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 季節は秋。そう、秋なんですよ。田舎では、都会では見えないような風景が広がっていますよ。金色に輝いて風に揺れていた穂はいつの間にか刈り取られ、稲掛けされた光景があちこちで見られる。イチョウが黄色に輝き、紅葉も真赤。なんてことはありませんが、秋なんですよ。この地域は寒いんです。


 こんな時期に学校のプールに入ろうと言い出す者は、お調子者の馬鹿者なのか。学校のプールと言えば、屋根などついていない、二・三か月溜まったままの水は汚い、といった障害もある。でも、寒中水泳という文化もあるくらいだから、こっつぁぶい中でもプールに入ることが認められていない訳ではないだろう。運動後のアイシングとして冷水に浸かるアスリートも少なくないはず。


 だから、秋とは言えども、学校のプールに入るのはおかしくないと思うんだよ。珍しいと言ったら珍しいのかもしれないが、ないことはない。俺は、冷水にアイシングの効果があるという知識を持っていたから、どこかの部活、バスケ部や野球部が、練習終わりに入っているということも考えられなくはないと思った。


 でも、そこに見えたのは女だった。


 女だったら入ることはないのか。いや、女だってプールに入る可能性はある。そんな偏った見方はしていない。



 さて、皆さんは今、どの女がそこにいると想像しているでしょうか。真弓先生、白石、咲奈、安藤朝海、もう一人のいじめっ子と、ここまでこれらの女性が登場してきましたが、どの人がこのプールにいるのにふさわしいと思いますか? もちろんこの中の女だけではないかもしれませんよ。知らない女がいたって不思議ではないんですから。


『ふさわしい』という言葉に注目してください。

誰がいて欲しいか、誰がいるだろうか、僕はこう思う、私はこう思う、この女は違うんじゃないか、もしかして、女に見えただけで実は男だったんじゃないか。いろんな思考を駆け巡らせ、考えたところで、実際にその想定通りに動くことなんてほとんどないんですよ。『予想外』『既知の外』から現実というものは襲ってくる。


 ただ、当然予想通りに進むことだってある。だから、誰かがこの先を予想して当たっていたとしたら、尊敬に値する。無数の確率の中から、わずかな証拠を元にその一本を手繰り寄せて選び抜いた。マグレの可能性もありますけどね。


 でもそれって、『ふさわしく』はないんですよ。確かに当たっています。正解です。尊敬に値する推理力です。ですが、私がここで求めているのはそんなことではなくて、純粋に自分だったら誰がそこにいて欲しいか、自分にとってそこにいるのにふさわしい人は誰なのかということです。


 現実はそう甘くはありません。思い通りに行くことも少ないでしょう。だったら頭の中だけでは、思い通りに事を進ませてあげてみれば、現実とはまた違った楽しみが見えてくるのではないでしょうか。要するに、妄想を楽しめってことです。


 今本当にあなたの隣に居て欲しい人は誰ですか?



 はい。ということで、前述した通りそう甘くはありません。面白い結果を想像した人、予想が外れた人は落胆するかもしれませんね。一人でも、上手くいった人がいれば、それはもう喜ばしいことです。



 プールは、体育館の裏にあった。人が一人通れるくらいの幅で、コンクリートでできた細く長い通路を挟んで高いフェンスがあり、その奥に水が溜まっている。


 この時間帯はここを通る人はほぼいないと言ってもいい。なぜか。この通路が旧校舎につながっているからだ。放課後七時を過ぎると、部活関係者ですら入ることができないようになっていて、それは教師らによって人が登れないほど高い鉄柵でその道は閉ざされるからである。


ついでに言うと、通路を進んだところにあるプールの入口の端にも鉄柵がある。これより奥へ進めないように、もう開くことがないであろう高い鉄柵で、固く閉ざされている。入ろうとしても入れないのだ。それに、旧校舎につながっている通路だということは、他の人たちは知らないであろうから、「入るな」と言われ「ああそう」ぐらいの解釈で、無理をしてまで入ろうと試みる者はいないのだと思う。小学生ではないからね。


 でも、俺はこの通路が旧校舎につながっていると知っていた。


 ちゃんと入口から入ったんだよ?

