これから
衣都と蒼海が帰った後、朔も用事があると何処かへ行ってしまった。
部屋の中には小夜とあさひが残された。
あさひは小夜にまひるを事を伝えなければと思った。
「ママ、わたし…ママに話さないといけないことがあるの…」
あさひは今にも泣き出しそうな顔で小夜の前に立っていた。
小夜はあさひが帰ってきた時からいつもと様子が違うことに気付いていた。それで、まひるに何かあったに違いないと感じていた。
衣都がいたので話せなかったのだろう。
小夜は一抹の不安を感じながらあさひに尋ねた。
「まひるのこと?」
あさひの目に涙が溢れた。そして「ごめんなさい」と頭を下げた。
謝るあさひの目から涙が流れて床に落ちた。
「あさひ、泣いてないで何があったのかママに話して」
小夜は不安を隠して、優しくあさひに問いかけた。
「ごめんなさい、ママ。私のせいで、まひるが女の子になってしまったの」
顔を上げずに、泣きながら小夜にまひるのことを告げた。
「女の子に…。死んではいないのね」
小夜はあさひの顔が見えるように覗き込んだ。
「生きてる。でも眠ったまま目を覚まさないの」
あさひは小夜と目を合わせられなかった。
「生きているのね…」
小夜はホッとした。どんな形であれ生きていればいいと思った。
小夜は泣いているあさひを椅子の座らせて、涙をエプロンの裾で拭いた。
「まひるが女の子になっても生きていたらいいわ。あさひも頑張ったんでしょう」
あさひの涙を拭きながら優しく言った。
あさひが「うん」と頷く。
「でも、瘴気が消えないとまひるは眠ったままだと御門野さんが教えてくれた」
「瘴気って?」
「美月さんの周りを囲っていた黒い闇のこと。美月さんの心にまひるの心が共鳴したから、瘴気がまひるにも移ったの。御門野さんがそれを祓ってくれたけれど、心の問題が解消しないかぎり、まひるの瘴気は消えないって言ってた。だから眠っているんだって」
あさひはまだ泣いている。
「瘴気が消えないと、まひるは眠ったままなの?」
小夜は静かな声で聞いた。
「うん、そうらしい。わたし、まひるが何に悩んでいたかわからないの」
あさひの泣き顔が歪む。
「ママもわからないわ」
小夜にもわからなかった。
昨年あさひが交通事故で亡くなってから、悲しむ小夜に、これからは僕が強くなってお母さんを守ってあげると、心強い言葉をかけてくれるようになったまひる。
小夜はまひるに頼るばかりで、まひるの悩みを聞いてあげなかったことを後悔した。
まひるが悩んでいたこと…。
黙り込む小夜にあさひが尋ねた。
「ママ、美月さんって知ってる?」
「知ってるわ」
小夜は美月が悩んでいたのを知っていた。
「あの黒い影は美月さんだったの。パパの事が好きだったみたい。美月さんはパパと蒼海先輩を重ねて見ていたようなの。それで蒼海先輩と私の仲を誤解して、私を襲ったみたい。まひるは襲われた私を助けようとして、美月さんの瘴気に触れてしまった。そうしたら闇に引き込まれてしまったのよ。まひるの姿が目の前から消えたら気配も消えたの。何処にもまひるの気配が感じられなくて、このまままひるが消えてしまったらと思うと、恐くて恐くてたまらなかった」
話しながら震えるあさひを小夜はそっと抱きしめた。
「でも、しばらくしてオクリト君と一緒に戻って来たまひるは、美月さんに言ったの『蒼空が待っている』って、それを聞いた美月さんは『蒼空に会える』って、涙を流して喜んだわ。美月さんの涙は覆っていた黒い闇を消していった。そして闇が無くなって、綺麗なお姉さんに戻った生き霊の美月さんは『ありがとう』と言って消えたの」
「そう、美月は喜んだのね」
小夜は小さく微笑んだ。
「ごめんなさい、私のせいで…」
あさひは再び泣いていた。
「あさひのせいではないわ」
小夜は腕の中のあさひの背中を優しくトントンと叩いた。
「美月さんの瘴気は消えたけど、まひるに移った瘴気は消えなかった。瘴気でまひるの男の子の心が死んだと朔が教えてくれた。朔は、まひるを死なせないために、御門野さんに瘴気を祓うように頼んだわ。そして瘴気が消えたら女の子の心を入れたの。わたしのせいでまひるを殺すところだった。私がちゃんと成仏しなかったから…まひるに取り憑いたりしたから…ごめんなさいママ」
あさひは自分を責めていた。すべて自分のせいだと思っていた。
