前編
「大和」型戦艦が量産された世界線をテーマとした架空戦記です。
はい、ここが日本人が海外旅行をする時には受講することが義務づけられている講座です。
特に、あなたがたアメリカ合衆国に旅行をする皆様には向こうでの禁止事項が多いので注意してください。
では、日本三重帝国の国民としての禁止事項を話す前に、我が日本三重帝国の歴史について話しましょう。
これを話さないと禁止事項についての理由が分かりませんので。
学校の歴史の授業の復習となり長くなりますが、お聴きください。
この世界の大正十年、西暦1921年に二つの日本列島がタイムスリップして来ました。
それは「昭和四十八年の日本列島」と「平成三十年の日本列島」でした。
平成時代の日本では日本列島がタイムスリップする小説がネットなどで多数ありましたが、それが現実になってしまいました。
大勢の科学者が研究していますがタイムスリップの原因は不明です。
お互いを区別するために元号のローマ字の頭文字から「T日本」「S日本」「H日本」とそれぞれの日本列島を呼ぶようになりました。
この世界に元々あった「T日本」の日本列島が東に何故か動いて、空いた海域に二つの日本列島がタイムスリップしました。
東から「T日本」「H日本」「S日本」の三つの日本列島が並んでいます。
三つの日本列島があり、三人の天皇がおられるため、「日本三重帝国」と呼ばれるようになり、それが正式な国名になりました。
タイムスリップ当初は混乱しましたが、徐々に落ち着いていき、三つの日本は交流を初めました。
そして、「T日本」は戦争での悲惨な敗北を知り、「S日本」は経済的に絶頂に達しながら衰退したことを知り、「H日本」はそれらの歴史を変えられる可能性を知りました。
食糧と資源に心配はいりませんでした。
三つの日本列島では農作物の収穫量は数倍になり、石油や鉱物資源が大量に産出されるようになりました。
これらはタイムスリップの影響だと推測されています。
食糧と資源の自給自足が可能となった日本は、半島と大陸には防衛上必要最低限だけ手を出すことにして、貿易立国としてやっていくことにしました。
日本の技術は「H日本」どころか「S日本」でも大正時代では圧倒的でしたからね。
日本製品は世界を席巻し、日本は平和な貿易国家としてやっていくことになりました。
えっ!?「平和な貿易国家が大和型戦艦を量産したのは、どうしてか?」ですか?
もちろん、「抑止力」としてです。
日本が繁栄すればするほど、それを妬む国が出てきます。
最新のジェット戦闘機を見せれば抑止力としては充分ですが、外国の技術の発展を促進してしまう可能性があります。
大正時代の戦略兵器は戦艦でした。
大和型戦艦は素人目にも「強そう」に見えて抑止力として充分ですし、大和型戦艦を見せても外国の戦艦の発展を促進するだけで日本にとっての危険性は低いと判断されたのでした。
大和型戦艦はそれぞれの日本に二隻ずつ合計六隻建造されることになりました。
そして、「S日本」と「H日本」にある史実の大和型戦艦の資料を元に大和型戦艦の再設計が行われました。
再設計と言っても史実通り基準排水量六万四千トン、四十六センチ砲九門搭載であることは変わりません。
これ以上巨大な戦艦を造ると運用が難しくなるので、基本は史実と同じでした。
戦艦用の砲や装甲の製造技術は「S日本」と「H日本」では失われていたので、それらは「T日本」が提供し、他の日本は機関などを提供しました。
機関については史実より強化されたため速力三十ノット以上となっています。
対空砲や機銃はあえて第二次世界大戦レベルの物にとどめています。
対空ミサイルなどを見せて外国の技術を促進させないためでした。
さて、日本が大和型戦艦を六隻建造することを発表した時、世界の政府と軍の上層部は衝撃を受けました。
二つの日本がタイムスリップして来た時、「T日本」の東京に滞在していた各国の大使に「S日本」「H日本」の東京を案内したので、未来からの日本がタイムスリップして来たことについては理解していました。
しかし、日本側が意図的に自衛隊は見せなかったため、未来の日本の軍事力については諸外国は情報を得られませんでした。
日本が大和型戦艦の建造を開始すると、最初は「未来の技術であっても、そんな巨大な戦艦が建造できるはずがない」と否定的でした。
しかし、「T日本」の呉と長崎で建造中の大和型戦艦を各国の駐在武官に公開すると、それが真実であると誰もが知りました。
他の二つの日本の支援で「T日本」の工業力は上がっており、大和型戦艦が建造可能になっていました。
大和型戦艦に衝撃を受けた各国は対応を始めました。
イギリスは大和型戦艦その物の建造中止を求めましたが、もちろん、日本は拒否しました。
アメリカは「未来の日本が持つ技術は未来の全人類の技術でもあるので無償で全世界に公開すべきだ」と主張しました。
もちろん、これも日本は拒否しました。
日本は食糧も資源も自給自足が可能になっていたので、どこの国も経済制裁をすることはできませんでした。
軍事的圧力をかけようにも自分より優れた軍事技術を持つ相手に、それは不可能です。
諸外国にとって手詰まりとなった状況で、譲歩したのは日本側でした。
日本は「大和型戦艦の建造は六隻で打ち止め。それ以外の戦艦は全部廃棄する」と発表しました。
