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次の日から、吾妻たちのいじめは始まった。一人だから弱いんだと思ったであろう吾妻は、持ち前の人望を使って仲間を集めた。
『自分が弱いから、やられるんだ。攻撃しないと、攻撃されるんだ』
それが吾妻の口癖だった。
俺が中学でされた、いじめを紹介していこう。
○チョークを食べさせられる
○女子トイレに閉じ込められる
○髪の毛を燃やされる
○万引きさせられる
○役員の強要
○女子のズボンを下ろせと強要
○好きでもない女に告白
○男に告白
○服を脱がされる
○服を隠される
○教科書を燃やされる
○小説を燃やされる
○メルを奪われる
○ハブられる
○殴られる
○蹴られる
エトセトラ
よく考えるものだと思う。どれもくだらないものばかりだった。
ほぼ、毎日泣いた。ばあちゃんにばれないように、ばあちゃんが寝た後で。布団に潜りながらよく泣いたなあ。泣いているんだけど、暗いからいつの間にか寝てしまって、起きて、居間に顔を出せば、笑顔で朝ご飯を作るばあちゃんがいて。
鏡の前でもよく泣いた。丑三つ時になると怪異や幽霊に会えるなんてのを古文の授業で聞いて、連れ去られたらいいな、なんて軽い気持ちで起きて鏡の前に行った。鏡に何か他のものが映っていたら怖いでしょ? そういう瞬間を望んだ。ほんのちょっとだったけどね。
本当のことを言うとそれは建前で、内心ビクビクしながら「大丈夫だ、大丈夫だ」っていつも自分を安心させてた。だって中学生だよ? そりゃ怖えーよ。でも、いつも鏡に映るのは泣いた自分だけだった。 惨めだけど安心するんだよな。「俺泣いてんじゃん」って。生きてるよって。おかしいんだけどさ。
その癒しと、音楽の癒しは、効果絶大だった。
貧乏とは言えども、誕生日は好きなものを買ってくれた。中一の頃だったかな。中古のラジカセと一緒に、少し興味のあったCDを買ってもらった。
フィルムをはがす瞬間。ケースを開ける瞬間。歌詞を見る瞬間。ディスクをラジカセにセットする瞬間。キュルキュルと擦れる音。ボタンを押す音。
もちろんその曲自体も好きだったけれど、そういった瞬間が好きだった。だから、いつも聞き終わったらそのままラジカセに入れっぱなしにするのではなく、毎回毎回、ケースに戻していた。
そして、ケースを閉じたときに見えるジャケット。同い年くらいの男の子。ぼさぼさに伸びた髪の前髪だけが綺麗に切られていて、笑顔で、自分の頬をつねる絵。
最初は意味がわからなかった。こいつはなぜ笑顔なのだと。なぜ、ぱっつんを強調させているのか。
透明トレーのおかげで、ディスクをケースから外したときに見える、裏ジャケット。そこには、表紙のジャケットと同じ男の子が映っている。ただ、髪は目深に伸びていて、両手で自分の首を絞めている絵。
なるほどな。音楽って歌や楽器だけじゃないんだって諭されたよ。
手を差し伸べてくれる人も幾人かいた。バスケ部の女や、小学校からの友人にも声をかけられた。でも、それは一瞬の出来事。バスケ部の女は教師がいるときにしか話しかけないような腹黒だったし、小学校からの友人は、普段話す機会が多々あっても、俺がいじめられているのを見かけるとそのまま通り過ぎた。
向こうからしてみれば俺に気づかれていないと思ったかもしれないけど、俺にはちゃんと見えていたからね。どんな気持ちだったかわかるかい? 諦めも多かったけど、どこかで希望が残っているんだよ。人間だからね。頭ではわかっていても心では正直ってやつ。どこかで期待していて、その対象を無意識のうちに必死で探しているんだろうな。それだけ神経を研ぎ澄ませているんだから、周りの変化に敏感になれない訳がない。