「あさひ、誰のせいでもないわ。兄さんも、美月も悪くなかった。ほんの少し心の行き違いがあったの。ママたちが真実を確かめることに臆病になっていたのがいけなかったのよ」
小夜は今度の事は、美月の気持ちを知りながら、蒼空に真実を聞こうとしなかった。過去の自分のせいだと思った。あさひが自分を責めて泣く必要などなかった。
「あさひ、自分を責めないで。美月の事は、過去のママたちがいけなかったの」
「過去のママ達…?」
「そうよ、美月はねママの妹のような子だったの。美月が兄さんを好きなのは知っていたけれど、私は兄さんが美月を恋人として好きとは知らなかった。もし知っていればこんなことにはならなかった」
「パパも美月さんを好きだったの?」
あさひが涙に濡れた目で小夜を見た。
「ええ、美月が事故で寝たきりになったときに教えてくれたわ」
「もっと早くに聞けば良かったのに…」
「聞けなかったの」
「どうして?」
「本当の兄妹じゃないから、妙に遠慮しているところがあったのだと思う」
「ママもパパが好きだったの?」
そう尋ねるあさひに、小夜は少し迷いながら
「そうね、美月が兄さんを思うようにではなかったけれど、好きだったわ」と言った。
「好きにもいろいろあるの?」
あさひが不思議な顔をした。
「いろいろあるわ」
「うーん、よくわからない」
小夜の話しを聞きながら、あさひの涙は止っていた。
「あさひにはまだ早い話だわ」
「そうなの?」
「もう少し大きくなったらわかるわ」
「私、今以上大きくならないから、わからないままなんだね」
あさひの言葉に小夜はピクリとした。
「そうね…」と呟いて、しばらくあさひを見ていた。
「だから、決してあさひのせいではないという事なのよ」と言って、寂しそうな顔をした。
「わかったわ。私のせいではない。そう思うことにします」
あさひは小夜に寂しい顔をして欲しくなかったので、それ以上聞かないことにした。
「ママ、わたし疲れたから少し寝てくるね。夕飯出来たら起こしに来て」
そう言ってあさひは自分の部屋に戻った。
小夜は小さくため息をついた。そして、ひとり考えにふけっていた。
そんな小夜の前に、朔とオクリト君が現れた。
小夜は朔とオクリト君に気が付くと、椅子から立ち上がって、
「まひるを助けて頂いてありがとうございました」と深々とお辞儀をした。
「でも女の子にしてしまいました」
朔が詫びる。
「女の子でもあの子が生きているだけで良いのです。美月の事は私たちが過去に残した最悪の結果が招いた事ですから」
「そうですね。あなたも大切な人を失いましたからね」
小夜は小さく頷いて「ええ、でも私にはあさひとまひるがいました」と朔を見た。
「あなたは二人を育てることで、悲しみを乗り越えたのでしたね」
朔の言葉に小夜の目が涙でかすんだ。
「あさひを事故で亡くしたときはとても悲しかった。突然の事故で大切な人がいなくなってしまう…あんな思いはもうしたくありません。だから、まひるを助けて頂いてありがとうございます。オクリト君もありがとうございました。兄さんを捜してくださったのですね。美月は『蒼空が待っている』と喜んでいたと聞きました」
小夜はもう一度深々と頭を下げた。
「美月さんの瘴気がなくなったので助かりました。美月さんの生き霊は寝たきりの身体に戻り、少ししてから亡くなりました。僕は彼女を蒼空さんのところに連れて行きました。美月さんは蒼空さんの姿を見つけたらそのまま走って行きました。蒼空さんも気が付いて二人で抱き合って喜んでいました。それから、蒼空さんが指輪を美月さんの指に入れてあげました」
淡々と語られるオクリト君の話に小夜が涙ぐむ。
「指輪を渡してくださったのですね。良かった二人が会えて」
「指輪はまひる君から蒼空さんに渡して貰いました」
小夜はまひるの名前が出たことに驚いた。
「少年のまひる君は美月さんの瘴気に取り込まれて死んでしまいました。黄泉に続く闇に落とされたのです。幸い闇に落とされたまひる君はすぐに見つけることが出来ました。そして蒼空さんにも会うことが出来ました。黄泉に続く闇の中で人を捜すのはとても難しいのです。まして12年前に亡くなった蒼空さんがあの場所で美月さんを待っていなければ、会うことは不可能でした。蒼空さんと会えたのはあの指輪が導いてくれたのだと思います。私はまひるに蒼空さんの指輪を渡す役目を頼みました。まひるは美月さんの瘴気に触れたことで、美月さんの思いの全てを知っていました。だから蒼空さんに指輪を渡すのを頼まれてくれました」
