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~ムク、山へ。トワとの出会い~

私は、トワと違って、心を読むことは出来ません。ただ、色を感じるだけです。


 あの日、私は、もう、ダメだったんだと思います。で、4階の美術室の窓から、満開の八重桜を見下ろしていたの。枝をいっぱいに広げて、ふわふわと揺らいでいる、ピンクのスポンジ。私を拒むことなく、「おいで、おいで」と、囁いていました。


 もう、たくさんです。教室だけでなく、どこに行っても、青い海一色。その中で私は、波が来ないようにと、小っちゃく、うずくまっている。少しでも動こうものなら、私の周りに波紋が出来て、それは、どんどん高さを増しながら広がり、やがて、壁となり、私に向かって押し寄せて来るの。巻貝の、奥の奥に逃げ込んだ私を、波がいたぶる……


 今日一日、何事も起こりませんように。それだけが、私の願い。


 私は、何があっても、笑ってはいけません。私は、誰よりも、すべてにおいて、劣っていなくては、ダメじゃなくてはいけません。

「ムクのくせに」

と、怒られてしまいます。


「あいつはバカだから、何言ってやっても、ダメ。わかっちゃないのよ」

「どうせ、言ってやっても無駄だけど、可哀そうじゃない?教えてやらないのは」


 ほんとうにわからないのならば、どんなに楽でしょうか。私は、目も耳も閉じているのに、青いトゲトゲが私の身体中に突き刺さるのを、感じてしまいます。聞こえてしまう言葉の節々に、バタンと置かれる教科書の音に、こっちに来る足音に、突かれるシャーペンの芯に……


 私には、何を言ってもいいと、みんなは思っている。私がムクだから、いいって、思っている。私は、こんなにも悲しいのに。私だって、心があるの、赤い血が流れているの、今ここで飛び降りれば、地面に真っ赤な血の印も付けられる!!


 涙で、桜が滲み、ピンクの塊に見えてきた頃、その声は、私の背後からではなく、窓の外、桜よりも上から聞こえてきました。


「上がっていらっしゃい、ここは、あなたの居るべき所ではありません」

穏やかな、澄んだ声でした。

「屋上?」

と、行きかけて

「山ですよ」

と、又、声が聞こえました。


 私はそのまま外へ出て、内陸へ向かう電車に乗りました。点在する八重桜を数えながら、山へ


 途中何度か、車両が切り離されて、若い人はもう誰も、乗っていません。少し年を取った、たぶん御夫婦と、私だけが残りました。


「なんでまあ、こんな遠くにしたんだろう」

「仕方ありませんよ、どこも、山の上ですから」

「そうだよな~いくらああなったからって、まさか収容所に入れるなんて、出来ないよな」

「そうですよ、当たり前でしょ。そうそう、こないだ送ってもらった、お雛様の、お母さん似合っていらっしゃいましたよ。いい表情でしたね」

「あんなにも、穏やかな表情になるんだな~」

「家にいた時を思うと、嘘みたい」

「そうだな、お前には、苦労をかけた」

「ううん、こうして離れて暮らしてやっと気づいたの、苦しかったのは、お母さんだったって」

「そう言ってくれると、嬉しいよ。いい人だったんだ……昔に戻ってくれた」

「ええ、山が戻してくれた、感謝しなくちゃね」


 終点に着くと、まだら模様の金魚が描かれた、可愛い車が止まっていて、

「前田様、お待ちしておりました。さあ、どうぞ、ムクさんも」

と、私の名前が呼ばれました。

「ムクさんって言うの?さあ、一緒に行きましょ」

と、おばさんに言われ、

「ありがとうございます」

と、学校を出てから、初めて声を発しました。声が、私の声が、はっきりと聞こえました。

「今年も綺麗ですね、山桜」

「ああ、母さんの誕生日が四月で良かった」


 私が初めてこの門をくぐった時、もう日が暮れ、まあるい街灯が二つ、お月様のような優しい光を放っていました。ふわっと温かいエントランス、ほんとうに、夢を見ているよう、おとぎ話の世界。


 入り口で何やら手続きを書いている二人の後ろで、私は、何をしていいのか困っている時、

「初めまして、私は、スミと申します。ムクさん、遠くまで、よく来てくれましたね」

私を呼んでくれた、その<声>でした。

「気がついたのね、そう、みんなに頼まれて、私があなたを呼びました。今日からここが、あなたの世界ですよ」


 どこを見ても、満開の桜です。


 私は、「私の居場所、私を受け入れてくれる所に来たのね」と、涙が溢れてきました。次から次へと涙を、流し、私は、今迄の悲しみを、もう忘れてしまおうと、手放してしまおうと、涙をただただ、流し続けました。


 どれぐらい、泣き続けたことでしょうか。スミさんはずうっと、優しく包んでいてくれました。


 ハンカチが、私の頬にそっと触れました。


 泣き疲れて、ハンカチを差し出された方向によろめいた私を、抱き支えてくれたのは、トワ、でした。

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