5.フェンリルの少年
ヒーロー登場回。
「まさかガーゴイルが出てくるなんて……予想外すぎるよ」
「お、お姉様……あの化け物は"がーごいる"というのですか?」
「あ、ああ……うん」
顔を真っ青にし恐怖で身体を震わせているクララの言葉に、アズールは曖昧な言葉を返した。
"ガーゴイル"という名称はあくまで彼女が"夢で見る世界"で知ったものであって、アズール自身がこの世界で本物を見たのは初めだ。少なくとも、彼女読んだ文献には出てきていない。
ただ、迷宮にいるので魔素の塊である魔物であることは確かだろう。
「グァルルルルル……」
ガーゴイルは扉から出てきた大きい石のが1体、扉の装飾がそれになった小さめの金属製がざっと50体ほど。
ゆっくりと、大きいのが石の太い腕を振り上げる。
「きゃっ……」
「ちょっと捕まっててね」
アズールはクララを横抱きにし、それを躱した。
石の腕は大きな音と共に地下の床に罅を作る。
金属の方はともかく、石の方もかなり硬いことがわかる。
床にいてはまずいと判断したアズールは、魔法で空中に浮くことを選択した。
「お姉様、足手まといですよね、ごめんなさい」
「大丈夫。ちゃんとした理由があってクララをここまで連れてきたんだから」
飛んできたガーゴイル達を踊るように躱しながら会話をする2人。
震えながらアズールの服を掴むクララの肩をアズールは撫でながら落ち着かせている。
それに対して、大した連携もとらず、殴るか体当たりかの2択の石の悪魔達。
ガーゴイル達はどうやら魔法による攻撃手段を持っていないようだった。
「さて、だいたいわかったから……そろそろ終わりかな?」
不敵な笑みを浮かべたアズール。
それに恐れ戦くように、攻撃を止め、後退りするガーゴイル達。
元々、魔物とは弱肉強食が刻み込まれたものである。なので、瞬間的に放たれたアズールの威圧を感じ取ったのかもしれない。
「さて、クララ。ここで問題。石と金属を同時に消すにはどの属性の魔法を使ったらいいのかな?」
「火で燃やす、ですか?」
「爆発するし時間がかかるね。魔物だから簡単に燃えないだろうし」
「うーん……」
首を傾げるクララ。
それに苦笑しながら、アズールは目線をガーゴイル達に戻した。
「火」
火を顕現させるだけの簡単な初歩魔法。
しかし、その温度と大きさは兵器と言っていいほど。
ガーゴイル達を包み込む白い火の玉が轟轟と唸っている。彼らの絶叫を飲み込むほど大きな音で。
それに、この部屋以外には伝わらないように結界まで張っているのだから、アズールの魔力量と精度をうかがわせる。
「水」
突然、火を消したアズールだったが、間髪入れずにこれまた初歩的な魔法で水を顕現させた。
やはり、火だけでガーゴイルを消すことは不可能らしい。
しかし、熱せられたところに今度は温度を急激に下げたらそれはどうなるのだろう。
「なるほど、そういうことでしたの」
「そういうこと」
わかったと顔を輝かせたクララを褒めながら、アズールは最後の魔法を発動させた。
「風刃」
動くことの出来ないガーゴイル達に風の刃が襲いかかる。
ただの風の刃だったらこうはいかないだろうが、国内屈指の実力者であるアズールの魔法である。
いくら恐ろしい形相のガーゴイルでも、三下の魔物であることに間違いはなかったようだ。
膨張と収縮が短時間で急激に起こり、体組織が脆くなった彼らは一瞬で魔素に還っていった。
「ふぅ……」
「ありがとうございます、お姉様」
罅の少ない場所を選んで着地したアズールはゆっくりとクララを下ろした。
「私はあの人の元に行った方がいいのでしょうか……ここにいてもお姉様の邪魔になってしまう……それに、あんなのがうじゃうじゃいたら私、耐えられませんわ……!」
「私が守るから安心して」
腕を抱え身震いするクララ。少女にとってやはり魔物は恐怖の対象なのだろう。平然としているアズールが大人び過ぎているのである。
「どうしようかな……あ」
クララを抱きしめながら扉を見上げ悩むアズールの元に、ジークからの伝言が届く。
「お姉様?」
「……やっぱり情報不足だと作戦に穴が空くよ」
悩ましげにため息をついたアズールは、しばらく考えんだ。
しかし、時間が少ないことは彼女が一番わかっている。そのためか、判断を下すのは早かった。ジークが望んだものではなかったが。
カゲワタリ達に協力者達への伝言を託し、アズールは門の方を向く。
「さてと、さっさとやろうか」
