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夏。
都会にしては樹木や青い植物が比較的多くみられるここでは、蝉の声がうだる暑さの中で響いていた。
部屋が同じだったせいか、八柳さんと同じ日に出所することになっていた。
警備員らしき人に連れられて、塀の際までやってきた。
灰色の塀。遠くから見るとそんなに大きさを感じる訳でもないのだが、近くで見ると本当に高く感じるんだよな。
「やっとですね。八柳さん」
「ああ。でもこれからだろ、サンダル」
みんなそう言うよな。
ドラマも。
音楽も。
何かを失っていないときに感動することほど美しいものはないんじゃないかって、今、この瞬間の俺は、胸張ってそのことが言える気がする。
失ったものがでかければでかいほど、感動は俺の心に届かない。お前に何がわかるって思いはしないけど、ただ単純に、羨ましいなあ、ってさ。
警備員は鍵を取り出し、何も言わずに扉を開けた。俺と八柳さんは、促されるように扉の付いた塀の前に立つ。
「この扉って普通に開くんですね」
「当り前だろ。鍵が掛かってただけなんだから」
開いた扉を見つめる俺を置いて、八柳さんはそそくさとその下をくぐっていった。
ふと風が短髪の俺を弄った。
ふと風に押されたように一つの感情が現れる。
本当に、早くこんなところから出たいと思っていたのか。
正直、俺が価値を見出せるものは何もないと思う。だから、生き辛かった。誰かにそれを言ったら笑われるかもしれないけど、それほど生きるのが億劫だった。生きるのが面倒だった。
でも、腹は減るし、服は着なければ生きていけないし、洗濯をしないと汚いし、その癖、匂いには人一倍敏感だし。どうしても金がないと生きていけないんだよ。働かなければならないんだよ。
でもここはどうだ。少ないとはいえ、飯は食える。不味いほどでもない。寝床がある。家賃は払わなくていい。トイレットペーパーを買わなくてもいいし、服も買わなくていい。
名誉、なんてものは元からないし、ましてや世間から犯罪者とみられる今、外界に出ていくほどの理由はあるのか。八柳さんみたいに明確な目的がある訳でも、会いたい誰かがいる訳でもない。最愛のばあちゃんでさえ……。
「おーい。早く出てこいやー」
扉の向こうで八柳さんが手を挙げている。
つられて足が動いてしまった。
まあ、本当に刑務所に入りたければまた罪を犯せばいいかと、人として感じてはいけない、軽い気持ちで俺は扉をくぐってしまった。外に出て振り返ると、その光景をを待ち望んでいたかのように警備員はフッと笑った。それを見て、「あなたの仕事は面白そうだ」と思ったか思わなかったか、扉はしまって警備員を隠してしまった。
塀を背にして元の世界に帰って来た。別に何かが変わった訳ではない。扉をくぐろうとくぐらなかろうと俺の心臓は動いているし、罪人のレッテル、スティグマは、たとえ世間から消えたとしても、俺の中から消えることは永遠にない。今、そう感じている。
ただ思ったのは、『広いな』って。
壁がないんだよな。どこまでも歩いていけるんだよ。
「とりあえず行くか」
八柳さんがそう言ったんだ。
彼の顔に視線を移すと、その奥に人影が見えた。
それを不覚にも、自分のことのように解釈してしまった。視界の奥に見える誰かが、自分を待っていてくれた人なんじゃないかって。でも、違うことはすぐにわかった。中年の女性と二十代くらいの女性。
初めて嫌いだった自分を受け入れたかもしれない。心からさ、うれしかったんだ。八柳さんを待っていてくれる人がいたことに対して。
だって、縁を切ると言った人がそこにいるんだから。待っているんだから。待っていてくれるんだから。
感動したよ。前言撤回だね。もしくは例外に当てはめておこうか。
自分の身体は欲しいままに想像を巡らせるが、それが他人の幸せに変化しても感動できる。幸せを目の当たりにして、本当だったら虚しくなっているはずの感情が先送りされてしまった。
誰かを想うって、こういうことなのかな? それもまた、遅れて俺の元にやって来た。
気づけば八柳さんは、声をあげて泣きながら彼女らの膝の上で泣いている。それを、数メートル後ろから眺める俺。
その俺の後ろから撮影カメラが覗く。映画にしたらそれなりに売れるんじゃないかな。
でも、きっとそこに、俺が彼ら三人を眺める映像は流れないんだろう。




