~私から、私達へ~
施設長は、水樹氏の仕事ぶりを、とても評価していた。スキルが高いので、言語障害や進んでしまった認知症の方々ともコミュニケーションを取れるのだと、初めは思っていたのだが、やがて、それだけではないと、気付き始める。そう、彼は「心が読める」のだ。施設長は「心を察することが出来る」と思っていたが、実際は「心が読める」。
水樹氏の自伝によると、幼いころから、その能力を隠すよう、母親から厳しくしつけられていたそうだ。彼の母も又、私達だった。隠すことで生き延びてきた彼ではあったが、やがて、「天からの贈り物を、無駄にして良いものか?」と、悩み始める。
そう、私達の能力は、卑しいものなどでは、けっしてない。人間として、本来備わっているべきものであり、欠けている者こそ、「恥じるべき」だ。
そして選んだ職業が、言語聴覚士。いかんなく、その能力を発揮できる環境に身を置くこととなる。
STと呼ばれる言語聴覚士は、脳卒中など、脳の障害により、話す・書くなどが難しくなり、言葉を思い出しにくくなる<失語症>に対する、コミュニケーション手段の助け。又、脳の機能障害により、唇や舌を動かす神経の働きが悪くなり、呂律が回らなくなる<運動性構音障害>に対するリハビリ。喉頭がんなどで声帯を失った方や、聴くことに障害を持っている方、嚥下(食べ物の咀嚼、飲み込み)が難しくなった方等々、病院はもとより、高齢者施設でも、活躍している職業。
水樹氏は、相手の脳に浮かんだ言葉を、ダイレクトに「読み取れる」。その能力を使って、誘導し、ほんの僅かな音声から
「今、私に言われた言葉は○○ですか?」
と、笑顔を添えて返す。
自分の言葉が通じた時の、喜び。きっと、波動のように広がっていったことだろう。なぜなれば、
「何言ってんのか、分かんねぇんだよ。まったく、今忙しんだよ、後で」
「ごめんなさいね、よく聞こえないの。今ちょっと忙しいから、後でゆっくり聞くわね」
と、言われて、置き去りにされる。そして、「後で」は永遠に、来ない。
自分の身体から、沢山のケーブルが、外に向かって右往左往している。誰かに助けてもらいたくて、酸素を吸いたいと、ルートが、あがいている。障害を受け、必死だった思いは、ケーブルは、ルートは、心無い言葉で、無残に切断されて逝く。そして、人間であることまでも、あやふやにされるのだ。
たとえ、言葉そのものを忘れてしまったとしても、感情は残っている。水樹氏には、「感情が視える」。
「何を考えているのか?」を、言葉というコミュニケーション手段を使わなくとも、丁寧に感情を辿って行けば、
「どうしたいのか?どうして欲しいのか?」
を、知ることは可能だ。
もはや寝かされているだけの方にも、感情は、ある。快・不快は勿論のこと、自分に掛けられている温かい言葉、優しく触れる手を、しっかりと感じている。
けれど、悲しいことに、その感情を受け取れない一部の介護者は、「物」として、ぞんざいに扱い、今、一人の人間に対応しているという感覚が、持てない。オムツ交換をしていても、関係ない世間話で大笑いをしている。ろくに手元を見ずに、ただ、業務をこなしていくだけ。
そして、感じるのだ。
「私は、無視されている、物としてしか存在していない。まだ、生きているのに……」と
施設長からの相談を受けて、彼は、
「コミュニケーションの難しい入居者さん達と、面談室で待機してもらい、気づいたことを、後で報告してもらう。その報告の中に、入居者さん達の気持ちを察する言葉が含まれていたら、合格」
等々、色々アドバイスをした。その中で、自分も必ず、面接に参加できるようにと、上手く取り付けた。そう、これこそが、「心を察することが出来る」いや、「心を読める」人を集める手段だったのだ。
初めは、入居者さん達の為に、より良い施設でありたいという考えから始まった計画だった。が、やがてそれは、私達の居場所を造ることに、繋がっていった。
自分達の能力を生かす仕事に就くことで、皆、生き生きしてきた。今迄が、ひどすぎたのだ。人間関係、気遣いばかりしていると、疲弊してしまう。言ったもん勝ちの職場に居ると、自分を偽ることに、呑み込んでしまう言葉に、自己嫌悪を感じる。心の悲鳴が聞こえてしまう私達には、自らの精神を守るために、いられない場所が多過ぎる。
入居者さん達にも、職員にも、素敵な施設が出来た。
しかし、それだけでは、本当の<私達の居場所>は、得られなかった。悲しい事件が、相次いで起きる。ここからは、水樹氏の手記を引用する。