諸外国の政府と軍の上層部は、この発表に一応は安心しました。
大和型戦艦が世界最強の戦艦であっても、三つの日本が保有する戦艦が六隻だけなら本土防衛が精一杯で、侵攻には大和型戦艦は使えないと判断したのでした。
そして、日本と世界は一応は平和な状況が十年近く続きました。
しかし、その平和の中で日本を強烈に敵視する国家がありました。
アメリカ合衆国でした。
日本政府は未来の歴史については優位を確保するために一切発表しませんでした。
日本人の海外渡航者には外国で未来の歴史について話すことは禁止していますし、歴史の本を持って行くことも禁止しています。
この禁止事項は現在も続いており、今、この講座を受講しているあなたがたも対象です。
外国に行く時は、皆様がお持ちのスマホは通話とメールしか使えなくなります。
紙の本や電子書籍も持ち出し禁止です。
違反すると日本に帰国後、重い罰を受けることになりますので気をつけてください。
さて、話を大正時代に戻します。
この世界でもワシントン海軍軍縮条約は結ばれました。
元の世界の歴史では、日本の戦艦保有量を対米六割に制限するものでしたが、この世界では日本の四十六センチ搭載戦艦の保有量をアメリカ・イギリスに対して六割に制限するものでした。
日本が自主的に大和型戦艦を六隻に制限したので、アメリカ・イギリスはそれぞれ十隻の四十六センチ砲搭載戦艦を新造することになりました。
アメリカは四十六センチ砲八門搭載、二連装砲塔を前部と後部に二基ずつ配置した基準排水量八万トン、速力二十一ノットのモンタナ級戦艦。イギリスが四十六センチ砲八門搭載、二連装砲塔一基と三連装砲塔二基を前部に集中した基準排水量七万五千トン、速力二十三ノットのライオン級戦艦を建造しました。
アメリカ・イギリスの国民は四十六センチ砲搭載戦艦の保有数で日本に対しての圧倒的になったので安心しました。
しかし、もちろんのこと、アメリカ・イギリスの政府は日本に対する情報収集を怠りませんでした。
日本側が情報統制をしていてもどうしても漏洩はあります。
アメリカ・イギリスはおぼろげながら第二次世界大戦の歴史について知りました。
アメリカ政府はそれを知りこう考えました。
「どうやら未来の歴史では我々アメリカは日本を軍事的に屈服させ。強力な爆弾で日本本土の都市を焼け野原にし、日本本土を占領したらしい。その復讐を日本はしないだろうか?いや、必ずするに違いない!」
アメリカ政府はさらに「日本は世界征服を企んでいる」と考えました。
それに対して日本側は「世界征服」など考えていませんでした。
世界との貿易で繁栄を得ていたからです。
ただし、「T日本」では「未来技術で世界征服を!」と唱える政治家や軍人もいましたが、「T日本」が他の二つの日本の支援でインフラ整備が進むと、その主張の影響力は低下しました。
日本は、特に「S日本」と「H日本」は世界が平和であるほど繁栄することを経験から知っていました。
しかし、アメリカはそれを信じませんでした。
現実問題として日本製品はアメリカの国内市場も席巻し、経済的に敗北してしまう可能性が高かったのです。
アメリカは軍事的に勝てる可能性に賭けました。
アメリカがターゲットにしたのは「T日本」でした。
他の日本が「T日本」に渡した軍事技術は大和型戦艦二隻だけでした。
大正時代の軍人の暴走を警戒していたからでした。
アメリカは三つの日本全部を軍事的に屈服させるのは不可能でも、「T日本」だけなら可能性があると考えたのでした。
日本三重帝国と呼ばれるように、「T日本」「S日本」「H日本」それぞれに政府があり、対外的なことは三つの政府が協議して決めていたので、臨機応変な対応は難しかったのです。
三つの軍隊も「T日本」の帝国陸海軍、「S日本」の自衛隊、「H日本」の自衛隊と分かれていて、統合した指揮組織はありませんでした。
日本三重帝国は、三つの別な国が同じ日本民族だから協力しているゆるい連合体とも言えるのでした。
その弱点をアメリカ政府は突きました。
二つの日本がタイムスリップして十年、この世界の西暦1931年に戦争が始まりました。
ハワイにモンタナ級戦艦十隻を集結させると、宣戦布告を「T日本」のみにしたのでした。
他の二つの日本は憲法と法律より、直接攻撃しないかぎり、自衛隊の即時対応は難しいと考えたのでした。
アメリカのもくろみは当たり、「S日本」と「H日本」は国内の政治的混乱により、自衛隊の活動が難しくなりました。
ハワイに集結したアメリカ艦隊に開戦初期に対抗できる大和型戦艦は「T日本」の「大和」「武蔵」の二隻だけでした。
そしてシンガポールには、イギリス海軍のライオン級戦艦二隻が配備されていました。
アメリカとイギリスは軍事同盟を結んでいませんでしたが、日本が不利になればイギリスも戦争に介入してくるのは明らかでした。
なので、「S日本」の大和型戦艦「信濃」「甲斐」、「H日本」の「紀伊」「尾張」は日本本土から動かせませんでした。
こうして、「大和」「武蔵」はアメリカ艦隊との二対十の戦いに挑むことになったのでした。
ここでいったん休憩にします。
講義の続きは休憩後にします。
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