表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/26

音響監督の覚書12(方言について・歴史的背景)

今回は、演技に関するものではありません。

もはや僕自身が書き残しておきたかったことです。

声優にとって武器でもあり弱点でもある「方言」


今回はその方言の成り立ちに関する、僕個人の研究……と言うにはおこがましい、学習結果の発表です。

なんなら、芝居をする上でも演出する上でも役に立ちません(爆)


まず、そもそもなんで方言なんかに興味を持ったかと言う話からしていきましょう。

……えぇ、これは完全なる趣味でしかありませんし、知識のひけらかしです(苦笑)


時は20世紀、まだ高校生の頃です。

中学の頃にハマったアーティストが居ました。


……TMN(TM NETWORK)ではありません。


嘉門達夫さんです!!


替え歌で知り、そこで興味を持ったらコミックソングのなんと面白いこと!

なんなら時期的に進研ゼミ中学講座のCMソングも歌っていたんです。


そこから、似非関西弁を使うようになっちゃったんです。

したら親に「東京で関西弁なんて使ってたら、人に怒られるぞ」なんて言われたりしました。

……いやまぁ、大人になってからラジオ大阪の仕事をするようになり、ナチュラルに関西弁を使うようになったりもしてますが……


身内に居ないのに関西弁を使うと言う、もはや学生時代の黒歴史的な出来事です。


……が、これが方言について意識をした瞬間でもありました。


僕の親は、父が新潟県中頸城郡中郷(の前、幼少期は新発田の山奥。部落同然の炭鉱町とのことでしたが……これも方言についてポイントとなります)(現・新潟県上越市中郷地区)、母が秋田県象潟町(現・秋田県にかほ市象潟町……え? 市の下に町ってアリなの?!)の出身で、親せきは福島にもいました。

……西方面は全く居なかったんですけどね……


と言うこの状況で方言に興味を持ち、色々調べました。

関西弁と言うのが大きなジャンルで『京阪アクセント』になると言うのはもっと後で知ったのですが……新潟と秋田で似たアクセントの傾向があったんですよ。

その傾向に関西弁に共通する感じがあったんです……その当時は。


で、色々調べていくと、大阪・京都を関西弁として(京阪アクセントとして分類されますけど、大阪弁と京都弁で別物だし、なんなら奈良も違いがあるんですよね……京阪アクセント地域は色々と大変です……)福井・石川・新潟と関西弁の流れが見れるのです。

そして秋田弁にもその空気を感じていた……

しかし、関東北部はそうではないんですよね。


そして、田舎訛りの代表格の『ズーズー弁』のある意味中心地のひとつである『山形』

これがまた海岸沿いの庄内地域と山形の中心地(?)である山間部で訛りの傾向が違うんですよ。

中心地で言うなら、酒田と山形(米沢)なんです。


その関連性について、影響を与えるものが存在したのです。

江戸時代以前の『商業の流れ』なのです。


江戸時代になって江戸(現在の東京)が中心となりましたが、その前は京都・奈良なんですよね。

そこから北部への経済は……京都→琵琶湖沿い→敦賀・福井→陸路は新潟、海路は直江津→酒田)→南部地域……となります。

特に酒田は豪商が地域を制していたほど、武力すら抑え込む力を持っていました。


それほど経済路として大きく開かれ、人が流れていました。

そうなると当然ながら文化の交流もあります。

それが当時の訛りの共通点(但し、距離が離れれば当然ながら薄まっていきますが)となるわけです。


おそらく方言の汽水域はこのように、経済的な人の流れと重ねると色々見えてくる部分があります。



……そして、方言が凄い勢いて失っていく原因がもしかしたら意外なものかもしれません。


自分を基準にするとおじいちゃん世代、段階世代の前の世代になりますかね。

……自分が現代の親世代とすると、もはや先祖世代になるのかもしれませんが……

言うならば、太平洋戦争体験世代ですかね?


その辺りの人って、みんながみんな訛ってましたよね?

その頃って全国放送も無く、人の流れも少なくその地域でほぼ完結していたんですよ。


そうなると当然ながら地域性が色濃く成熟され完成します。

なので、明確にその地の文化・訛りが出来上がります。

もちろん、隣接する地域や人の流れがある部分では混ざり合いながら。


それを崩したのが『放送』なのです。

放送によって標準語と言うのが日本全国で耳にする機会を得て、都会の言葉が標準語として「お手本」となり、若い人にとって(偏見でもありますが)『都会の言葉』を知るわけです。

そこで方言と言うのが「ダサいもの」として避けられるようになります。


そうして方言が若い世代になるほど薄れていくようになります……


そこからの、僕らの世代以後は関西のお笑いがテレビで隆盛を迎えます。

すると、第二標準語的に関西弁が日本に浸透し、今となっては関西弁が関東地方でも忌避されるものではなくなり、ノリを求めて似非関西弁を使うことが当たり前のようになりました。


昔はメディアと言うのが無かったので、人の流れが方言に影響を与えていたのが、メディア・放送の登場で全国的に駆逐していくと言う形になって行ったのです……


正直今の方言は、形骸化……とまで言わないですが、地域性のアイコン的な存在になりつつあります。

おそらくこの先はさらに方言と言うのが文化的価値としてしか残らないんじゃないかと思います。



書きなぐりだったのでわかりにくい部分も多分にあると思いますが、時代によっていろいろな状況を介して文化が流れて行ったり、消えたりしていってます。


そこに時代を象徴するものとして、コギャル言葉だったり、お笑いなどの流行り言葉、そしてネットスラングなどが存在し、その流行りも移り変わっていると思います。


その中で、『標準アクセント』や『言葉の読み』さらには『意味』まで変化をしていきます。


これを最後まで我慢して読んで頂けたのであれば、方言の歴史と言うものが面白そうと思っている人もいるのではないでしょうか?


今回触れていませんが、ここに外国語やカタカナ語、ビジネス語なども存在して、時代とともに一般に介入してきます。


……もはや沼ですよ(苦笑)

しかし、それは歴史的背景を持っているので、日本史をなぞることにもなるんですよね。

それがまた面白い!!


これらは全国の方言に関しても解析しておくと、学校で学んできた日本史と違うベクトルで歴史を読み解く要素となるはずです。


……あれ? どう言うオチにしたらいいのだろう?

無軌道に書いてしまいましたが、ちょっとはネタになりましたでしょうか?



……なんか、すいません……

酔った勢いで書いたもので、なんとも乱雑にもほどがあります。

もしかしたら後日修正して、全く別物になるかもしれませんが、ちょっと書き残したかったのでこのまま公開したいと思います。


そもそも、これを下敷きとして演技に関する要素の話にもつながるのですが、それはまた後日……


予告兼酔いの醒めた未来の自分へのアンチョコとして……

方言や言葉が時代によって変化すると言うことは、逆説で言えばその舞台の時代を言葉によって表現出来るし、時代にそぐわない表現が存在するってことについて書きたいと思います。


……任せたよ、未来の僕!(爆)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