~プロローグ~だから、私達は……
ニュースでは、虐待や殺人、いじめ等々、日常茶飯事。隣のおばさんが、クラスメートが、被害者、加害者ってことも、あり得る世の中。やってしまう側と、やらない又は、やられてしまう側とは、どこが違うのか?
私の答えは、
「相手の気持ちを感じることが出来るか、出来ないか」
だって、相手の気持ちをライブで知ってしまったら、一生うなされるじゃない?だから……私は、やらない。そこを快楽とする異常者も、確かにいると思うけれど、たぶん、ほとんどの加害者は、相手がどう思っているか関心がないだけではなく、「感じられない」という不具者じゃないかな~と。
そこで、SFの盾に護られつつ、そんな彼らを「成敗」しちゃいました!
まず、世界を分ける。そして、私達は、標高の高い所を、取る。
海は諦めよう。海水を引き込めば、いい。波は、人工的に美しいフォルムを描き、風が、その上を舞う。そして、世界が終わりを迎える前に、地面を掘るのだ。深い穴を、全ての汚れ(けがれ)から、私達を遮断してもらえるように、深く、より深く。
私達は、たとえ自らを護る為であっても、他者を傷つけることなど、出来ない。それは、生きていくことを捨てるのと同じ。自分がなされて嫌なことを、他者にするなどという行為に、とても耐えられない。他者を傷つける苦しみ、自己嫌悪を、心が機能している限り、払拭することは、出来ないのだ。彼らとは、心の回線経路がそもそも違う。理解し合えるはずなど、ない。
かつての共存は、一方的に、私達の痛みを伴ってきた。彼らはいつも、そう、言ったもん勝ち。私達の悲しみに、痛みに、これっぽっちも、気づきはしない。それどころか、笑っている。人の痛みを、笑っているんだ。指をさして、笑えるんだ。
私達は、孤立させられ、自分の心に問うしかなかった。
「なぜ、笑われるのか?」
「なぜ、無視されるのか?」
「なぜ、死ななくてはならないのか?」
私ではなく、私達であると知った時、その疑問は、解けた。人類は二種類存在している。今は、混ぜられているけれど、分離することもきっと、可能。「分ける」という発想が生まれ、彼らとの違いは、より一層明確になっていった。
彼らが、自滅の道を歩むというなら、もう、止めはしない。いくら、私達が犠牲になろうとも、歩みを止めないのだとしたら、もう私達を巻き込まないで。ただ、そっとしておいて欲しい。
「あなた達には、何もしないから、もう、何もしてあげないから」
人間の棲む世界を二分しようという意識が起こったのは、ある、介護施設からだった。