あさひと衣都
入学式の朝、すっかり日課となってしまった朔とオクリト君のいる朝食の時間、小夜は二人に申し訳なさそうに言った。
「今日はまひるの入学式なのよ。ゆっくりお茶におつきあいできなくてごめんなさい」
小夜の家で勝手に朝食を食べている二人に小夜が詫びる。
「お構いなく、私たちはお茶を飲んだら消えますので、遠慮無さらずに鍵を掛けて出掛けてください」
朔とオクリト君は一向に気にした様子もなく頷いた。
小夜は急いで食器を下げると、二人にお茶を出して出掛ける準備をした。
「では、行ってまいります」
「いってらっしゃーい」二人がにっこり笑って手を振る。
小夜の様子を見ているとどちらが家主か分らない。
まひるは早々に玄関で小夜の来るのを待っていた。
「おまたせ、まひる。さあ出掛けましょう」
まひると小夜は入学式に出かけた。
新しい制服に身を包み、問題はいろいろあるけれど新しい日常の始まりだ。
学園に着いて入学式の会場付近をウロウロしていると篤がまひるを見つけて走ってきた。
「まひる!まひる!クラス分け見たか?」
「いや、今着いたところだから、まだ見てないけど・・・」
「僕もまひるもB組だよ!また一緒のクラスになれて嬉しいよ」
篤はそう言いながらまひるの周りをぐるぐる回った。
「篤君、まひると同じクラスになったの?」
小夜が篤に声を掛けたので、篤は初めて小夜の存在に気付いた。
「あ、まひるのお母さん、おはようございます。そうなんです。まひると同じクラスなんです。幼稚園からずっと同じクラスなんて僕たちよほど縁があるのだと思いませんか?」
興奮した様子で篤が言った。
「まあ、そうかもしれないわね」と小夜が苦笑した。
まひるの中であさひが『何の縁だ』と毒づいた。
あさひは先日蒼海先輩の家から帰ってから元気が無く、何時もの橋本家の監視もしばらくお休みしていた。あさひが篤の言葉に反応して元気なのを感じてまひるは嬉しくなった。やはりあさひは元気なほうがいいと思った。
入学式も無事に終わり、生徒は各教室に集まるように連絡があった。
教室に行く前にまひるは小夜を捜した。
小夜は先日お寺であった陽さんと話をしていた。
「お母さん」まひるが声を掛けると、小夜と陽が振り向いた。
「あら、まひる教室に行かなくていいの?」と小夜が少し驚いた様子で尋ねた。
「今から行くつもりだけれど、お母さんに先に帰っていてと言おうと思って・・・」
「大丈夫よ、陽さんとお話ししながら待っているから心配しないで」
小夜は笑いながらまひるに言った。
そこへ篤がまひるを呼びに来た。
「あ、ここにいた。まひる、教室にいこうぜ」
篤の呼びかけに振り向いたまひるは近づいてくる衣都と目が会った。
「え?あさひ?」
衣都が驚いた顔でまひるを見た。
「あーっ!神楽衣都!」
篤も衣都を見て叫んだ。
衣都が怪訝そうな顔をして篤を見た。
「あっ、おバカ篤!なんでこんな所にいるのよ!」
篤の顔を見てこんどは衣都が叫んだ。
「それはこっちの台詞だよ」
二人は知り合いらしく、お互いの存在に驚いていた。
「二人とも知り合いなの?」
まひるが睨み合う二人の間に立った。
「こっちがおバカ篤と言うことは、あんた日比野まひるね!」
衣都はまひるを睨んだ。
「そ、そうだけど、何処かで会ったっけ・・・?」
「何処かで会ったかですって!なんて白々しい。私は6年間忘れられなかったのに・・・」
ギリギリと歯ぎしりが聞こえるような衣都の声がした。
「まあまあ、衣都ちゃん落ち着いて・・・」
今度は篤が衣都とまひるの間に立っている。
「それより、なんで男子の制服着てるのよ!」
まひるの制服を上から下まで見て衣都が叫んだ。
「いや、僕男子だし・・・」
まひるがそう返事をすると、衣都の顔が青くなった。
「なんですってー!」ほとんど絶叫に近かった。
「衣都、衣都、どうしたの?」
陽が心配して衣都に声を掛けた。
「私の聖域が・・・」言葉にならない呟きが衣都の口から漏れて、膝から崩れ落ちた。
少しの間頭を抱ええてうずくまっていた衣都だったが「大丈夫よ、お母さん何でも無いわ」顔を上げて陽にそう言い残すと、二人を睨んでからスタスタと校舎に向かって歩いて行った。
