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フェイズ5「日本の国際復帰と冷戦開幕」

 第二次世界大戦(欧州大戦)が終わるより早く、世界は「戦後」もしくは「次」を見据えた動きを見せるようになっていた。

 

 1944年6月のノルマンディー上陸作戦後になると、アメリカ合衆国、ソビエト連邦ロシア共に次なる世界でのリーダーシップを得るべく、もしくは少しでも勢力圏を広めるべく活動を活発化させていた。

 ドイツはもはや、如何にしてむさぼり食うかの食材もしくは屍肉に過ぎなかったからだ。

 

 そして米ソ共に政治面で重視したのが、すでに戦争の結末が見えた欧州ではなくアジア、特に大日本帝国の扱いだった。

 早くは43年11月のカイロ会談で、大国の中で唯一中立を維持している日本が重要議題に上っていたほどだ。

 

 域内に一億五千万人の人口を抱え、世界有数の陸海軍を有する有色人種による新興国家大日本帝国。

 人口や軍事力から見ると、一見かなりの大国であった。

 少なくも米ソ以外では、倒すことは不可能だろう。

 島国のくせに人口が多く、しかもあらゆる列強の中心地から離れていた。

 ある意味最高の立地条件に存在する国家であった。

 

 しかし世界大戦進展に伴う各国の軍備の異常な増強によって、既に米ソどちらも単独で叩きつぶせる程度の地域大国に過ぎないまで相対的国力に変化が出ていた。

 第二次世界大戦が、それほど容赦ない総力戦だったからだ。

 

 つまり日本は見た目の大きさはともかく、既に米ソの競争相手足り得ていない国となっていた事になる。

 確かに日本は、戦争特需に沸いて国力と経済の拡大は著しかったが、一面では軍事力の相対的な低下も引き起こしていた。

 何しろ世界中の列強が国力と国民の総動員を行って戦争をしていたのに、日本軍は最盛期でも人口比率の1%以下の動員しか行わずで、総数も100万人を越える事は遂になかったのだ。


 だが次なる世界の覇権競争を考えた場合、安易に日本との戦争を引き起こして飲み込むことは、米ソ共に避けるべき行為と考えられた。

 日本とは損得勘定で利害関係を結んで、自勢力に取り込む方がより賢明であった。

 なぜなら、日本への安易な全面戦争を行いそれが短期戦で終わらない場合、ライバルが日本の後ろ盾となって逆に日本取り込んでしまう可能性の方が高かったからだ。

 つまりは、短期戦程度で倒れない国力と軍事力を日本は保持していると考えられていた。

 

 無論、難癖を付けて、米ソが徒党を組んで攻め滅ぼす場合も考えられた。

 それぞれの国内のみの一部軍人の間では、真剣に討議された。

 だが、海を越えなければならない戦争であり、相応の犠牲と戦費が必要なことは分かり切っていた。

 しかも、結局は競争となるであろう最後の陣取り合戦を考えると、あまり利口とは言えなかった。

 既にドイツや欧州を巡る陣取り合戦で、双方とも思惑通り運ばないことは体感的に理解していた。

 しかも既にドイツとの戦争で多くの戦費と人員、物資を消耗した事を考えると、日本を武力で攻め滅ぼす作業に積極的な思いをはせるのは、表面上の戦力差しか見ない軽率な者だけと言ってよかった。

 日本を滅ぼすには、今の状態を維持したままでも最低2000億ドルが必要と考えられたが、とてもではないがそんな戦費は捻出できなかった。

 

 あまりにも暑く眩しかっただけに、戦争の夏は急速に過ぎ去りつつあったのだ。


 

 しかし米ソ双方にとっての日本とは、次なるライバルに対する防波堤であると同時に大きな楔となりうる地理的位置にあった。

 ユーラシア大陸東端を牛耳り太平洋に広く面している日本は、次の競争で大きな優位を得るために是非とも必要な場所に位置していたのだ。

 つまり日本が中途半端な中立のままでは、次なる覇権国家が大いに迷惑することを意味していた。

 当然ながら、単独で第三勢力となることは、米ソ双方にとって何があろうと阻止すべき事象だった。

 最後の点だけは、米ソ以外の全ての列強の意見が一致した。

 誰も戦後情勢を必要以上にややこしくしたくはなかったのだ。

 ややこしいまま放置されていたからこそ、今回の世界大戦が起きたとすら言えたからだ。

 

 そして大戦末期、日本に対する外交でリードしていたのが、大戦当時日本と正式な不可侵条約を結んでいたソビエト連邦ロシアだった。

 しかもソ連と日本は、不可侵条約を結ぶばかりではなく約四年間の極東からのバーター貿易と援助、義勇軍の派遣などにより関係はかなり改善していると見られていた。

 日本側も、直接交流する機会が増えた事もあって、ソ連(ロシア人)に対する感情は以前よりはるかに好意的となっていた。

 またソ連政府が、自分たちが仲立ちすることで連合国(欧米列強)との関係改善と国際社会復帰を手助けすると公言して一部行動に移されている事も、満州国建国以来外交的孤立の長い日本の期待を大きくさせていた。

