思い出せる過去
俺の過去を知る覚悟はあるか?
普通は、たかが一般人の過去を知るのに、覚悟なんて必要ないだろう。だが、それは密接な関係でなかったならばの話だ。
結婚、家族。こういうワードが絡んでくると、いろいろややこしくなる。結婚するのに、自分の過去が語れないとなると、それは結婚する意味がないと言ってもいい。嘘ついているんだから。信用してないんだよ、相手を。誰にだって黒歴史はあると思うが、それを言える、信用できるから結婚するのであって、ただ、なんとなく結婚するなんて以ての外。そんなんじゃ、口喧嘩、我慢、怒りとなって、三か月後には離婚してるんじゃないかな。それを楽しむって考え方もあるんだけど。
真の家族って、憩いの場だと思うんだよ。すべてを受け入れてくれなければ意味がない。辛いときに話を聞いてくれて、親身になってくれる。そういうものなんじゃないかって思う。
真の家族って、不純が目的だと思うんだよ。不純の中にも愛はあって、そこから膨れ上がる愛情は計り知れない。そこから生まれる純愛は、第三者が否定することの到底できない鉄壁の高さを誇る。
まあ、両親のいない俺が、何を言っても説得力がないのはわかってはいるんだけどね。
もうおわかりだろうが、俺は中学時代いじめられていた。以前は、思い出すだけで腹が立ったけど、今はもう感じなくなった。今頃いじめの首謀者やその周りの者たちは、俺のことなんか頭の隅にも残っておらず、のうのうと生きているだろう。それに憤りを感じたいとは思うが、思えない。あいつらが一番悪いとはいえ、俺のやったことも、世間的にはいじめなのだから。
絶対的な虚無感に襲われ、ただ茫然と進む瞬間だけが意識される。そんな日々を過ごし、前に出ようともしなければ、後ろに下がろうともしない。ただ、木偶の坊のようにそこに突っ立っているだけ。
密接な関係ではないので、正直つまらないと思うが、その頃の話をしようと思う。将来、家族になる人が何かを打ち明けようとしたとき、打ち明けることができるような関係。求めるなら、その予行練習だと思って――。




