~水樹氏の手記 2~
ミドリさんは、まだ赤ちゃんのトワを連れて、面接に来てくれました。就業中、預かってくれる家族はいない、保育園も決まっていない……トワの父親、ここで働くスミさんの弟さんが急死され、これから、どうしようか?と。
「ごめんなさい、私、この子がいるし、介護職の経験もありませんし、スミさんに迷惑かけるのではないかと……ごめんなさい、なんでここにいるのか、自分でもよくわからなくて」
終始、謝ってばかり。おずおずと、言葉を選んで話しているのが、よくわかりました。彼女は「心を読むことは出来ないまでも、感じることは出来る。けれど、怖くて閉ざしている状態」でした。
施設長は、「保育所は、併設していないから」と、初めは、渋りましたが、これもきっと、スミさんの入力でしょうか、
「子供は、お年寄りの元気の素。連れてきてくれるのは、歓迎しなくてはな。それに、マスコミ受けもいいし。ここの年寄りは、子供が罹る伝染病の免疫ぐらいあるだろう」
と。
ミドリさんは、ここで週五日の日勤帯を、トワを育てながら、働きだしました。そして、落ち着いてくると、彼女の能力が輝きだします。ミドリさんは、魔法のように、色を変えていくのです。彼女の声で、仕草で、ブルーな気持ちになっている方を、暖かい色に染めていきます。彼女は、ごく自然に、沈んでいる方の傍に行きます。本人の自覚はないのですが、きっと、色が見えるのだと思います。そこまでは、他のスタッフにも出来ますが、ミドリさんの凄い所は、「変える」ことです。私は、思いました。
「スミさんの弟、きっと、幸せだったろうな~こんな素敵な人が、ずっと傍にいてくれたら、人生バラ色って、こういうこと」
と。
トワは、手のかからない子でした。いつも、誰に抱かれても、ニコニコして、ほとんど、ぐずることはありません。それが、時々、一瞬泣き声をあげるのです。それは、お年寄りからスタッフへ、抱き替えられる時。すると、
「ほおら、私の方がいいって言ってる、よしよし、いい子だね~おばあちゃんは、トワちゃんを抱っこしたいから、お風呂に入る。待っててね」
と、なぜか嫌がっていたことを、すんなり受け入れてくれる。「トワマジック」と呼ばれている現象。さすが、スミさんの甥。
二人は、ここを<居場所>にしてくれました。あんなにも、楽しそうに、みんなの傍にいてくれた。それなのに、私は、どうして、ここに住むように勧めなかったのか?私は、みんなを束ねる者として、自分の感情を隠したかったのか?ただ、戸惑っていただけ?もっと、素直になれていれば……今更、後悔しても、仕方がありません。
私は、大切な人を、失った。
トワがもうすぐ三才という夏、ミドリさんは恋をしました。
結局、一度も、彼はここに来ませんでした。「連れておいでよ」と言うのも、何か言い出しにくく、私は、トワに探りを入れました。ところが、トワは、はぐらかした。二歳児が、シールドを張った。「僕らのプライベートでしょ」とでもいうのか、全ての情報、それに関わる感情を、あの小さな身体で、遮ったのです。私は、無性に寂しかったけれど、トワを傷つけるわけにはいかず、それが、二人の幸せならば、と、それ以上の介入を控えたのです。
三才になって迎えたクリスマスでした。施設でも、何人かはキリスト教信者ですが、ほぼ、ご馳走を食べて、プレゼントをもらう日だと思っている面々。まぁ、その流れで、楽しい余興も、スタッフ総出で企画します。
その年は、サンタさんとトナカイだけではなく、天使の仮装をしての合唱団も結成しました。メンバーは、入居者さん達を含めて18人。いまいち、コントっぽい仕上がりになってしまった輩もいましたが、歌は、練習の成果、素晴らしかったです。色とりどりの折り紙で作った輪飾りが、ホール全体を飾っていました。そう、トワも作っていました。後で掃除が大変と言う意見も出ましたが、紙の雪も、盛大に降らせました。その天使達の真ん中に、マリアに扮したミドリさんと、キリストのトワがいました。
微笑んでいました。
それが、私の見た、最後のミドリさんでした。
夕方、私は、片付けに追われ、みんなに挨拶をして帰る二人の<声>だけを、感じました。又、三日後に会える、そう疑いもせず、「良いクリスマスを」と、送り出したのです。
八時過ぎ、ゲンちゃんが車椅子で、私の部屋のドアにぶち当たりました。
「やばいよ、ミドリちゃんが!」
そう言い終えて、ほんの数秒後でした。私達すべてに聞こえる、ミドリさんの悲鳴。その後、一瞬、何かとてつもなく大きい<気>が爆発し、噴煙もろ共、消えました。
私達の通報、どう説明していいのかわからず、かなり変だったと思います。なんとか、アパートに行ってもらい、トワは救出されました。
その時に、出動してくれた警察官の意識から、部屋の様子を知りました。
台所には、お皿を洗っている途中だったのでしょう、蛇口から、お湯が流れていました。そこから、慌ててリビングに行ったのか、床に水が点々と落ちています。ミドリさんは、トワの上にかぶさって、背中から血を流しています。三箇所も、精一杯背中を丸めて、トワを護ったのですね。包丁、彼よりも、ミドリさんの近くにあったはず。殺意を感じたら、あなたが握れば良かったのに。でも、あなたは、トワを護りたかった、そうですね。
母に抱かれて、トワは、眠っていました。元は真っ白だった、アコーデオンプリーツのブラウスに包まれて。全く動かないトワは、ミドリさんの身体を動かして、気付かれたようです。
リビングから玄関に向かう途中に、男が倒れています。胸から血を流し、傍らには、包丁が。
「ぎゃ~。自分でこんなにも深く、しかも三箇所だぞ。刺せるもんかね~気が振れたとしか、考えられないな」
私は、そこで、切りました。
しばらく私は、まともにトワを見ることができませんでした。あの時の事、トワの意識から聞き出したいという気持ちを、私は、抑えられるか自信がなかったからです。もちろん、トワに罪はありません。彼も又、私同様、ミドリさんの幸せを願っていた。痛いほど、それは伝わってきます。けれど、こうなる前に、私に伝えてほしかった。私ならば、何かできたのではないか?何か?何か?いや、何も出来なかった。それが、事実。
幼い彼には、この先どんな展開が待ち受けているかなど、想像できなかったのだろう、無理はない。彼は、トワは、ここで、沢山の愛に包まれて育ったのだから。そこの、どこが悪い。
「人の気持ちを感じることが出来ない怪物が、人間の皮をかぶって、そこら中にいるんだよ。この世の中、私達だけじゃない」
と、教える必要のない世界を。そう、もう、私達は、こんな世界に居るべきではないのだ。
世界を変えることは、不可能かもしれない。それならば、私達の世界を、別に創ろう。私達と、あいつらを分離する。
もう、二度と、仲間を、失うことは、ない。