4.地下
メル=メートル です。
─天狼族は、数多いる獣人族の中で獅子族、猛虎族と並んで最強の存在である。
闇夜の中でも自在に動くことが出来るため、かつては隠密として各国で働いていた。しかし、一族の力を利用されることを憂いた当時の長が周辺国と不可侵の盟約を結んだ。今から1000年以上前である。
長の名は"シリウス"。当時この辺りを治めていたシャルル王の盟友でもあったという。
彼らが住まうのは霊峰ネジュ。灰色の髪と氷の瞳を持つ彼らは、扱うことの難しい闇魔法が得意だと言われている─
「……一般開放されてる資料だとこんなものか」
種族について纏められている本に一通り目を通したジークはそこから有力な情報が得られなかったことに少し落胆していた。
アズールには最初から機密資料の方を探せと言われていたが、何かあるかもしれないと一般資料の方にも目を通したのだが、無駄な労力だったようだ。
ジークは諦めて、王族しか閲覧できない資料のある地下室の方へ向かった。
シュロス宮殿の図書館の棚は本が所狭しと並んでいる。通路には偉人の肖像画や彫刻、地図や天球儀などが飾られている。
長々と続くそんな通路を進み、ジークはある本棚の前で足を止めた。
振り向き、誰もいないことを確認する。司書に誰もいれるなと言ってはあるものの、念の為この辺りには誰も近寄らない結界を張る。
本棚から一冊の赤い本を取り出し、棚の奥にある魔法陣を動かした。
次の瞬間、その棚は他の棚より前に音もなく移動する。
ジークはそれを引き戸のように横にずらし、現れた通路へ進んでいった。
その通路には何もない。しかし、しばらく進んでいくと降りる階段があった。
通路はまだ図書館の方の灯りがあったが、この先は真っ暗。ジークは掌に雷属性の魔素を集め、灯り代わりにして進んでいく。
階段を降りきると、重厚な木造の扉が現れた。
扉には棚の奥にあった魔法陣と同じものが描かれている。一部が欠けているが。
ジークは人差し指を風魔法で切り、血を出させる。その血を使って魔法陣の欠けている部分を描いていく。
魔法陣を描き終えると、陣全体が赤く燃え、扉がひとりでに開いた。
その奥にあるのが、機密文書。
「俺の望むもの、あってくれよ……」
拳を握りしめ、その部屋に進んでいく。
「あら、今代の"火"じゃない。どうしたの? 何がお望み?」
本は棚ではなく床に積み上げられているそこの奥の机には、派手なオレンジ色の髪と瞳の少女がいた。
しかし、ジークの掌に乗れそうなほど小さく、その頭部にはリスのような耳、腰の辺りには同じくリスのような尻尾が付いている。
この場所に初めて来たジークには、彼女が誰かわからない。
「お前、誰だ……?」
本がこんなふうに置かれているところを見たらアズールは発狂しそうだな、と思いながら、ジークはその少女に問いかけた。
「あたし? あたしはラタトスク」
甲高い声で少女が告げる。
「光・火・水・風・雷・土・時・闇の一族の禁書庫の司書で、知恵の竜である、ラタトスクよ」
❁❁❁❁❁❁
ルセイアの東区、つまり貴族の住まうところにやってきたアズールは、先程ジークから送られてきた情報を元に作戦を立て直していた。
禁書庫で見つかった情報はとても貴重なものであった。
まず、フェンリル族は同族以外にほとんど心を開くことがない。目を合わせることも話すこともないそうだ。きちんとした契約の元での関係ならば大丈夫らしい。
次に、身体能力について。暗闇に強いことは童話にも描かれているが、それは単に暗闇に耐性があるのではなく、空間把握能力が高いから。そのため、目を閉じても自由自在に動くことが可能。
最後に、闇魔法が得意な理由。これは、最初のフェンリル族がたまたま闇魔法が得意だったため、代々その才が受け継がれているそうだ。
ジークによれば、この記述はライヒ王国の礎を築いたシャルル大王の手記に書かれていたことで、フェンリル族についてさらに詳しい記録はなかったらしい。
アズールは滅多なことがない限り、作戦が失敗することは無いと自信を持っているが、フェンリル族についてわからないことが多いため、成功する可能性が高いとはいえないのだった。
「さて、と……」
アズールが今いるのは、この国の第一王妃の生家かつ、宰相アレックスが当主を務めるリヴィエール公爵の邸のある一室。言わずもがな、ベルトラン派より大きな勢力であるリヴィエール派のトップである。
クラリスやジークからの情報でベルトラン公爵家がこの人攫い事件に関わっていることはほぼ確実になった。さらに言えば、攫われた子供達がいるのはベルトラン公爵邸の地下室である。
では何故、アズールはリヴィエール公爵邸にいるのか。
それはこの部屋の主に計画を手伝ってもらうためだ。
「準備はいい? クララ」
「大丈夫ですわ、お姉様」
「その呼び方、いい加減やめて欲しいな」
「尊敬しているお姉様の呼び方を変える気は全くもってありませんの」
金髪碧眼の10歳くらいの少女の名はクララ。リヴィエール公爵家令嬢である。白と青で纏められた清楚な服を来ている。
対するアズールは公爵家の執事服を来ている。長い銀髪は青のリボンで一つに纏められており、一見、中性的な美貌の少年に見える。
「今はお嬢様と執事なんだから。名前は"いつも通り"、ナハトでよろしくね」
「はい、ナハト。では参りましょう」
クララの手を取り、歩き出すアズール。
クララはリヴィエール公爵家の養女である。元の姓は"ベルトラン"。
「ふふ、おね……ナハトと出かけるなんて久しぶりで嬉しいですわ」
「そう言ってもらえるなんて、嬉しい限りだよ」
