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 時は、五年前に遡る。当時俺の通っていた中学は、近くにある四つの小学校から生徒が集まって来ていた。他の三つの小学校は、規模が大きかったのだか、俺の通っていた小学校は、全校生徒が百人に満たない小さな小学校だった。実際、俺のクラスの人数は十四人だった。それでいて、中学のクラスは四つ。だから必然的に、中学で同じクラスになれる同じ小学校のクラスメイトは、三人か四人しかいない。


 転校を経験したことがある人ならわかると思うが、知らない人しかいない空間にいるのは、大変居づらい。でも、そこから徐々に交友を深めていき、クラスに馴染むというのが一般だろう。だが、俺がそれをすることはなかった。


 なぜか。簡単だよ。苦手だったんだ。奇しくも、この当時は気づいていなかったけどね。



 同じ小学校の友人と話す日々。席が近い人とは仲良くなりやすいっていうけど、あんなの話そうとしなければ仲良くなれる訳がないからね。あくまで「なりやすい」ってだけの話。会話がなければ何も始まらない。


 でもそういうのを、よく見ている奴がいるんだよね。他のことに関してはいたって普通なのに、そういうことにだけは長けている人。


 クラスの真ん中にいる奴が声をかけてきた。

「なんでいつもそんなところにいるの? こっちに来ればいいじゃん」

「あ、いや……」

「まあいいや。来たくなったらこっち来ればいいよ」


 その程度の会話だったが、きっかけには十分だったと思う。事実、俺といつも話していた友人は、輪の中に入って馴染んでいったし。


 でも俺は馴染めなかった。いや、もうこの頃は馴染もうとしていなかったと思う。ずっと隣にいるであろうと思っていた友人がいなくなったからね。裏切られた気分だった。でも、別に彼は裏切った訳ではない。俺が勝手にそう思い込んでいただけ。まだ中学生だったからってのもあると思うけど。未熟だった。


 一番は、自分から関わろうとしなかったのがいけなかった。


 心のどこかで、誰かが声をかけてきてくれることを望んでいた。そして、千載一遇のチャンスが来たにもかかわらず、その波に乗ることはできなかった。サーフィンから落ちてしまったんだ。


 それからは、ずっと本を読む日々。いるだろう? クラスに一人は。あんな感じ。無意識に待っても何も来ないと感じた俺は、追おうとしなくなった。やろうともしなくなった。これが、諦めってことだよね。


 周りはみんな部活に入った。友人もいっぱいできただろう。でも俺は何も変わらなかった。変わっていくのは身長だけで、目を輝かせるような変化はない。ただただ内面が皆とは反対側に伸びていくだけで、なんとなく過ぎていくんだろうなって、そんなことを考えている日々だった。



 ある日の朝、よくわからないまま担任の教師に呼び出された。周りには馴染んでいなかったが、宿題はちゃんと出していたし、成績も平均以上。言われるとすれば、その『馴染めない』ってところぐらいだった。だから、この日もそのことについて言われるのだろうと思っていた。


 でも違った。

 濡れ衣を着せられた。



 事例はこう。


〈クラスのある男子生徒の消しゴムがなくなった。比較的大きい消しゴムで、通常の消しゴムの五倍以上はある。その大きさのせいで、クラスの男子生徒の間で話題になり、多くの生徒の手に渡っていた――。消しゴムは、なくなってから数日経って見つかった。見つかったのだが、その消しゴムには、『死ね』と書かれていた。発見したのは、その消しゴムを買った生徒で、時間は、朝登校してすぐ〉



 当然、身に覚えのない俺は否定する。そもそもそんな消しゴム知らないし、「俺に友人がいないことは先生も知ってますよね?」とそこまで言って否定した。先生、そこまで惨めな生徒に自分の惨めさを言わせたんですよ。


 でも、状況は、俺にぴったり当てはまっていた。


 まず朝早くということ。クラスで部活をやっていないのは俺を含めて三人だけ。この学校には朝部活があったから、その教師曰く、この三人の誰かしかいないという。よく考えれば、他クラスの生徒だってこのクラスの教室に入れるし、部活を抜ければ普通に行えることだとわかるはずだ。