結局、一時の感情に促され、自分はいい人だと思い込んで、動物園のウサギに餌をやる程度の王様たち。やらないなら最初から手を出すなよ。やるなら最後までやれよ。中途半端な人間が増えたものだ。大嫌い。
正直、死ねないと思った。こんな程度のことじゃ。だから、諦めたり泣きはするけど、その姿を誰にも見せなかったし、学校には毎日通った。
女子のズボンを下ろしたときは、ぶっちゃけると、白けた。学年で一番美人と言われる人にやったのだが、最初こそ「きゃあ」と驚きつつも、その後は、無言で平手打ちをされただけで済んだ。同情したのかな。でも、そのおかげでその後散々殴られたけどね。
小説を燃やされたのは本当に悔しかった。特に自分に。何もできない自分に腹が立ち、頭を何度も何度も机に叩きつけた。おかげで、今もへこんだまま。
あとは、無理やり役員をやらされたこと。「彼方君がいいと思いまーす」って何人もの人に言われたら、教師も「ああそうか」ってなるよね。そんな流れで、ルーム長になった。でも、この後が辛いんだよね。先に俺が決まっちゃったら、俺と一緒にやりたい奴なんかいないんだから、副ルーム長が決まらない。
しょうがないからくじ引きにするかという雰囲気になったときに、手を挙げた人がいた。
白石だった。
最初は同情からだと思った。でも、初めて仕事をしたときに、「私はやりたいから手を挙げた」って自分から言ってきた。そのときの表情は今も思い出せるくらいに強烈で、気が強そうに見えた。だから、期待はせずに、彼女なりに何かは感じてはくれているんだろうと、そう思うことにした。
実際そういう話をした。
「なんでやり返さないの?」とか、「待っていても、誰も助けてくれないよ」とか。知っての通り家にも来た。なんで来たのか、経緯は忘れた。
強烈な印象と言えば、メルのこともそうだった――。
朝から雲がどんよりとしていて、これから雨が降るんだろうなと思わせぶりな天気だった。そんな雨の日の午後、いつも通り傷だらけの膨らませた顔で通学路を歩いていた。
学校の近くに、樹が生い茂った公園があったんだけど、そこでちょっと休んでいた。濡れているのにも構わず、芝生の上に寝ころんだ。ぼたぼたと樹から落ちる雨粒が、俺の顔を冷やした。シャワーと何ら変わらない。浴室と森林って場所の違いだけで、何ら変わらない。森林浴という言葉もあるくらいで、それに水が加わればさらに俺の身体を癒すことができていた。音も不快ではなく、意外と気持ちいいもんだった。
そうしていたら、横からトコトコ歩いてきて、俺を覗く者が現れた。目は小さくて、短手短足で腹の上に乗って来る。
「なんだお前」
後で調べたのだが、この動物は一般には飼われていないらしい。それと、オーストラリアによく生息しているらしい。だから、なぜここにいたのかはわからないが、神様が何もない俺にプレゼントしてくれたんだと、そう思うことにしていた。
「メエー」って鳴いたから、「メル」って名前を付けた。
人懐っこくて、可愛かった。家に帰ったらすぐにメルを抱いて、飯を食べるときも、胡坐をかいた上に乗せながら食べた。それくらい愛情を注いでいた。愛すべき対象ができたことに喜びさえ覚えた。
なのにさ、神様は、自分で与えておきながらそれに嫉妬したのかな。
雨続きだった日曜日が珍しく晴れたので、メルと最初に会った公園まで行った。自転車の籠にメルを入れてさ。考えただけでもかわいいだろう? 最初はおとなしく座ってるんだけど、時々出ようとするから、自転車を止めて抱っこしたり、片手で抱えながら乗ったりもした。
公園についてからもずっと戯れていた。日常がクソすぎたから、本当に愛おしかった。我が子のように慈しむ。常に一緒だった。手をつないだり、頭をなでたり、ずっと触っていた。
