7.迷宮攻略
「それじゃあ、今からここに魔物がたくさんやってくるってことですか?!」
拭いていたお皿を落としそうになるほど驚くレナ。
「うん」
彼女の視線の先にいる少年は落ち着いた様子で茶菓子を口に入れた。淡い金髪の間から覗く耳の先端は尖っている。
ルセイア北区にある食堂ソレイユ。
お昼のピークが過ぎ、休憩に入っていた食堂にいるのは、そこで暮らし働いているルーシーとレナ。さらに、授業の終わったジョシュアとミシェル、護衛のためにいるエドガー。
そして、何故かリヴィエール公爵家次男のレオンハルトがいた。
「姉上がいるから大丈夫だけど、今日の夜は店から出ないように」
2つ目の茶菓子を手に取りながら念を押すように言い放つレオンに、紅茶を持ってきたルーシーが心配そうに声をかける。
「アズールは今迷宮攻略中なのでしたっけ……その後に魔物退治が続くなんて大丈夫かしら」
「ルーシーさん、アズールだから大丈夫なのではないかしら」
それに答えたのは、優雅に紅茶を飲む、ルグラン男爵家の令嬢ミシェル。マナーをルーシーから学び始めて2年ほど。彼女の所作は見違えるように良くなった。
「そうだよな……アズールだもんな。何とかなりそうだよな」
ミシェルの兄のジョシュアも横で頷いている。彼のマナーは良くはなったかな、というレベルである。
「アズール、無事に帰ってきてくださいね……」
レナが窓から空を見上げる。
その瞳では、ルセイアの上空を横切った不審な影を捕らえることができなかった。
❁❁❁❁❁❁
門を開けたすぐそこは大きな穴で、側面にはびっしりとガーゴイル。
どのくらい深い穴かはよくわからないが、底があることは確かである。
穴の底には攫われた子供達のいる小部屋がある。クロード達が戦っていたのは穴の真下。
そこからは一方─おそらく、東─に横穴が伸びており、その先が迷宮の主が鎮座する王の間─所謂ボス部屋なのだろう。
レンガの内部と石と金属のガーゴイルしか存在しない迷宮。
シュロス宮殿内にある第五騎士団の詰所にて騎士達が行動を開始する数十分前。
後に、"ガルグイユの廊下"と呼ばれることになるこの迷宮をある少年少女が歩いていた。
襲いかかってくるガーゴイル達を黒光りする変幻自在の剣で斬り捨てていくフェンリル族の少年。髪は紺碧、瞳は白銀、肌は褐色の美少年だが、15歳くらいの背丈の彼は常に無表情である。
爆発魔法で迷宮内部諸共破壊している少年のような少女はエルフ族のアズール。新雪のような銀髪に蒼空の瞳、日に焼けたことの無い色素の薄い肌の彼女は常に微笑を浮かべている。
「……弱いね」
「ああ」
少年は竜の鱗のような黒い鎧を全身に纏っていて、剣と体が繋がっているようにも見える。
少女の方は質のいい執事服を着ており、長い髪は瞳に近い色のリボンで結ばれている。
「ボス部屋まだかな?」
「あと少し」
「見えるの?」
「ああ」
短い会話を続けながら2人は一本道を歩いていく。もちろん、何事もないかのようにガーゴイル達を倒しながら。
「あ、これかな?」
「たぶん」
横穴の行き止まりに辿り着いたようだ。
ワイン樽の蓋のような形で道が止まっている。蓋の中央部分には古文字で文章が書かれている。
『それは汚れを吐き出すもの。
それは降ってきたものを外に出すもの。
それはそれ以外の意味を持たぬもの。
我らの名は"ガルグイユ"。
内なる不浄を外に吐き出すものである。』
「ガルグイユっていうんだね」
「ガーゴイルでいいんじゃない?」
「だよねー」
ボス部屋の前だと言うのにのんきな会話を続ける2人。
通常、ボス部屋前の警告文はしっかり読まないとボスの攻略が出来ないのはず。
しかし、2人にはそれが必要ないくらいの力があるのか、もうその意味をわかっているのか、それについて話し合う様子はない。
「準備はおけ?」
「ああ」
少年の返事を確認したアズールはその蓋を魔法で木っ端微塵にした。
視界が開けたそこからはボス部屋がよく見える。
今まで出てきたガーゴイル達よりも数倍大きなそれが円形の部屋の中央にいた。
まるで永久の眠りについているかのように静かで、ピクリとも動かない。
「3、2、1、で突入するよ」
「了解」
その様子から目を離さず、アズール達は突入の構えをとる。
「3……2……1……火ノ牢獄!」
仄暗い部屋全体を目が痛いほどの白い光を放つ炎が包み込んだ。
結界を纏っている2人は火を恐れず部屋に走り入っていったが、ボスの魔物はそれどころではないだろう。
炎の内側で藻掻き苦しむガーゴイルの姿が見える。
「大滝!」
炎が一旦消える。
ガーゴイルは突然己を苦しめていたものが消えたことに気づき、気を緩める。
が、その隙を見せていい相手ではなかった。
間髪入れずに今度はガーゴイルの頭上から大量の水が降り注ぐ。底についたそれは自然に霧散し、またガーゴイルの頭上に水となって現れる。
「……あれ?」
アズールが不思議そうな声を上げた。
「ワレラハ、ソトカラヤッテクルフジョウナルモノヲ、ウチニイレナイタメノソンザイ……」
滝のように流れ落ちてくる水に抵抗しながら、ガーゴイルは声を発する。
「そういえば、雨樋だったな」
思い出した、と少年が呟く。
「へえ、水には耐性があるのか。なら、
凍っちゃえ。
温度低下」
パキパキと音を立てて大量の水が凍りついていく。
炎の中にいた時はまだ動くことが出来たガーゴイルだったが、氷の中では指一本動かすことも出来ない。
「"絶対零度"にしなかっただけ慈悲があるよね、私」
「それは慈悲じゃなくて、ただ面倒なだけだったから」
「その通り」
相変わらずのんきな会話をする2人。こうも緊張感がないのは、やはり2人が各々の力に絶対の自信を持っているからなのだろう。
「3、2、1で魔法解くよ」
「準備完了」
「よし。3……2……1!」
氷が今度は音を立てずに霧散していく。まるで幻だったかのように。
氷から解放され、息も絶え絶えのガーゴイルの上を黒い影が過ぎる。
それにガーゴイルが気づいた時にはもう遅い。
スっと一直線にガーゴイルの身体は割かれ、少年はそれの身体の真ん中にあった赤黒い珠を手に取った。
少年がその珠を握りつぶし壊すと、身体の残骸は雪崩のように崩壊していく。
「攻略完了」
「よし、戻ろうか」
その様子から、アズールが少年に"雪崩"に名付けるのはこの少し後の事である。