音響監督の覚書7(下手な芝居の例)
前回の内容を踏まえて、失敗例を挙げてみようと思います。
芝居についてあれこれ書きましたので、その発展として
●その1
『そもそも緊張しすぎてロストコントロール!』
仕方が無いです、緊張は(苦笑)
そんな緊張した子がどんな状態に陥ってたのか。
必死こいて台本をにらみ、とにかく感情を飛ばすのみ!
そう言うシーンでは良いんですけど、会話がチグハグしちゃうんですよね。
「相手の芝居を聞けてない」とか「周りの距離感をつかめずにばらついてる」って感じです。
●その2
『滑舌に意識が行き過ぎてて、おろそか』
学生の子にそれを言うのは申し訳ないんですけど……意識の半分は滑舌に囚われてるでしょ?って言うね。
恐らく本もちゃんと読んでいて、舞台やシチュエーションも把握して、キャラも落とし込めているのかもしれない。
けど、なーんにも伝わらない。
芝居終わった直後に顎とか気にしてるくらい、滑舌に全力なんですもの。
そんなハキハキ喋る人間がいるかい!!
正直、芝居の時に滑舌に意識を持って行かれるなんて論外です。
だったら個人的には滑舌が甘くなっちゃって良いです。よほど自然だし(※ただし、程度によります)
●その3
『台本とにらめっこ』
緊張しているわけじゃないんでしょうが、台本と戦っちゃってるようで……
恐らく真面目な生き方をし続けているのでしょうね。
台本を一字一句見逃さずにそれを再現してやろう!みたいな雰囲気で……
そうなるとどうなるか。
もしかしたら脚本を再現すると言う観点から見たら正解の芝居が出来るのかもしれない。
実際には、そんな肩肘張った芝居が良い物になるわけじゃないのですが。
芝居は相手があっての事。
理想で言えば台本なんて覚えてしまって相手を見ながら芝居すべきなんです。
でも、それだとマイクで録音出来ませんし、台本をガイドとしながらキャラとしてその世界で生きるためにも「みんな」と芝居をして欲しいですね。
●その4
『陶酔しちゃって「俺も見てくれー!!状態』
ある意味一番たちが悪いかもしれません。
芝居が駄目ってわけじゃないんだけど、ドヤってる芝居。
芝居のベクトルがその世界じゃなくて聴いてるこっちに向いちゃってる。
例えるならば……「TVドラマや映画で、急にカメラ目線をしてる」みたいな?
それは流石に露骨すぎるけれど、見せ場で気合が入ってその瞬間役が抜けてしまってる状態とかですね。
そりゃ自分をよく見て欲しいですからね、解ります。
でも、その結果芝居がおろそかになっちゃってたらそれは欠点ですよ?
つまるところ、芝居に集中出来て無いって話なんですけどね。
10人満たない人数の芝居でこれらの人がいたのでは、そりゃ噛みあわないわけです。
例えばですけど、一人芝居的に甘い人がいたとしても、周りがその人に合わせれば芝居は成立しますし噛みあわせられます。犠牲にするものもあるでしょうが。
でも、個人競技じゃないわけですから、逆に一人だけ芝居が上手くても浮いてしまうでしょう。
声優としてのテクニックってのがいくつも存在すると思います。
でも、純粋に芝居の根幹ってなるとテクニックよりも感受性なのかなって。
そして、その感受性は物語だけでは無く周りの役者と共感させると言う意味でも。
本当に凄い役者の、空気を支配した瞬間はゾクっとしますよね。
舞台でヤラれた時には、気付いたら涙を流してたり、観客が感情をコントロール出来ないくらい色々な物を引き出されます。
でもそれも、芝居相手だけじゃなく劇場そのものを感じ取り、その上で役が感情をしっかり出されるからじゃないでしょうか?
……劇場で泣くのはちょいちょいありますし、オーディオドラマで泣かされる事あります。
それはとても素敵な事ですし、自分が演出してるのに役者に感情を奪われるとか絶頂ものですよ(笑)
そんなわけで、残念な失敗例の数々です。
如何でしょう?心当たりありますか?
次はナレーションの失敗例を……