だから、奪われたときは珍しく反抗した。勝手に身体が動いていたとはこのことだろうね。
「返せ」
「お前、誰に口きいてんだ?」
「お前しかいないだろう。いいから早く返せ!」
「返せって言われて返す奴があるか」
吾妻は俺をからかうように、挑発した。まるで人を怒らせる方法を熟知しているようで、堪忍袋の緒が切れかかった俺に、これでもかというくらい煽ってきた。取り返しに行こうとすると、周りの奴らが俺に殴りかかってくる。それを必死に掻い潜ろうとしても、上手くいかなくて、頭が揺れて、重いものが額に垂れて、それでも必死にもがいていたら、偶然なのか必然なのか、上手く避けられて、吾妻はもう目と鼻の先だった。
「今行くぞ、メル。今行くからな」
何度も心で唱えた。
吾妻は、雑に持っていたメルを下ろして、俺に向かって走ってくる。でも俺が見ていたのは、そんな弱者を蹴落とそうとするにやついた吾妻なんかじゃなかった。
「メル! 駄目だ!」
吾妻の拳は俺の頭の上を通り過ぎ、俺は手を伸ばした。
伸ばしたままだった――。
無造作に舞った個体を、この目で見た。残像が何度も何度も見えた。まだそこにいたであろうときの、景色を思い出して。
四つん這いでトコトコ歩く後ろ姿。何も知らずに歩き進む。
ああ。君もどこかへ行ってしまったんだね――。
急に周りの音が聞こえ出した。
ざわめく音。
ここにいる俺。
今ある虚無の先には何があるだろうか。今何もないのだから、先になど何もないだろう。
それなら――。
音を置き去りにして、右手が悪魔を捉える。もう一回。さらにもう一回。直後、後ろから金魚のフンが湧いた。身動きが取りづらい。振り払おうとするが、なかなか離れなくて、程なくして脇腹に激痛が走る。反射的に顔が沈み、そこへ悪魔の膝が入った。
体勢の崩れた身体を立て直すことはできず、そのまま前のめりに倒れた。頭を踏まれ、横腹を蹴られ、何度も回った。それこそ、レスリングのローリングみたいに。もう、二十点は取られていたね。
よほど癇に障ったんだろうな。絶対的弱者だと思っていた者に、仕返しを喰らったことが。蹴るたびに「このっ、このっ」という声が漏れていた。自分の方が強者なんだ。みろ、返り討ちに遭ったじゃないか、この勘違い野郎、とでも言いたげに。
でも同時に、その程度じゃ満たされないんだろうなとも思った。俺を殴ったところで、罵ったところで、最悪、俺を殺してしまったところで、彼はきっと今の現状に満足なんてできないだろう。
逃げ場がない、逃げ場がない、と慌てふためいたところで、結局逃げていた対象は時間をおいて姿を現す。その時間をできるだけ先送りにしたいがために、必死で目の前の弱者を見下し続ける。
崖の上からでかい図体の狼が見下ろすようにも思えるその絵面は、実は全く反対の立場にあったりもする。上に立っているから強いんじゃない。下にいるから弱いんじゃない。上に立っていながら必死にもがく姿を、必死にもがいて隠そうとする。
君を見ていると、そんな気がしてならなかった。
髪を掴まれ、最後に一発顔を殴られ、俺はその場に捨てられた。
身体はボロボロだった。頭は片頭痛みたいにドクドク鳴ってるし、腹筋が攣りそうで身体を起こせない。でも、どこか、してやった感と満足感で満ち満ちていた。あんなに大切に想っていたメルが死んだのにだよ? そのときはそんなこと忘れていて、ただその幸福感に浸っていた。
風で枝が揺れる音がする。見ればちゃんと揺れているじゃないか。頬をかすめる風と体の中が、やたらと大きな音を立てる。ああ、このまま眠りにつけるなんて、なんて幸せなんだろう。そう思ったか思わなかったか、滴る痛みに敏感なまま――。