残された四人は呆然と衣都を見送った。
しばらくフリーズ状態だったまひると篤も我に返ると慌てて教室に向かった。
小夜と陽は訳がわからないまま取り残されてしまった。
教室に入ると衣都がいた。偶然にもまひると篤は衣都と同じクラスだった。
すでに席順が名前順に決まっていた。篤の名字は伊達で衣都が橋本、まひるが日比野なので、奇しくも衣都とまひるの席は前後になった。
初めてのホームルームは簡単な自己紹介と明日からの授業の説明などを聞いて一時間ほどで解散となった。
学校から帰る途中、まひるは篤から衣都と幼稚園が一緒だったと聞いた。幼稚園時代のことは有るはずのない時代として記憶から完全に消去していたまひるは、篤から話しを聞いても衣都を思い出せなかった。
入学式から帰ると、久しぶりにあさひが出掛けると言った。
女の子らしい洋服はまひるが嫌がるので、いつもはジーパンにTシャツにキャップ帽を被って出掛けていたのに、今日は女の子らしい洋服を選んだ。ピンクのひらひらブラウスに白のショートパンツを合わせた春らしい格好をして出掛けるらしい。
『あさひ、今日はジーパンじゃないの?』
「いままではまひるに会わせていたけど止めた。ギリギリショートパンツで抑えてあげているのに、いやならスカートにするわよ」
あさひは鏡を見ながら目の奥のまひるを睨んだ。
まひるはあさひの言葉を否定することが出来ず黙り込んだ。あさひは着替えが終わるといつもの場所に出掛けた。
いつもだと建物の陰から橋本家の裏門を見ているのだが、今日は門の前に立って家を見ていた。
呼び鈴を押そうか押すまいかと迷っていると衣都が陽と一緒に帰って来た。衣都はあさひに気付くと陽に何か話しかけた。陽は笑って頷いて先に家の中に入っていった。
「あさひさん、蒼海兄さんは今日から普通授業だからまだ帰ってこないわよ」
以前会った時とは違って優しい口調で衣都が言った。
「そう、なの・・・」
あさひがガッカリしたと思ったのだろう、衣都は「兄さんが帰ってくるまで私と一緒でよければ入って待たない?先日のことも謝りたいし・・・」とあさひを誘った。
先日のことを謝るって何のことか分らなかったけれど、あさひは衣都の誘いにのって橋本家の門をくぐった。
今日は応接室でなく衣都の部屋に案内された。
衣都の部屋に入ってあさひは驚いた。部屋中にゲームやアニメに登場する美形男子のポスターが貼ってある。
「衣都!あんたってそっち系!」
あさひはぽかんと口をあけて衣都を見た。
「そっち系ってなによ!私は綺麗な女は嫌いだけど綺麗な男は好きなの。でも三次元に興味ないわ。二次元だけだわ」
「ふーん」
あさひは妙に感心して見入っている。
「なによ、悪い」
「いや、全然、私とは反対だと思っただけ。それにしても、俺様風なのが好きなの」
「そういう訳ではないわ、でも、いい男にはいい男が似合うと思わない?」
うっとりするような顔で衣都が言う。
「思わない」冷めた口調であさひが答えた。
「特にこれなんか白い髪にコバルトブルーの酷薄そうな瞳、まるで朔だわ。そしてこの黒髪の男の子はオクリト君そっくり」
あさひはポスターの一枚を指さして言った。
「こんな人が三次元でいるの!」
あさひの言葉に衣都が飛びついた。瞳がキラキラと輝いている。
「三次元と言うか。人間じゃないよ、四次元、五次元くらいかな」
「何次元でもいいわ、会えるなら会ってみたい!」
衣都は懇願のポーズであさひを見た。
あさひはそんな衣都を面倒くさそうに見て言った。
「会いたいなら家に来れば会えるわ。たいてい家で朝食を食べているから」
「朝行ったら会えますの」
衣都の口調が変わった。
「まひるもいるけどね」
まひると聞いて衣都はピクリとした。
「まひるって、あの日比野まひる?」
衣都の顔がこわばっている。
「そうよ、一つ年下の私の弟だけど」
「そうだった、あれは男だと今日知ったのだわ」
衣都はガクリと項垂れた。
「どうしたの?美形の男子が好きだったのではないの?」
