後編
はい、休憩時間は終わりです。
皆様戻られましたね?
講座を再開します。
モンタナ級戦艦十隻は護衛としての巡洋艦・駆逐艦を伴い「T日本」に向かっていました。
アメリカ艦隊の司令長官は「T日本」の東京湾に侵入し、帝都東京を艦砲射撃することを任務としていました。
旗艦「モンタナ」の司令部では楽観論が支配していました。
日本が出撃した戦艦は「大和」「武蔵」の二隻のみ。戦艦の数で十対二、四十六センチ砲の数では八十対十八と数では完全にアメリカ艦隊が優位でした。
アメリカ艦隊司令長官は、大和型二隻をかたづけ「T日本」の東京を砲撃すれば、「T日本」の政府は降伏し、後はワシントンの政治家が交渉して未来技術を開示させるだけだと考えていました。
水平線上に「大和」「武蔵」が見えると優位を確信した司令長官は笑い出しました。
大和型戦艦二隻が距離四万メートルで砲撃を開始した時は、さらに笑いが大きくなりました。
日本海軍は焦って砲撃を始めたと思ったからです。
当時の軍事的常識では四万メートルは砲撃が「届く」距離であっても「当たる」距離ではありません。
司令長官は声を出して笑い……笑ったまま生涯を終えました。
なぜなら、「大和」が放った初弾が「モンタナ」艦橋に命中して司令部が壊滅してしまったからです。
戦艦「大和」「武蔵」が放った第一斉射十八発の内、三発がそれぞれ「モンタナ」の艦橋・第一砲塔・後部甲板に命中しました。
第一砲塔に命中した砲弾は、砲塔天蓋を貫通し弾薬庫で起爆しました。
戦艦「モンタナ」は大爆発を起こし、たちまち沈没していきました。
二番艦「オハイオ」の次席指揮官は、司令部壊滅に動揺しながらも指揮権を掌握しようとしました。
しかし、無駄な努力に終わりました。
戦艦「モンタナ」の撃沈を確認した「大和」「武蔵」は「オハイオ」に目標を変更し、やはり一斉射で「オハイオ」を撃沈してしまったからです。
残ったモンタナ級八隻も同じ結果でした。
アメリカ海軍のモンタナ級十隻は、「大和」「武蔵」に一発も砲弾を当てることなく全滅しました。
この海戦を生き残ったあるアメリカ海軍士官は戦後に次のように語っています。
「日本の『ヤマト』『ムサシ』の砲撃によりモンタナ級戦艦が全滅していく光景は我々にとって悪夢であった。しかし、奇妙なことを私は感じた。砲撃する『ヤマト』『ムサシ』の様子がフォードの自動車工場で、ベルトコンベアで運ばれてくる部品を組み立てるような『単純作業の繰り返し』に見えたからだ」
このアメリカ海軍士官の感じたことは当たっています。
戦艦「大和」「武蔵」の射撃システムは、「H日本」が提供した最新のレーダーとコンピューターによって構成されていました。
それが距離四万メートルでの初弾命中を「単純作業」にしました。
技術的には対艦ミサイルの方が射程距離が長く、命中率も高く、コストも安いのですが、外国に対艦ミサイルを見せないためにあえて大和型戦艦を建造したのでした。
モンタナ級戦艦すべてを失ったアメリカ艦隊は撤退し、海戦は日本の勝利に終わりました。
この海戦の後、イギリスはシンガポールのライオン級戦艦二隻を「故障が発生してイギリス本土での修理が必要になった」と発表し、イギリス本土へ戻しました。
これはイギリス政府の「この戦争に当面は参戦しない」という間接的なメッセージでした。
国内の政治的混乱を解決し、「S日本」と「H日本」の自衛隊の戦争への参加が可能になりました。
日本本土の安全を確保したので大和型戦艦六隻すべてを遠征させることになりました。
まずは、アメリカの植民地だったフィリピンを攻略しました。
これは「S日本」「H日本」の大和型戦艦「信濃」「甲斐」「紀伊」「尾張」を主力とする海上自衛隊と陸上自衛隊が担当しました。
初戦で「S日本」「H日本」が参戦しなかったため「T日本」の政府と国民に発生した不信感を払拭するためでした。
ちなみに航空自衛隊は偵察機と輸送機しか参戦していません。
一方的に空襲することが可能なのですが、航空攻撃について外国に見せないためでした。
フィリピン攻略が完了すると、次はハワイ攻略でした。
日本は大和型戦艦六隻すべてをハワイ攻略に参加させることにしました。
アメリカ海軍は残存する戦艦をすべてハワイに集結させましたが、大和型戦艦の前に全滅しました。
アメリカ海軍の巡洋艦・駆逐艦は見た目が自分たちより貧弱に見える海上自衛隊の護衛艦に向けて突撃しましたが、速射砲により一方的に撃破されました。
ハワイに配備されたアメリカ陸軍も自衛隊の戦車の前では敵ではありませんでした。
ハワイに日章旗がひるがえりました。
ここでアメリカ政府は日本に講和を求めてきました。
その条件は、ハワイ・フィリピンの日本への割譲、多額の賠償金の支払いでした。
その条件を「T日本」の政府は受け入れて、ここで戦争を終らせてもいいと考えましたが、それに強行に反対したのが、「S日本」の政府と国民でした。
なぜなら、「S日本」は元の世界の太平洋戦争でアメリカ軍の空襲にあった国民が一番多いのです。
空襲で家・財産・家族・友人を失っています。
戦後の平和教育で恨みは薄まったようでしたが、アメリカから一方的に戦争を仕掛けられたことで恨みが復活したのでした。
そして、「S日本」の政府と国民は「元の世界のアメリカとは違うことは分かっているが、この世界のアメリカも放っておけば、いつの日か日本を空襲するだろう。その危険性を排除するためにアメリカからは軍事力を奪わなければならない。他の二つの日本が戦争をやめるなら。我々だけで継続する」と主張しました。
