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『帝國二十一世紀』歴史概要

 『大日本帝国』。

 

 この名を冠した軍国主義国家は、いったい何時から存在したのだろうか。

 また、どうして二十一世紀に入るまで変わることなく存続することができたのだろうか。

 

 現代史を司る歴史家達によれば、「明治維新」によって母体となる近代国家として成立し、「二・二六事件」によって『大日本帝国』は軍国主義国家となったとされる。

 そして第二次世界大戦に連合、枢軸どちらの陣営にも参加しなかった事が、存続の最大原因であるという。

 では何故、軍国主義国家となった日本は、自らの存在理由を無視するかのように第二次世界大戦に参加しなかったのだろうか? 慢性的となっていたアメリカとの中華地域での対立、ドイツと結んだ防共協定からの離脱、理由は色々あるだろう。

 

 しかし、そうした時代を揺り動かす外交要素が溢れていた頃、日本にとっての一番の問題は、中華問題いや支那問題だった。

 1929年の大恐慌を発端として世界経済のブロック化が進む中で、満州を含めた支那(特に華北以北)での商業圏を確保することこそが、当時の日本の短期的な視点での命題であった。

 そして満州を守ることは、引いては日本列島を守ることにつながっていた。

 また満州で得られる地下資源や穀物も、日本の生命線と言って間違いないだろう。

 

 つまり日本にとっては、満州が安定し、共産主義ロシアが南下せず、支那中央との強い対立さえなければ、自ら剣を抜き放つ理由は存在しないのだ。

 極端に言えば、遠く欧州の混乱と戦乱など知ったことではなかったと表現できるだろう。

 長いアメリカとの対立関係も、どちらかと言えばアメリカ側が積極的な場合に発生している。

 軍国主義化や全体主義化を言われることが多いが、全ては方便に過ぎないとすら言える。

 

 そして歴史は、中華中央部が内部での混乱のまま推移したため、結局日本は何もせずにナチスドイツが存在した混乱の時代を過ごしてしまった。

 

 そして何もせずに済んだのは、日本にほとんど関わりなく中華中央部の内乱が激化したからであり、その一番の原因は中華民国の独裁者だった蒋介石の頓死にこそある、と結論できるのではないだろうか。

 

 ようやく結びに達したが、今回は中華中央部の混乱激化から日本の近代史を再検討してみたいと思う。

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