あさひが衣都の落ち込みを不思議そうな顔で見た。
「あさひさん、いいえお姉様と呼ばせてください。私が美形男子に走ったきっかけは、あの日比野まひるにあるんです。なのに、男子だったなんて知りたくなかった・・・」
世界の終わりの様な顔で衣都がボソリと呟いた。
「詳しく聞かせて貰える」
衣都の様子にあさひは自分と通じる何かを感じて思わず衣都の手を握っていた。
しばらくじっと考え込んでいた衣都だったが、顔を上げてあさひの目を見た。
「何となくあさひお姉様とは気が合いそうな気がしてきましたわ。女同士の秘密でしてよ。そうでないとお話出来ませんわ」
意を決したような衣都の迫力にあさひはタジタジとなりながらも、衣都の話しをまひるに聞かせてはいけないと思った。
「分った。女同士の秘密なのね。分った。ちょっと心の準備をするから少し待ってて」
あさひは衣都にそう言って中のまひると向き合った。そして、あさひはまひるの中に最近作ったあさひの部屋にまひるを連れ込んだ。
そこはリアルあさひの部屋を縮小した部屋で、部屋中美少女戦士のポスターが貼ってあった。
「あんたはしばらくここに入っていて」
あさひはそう言って、まひるを残して部屋を出るとカチリとドアに鍵を掛けた。
まひるは出ようとドアを動かしたけれど、しっかり鍵が掛って出ることが出来なかった。
「あさひ、あさひ」と呼んでもあさひは答えず、外の音も部屋の中には聞こえてこなかった。
「あさひお姉様、あさひお姉様、大丈夫」
まひるを閉じ込めて戻ってくると、衣都があさひの頬を叩きながら叫んでいた。
「いたいなぁ、なに勝手に人の顔を叩いているのよ」
あさひが文句を言ったら、衣都がホッとした顔をした。
「良かった、気がついたのね。急に意識を失ったからビックリしたわ」
二人同時に意識下に行くと気を失ったようになると聞いて、まひるを閉じ込めるときは注意をしなければいけないとあさひは思った。そして誤魔化すために
「ごめんね、貧血起こしたみたい。気にしないですぐ良くなるから」と衣都に言った。
「そう、それだったらいいけど・・・」
衣都はまだ心配していた。
「もう大丈夫だって、それより話しを聞かせて」
「分った。気分悪くなったら言ってね」
「うん」
あさひの元気な様子を見て安心したのか衣都はポツポツと話し出した。
「あれは私が幼稚園の時だったわ。私は今みたいに気が強い子ではなくて、どちらかというとおとなしい子だったわ。クラスの中で私とまひるはいつもどっちが可愛いかとみんなから比べられていたけど、私はそんなことどうでも良かったわ。私はママが私を好きでいてくれたら周りのことなんてどうでも良かったから。でも卒園が近づいた頃ママがとても重い病気にかかったの。パパはママの病気は治らないと言ったわ。その頃卒園の記念にみんなで劇をすることになったの」
そういえばそんなことが有ったなとあさひは思った。
「シンデレラ?」
「そう、シンデレラ!私はママに見せるためにシンデレラになりたかった・・・」
「シンデレラって確かまひるがやったのよね」
「篤君が『シンデレラはまひるが良いと思います』って言ったのよ!そしたら園長先生も賛成して・・・」
「ああ、あの園長まひるのこと大好きだったから・・・」
そうだ、あの園長はあさひにとっても天敵のような者だった。
「そして、その後篤君が続けて『悪いお姉さんは衣都ちゃんがいいと思います』って言ったのよ。シンデレラにはなれなかったけど、選ばれたからには一生懸命練習して演技したわ」
「ああ、覚えてるわ。あなたすごく役にはまっていたわね」
あさひは劇を思い出していた。悪役令嬢がとても上手だったのでまひるのか弱そうな感じがすごく生かされていた。
「劇の後、みんながまひるを可憐なお姫様だったと褒めていたわ。私はすっかり悪役のイメージがついてしまったみたいで、その後小学校に行ってもずっと悪役令嬢がついてまわったわ。そんなこともあって、私はヒロイン顔の女子は嫌いになったの」
「まひるもなんかいろいろあってあの園長先生から幼稚園時代ずっと女の子でいるように言われていたので、幼稚園時代は僕の黒歴史だとか言って記憶から削除していたけど、あんたもいろいろあったのね。私も幼稚園時代はまひると比べられた嫌な思い出ばかりだわ」