それに対して「H日本」の政府は冷静な判断からアメリカからは海外遠征能力を奪うべきだと考えており、「T日本」の政府は実に日本的に「他の二つの日本が賛成するなら賛成する」でした。
そして、三つの日本が連名でアメリカに突きつけた講和条件は次のようなものでした。
「ハワイ・フィリピンはアメリカに返還する。ただし非武装地帯としてアメリカ軍の駐留を禁止する」
アメリカ政府は意外に軽い条件に驚きましたが、続く条件は凄まじいものでした。
「アメリカ合衆国陸軍・海軍を廃止する。アメリカは軍事力は州兵・沿岸警備隊の保有のみ認める。沿岸警備隊は排水量一万トン以上の艦艇の保有は禁止する」
この条件をアメリカが受け入れるわけはなく、戦争は継続されることになりました。
大和型戦艦はアメリカ西海岸への艦砲射撃を始めました。
二隻ずつ交代でローテーションを組んで常にアメリカ西海岸のどこかに大和型戦艦が存在する状況でした。
アメリカは大和型戦艦の海上での阻止は諦めていて、大和型戦艦の射程距離にある西海岸の都市の住民は全員疎開させていました。
大和型戦艦は射程距離内にあるすべての人工物を吹き飛ばしました。
アメリカ政府と軍はある意味で楽観的でした。
三つの日本を合わせてもアメリカ全土を占領できるような陸上兵力が用意できないことは明らかでした。
日本が西海岸に上陸したらゲリラ戦で対抗し、日本が疲弊したところで講和を申し込めばいいと考えていました。
しかし、大和型戦艦が西海岸に砲撃する物が無くなっても日本軍は上陸して来ませんでした。
西海岸の都市を再建しようとすると大和型戦艦の砲弾が降ってくるので、再建は不可能でした。
そのうちアメリカ政府は奇妙なことに気づきました。
カナダにあるイギリス陸軍が増強され、ライオン級戦艦十隻がアメリカ東海岸沿岸に近づいているのでした。
イギリス政府は「北アメリカ大陸における不測の事態に備えるため」と説明しましたが、アメリカがイギリスの真意に気づいた時には遅かったのです。
イギリスがアメリカに宣戦布告、ライオン級戦艦はアメリカ東海岸の都市を砲撃し、カナダのイギリス陸軍は国境を越えて首都ワシントンを目指しました。
西海岸の日本軍上陸に備えて、主力を西に配備していたアメリカ陸軍は対抗できませんでした。
首都ワシントンは陥落し、アメリカ大統領は捕虜となりました。
イギリスがこのような行動に出た理由は、日本が未来の歴史の一部をイギリス政府に極秘に開示したからでした。
イギリスは第二次世界大戦で疲弊し、大英帝国は解体され、世界の覇権はアメリカ合衆国が握ることになる歴史を知ったのでした。
イギリス政府はそれを避けるために再びアメリカを植民地にすることにしました。
アメリカ大統領はサンフランシスコにおいて戦艦「大和」艦上で日本との降伏文書に署名し、続いて、ニューヨークにおいて戦艦「ライオン」艦上でイギリスとの降伏文書に署名しました。
彼はアメリカ最後の大統領になりました。
イギリスの植民地に戻ったアメリカでは大統領制は廃止され、イギリス本土からアメリカ総督が派遣されることになりました。
ホワイトハウスはアメリカ総督官邸となり、アメリカ議会は存続しましたが、権限は大幅に縮小し、アメリカ総督が独裁的な権力をふるいました。
日本の要求通り、アメリカ陸海軍は廃止され、アメリカは州兵と沿岸警備隊のみが軍事力となりました。
日本が占領していたハワイとフィリピンは戦後は独立国となりました。
戦争は1932年に終結し、日英米戦争と呼ばれています。
えっ!?なんで日本はイギリスにアメリカ全土を占領させるようなことをしたのか?ですか?
当時の日本でも無理すればアメリカ全土を占領できたでしょうが、戦後の治安維持に苦労するのは分かりきっていました。
戦争が終わって九十年近くになる今年2021年になってもアメリカ総督に対する暗殺未遂事件は毎月のように起きています。
戦後、我が日本は宇宙開発に乗り出し、月面に都市をつくったのに、アメリカ人たちはいまだに地べたで銃を振り回して争っているのです。
アメリカ合衆国の発展を停滞させるのが目的でしたから、その目的は達成していますね。
ところで、皆様。
本当にアメリカに旅行に行くつもりですか?
アメリカ人はイギリス人はもちろん我々日本人も恨んでいます。
日本人旅行者に対する襲撃事件は過去に頻繁に起きています。
政府の仕事で行くのでもない限り護衛はつきません。
それに、今のアメリカに観光旅行で何を見に行くつもりですか?
ニューヨークの自由の女神は数年前の立て籠り事件で犯人が自爆して破壊されてしまいましたし、他の歴史的建造物も暴動などで破壊されてしまっています。
もう映像にしか残っていません。
それなら、日本にいてVR仮想現実で体験すれば充分です。
えっ!?アメリカ行くのをおやめになる?
はい、それでしたら講座はここで終了になります。
お疲れ様でした。お気をつけてお帰りください。
あっ!お帰りになる前に最後のアメリカ大統領が降伏文書を署名した時のテーブルが、開戦九十周年記念に甲板に展示されていますので、良かったらご覧になってください。
ここ記念艦「大和」の艦内で、この講座は開かれるのが恒例になっています。
この世界の歴史を知り、今のアメリカの成り立ちを知ってもらうためです。
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