませんよね!?」

「はぁいはいどうもどうも。元から命に別状は無かったよ。今んとこ後遺症も無し。そも傷自体お前さんの関係のない傷……心配するには及ばんよ」


 わたわたと慌てふためく様子から、正直いろいろと食い違っているように思ってしまうが、紛れもなくあの時自分を『荒魂』から救ってくれた女性だ。磨き上げた宝石を思わせる澄んだ蒼と紫の瞳を僅かに緩ませ、こちらの懐疑的な視線を柔和な笑みで迎え入れてくれる。


「え、ええ。助けていただいたおかげ、といいますか。……疲労は凄いですけど」

「やかましいよ! ほれ、とっとと立ってベッド開けな! 若いんなら疲れも筋肉痛も明日にゃ治ってるよ!」

「あッだぁっ!」


 ぼそりと呟いた言葉を耳ざとく聞かれてたらしく、起こされ急かされた挙句尻を老婆とは思えない力で引っ叩かれた。


「いつもいつも怪我人ばかり連れてきて、いつもいつも至らないばかりで……。有り難うと何度言えば……」

「馬鹿言うんじゃないよ」

「あぅっ」


 唇を噛んで弱気にうつむく女性の額をデコピンで弾くと、褥は癖なのかやはりけたけたと愉快そうに笑う。


「至らない、なんて謙遜するのはむしろ傲慢なくらいさ。今でさえ明日どうなるか分からない町を維持し続けてるんだ。皆アンタを恩人と思っているよ。そんな人が連れて来る人なら、怪我人だろうと病人だろうといつでも大歓迎だよ。御屋形様(・・・・)や」

「……もう。いっつもからかって……」


 『御屋形様』と呼ばれた女性は額をさすって不服にするが、褥とは何するものぞと少年の寝ていた布団を畳みながら後ろ手を振っていた。


「あ、ああ。出立の準備はできましたか?」


 こちらの視線に気付いてか、やや顔を赤らめた女性は靴を履いて玄関に立った。


「は、はい。体はいつでも!」


 寝間着のような服に身を包むだけの少年も、差し出されたやや使い古された草履を履いて――尤も、先程まで履いていた己の物よりはどれほどマシか――少しためらいながらも女性を追って出る。


最後までお読みいただきありがとうございました。


そう言えば言い忘れてたような気がしますが、今回の舞台は北海道です。

……いや、割と自分の故郷を舞台にするのはやっているか。うん。


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