 

 気づいたときは、謎が解けたって感じだった。方向音痴ってこういうことだと思うんだよね。行きと帰りだと進む方向が逆になるし、景色も全然違って見えるから迷う。


 始まりがあれば終わりもあるように、入口があれば出口もあるんだよ。俺が入口だと思っていたのは、出口だったんだ。



 その通路は旧校舎の裏側の辺りにまで及んでいて、初めて見つけたときは偶然だった。道なき道というか、顔の辺りにまで草が生えているんだけど、それがどうもおかしな状態だったんだよな。高いんだけど低い。その理由はすぐにわかった。張りぼてだったんだ。ここで言う張りぼてっていうのは、手前の一メートルぐらいにはちゃんと草が生えていて、その奥には何も生えていないって意味。だからちょっと掻き分けて覗いたら、草など生えていない通路が見えてしまった。これを作った人はおそらく、そもそもここに来る人はいないという前提で、念には念を押しておこうと予防線として作ったのだろう。



 珍しい、触れたことのない雰囲気に感化されて、奥へと足が促されて着いてみれば、「ああここか」と納得の溜息が出た。


 最初にそれを知ってからは、それ以上は何も詮索していないし、それっきりだった。だから、この張りぼてを作った誰かには気づかれていないだろう。まあ、知っての通り校舎裏には通ったから、そこに出入りしている人がいたとしたら、ばれていてもおかしくなかったと思う。


 普段学校にいるときも、そこに近づくことはなかった。プールの前までなら柵が開いているとはいえ、ばれるのを恐れたのか、単に興味がなかったのかはわからないが、なんとなくその近くを通らないように日々を過ごしていた。だから、この日通りかかったのも本当にたまたまだった。


 放課後。いつものように安藤朝海の家を訪れたら、「いつもいつも申し訳ないねえ」と彼女の母親に言われ、「ご飯ぐらいは食べていきなさい」と促され、なぜか食べて行くことになった。そして、状況説明がなく、よくわかりもしない一方的な母親の愚痴をだらだらと聞かされ、「もうそろそろいいですかね……」と切り出したときには、すでに外は真っ暗だった。


 星が見えていたんだ。点々と俺の視界いっぱいに広がっていて、所々ちぎれた雲が風に流されていた。いつもは月を見るくらいなのに、その日は月なんて見向きもしなかった。っていうのは大袈裟だけど、それだけ星が綺麗に見えていた。一つひとつの光は小さいにせよ、月に勝る雰囲気を俺に味わわせた。それだけで、安藤の母親の愚痴のことなんて忘れてしまった。


 愚痴とか悩みって、解決することじゃなくて、誰かに聞いてもらうってことに本当の意味があるんじゃないかって思ったよ。何も経緯を知らない娘の同級生に、仕事場の同期や周りの人間の嫌なところを話して、玄関で別れるときには、満面の笑みで「また聞きに来てね」と言うくらいなのだから、相当効果抜群だったんじゃないかな。


 嫌な気分ではないが、いい気分でもない。煙草が吸いたかった。火も煙草も手元にあった。とりあえず足を動かし、相当くだらないと思うかもしれないけど、気づいたら学校の門を飛び越えて、プールに向かっていた。うちの学校、校舎内以外は警備が薄いんだよな。


 校舎外にあるプールなら旧校舎のときみたいに水がない訳ではないからと俺は思ったのだろうけど、それは建前で、本当は、飛び込み台の上に座って星空を眺めながら灰を落とせたらなって、見えないところで格好つけてしまっただけだった。


 警備が薄いとはいえ、いけないことをしている自覚はあった。でもその感情が俺の足を軽くした。性犯罪者の心理が映ったかのように、スリルはだんだんと期待を増幅させ、後戻りはできない、リセットボタンのないミッションゲームをしているような感覚に陥った。底の角を曲がったら人がいないか。四方八方視野を広く保って動きに敏感になる。確認する。そんな感覚。


 でも、それに針を刺したのは、まだ足早に歩を進めていたときだった。


「よく考えたら柵、登れねえじゃん」


 何も考えないで行動する人の典型。その先のことは予想したが、それにたどり着くまでのことは頭になかった。ああマジか、と思いながらも、もしかしたら登れるかもしれない、どうせここまで来たんだからと、歩を止めたのは一瞬に過ぎなかった。


 柵の前に来る。

 また針を刺された。


 悪い方の予想外の展開には落胆するが、いい方の予想外には歓喜する。こんなこともあるんだなあ、と感心。


 鉄柵に鍵がかかっていなかった。


 誰かは、柵が閉まっていたらそのまま引き返して帰るだろう。俺もそうなっていた可能性は高い。そうさせなかったのは、「せっかく来たんだから」という好奇心からだった。


 柵を引けば、「ギー」と鈍い音を出しながら扉が開く。そのとき、視界の端で何かが動いたのを感じ、二十五メートル先のそこへピントを合わせれば、「ああやば」と小声で言ってしまったのは不覚。