アズールが公爵邸内をこうして歩いていても咎める使用人はいない。それどころか、クララだけでなく、アズールにも頭を下げている。
「お母様とレオンには挨拶しました?」
「いや、今日は行ってない」
「寂しがりますよ?」
「今日は忙しいからね。また今度時間がある時に行くよ」
「そうですか」
2人が姉妹のように会話するのは公爵邸の中だけ。一歩そこから出たら、2人は完璧な公爵令嬢と執事である。
「お嬢様、こちらに」
アズールが優雅にクララを馬車へエスコートし、自分は御者台に乗る。
「あの人のところへお願い」
「かしこまりました」
アズールも行先は当然知っている。誰が見ているかわからないからこその演技である。
年々クララの演技力が上がっていくな、と思いつつ、アズールは慣れた手つきで馬車をベルトラン公爵邸へ走らせた。
ベルトラン公爵邸につくと、見慣れた門兵が会釈してくる。
「お久しぶりです。今日もあの方に会いに参りました」
「ええ。聞いています」
アズールはクララを馬車から降ろし、日傘を手渡す。
公爵邸は庭が広く、建物へ行き着くまでが長いのだ。
「こちらへ」
門兵の一人がベルトラン公爵邸の門戸を開ける。区画にごとに整理された庭が広がる入口には、これまた見慣れた執事がいた。
「お久しぶりですわ」
「ご案内します」
クララが見事な作り笑顔を初老の執事に見せ、軽やかな足取りについていく。アズールは周囲に警戒しつつ、それの後を追った。
「あの人はどう?」
「……お変わりなく」
「そう」
クララと執事がそんな会話をしながら、公爵邸の一角にある塔へ向かっていく。
外側全体が苔で覆われている、何とも廃れた感じのする塔だが、今でも使われている。
ある人を、閉じ込めるための牢獄として。
とはいえ、アズールもクララもその人物を可哀想だとは一欠片も思っていない。あくまで自業自得だと。
しかし、クララにとっては仮にもお腹を痛めて産んでくれた人でもある。完全に彼女との縁を切ったクララの兄とは違い、たまにこうして様子を見に来るのであった。
いつも、そこにアズールが執事として一緒に来るのはクララの護衛のためなのだが、今日は少し違った。
「こちらへ……何かありましたら、外でお待ちしておりますのでお声かけを」
「ええ」
塔の扉に付いていた南京錠を外して、執事が中へ促す。
クララとアズールは相変わらず薄暗いそこへ足を踏み入れ、螺旋階段を上がっていく……ふりをする。
扉が閉まり、執事の目がなくなったことを確認すると、アズールはクララの手を取り横抱きにする。
同時に消音の結界を張り、浮遊と移動の魔法を合わせて一気に螺旋階段を一番下まで下っていった。
「お姉様、本当にここにいるのですか?」
「カゲワタリが案内してくれている。ここにいるのは間違いない」
塔の最底辺は何も見えない暗闇。しかし、神獣の気配を辿ることのできるアズールにとっては、暗闇でも何ともないようだった。
が、アズールがよくてもクララはそうもいかない。アズールは雷属性の魔素を集め、灯りを作った。
結論から言うと、灯りをつけて正解だったのだろう。
「これはなんですの……?」
「……まさか、こんなところにあるなんてね」
見慣れないものに首を傾げるクララと、頭を抱え、予想外だと呟くアズール。
塔の地下にあったのは、─門。
高さは3メルくらいだろうか。全体が金属でできていて、縁にガーゴイルの彫刻がこれでもかというほどある。それも、今すぐに動き出しそうなほど生き生きとしたものが。
「いかにも牢獄の扉といった感じですわね」
何も知らないクララが、鍵のついていないその扉に手をかける。
「ちょっ……!!」
慌てて止めようとしてアズールだが、時すでに遅し。
「……グルルルル」
「ひっ……」
こちら側に開いた扉から出てきたのは、
「……門にガーゴイルがいたのはそういうことだったのね」
恐怖で身体が硬直したクララを庇うように立ち、苦笑いするアズール。
体長が地下室の天井ほどある石ノ悪魔が血走った3つの目をこちらに向けている。
「グァルルルルル!!」
そのガーゴイルの呼び声で、扉についていた金属のガーゴイル達も一斉にこちらに向かってきた。
❁❁❁❁❁❁
「その手記には書いてないんだけどね」
「……?」
宮廷図書館の地下。
ジークはラタトスクから手渡されたシャルル王の手記にまだ何か書いてないだろうかと読み込んでいた。
「フェンリル族は偶におかしな子が生まれるの」
「どんな子が?」
「魔物を呼び寄せる子が。その子が少しでもその場に留まるとそこにはたちまち門が現れ、迷宮となる」
いかにも面白い、という風に笑うラタトスク。しかし、ジークはそんなふうに笑うことなどできない。
「早く知らせないと……!」
「留まらなくても自然と魔物が寄ってくるんだけどね。あはは、またおいで」
ジークは傍にいるカゲワタリにアズールへの伝言を渡し、急いで禁書庫から走り出る。
門とは異界の一部である迷宮への入口のこと。
通常、迷宮が現れたら騎士団が出動したり、上位の冒険者達でパーティーが組まれ、攻略される。それでも死者は必ずと言っていいほど毎回出るし、全滅したケースも珍しくない。
いくらアズールが強くても、クララを庇いながら迷宮攻略なんて無理がある。
それこそ、人攫いの実行犯のように結界を駆使して目的のものを取るだけならできるだろう。
しかし、アズールは国に仕える騎士である。
騎士の任務の一つに迷宮の攻略とある限り、彼女が一人でそこを攻略する可能性が高かった。
評価、ブクマなどありがとうございます。