 多分、事を早く片付けたかったんだろうな。そんな重大な訳でもないから。


 俺はいつもホームルームが始まるより三十分は早く学校に行っていた。もちろん、あの静かな空気で本を読むため。これを知っていた生徒が告発し、残りの部活をやっていない生徒は二人とも女だったというだけで、俺に疑問がかけられた。



 予鈴が鳴り、ホームルームが始まってしまうということで、話の続きは放課後にということになった。だが、放課後になろうと俺の口が割れることはない。そもそもやっていないのだし、いくら俺でも、どんなに小さいことだろうと、身に覚えのない罪などかぶりたくはない。そう思っていた――。



 帰りのホームルームで声をかけてきた男がいた。以前、俺ともう一人の友人に声をかけてきた、あの彼。名前は、吾妻というらしい。


「今日、先生になんか言われた?」


 周りには聞こえないようにと意識しているのか、声は小さめで、顔が近い。

「身に覚えのない消しゴムの話をされたよ」

「それのことなんだけどさ……、お前がやったことにしてくれない?」


 こいつは何を言っているのだろうと思った。他人に罪を擦り付けようとしているのか。もしかしてこいつがやったのか。


「君がやったの?」


 そう問いかけて、彼が口を開こうとしたとき、「ガラララ」という音とともに、前のドアが開き、「ホームルームはじめまーす」と担任が声を張る。それを見て、「じゃあそういうことだから」と吾妻は何事もなかったかのように、逃げるように席へと戻っていった。


 担任は生徒への連絡事項を伝え始めた。次々に内容のない文字だけが俺の頭の中に薄く流れて行く。そんな中、さっき唐突に投げかけられた吾妻の言葉に俺は思考を巡らせていた。昨日の昨日まで平凡な毎日の繰り返しだったはずが、非日常的な問いかけが二つも行われた。担任にもクラスメイトにも話しかけられる。偶然なのか? もしかして二人ともグルなんじゃないか?


「彼方秋君!」

「あ、は、はい!」

「先生が話してるんだからちゃんとしてなさい」

 軽く頭を下げた。正直、消しゴム事件の八つ当たりのようにも思えた。


 だが、すぐにまた悩み始める。ああでもないこうでもないと考えていても仕方がないので、状況を整理することから始め、やっと現状を明確に理解し、認めた。


 理解した上でまた悩んだ。これくらいのことで意地を張るのか、クラスメイトのために罪を被るか。罪と言っても苦痛が与えられるほどの罪ではない。消しゴムの彼に謝罪をして、反省文でも書かされて終わりだろう。でも本当にそれでいいのか。本当に? 


 そうやって悩んだまま、帰りのホームルームは終わった。

 他の生徒は立ち上がって放課後の部活に行こうとする中、吾妻だけがこっちを向いて、申し訳なさそうに手を合わせて浅く礼をする。これが決断に至る要因となり、まあこの程度のことだし誰かのためになるならと受け身になってしまった。


 今思うと、これがすべての元凶だった。



 皆、部活へ行き、教室には俺と担任の教師だけが取り残される。教師の顔は、明るくはない。実際には掻いていなかったが、頭を掻いていそうな様子だった。何度も何度も溜息をつき、「どうして私が」「なんでなのよ」などとぶつぶつ呟いていた。おそらく、自分でも呟いていることに気づいていないのだろう。


 それに感化され、いたたまれなくなった。

「すいません。俺がやりました。明日、礼の彼に謝っておきます」


 すると、今の今まで暗い顔で教卓に視線を落としていた教師が、急に顔を上げて「そうね、そうよね」とでも言いたげに頷く。

「もう。そうならそうと早く言いなさい。これっきりにしなさいよ」


 そう言って、俺の頭をぐしゃぐしゃに撫でて廊下に出て行った。お前みたいな性格の女に頭なんか撫でられてもなんとも思わないわと、蔑んだ。自分さえよければいい、自分が絶対だと思っているような態度だったからね。


 こんな風に、この事件は解決したんだけど、平凡な毎日はこの日で終わりを告げた――。



 午後四時半。部活の始まりを告げる本鈴。校門を出て時計に目をやった。

 誰かにとっての始まりは、誰かにとっての終わりのチャイムでもあった。


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