 

 そしてソ連政府中央部、というよりソ連の新たなツァーリ(皇帝)ヨシフ・スターリンは、42年秋以後から日本を自陣営に組み込んでアメリカに対抗する現実主義路線での政策を進めるようになっていた。

 自らのブレーン集団にも、その事を詳しく研究させるようになった。

 

 しかもソ連は、パリ解放以後米英に対する警戒感を強め、さらにベルリン競争に敗北してチェコ地域にも先に米軍が入り込んだことに焦りを強めていく。

 確かに戦後の占領政策では、以前の取り決め通りドイツを分割占領してチェコスロバキアも自らの占領担当地域とさせた。

 だが、ベルリンを中心とするドイツ東部など多くの地域で戦争中の略奪ができなかった事は、荒廃した国土を抱えたソ連にとっては大きなマイナスだった。

 少なくともスターリンはそう考えていた。

 

 そのような欧州方面での失点を取り返すべく、ソ連は東アジア外交により積極的となっていた。

 そしてソ連がアジア最重要の国家としたのが、依然内乱中で情勢の見えない中華(中華民国もしくは中華共産党)ではなかった。

 優秀な官僚団と強力な陸海軍を持つ、アジア唯一の近代国家大日本帝国だった。

 日本は、アメリカと関係が親密でない国の中で唯一、ソ連の産業と経済を補完できるだけの経済力と工業力を持っている貴重な国だったからだ。

 加えて、依然世界有数の力を持つ海軍力も、ロシア人にとっては得難いものだった。

 

 一方のアメリカと日本の関係だが、古くは1910年代から続く中華問題と建艦競争を中心とする緩やかな関係悪化の流れに大きな変化はなかった。

 満州事変沈静化以後もずっと、外交、貿易関係がある程度維持されているだけの冷めた状態が続いていた。

 貿易、外交関係は平均的もしくは一般的レベルと言える水準を維持していたが、良好と呼ぶにはかなりの距離があった。

 

 しかも1943年後半からは、アメリカ軍全体の肥大化に伴い太平洋側の軍備が増強された事が、日本にいらぬ警戒感を抱かせていた。

 加えてアメリカは、依然として中華地域に対する日本の行動を認めていないため、互いの警戒感と不信感の改善を日増しに難しくしていた。

 しかも一時期のアメリカは、戦争で血に酔っている事もあって力による外交に傾き、孤立する日本が対抗不可能な力を見せれば折れると考え、尚更日本の対米警戒感を強めさせてしまう。

 この行動は44年に入ってから45年2月のヤルタ会議の頃まで続いた。

 大戦に参加した大国の中で、唯一日本と不可侵条約や軍事条約を結ばなかったのがアメリカだった事からも、アメリカの姿勢を見ることができるだろう。

 アメリカは日本を信用していなかったし、悪いのは日本なのだから信用させる必要すらないと考えていたのだ。

 

 イギリスの首相チャーチルが、アメリカのルーズベルト大統領に口酸っぱく対日融和と中華問題での譲歩を説いたが、ルーズベルトが首を縦に振る事はなかった。

 

 当然ながら、日本の警戒感が緩められる事はなかった。

 アメリカが中華問題を理由にして、ドイツの次は自分たちをつぶしにかかるのではないかと警戒していた程だ。

 こうしたアメリカの態度が、本来あり得ない日本がソ連に接近するという状況を生んだとも言えるだろう。

 

 これを揶揄する子供にも分かる童話として、『北風と太陽』を挙げることができるかもしれない。

 

 もちろん、本来ならソ連もアメリカと似たり寄ったりだったかもしれない。

 チャーチルも、単に日本をソ連と組ませたくなかっただけだった。

 だが、ソ連がドイツとの戦争で長らく余裕がなかった事と、大戦終盤での米ソのアジアでの余裕の差が行動に表れたと見るべきだろう。

 要するにアメリカの力そのものが圧倒的すぎたのだ。

 

 そしてドイツの首都ベルリンに海兵隊の掲げる星条旗が翻る少し前、ヤルタでの米ソの会談において、依然として孤立したままの日本をソ連のエスコートによって国際社会に復帰させることが決められる。

 アメリカの外交失敗とルーズベルト大統領の体調不良がもたらした、アメリカの政治敗北を決定付ける結果だった。

 この時イギリスの宰相チャーチルは、地団駄を踏んで悔しがったという。

 


 既にベルリンが米軍によって包囲されていた1945年4月、国際連合(UN)設立を行うためのサンフランシスコ会議が開催された。

 そして大日本帝国は、久しぶりの国際舞台に代表団を送り込んだ。

 