 迷ったよね。相手は俺のことに気がついていないみたいだったし、たとえ気づいていたとしても、彼女も悪いことをしているのは明らかに見えたから。


 逃げるか。偶然を装うか。今逃げれば、煙草は吸えないが大事には至らないだろう。それとも視界から今見たものを消し、欲望のままに煙草を吸うか。「あれえ、なんでこんなところにいるんですかあ?」ととぼける自分を想像しながらも、覚悟する暇もなくコンクリートの上を歩き、プールへの階段を上り、自分の右足の靴を脱いで二十五メートル先に向かって投げたときに、「ああもう戻れねえわ」って水の上を回転してとんでいく物体に目を細めながら、このときなってやっと覚悟した。


 スポーツの経験はないが喧嘩の経験は豊富。弱く見られないように背筋を伸ばし、体幹を意識しながら普段歩いている。そのせいか、軽く投げたつもりの靴はポイントがずれ、彼女らの後方のフェンスに当たった。ガシャンと大きな音を立てながら、二つの影が動く。暗いとはいえ、空には月と星が。汚いとはいえ、水面には月と星が。それらの明かりが無かったら、殴り倒して、暴れて、罪悪感から死にたくなって、ばあちゃんの顔を見てまた生きようって思うけど、結局、車に轢かれて死ぬのになって思った。


 皮肉だ。綺麗で、癒しだったものが否定された気分だ。水面に映る大きな月の中に意思を持った人間の影が入り込んでしまった気分。本当なら、その明かりが醜くて汚い彼女らを粛正させるはずなのに、今は除け者なんだからね。


 今だけはいなくなって欲しいって思った。やっぱり、汚いものと綺麗なものを並べると、綺麗なものがより輝いてしまうから。


 唯一の友達を失った気分だよ。



「先生は何のために毎日生きているのか、教えてください」

「……誰?」

「そんな事、一度でも考えたことがありますか?」

「……」

「俺なんか、中学の頃は毎日考えてましたよ。それは、もう教師の考えている進路とは程遠いくらいにね」


 二十五メートル越しの会話なので、少し声を張り上げる。なるべく怒っていないように聞こえるよう、気をつけながら。


「彼方君?」

「相手の気持ちになってみろって言いますけど、加害者側に被害者の気持ちなんてわかるはずがないんですよ。いや、世界中の誰の気持ちもわかり得ませんよー」


 真弓先生がこちらに歩き出したのがわかった。それに構わず続けた。


「そうですね……。ご主人が、あなたの気持ちをわかってくれたことがありますか? もしくは、あなたがご主人のことを理解したことがありますかー」

「こんなところで何しているのかな。ここは入ってはいけないはずの場所よ。あなたも知っているでしょ?」

「ご主人じゃなくて息子さんでもいいですけど、自分もわかってない人が、他人を知ろうなんざ虫が良すぎる話なんですよ」


 向こうから歩いて来たであろう真弓先生が、すぐそこで腕組みしている。普段腕組みなんかしないのになあ、こうして見ると普通の女教師じゃないか、やっと本性を現したか、と思いながら俺は、小走りで飛び込み台の上に乗った。


 真弓先生には俺がどう見えているかなあ。いつも通りの俺か? やんちゃな俺? 悪ガキ? 自分の少し上から、薄汚れた空とそれを調和する月。私も目立ちたいと自ら光るアイドルのような星々が見下ろし、暗闇には到底かなわないその弱弱しいスポットライトに照らされた俺は、あなたの目にどう映っていますか?


「どうしてここにいるのかは知らないけど、これは報告させてもらうからね」

 そう言ってそそくさと返ろうとする彼女の後姿は、どこか寂しそうに見えもしたが、それは一瞬の出来事。すぐに格好つけている場合じゃねえよと我に返り、叫ぶ。


「いくら未来で足掻いたって、過去は消えませんよ! それに、俺もあなたのこと見たんですからね! 職権乱用ですか!」


 何を言えばいいのかわからずなんとなくで叫んだが、それも無駄だったのかもしれない。

 真弓先生は、立ち止まることなく消えていった。


 やっちまった感が自分でもわかったが、もうどうすることもできない。久々にやらかした感満載だった。数分前は想像もしなかったようなことが起きてしまった。やっぱり未来を想像するのって難しいな。

彼女は、事実を曲げながらこのプールでの出来事を報告するだろう。どうにもできないとはわかっていても、心のそわそわ感は消えない。心配事の八割は起きないと自負しているが、これは絶対にその二割に含まれる。


 でも、結局真弓先生はここに何をしに来たのだろうか。正直、暗くてよくわからなかったと言った方が正しいかもしれない。咲奈に暴力をふるいに来たのか? わざわざ? 教師が? それは余計だけど、そこまでするメリットがどこにあるんだ。デメリットしかなくないか。



 小学生の頃の先生像が、いまだに消えないせいで、俺は信じていたかったのかもしれない。あの頃にもらった、温かい、でも虚ろなあの感覚を。


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