時雨
二つ目の動画を開くと、そこにはある男が映し出されていた。ヒゲが伸びてやせこけているため、ぱっと見はわかりづらいが、恐らく解散した人気バンドのボーカルだった男が縛られた状態で下を向いていた。
彼は三年前くらいまでは元々人気バンドのボーカルとして、世間やメディアからは神様のように扱われていたのだが、飲酒運転で捕まってからは一気に叩かれるようになり、バンドも解散、更には数日後に薬物でつかまると言う、どうしようもない転落人生を送っていた。
「さて始めようか」
一個目の動画にもいた青年の声で、俺はこの異常な状況を冷静に見ている自分に気づき、少しショックを受けた。
「もう長々と無駄話をするつもりもないから、俺の用件だけ言おう。ってお前寝てんのか?」
そう言うとその青年は男の鼻を思い切りヒザで蹴り上げた。
「うぐっぐ・・・ってぇ・・・。いてぇ・・・。なんだこれ・・・手うごかねえし・・・」
「なんだお前、連れてくるときに軽く殴ったので気絶してたのかよ」
「なんだお前ってこっちのセリフだよ。一体なんなんだよこれは」
「結論から言うと、今からお前を殺す」
「はぁ?何で俺が初対面のお前に殺されなきゃなんねえんだよ。ガキの遊びに付き合ってらんねえんだよ。早くこれほどけや」
「これ、覚えてるか?」
青年は手に持ったスマホの画面を男に見せた。
「あぁ・・・拡散された分だけ人を殺すってやつだろ。今じゃこういうの書き込んだだけでも捕まるのに世間を知らない馬鹿はかわいそうだな。もうこいつも捕まってんだろ」
男は縛られながら心底うれしそうに笑った。
「で、なんだよ」
そして急に真面目な顔になった。なかなか表情が豊かなやつだ。
「残念ながらその馬鹿は俺なんだよ。拡散した分だけっても拡散した奴自体を殺していこうと思ってさ、無差別に無関係の人間殺しても面白くないじゃん?」
「はぁ?お前拡散した奴殺すってこれ百人近くいるんだぞ。その前に捕まるに決まってるだろ。馬鹿じゃねえのか」
「そうかもな。でもとりあえずお前はちゃんと殺すよ」
本当に自分が殺されると言う事実にだんだんと現実味が増してきて、その男はさっきまでの強気な目とはうってかわり、弱弱しく命乞いを始めた。
「ち、ちょっと待ってくれよ・・・。俺こんなんになっちまったけど、まだこれからちゃんとやり直そうと思ってんだ。昔みたいにはなれなくても、俺には才能がある。ここで死んだらいくらなんでももったいないだろ?」
青年はその発言を聞いて思わず鼻で笑う。
「はぁ?知るかよそんな事。お前がどんな奴かなんて関係ない。俺は拡散した奴を殺すと決めただけだ。つかお前、どっちにしてもお前のせいで一人多く死ぬって事を望んだって事だろ」
「そんなの本当にやる奴がいるなんて思わないだろ。馬鹿な事言ってるやつがいるってそんな軽い気持ちでしただけだよ」
「本当にそれだけか?」
そう言って青年はナイフを男の首にあてた。
「わ、わかった。わかったよ。正直誰か死んじまえばいいって思ってたよ。しょうがないだろ。なんで俺だけこんな目にあわなきゃいけないんだよ。飲酒運転も薬も悪かったけどよ、何もあそこまで追い詰めて叩きあげる必要あるのか?実際飲酒運転で事故を起こしたわけでもないし、結果的には誰にも迷惑かけたわけじゃないんだぜ?でももうメディアはまるで人殺しかのように俺の事を叩きやがった」
「お、おう。まあお前の昔話まで聞いたつもりはないが、聞いてやるよ。続けろよ」
「いや、だってよ。一般人とかにはいっぱいいるだろ?飲酒運転したやつくらい。薬もそうだし、なんで芸能人ってだけでここまで叩かれて、一般人からも目の敵にされなきゃいけないんだ?俺だけじゃない。不倫報道されたアイドルとかだってそうだろ?不倫なんてその辺の女はいくらでもやってんじゃねえか。それなのになんで芸能人ってだけでそんなに叩かれなきゃいけないんだよ」
「うん、まあその件に関して、お前が俺に返答を求めても何もならないが、なんだ?俺に答えを出して欲しいのか?」
そう言うと青年は彼の首からすっとナイフをひいた。
「ってぇ!」
ナイフを引いた時に彼の首を少し切ってしまったらしい。
「あ、すまん。今のはわざとじゃないぞ。思ったより切れるんだなこのナイフ」
青年は笑いながらナイフの刃を撫でる。
「で、そうだな。なんで芸能人だけそんな叩かれなきゃいけないんだって事か?お前本当にそんな事もわからずに芸能人やってたんだな。んな事も誰も教えてくれないなんて芸能界って恐ろしいところだな。お前もしかして頭悪いからってハメられたんじゃね?」
「はぁ?芸能人が目立つからって芸能人が一般の人間に比べて叩かれるなんて理不尽、誰も知ってるわけないだろ」