まさか1人で迷宮攻略するつもりなのかと慌てるクララの手を引っ張り、アズールは門に手をかけた。
迷宮内に踏み出した途端、ガーゴイルに襲われると思い目をつぶっていたクララだったが、そんなことはなく。
恐る恐る目を開けてみると……
「お、お姉…………
きゃああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」
門のすぐ先は奈落だった。
重力のままに暗闇へ落ちていくことに恐怖を感じたクララは顔を青を通り越し白にして、絶叫したのであった。
❁❁❁❁❁❁
リヴィエール公爵家の分家、ベルナール子爵家の嫡男クロードは焦っていた。
それは迫り来る魔物に対してではない。
"ここ"にいる40人近くの子供達のうち、10人くらいが迷宮の高密度な魔素に当てられ体調を崩していることでもない。
食料や水が尽きかけていることでもない。
あの日の夜、邸を抜け出して幼馴染みと秘密の稽古をしていた時に人攫いにあったことでもない。
「……はっ!」
目の前にいる不思議な少年が魔物達をずっと屠り続けていることに、である。
クロード達がここに閉じ込められたのは1ヶ月くらい前のこと。その間、この紺碧の髪と白銀の瞳の少年はずっと変な形の剣を振るい続けている。
全体が黒光りするそれは、刃の部分が反っている。さらに彼の手も同じような色に変色しているため、手と繋がっているようにも見える。
何故か彼は魔法が使えないようだが、クロードとそう歳は変わらないはずなのに異常な強さを見せていた。
クロードだって決して弱くない。騎士になるため、本家の令嬢のレティシアに仕えるため、生まれてから12年間努力してきた。
しかし、狼のような耳と尻尾を持つ少年はクロードのその努力とプライドを短時間で攫っていったのだった。
「おい、お前そろそろ寝ろ」
「平気だ」
「くそっ……アンナ!」
「うん」
クロードは幼馴染みの魔士に少年への魔法をかけさせる。傷を治し、痛みを和らげるだけの魔法だが、寝かせるためにかけない方がいいのかもしれない。
戦えるのはこの3人だけ。子供の大半は10歳に満たない子供で、それ以上の歳の人達には彼らの世話を頼んでいる。
魔物がひっきりなしに襲いかかってくるここに子供を出せるわけがないのだ。
だから、人攫い達に入れられた小部屋にいてもらっている。退屈で不安だった彼らも1度出てガーゴイルに襲われかけた経験からもう出ようとはしないだろう。
(逃げればよかったのか?……いや、違う)
最初、少年は自分を置いてここから逃げろと言った。しかし、幼い子供だらけでどうやって逃げると言うのだろう。
そうして迷っているうちに、小部屋の手前まで魔物が押し寄せるようになったのだが。
「おい、これ」
「……貴重なのに、ありがとう」
「いいんだよ」
非常食として亜空間に入れて置いたクッキーを少年の口に押し込む。
クロードやアンナは騎士としてこういうものは常に持っている。他の子供達もお菓子や水などを持っていたおかげで何とか凌いでいるが、それもいつまで続くかわからない。
剣を咄嗟に亜空間内に収納したあの時のクロードの反応は褒められるものだろう。これがなかったら状況はもっと悪かったはずだ。
石や金属でできた怪物達が次々に迫ってくる。
少年は剣だけで、クロードは剣に魔法をのせ、それらを切っていく。
アンナは魔力が切れないようにと攻撃はせず、治癒魔法だけ使っている。
「ガーゴイルだけの迷宮って気持ち悪い……ボスもガーゴイルなのかな」
戦闘中なのに緊張感のあまりない少年の言葉をクロードの耳が拾った。
「こいつら、ガーゴイルって言うのか?」
「……え、ガーゴイルじゃないの?」
「俺はそもそもこいつが何か知らん。アンナは?」
「私も……」
「そうなんだ……俺の故郷ではこういう魔物をガーゴイルって言う」
「へぇー」
迷宮には見かけない新種の魔物が多いと言われているから、その類いだとクロードは思っていたのだが、少年の故郷にはいたらしい。珍しい魔物であることに間違いはないだろうが。
それにしても、この攻防はいつまで続くのだろうとクロードやアンナが思い始めた頃─いつもは緩急あるので休むことができていた─、クロードの元に何かがやってきた。
「……は、はい! わかりました」
何も無いところに向かって話すクロードを訝しげに見る少年。しかし、アンナはそれが何なのか分かったようだ。
「クロード、レティシア様はなんて?」