「やはりあさひお姉様も苦労なさったのね」
「女の子同士で比べられるのも嫌だけど、男の子のまひると比べられて『あさひちゃんもかわいいけど同じものを着てもまひるちゃんの方が着映えがするわね』とか言われて、大人は何気なく言っているのだと思うけれど、私は子供心にそうとう傷ついたわ」
「わかるわ。私は女の子とばかり思っていたからまだ救われていたのね」
「それでヒロイン顔の女の子が嫌いになったの?」
「その時はそこまで思っていなかったわ。私の本当のママはあの卒園劇を体調が優れない中無理をして見にきてくれたわ。私の意地悪なお姉さん役を見て『衣都は誰よりも上手で綺麗だったわ』と言ってくれたわ。私はママが綺麗と言ってくれただけで充分だった。
それからしばらくしてママが亡くなって、小学校三年の時にパパが今の陽お母さんと再婚して橋本家に養子に入ったの。パパの再婚で蒼海がお兄さんになったわ。蒼海はあさひも知っているとおり顔も性格もいいので、女子にとてももてていたわ。私も会ってすぐ大好きになったけど、悪役令嬢のトラウマのある私は蒼海には似合わないと思ったわ。それで蒼海にはどんな人がいいか空想したのよ。幼稚園の記憶からヒロイン顔の女子は間違っても受けいれられなくて、女子がダメなら男子ではどうだろうと思ったら、美形には美形が会うのよね。それも二次元の美形男子。私はすっかりこの組み合わせが気に入ってしまい、それからは二次元に入り込んでしまって抜け出せなくなったのですわ」
衣都は話し終えるとホーッと息をはいた。
「で腐女子もどきになったと」
「腐女子ではありませんわ。清らかに二次元の世界の彼らを愛しているのです。聖女子と呼んで頂きたいわ」
衣都が反論する。あさひは衣都と話しているのが楽しくなった。
「あー、聖女子ね。聖女子の悪役令嬢」
「悪役令嬢ではありませんわ。ただ顔が整いすぎて、目が少しつり上がっているので冷たく見えるだけですわ」
「自分で言うかい」思わず突っ込みを入れる。
確かに衣都の顔は少し目がつり上がっていることで冷たく見える。
「お姉様も私と同類ですわ。まひると同じ顔をしているのに目が違いますわ」
「え?」
あさひは同じ身体を使っているから同じだろうと言いたくなるのをグッと押さえた。
「お姉様の目はキラキラして挑戦的で素敵ですわ。それに引き換えまひるの目はウルウルしていて守ってくださいと言っているようなヒロインビーム満載の目ですわ」
確かにそう言われてみれば、あさひがまひると入れ替ったときの自分の姿を思い出すと、まひるの雰囲気とは違うまひるではない自分の姿を見ている。同じ顔でも違って見えることにあさひは驚いた。まひるの身体であってまひるではないあさひとして存在している自分に気が付いた。
「じゃあ衣都は私だったら蒼海先輩の横にいても良いと思ってくれる?」
「それは譲れませんわお姉様。蒼海の隣には美しい男子が似合うのです」
どうもそこは譲れないらしい。
コン、コン
ドアがノックされて、陽がジュースを持って入ってきた。
「衣都、飲み物を持って来たわ」
「お母さんありがとう」
陽はあさひを見てにっこり笑った。
「どうぞごゆっくり」
あさひは陽の顔をしばらく見て「ありがとうございます」と頭を下げた。
陽が部屋を出て行った。
「優しそうな人ね」
「優しいわ。私の憧れだわ」
「憧れ?」
「そう、頭が良くて、優しくて、私のこのポスターを見て一緒に話しをしてくれるの」
嬉しそうに陽のことを話す衣都を見てあさひはなぜかモヤモヤした気になった。
「私のママも優しいわ」少しすねたようにあさひが言う。
「あ、今朝会った時、そんな感じがした」
「ママに会ったの?」
「今日学校で会ったわ。私のお母さんとあさひお姉様のお母さん友達みたいよ」
「へぇ、じゃあ私たちも友達になれるかもね」
「かもねって、あさひお姉様、私の秘密を聞いたからには、絶対友達になって貰います」
衣都の強引さが何故か心地よいあさひだった。