「いや、まあ普通は頭が回るなら自分で何かしらの答えを出すと思うけどな。じゃあまあ、俺の答えを教えてやろう」
そう言って青年はソファに座って腕と足を組んだ。
「それはな、お前の言うとおり、目立つからだよ」
「じ、じゃあ目立つ人間には何言ってもいいって事か?」
「そうじゃない。目立つ人間、つまり芸能人なんかは絶対に悪い事をしてはいけないんだ」
「なんでだよ」
「はは。マジでお前わかんねーの?お前みたいなのでも芸能人つったら国民のお手本である必要があるんだよ」
「俺は歌が歌いてえだけで一般人のお手本になりたかったわけじゃねえぞ」
「もうお前頭悪いから黙って俺の話だけ聞いてろよ」
露骨にイラだった声を出す青年に、男はびくっと身を縮める。
「いいか?人間ってのは基本的に欲望を常に理性で抑えているわけだが、まあそのバランスも一定じゃないんだ。状況とか体調とか色んなものでそのバランスってのは簡単に崩れる。そういう時にお前らがきっかけになるんだよ。例えば不倫したくてしょうがない奴がいたとした時、ずっと我慢してたけど、芸能人の誰かが不倫してるって報道されたとしたら、あいつがやってるくらいなんだから俺が不倫してもしょうがないとかそういう言い訳を作るんだよ。まあもちろんそんな考えに至る奴は馬鹿だけどな。でもまぁ、弱い人間って常にどっかに言い訳探してるもんだろ?だから目立つ人間は悪い事しちゃだめなんだよ。弱い人間ってのはそいつらを言い訳に使うからよ」
左右の足を組み直して青年は続ける。
「例えば小学校とかで、一番成績が悪い奴が悪い事をしたとしよう。でもそのクラスの委員長もそいつと同じ悪い事をしていたとする。そうするとその成績が悪い奴はなんて言うと思う?『委員長もやってたもん。』って言うんだよ。委員長がやってたから自分もやっていいと思ったなんてクソまぬけな言い訳を教師にしちゃうわけ」
「じゃあ悪いのはその弱い人間じゃねえか。何でそいつらのために俺達が理不尽に叩かれなきゃいけないんだっ・・ぐふっ」
青年が立ち上がり、男の腹を思い切り殴る。
「いでっ・・・ぐっ・・・やめ・・・」
「いやだからさぁ・・・。てめぇみたいな薬中がのうのうと芸能界復帰して、『薬をやめるのは本当に大変です。薬物絶対ダメ。』とかうれしそうにほざいてんの見て、薬やっちゃだめなんだって思う奴なんかいるわけねえだろって話してんだよ。もしもお前が復帰したとして、元気にやってたとしたら、それ見た一般人はどう思うんだよって話だよ。『あ、薬やってもいいんだ。』とまでは思わないにしろ、『あ、薬やってもすぐ立ち直れるんだ。』って思うんだよ。お前らがいくらつらかった日々語ったところで関係ねえよ。そんな事知ったこっちゃねえんだよ。何があっても現に薬中だった奴がテレビの中で楽しそうにしてるって現実がダメなんだよ」
そう言いながら青年は、縛られている男ごと椅子を倒して、男の身体を蹴り続ける。
「ごめんなさい。ごべんなさい・・・ぐっ・・・うっ・・・」
「俺はお前らみたいなやつが一番嫌いなんだよ。自分の立場も理解せずに、自分がどうなるかの覚悟も何も持たずに行動して、挙句には人のせいにして自分だけは助かろうとしてやがる。しかもこの俺の書き込みを拡散したお前らに関しては、他人の不幸を楽しもうとしてるとまで来てる。マジでゲロ以下の存在だよ」
青年はよくわからない金属のような物を持って、もう静かになった男に馬乗りになり更に殴り続け、男の骨が砕ける音と、肉が潰れる音に紛れて話を続ける。
「だからお前らみたいなやつを全員殺してやろうって思ったんだ。自分の行動に、立場に、発言に、何の責任も、覚悟も持たないクズを全員殺してやらないと、ちゃんとしてる人間が理不尽に死んでいく現実とバランスが取れないんだよ。ちゃんとお前らみたいなゴミは死ななきゃいけない。更生の余地なんていらないんだよ。お前らみたいな人間は殺されるべきだって社会に知らせなきゃいけない」
もはや原型を留めていない男の顔を見下ろしながら、青年は立ち上がり、大きく深呼吸をした。
「・・・」
「それなり以上に頭が回る奴ってのは、これくらいの年齢になりゃ社会のあり方とか理不尽とかそういうものに、自分が納得できる何かしらの答えを出して生きているもんだ。お前みたいなどうしようもねえ馬鹿は、ずっと自分の不幸を他人のせいにして、さっきまでのお前みたいに、何の解決にもならない無駄口を延々と言い続けるんだろうな」
男達がいる場所は雨が降っているのだろうか。青年が黙ると、動画からは激しい雨の音が少し聞こえるだけだった。