 本来なら連合国(もしくは連合軍)に参加する事が会議参加の条件だったが、日本は戦争への実質貢献度と国家規模もあり特例とされた。

 

 当然ながらこの会議は、枢軸国以外の全ての独立国家が代表を送り込んだ最大級の国際会議だった。

 故に当初日本は、大きな期待と希望を胸に会議に臨んだ。

 

 しかし現実は厳しかった。

 日本が思ったほど上手く事態は運ばなかったのだ。


 日本は、同会議で国際連合への加盟と国際社会への復帰こそを果たすも、別に行われた会議では日本が強く求めた満州国承認については、アメリカ、中華民国など多くの国から改めて否定されてしまう。

 イギリスやフランスなどは、今少し穏便な対応を考え伝えもしたし、一方の日本も市場開放などで譲歩し受け入れる姿勢を見せていた。

 日本のエスコート役だったソ連も、日本を味方に付けるため英仏に同調した。

 だが米中の対日強硬姿勢と、日本そして新たなライバルと目されたソ連に対する警戒感が全てを無駄にしてしまう。

 またフランクリン・ルーズベルト大統領が死去したばかりという状況が、アメリカの政治の硬直化を呼び込んでもいた。

 

 なお国際社会への復帰と国連への加盟に際しての水面下の交渉では、満州国の行政を一時的に国連委任統治にすることで、日本に常任理事国の椅子を与えるという話が存在していた。

 英仏はさらに、当面は日本本土外の段階的な市場開放だけで構わないとすら伝えていた。

 この話、特に英仏の話を日本の政治家の多くと外交関係者の多くが歓迎するも、主に米中の姿勢を国内の軍部と財界の一部が猛反発した。

 国民も、父祖の地が奪われると論陣を張った新聞に煽られるように反発する。

 一時は国連参加すら危ぶまれたほどだった。

 

 しかし日本国内の一部を除く世界の全てが、国際的流浪状態の日本を最低限国際社会に復帰させなければ欧州大戦の総決算にはならないと判断した。

 ただし、それだけに中途半端な形での国際復帰となった。

 また英仏などは、日本の満州問題はしょせん植民地問題だからそのうち収まるだろうとあまり重要視していなかった。

 それよりも、自国の復興と米ソの相対的地位下落のために、戦争で無傷だった日本を利用することこそが重要だったのだ。

 日本を国際舞台に戻す事で米ソの力を少しでも相対的に落とし、日本への外交的貸しを作る事で援助を引き出すためだ。

 

 しかし結果は、日本を始め諸外国が求めた最低限でしかなかった。

 

 そして日米中間の外交の失敗の影響により、国際連合の常任理事国にはアメリカ、ソ連、イギリス、フランスの四カ国だけが選ばれ、白人国家主導の国際組織という印象を強めてしまう事になる。

 イギリス、フランスなどは、そうした事態を避けなおかつ日本を常任理事国として国際社会に縛り付けようとした。

 ソ連も日本の常任理事国入りを支持した。

 もっともソ連は、日本に恩を売り、なおかつ欧米と旗幟を異なる国を据えることで、自国外交を有利にしようとしての行動だった。

 

 だが、アメリカは自らの力へ驕りから、日本の常任理事国入りに対して、必要以上に「責任」を求め日本から交渉の席を立たせる事になる。

 

 また日本が常任理事国になれなかったのは、異常な熱意とアメリカの後押しで常任理事国入りを目指していた中華民国の妨害や謀略であったという説も存在している。

 一方で中華民国が求めた常任理事国の椅子を手に出来なかったのは、第二次世界大戦では内乱に明け暮れ実質何もしなかった事と、実体まったくを伴わない大国主義を持つだけで国際的な役割を何も果たしていなかったからだった。

 

 なお日本のサンフランシスコ会議出席の口実には、日本がソ連に義勇軍を派遣していた事が名聞上の決め手となった。

 ソ連の説明では、日本はロシア戦線にて実質的に連合国としてドイツ軍と戦い、各国(主にソ連)に莫大な援助も行っている。

 宣戦布告するだけという、口先だけ連合国に参加した国よりも扱いは上でなければならないとされた。

 

 そして国連に参加するも依然として孤立が続く日本は、日本の会議参加のエスコート役を務め、その後も外交窓口の一端を担った形となるソ連との関係を強めていく。

 その裏には、単独では依然として関係が思わしくないアメリカに対抗できないが故の日本の苦悩でもあった。

 

 そして世界は、元英国宰相チャーチルの『鉄のカーテン』演説に代表される米ソ冷戦、東西対立と言われ始めた中、成り行きでソ連側、共産側、東側に寄りかかった形となった日本の七転び八起きとも言えるあがきの歩みが始まる。


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