「まひるも頑張ったのですね」
「はい、とても頑張りました」
小夜はまひるが目を覚ましたら褒めてあげようと思った。
「ところで」と朔があらたまった口調で話しに入ってきた。
「まひるは女の子になりました。このままだと不都合が生じるので、過去の記憶の書き換えをしなければなりません」
「記憶を変えるのですか?」小夜は少し驚いた。
「学校関係とかまひると関わった人達の記憶を変えます。幸いまひるは女の子と思っている人が多いのでたいした苦労はないのですが…」
話しの途中で小夜が口を挟んだ。
「私たちの記憶も変えるのですか?」
「その予定です」
「私たちの記憶を変えるのは少し待っていただけますか?学校関係とかは変えて頂いてもかまいませんが、あさひと私とまひるの記憶は変えて欲しくありません」
「わかりました、三人の分は後日と言うことにします。それから、美月さんの件で、あさひの予定が変わりました」
あさひの予定が変わったと聞き小夜は驚いた。
「まひるの性別が決まったことで、これ以上あさひを留めることが出来なくなりました。このままあさひが留まると、まひるをあさひの代わりにつれて行かないといけなくなります」
「そんな…。まひるもまだ目を覚ましてないのに…」
「明日の夜から明後日の未明までに旅立つ予定でいてください」
「明日の夜から明後日の未明…」
「詳しい時間はまた連絡いたします。あさひには小夜さんから話して頂けますか?」
戸惑いながらも頷く小夜。
「わかりました」
朔とオクリト君は話しが終わると去って行った。
残された小夜は、早くまひるが目覚めることを祈った。
夕食の時間になったのであさひの部屋を覗いた小夜は、ベッドの上で泣いているあさひを見つけた。
あさひは何度呼びかけてもまひるが目を覚まさないと泣いていた。
小夜はまひるは大丈夫だからとあさひを慰めた。
あさひは食欲が無いと言いながらも、この身体はまひるのだから食べると言って降りてきた。
夕食の後、小夜は朔から聞いた話を伝えるため、あさひを引き止めた。
「あさひ、話しがあるの」
小夜は元気の無いあさひに旅立ちの話しをするのは酷だと思った。でも、今話さないと、もう時間が無かった。
「あのね、美月のことであさひの旅立ちが早くなったみたいなの」
驚くあさひに小夜は告げる。
「朔さんの話しでは、明日の夜から明後日の未明の間だって」
「明日の夜…。まひるも目覚めてないのに…」
「あさひがこのまま残ったら、まひるを連れていくと言ってたわ」
「うそ…。それはイヤ。ママ、何も出来なくてごめんね」
小夜はあさひを抱きしめた。
「わたしは、あさひが少しの間だけでも戻ってくれて嬉しかった」
「本当に?」小夜の腕の中であさひが聞く。
「そうよ、だって何も言わずに急にいなくなってしまったんだもの。ママは置いてきぼりにされた様で悲しかった。心にポッカリ穴が開いてしまったようだった。だから、少しの間でもあさひが戻って来てくれて、こうやって抱きしめることが出来て嬉しかった」
「ママ…」
しばらく抱き合ったままでいたが、小夜は思いついたようにあさひから離れて言った。
「そうだ、今夜はママと一緒に寝ましょう。ママはあさひの話しが聞きたいわ。片付けが終わったらあさひの部屋に行ってもいい?」
「もちろん、いいに決まってる。ありがとうママ。嬉しい」
「それから、忘れないうちに言っておきたいことがもう一つあるの。朔さんがまひるに関係する人の記憶を男の子から女の子に変えると言っていたから、ママとあさひとまひるの記憶は変えないでと頼んでいるの。だから、衣都ちゃんの記憶は変わっていると思うのから明日はうまく合わせてね」
「わかった」とあさひは頷いて「衣都からまひるは何処?と聞かれたら?」と小夜に尋ねた。
「おばあちゃんの家に行っていることにしましょう」
「わかった。そうする」
まひるのことを話すと、あさひの顔が暗くなってきた。
「あさひ、元気出して。まだ1日残っているわ。今夜はまひる抜きで、ママとゆっくり話しましょう」
あさひは「わかった」と言って、二階に上がって行った。
小夜はあさひを一人にするとまた泣いて自分を責めてしまうのではないかと思った。大急ぎで片付けを終えるとあさひの部屋に行った。
小夜とあさひは夜中過ぎまでとりとめの無い話しをしていたが、いつの間にかあさひは小夜の腕の中で眠ってしまった。