「レティシア様ってクロード達の主の……?」
少しガーゴイルの数が減ったタイミングで3人は小部屋の前に集まった。
「レティシア様は特別な連絡手段をお持ちなんだ。それで、もうすぐ助けが来るから魔法に注意して下がっていろということだ」
「よかった、助かるのね……」
「どうする、小部屋に籠るのは無理だから、ギリギリまでこいつらを倒し続けて魔法発動の兆候がしたら俺とアンナで結界を張るしかないよな」
またガーゴイル達の数が増えてきたため、それを倒しながら会話を続ける。
「わかった。みんなは助けが来たらそれについて行って。俺はボスを倒しに行く」
「おいおいバカかよ巫山戯んなよだったら俺も行くぜ」
「私も行くわよ!」
少年の無茶ぶりな言葉にクロードが若干キレた。
「え、なんで……」
「お前1人だと絶対死ぬからだ」
「クロードは"友達なんだなら頼ってくれ"って言ってるのよ」
「おい!」
「……ありがとう、2人とも」
少年が微かな笑みを浮かべてそう言った次の瞬間、
「……誰か来る……伏せてっ!!」
少年が声を荒らげ、2人の頭を押さえつける。
それとほぼ同時に爆発音が響き、、辺りにいたガーゴイル達は一瞬で魔素に還っていった。
「クロード、アンナ。無事?」
「レ……ナハト、大丈夫よ! 来てくれてありがとう」
上の方から魔法で降りてきたのは、気を失いかけている貴族の令嬢を横抱きにした執事の少年(に見える少女)。
銀髪のその人物に、アンナが嬉しそうに駆け寄る。
ナハトと呼ばれた執事服の人物はゆっくりと貴族の少女を床に下ろした。少女は頭を抱えながらも背筋を伸ばし凛とした表情をする。
「2人とも、子供達は無事ですか?」
「はい、クララ様。あちらの小部屋に」
問いかけに答えたクロードはそのままクララを部屋に案内した。ナハトはアンナにそれについて行くよう告げ、自分はその場に留まる。
もちろん、少年─フェンリル族の少年と話しをするためである。
「初めまして、私はナハト。見てのとおり、フェンリル族と馴染みの深いエルフ族。君は?」
アズールはその先がとがった耳を手で引っ張りながらそう言った。
「俺に名前はない」
俯きながら少年は答える。
「そう。これから私はボスのところに行くつもりだけど、どうする?」
「言われずとも行く」
「わかった。まずは子供達の安否確認があるから、少し待っててね」
「ああ」
アズールがクララを連れてきた理由は、彼女が高度な治癒魔法の使い手であり、子供の相手が慣れているからである。
アズールは子供が苦手なため、ある意味その仕事を押し付けるために、死ぬかもしれない迷宮に公爵令嬢を連れてきたのであった。
「ナハト、終わったわ。全員無事よ。栄養失調気味の子が多いけど、後できちんと治療が受けられれば大丈夫」
「お疲れ様です、お嬢様。私はボスの方へ行きますので、予定通りに。アンナ、クララのサポートを。クロード、ボスの方へ行きたいかもしれないけど、かなり強いからまた今度挑戦してね」
「ええ」
「うん」
「……わかった」
クララとアンナは移動の準備を始めたが、クロードはしばらく不機嫌そうだった。
それに苦笑しつつ、アズールはクララに一礼し、そのまま迷宮の奥へ歩いていく。
少年も慌ててその後を追おうとしたが、クロードが彼に向かって何かを投げた。少年は難なくそれを掴む。
「生きて帰ってこいよ」
「……うん」
クロードが投げたのはあのクッキー。味のついていないこの非常食を少年が意外と気に入っていることを彼は知っているのだった。
「……なぁ」
「何?」
歩きながら魔素の流れ─迷宮を作る地脈をどんどん壊していくアズールに、不思議そうに少年が問いかける。
「フェンリル族と馴染みのってどういうこと?」
「フェンリル族の特性とエルフ族の特性があっているから、昔から仲が良かったってことだよ」
「ふーん。それは、戦う上でってこと?」
「私も詳しくはよく知らないんだ」
「そっか」
それにしてもガーゴイルだらけだね、と話す彼らは、お互いに"ガーゴイル"という言葉を何故知っているのか疑問に思いながら迷宮のボスの元へ向かうのであった。
方や、変幻自在の黒刀を無表情で振り回す狼少年。もう一方は笑みを浮かべながら爆発を起こしていくエルフの少女。
背筋が凍るほど恐ろしい形相だし、実際に恐ろしいほど強いガーゴイル達だが、2人の前では赤子の手を捻るようだった、とはクロードが後に日記に書く文言である。