フェイズ0 「西安事件」
1936年12月4日、蒋介石は共産党との戦いで戦意の低い張学良軍を督戦するため西安を訪れた。
この当時張学良には共産党と通じているという噂があり、その確認と再度の張学良抱き込みのためにも蒋介石が行く必要があったのだ。
まさに中華的内政の実践というところだろう。
蒋介石としては、まずは国内のガンである共産党を叩きつぶしその勢いで、遂に万里の長城を越えた憎き東洋鬼(日本)を叩き出す積もりだった。
しかし張学良は、蒋介石の予測を超えた行動を取ってしまう。
彼の元を訪れた蒋介石を拉致監禁するべく、長期的計画性の全くないクーデターを引き起こしたのだ。
張学良の行動は、飛んで火にいるという表現を用いるより、むしろ追いつめられたが故の行動と現在では見られている。
そして事件は起きる。
蒋介石が訪れていたのは、玄宗皇帝と楊貴妃のロマンスの舞台ともなった1200年の歴史を誇る華清池。
西安がかつて長安と呼ばれていた頃の名残だ。
そこに逗留中の蒋介石は、クーデターの銃声を聞くと身の危険を察知し単身逗留先から脱出。
そして蒋介石の護衛隊が銃撃戦を交わす中、味方が大挙来援する数日を稼ぐため滞在施設の裏山へと向かう。
しかし、よりにもよって張学良軍の警備兵からの逃走中に、転落事故を起こして頓死してしまう。
死因は大きな溝に足を滑らせた転落時の頸骨骨折で、発見されたときには既に事切れていた。
当初、蒋介石の死と関連する事件すべてを隠蔽しようとした張学良らだったが、思惑は外れてしまう。
不審に思った蒋介石の幹部らが、事件からわずか二日後に軍隊を率いて蒋介石の逗留先を強引に訪問。
そこで蒋介石の遺体と対面すると同時に、張学良らによる説明を受ける。
彼らは言った。
共産党軍が蒋介石を拉致しようと攻撃してきたので、自分たちが盾となっている間に蒋介石総統に逃げてもらった。
だが、不幸にして単身での逃亡中に転落事故を起こしてしまったのだと。
これを聞いた国民党幹部は、辻褄の合わない張学良らの言葉を疑って独自の調査を行う。
そして張学良自身が蒋介石を拉致しようとして失敗し、結果的に事故死に追いやったと分かった。
張学良らは蒋介石の護衛などを全て抹殺したつもりだったが、それでも生き残りがいたし、近隣住民からの証言も真実を肯定していた。
しかしこの際、事件の経過はあまり重要ではなかった。
蒋介石が既にいないと言うことが最も重要だったのだ。
事件の結果、カリスマ的指導者を突然失った中華民国国民党の団結は崩壊した。
国民党中央部の統制は俄然弱まり、反逆者とされた張学良はそのまま自らの軍閥を率いて共産党軍へと合流し、それまで国民党軍に力で押さえつけられていた各地の軍閥が日和見を始めた。
万里の長城付近の第29路軍などは、ほぼ完全に日本側になびいてしまった。
存亡の危機に立たされた彼らにしてみれば、生き残りのための当然の選択だった。
当然ながら中華共産党は大喜びし、今こそ起死回生のチャンスだと行動を活発化した。
また当事者以外で苦虫をかみつぶしたのが、イギリス、アメリカ、ソビエト連邦などの反日的な列強だった。
こうした危機に際して国民党は、汪兆銘(汪精衛)を党及び政府中枢に復帰させて組織再編を図ろうとした。
だが、曲がりなりにも蒋介石とその一党により維持されていた中華民国の体制は大きく揺らぐ。
しかも汪派と蒋派は、意見の違いから政府中央で内ゲバに明け暮れた。
そして国民党中央のさらなる統制弱体化によって、各地の軍閥はまたも勝手に動き出し、国民党内での大規模な内紛へとなだれ込んでしまう。
これを待っていたのは、追いつめられていた中華共産党だった。
当面の敵だった張学良軍を迎え入れ、また国民党軍中央から新たな討伐軍がこなくなったため、新たな拠点だった延安一帯を保持することができた。
そして国民党の内紛を後目に、華北奥地での勢力拡大に動いた。
国民党が弱体化した現時点では、日本と中華が戦争をするよりも先に、するべき事は沢山あった。
日本と中華社会を全面戦争に持ち込む事は利益も大きいが危険も大きい賭けでもあるからだ。
なお共産党の動きに慌てた国民党は、取りあえず団結し直して共産党攻撃を再開。
特に裏切り者の張学良軍が攻撃対象とされ内戦は激化していった。
もはや夢想家だった張学良が望んだ、国共合作による抗日戦どころではなかった。
中華世界とは、何よりもまず内政によって動くということを彼は失念していたのかもしれない。
一方、満州に陣取る日本は、中華中央での内乱拡大を好機到来と捉える軍部急進派と、事態静観を求める政府中央が対立する。
軍部が政府中枢で大きな勢力を持つようになっても、流石に無軌道な勢力拡大を日本中央は望まなかった。
内乱激化によって、何が起きるか予測が付かないからだ。
しかし大陸に打って出るべしとする急進派の勢力も無視できなかった。
そこでとりあえず、従来の北支工作を進め境界線の警戒を厳重に行いつつ、好機を狙うべく事態の推移を見守る事になった。
せっかく棚からぼた餅が落ちてきたのだから、まずはそれを食べてから考えようというわけだ。
そして中華各勢力への武器売買や援助などで自らの利益を追い求めるのは、イギリス、アメリカ、ドイツ、ソ連も同様で、混乱を助長。
中華中央部の混乱は、再び十年以上前へと逆戻りしてしまう。